第二十四話 ヤルマーク商会のセリュレ
ノーテ司祭の協力を取り付けた後、私はミレトの街へ向かった。
ミレトの街はこのカシューで一番の商業都市だ。にぎわいを見せるミレトの街に着くと、真っ直ぐにヤルマーク商会の商館を訪れた。
事前に手紙を送っておいたので、応接室に案内され、出されたお茶に手をつける間もなく、痩せた切れ長の目を持つ男性が部屋に入ってきた。
「お待たせしました。グラハムお嬢様。当商館の番頭をしておりますセリュレと申します」
「初めましてセリュレ様。私のことはどうぞロメとおよびください。知っておられると思いますが、家からは半ば勘当されており、家名を名乗ることにはいささか抵抗があります。それにセリュレ様とは親しくしていきたいと思っておりますので」
「それは嬉しいお言葉です。それで今回はどのようなご用件で? お嬢様が望むものでしたらどんなものでも取り寄せて見せますよ。ここは辺境の地ですが、最新情報は常に手に入れております。流行りのドレスや宝石類など、都にいるのと変わらぬ品揃えを保証致しますよ」
セリュレは流れるような言葉で、店の品ぞろえを力説した。
「ドレスや宝石もいいのですが、私は客としてではなく、取引相手としてここに参りました」
私は事前に用意しておいた、三本の矢のうちの一本目を放った。
「ご存じと思いますが、現在カシュー地方の魔物を討伐し、治安の安定化を図っています」
「ええ、存じております。いや。領民のためにここまで心を砕いていただけるとは、この地に住まうものとして感涙に耐えません」
セリュレは大げさにのたまうが、その目には涙が出ているようには見えない。
「しかしまだ十分とは言えません。領地のあちこちで魔物が跳梁し、魔王軍の影もちらほらと見えています。新たに兵士を募集し、武器をそろえなければいけません。しかし我らには先立つものがない。ぜひヤルマーク商会に資金を提供していただきたい」
私が切り出すと、セリュレは眉も動かさずに首を振った。
「確かに領地の治安は大事ですが、しかし我々のような小さな商会には、いささか荷が重い話です。辺境に飛ばされた、私のような番頭が決められることでもありません」
芝居がかった答えに、私は少しおかしくなった。
「新進気鋭、国内のあらゆる場所に商館を持つヤルマーク商会が小さいですって?」
「それはもう、私たちなど歴史も浅く、セッラ商会や他の大店に比べればとてもとても」
確かに、ヤルマーク商会は他の大店と違い三十年ほどの歴史しか持たない。
「歴史など関係ないでしょう。商人にとって何より重要なことは、商才。ただそれ一つです」
三十年前、店主のヤルマークはしがない行商人でしかなかったといわれている。しかし今や全国に商館を持つ商人となっている。
王都では成り上がりものと蔑まれ、王家や大貴族との商いからは締め出されている。だが逆境にもめげず、ヤルマークは地方に商機を見出し、手広く事業を展開している。
「店主のヤルマークは商才豊かな人物と聞いています。そしてその彼に見いだされたあなたも、ただの番頭とは思っていませんよ」
辺境の地にいるとはいえ、私はこのセリュレを甘く見ない。彼がこの地にやってきたのは五年前、その時にこの商館は影も形もなかった。
たった五年でセリュレは商館を築き上げ、ミレトの商いの半分を握るほどにまで成長させた。その彼に決断できない問題ではない。
「安心してください。別に押し借りをしようと言うのではありません」
治安のためと商家に金を出せと脅す地方軍閥は多い。しかし商人には金を貸せというのではなく、一緒に儲けようと声をかけるべきだ。
「主要街道に兵士を巡回させようと考えています。その費用を負担してほしいのです。もちろんヤルマーク商会だけでとは言いません。他の商人にも声をかけて、資金を集めていただきたいのです」
私は持参した計画書を手渡した。計画書を一読したあと、セリュレはしばらく考えるふりをして頷いた。
「そういう話でしたら分かりました、この地の治安回復のため、皆さんに声をかけてみましょう」
「ありがとうございます」
もちろんこの話は、初めから飲んで貰えることは分かっていた。
兵士を定期的に巡回させ、そのあとに商人達が付いていく。商人達は護衛料を節約できるし、通商を護衛できるので守る側としてもやりやすい。
しかしこんな事は、よそに行けば当たり前のようにやっているのだ。していなかった今までの方が怠慢である。
前任者である代官の顔が浮かんだ。
あの男のことだ。わざとやらなかったのだろう。治安が悪くなった後に軍を率いて街に赴き、商人たちから金を巻き上げるつもりだったのだ。
「さて、一つ話がまとまったところで恐縮なのですが、もう一つ話があってここに来たのです」
次に放つのが二本目の矢だ。セリュレがどう出るか。
「どのようなお話でしょう?」
「実は現在、ギリエ峡谷に巣くう魔物の討伐を計画しています」
ギリエ峡谷の名を出すと、セリュレの眉がわずかに動いた。
「これもご存じと思いますが、あそこは金鉱脈があると噂されているところです」
かつて黄金を求めて、何度もあの地を平定しようと兵士が繰り出されたが、多くの魔物に阻まれた。
「金の採掘ですか。それは魅力的なお話ですが。その資金の出資をお求めですか?」
言葉とは裏腹に、セリュレはあまり興味がなさそうだった。
「いえ、さすがに金の採掘となりますと、王家と相談と言うことになりますので」
金の採掘はあまり儲からない。
いや、儲かることは儲かるのだが、その魅力は誰の目にもあきらかであり、採掘するとなると、あちこちに利権を取られる。
まず王家が黙っていないし、お父様も指を伸ばしてくるだろう。
しかし採算に見合うだけ利益が出るかどうかは、掘ってみるまでわからない。
金がどれだけ採掘できるかなど、誰にも分からない。期待された鉱脈が、すぐに枯れてしまったと言うことは良くある話だ。
損失の危険は高いが、もうけはそこそこ。セリュレにあまり熱意がないのもそれが理由だ。
「金の採掘は、王家と伯爵家が主導となって行いますが、採掘にあわせて、労働者が住む村を作る必要があります。村の開拓と開発に出資致しませんか?」
「ほぅ」
私が切り出した二本目の矢に、セリュレは初めて商人の顔を見せた。
金の採掘が始まり、一獲千金を夢見た者たちが集うようになれば、当然採掘に来た労働者達が使う道具や食料、住居などが必要になる。
取れるかどうかわからない金などより、こちらは確実に利益が見込める商売だった。
「それはなかなか魅力的なお話ですが、しかし新たに村を作るほど、金が取れるでしょうか? せっかく村を開拓しても、いざ掘り出してみるとすぐに鉱脈が枯れて廃村、などと言うことになれば、投資した資金が無駄になりかねませんが?」
当然のごとくセリュレは慎重だ。しかし私の狙いは、さらにその奥にある。
そこで私は最後の矢を放つことにした。
「ここに持参した地図がありますのでご覧ください」
持ってきた地図を広げて見せる。
カシュー地方は山に囲まれた僻地だ。特にギリエ渓谷を抜けた先には北の屋根とも言うべき、ガエラ連山が剣のように切り立った尾根を見せている。
万年雪に閉ざされたガエラ連山の向こう側は、巨大なメビュウム内海が広がっている。
「ここ、ギリエ渓谷を越えた先に、この地図には載っていませんが、入り江があるのです」
「本当ですか? あの辺りに船がつけられる入り江があるなど、聞いた事もありませんが」
セリュレの目の色が変わった。さすがに聡い。これだけで私がやろうとしていることの意味を理解した。
「本当です、入り江は崖に囲まれるような形で存在しており、海側からも発見が難しく、あの辺りを航行している船もその存在を知らないでしょう」
「なぜその入り江があることを貴方が知っているのです? あそこは魔物が多く、本格的な調査は行われていないはずですが?」
「以前に内海を航行中に海賊に船が襲われて沈没し、王子と二人、偶然その入り江に流れ着き助かったことがあるのです」
あの時は本当に危なかった。あの入り江に流れ着かなかったら、死ぬところだった。
「そしてギリエ渓谷を抜けてきました。こちらに来てようやく王国と通じていることを知ったのです」
「ああ、そういえばありましたね。魔王討伐に旅立った王子が、この辺りに立ち寄ったと言う話を聞いたことがあります」
王子は遭難したことを恥だと考えたのか、入り江を含め、ここに来たいきさつを人に話さなかった。しかし王子が立ち寄ったことは、多くの人が知っていることだ。
「ガエラ連山の向こう側は、切り立った崖が連なり、船がつけられるような場所はありません。あの入り江は、カシュー側から唯一内海に出る航路となり得るのです」
我がライオネル王国の最大の問題は、海を持たないことだ。
大陸の中心に位置し、陸路の要衝を抑えているが、海に出るには滔々と流れるマナウ川を下らなければならない。
問題は川の先々で通行料を求められ、税金が多くかかることだ。
マナウ川を下れば大陸最大の内海トラル海に出て、世界各国と貿易ができるが、出るまでに倍近い税金がかかり、価格が高騰する原因となっている。
「メビウム内海に出ることが出来れば、もう川を下る必要はありません。メビウム内海は東西の交易の中心地である交易都市コンスタンにつながっています。さらにコンスタンに作られた運河を通れば、トラル海にも出られます」
ギリエ峡谷を抜ける通商路が出来れば、カシュー地方は辺境の地から一気に交易の中心地へと姿を変えることが出来る。
その利益は計り知れない。
「金の採掘が上手くいけば、もちろんそれがいいのですが、上手くいかなくても開発した村を中継地として入り江まで道を延ばして港を作る。周りは岩ばかりですから資材には事欠かないですし、砂金を夢見て破産した労働者を使えば無駄がない」
私の言葉にセリュレは吹き出した。
「私も金がすべての冷血漢と言われていますが、貴方もなかなかにお人が悪い」
「失礼な。失敗したときの再就職先まで斡旋してあげるのです。人が良すぎるぐらいですよ」
私の言葉にセリュレがたまらず笑った。
「しかし、これには少し調査が必要ですね」
「ええ、それは分かっています」
今日話したことを、そのまま鵜呑みにするなどあり得ない。それに通商路となると安全性や利便性を考える必要もあるし、入り江が港として使えるのかと言うことも、しっかりと調査しなければならない。
「もちろん調査隊を出そうと思うのですが」
「いいでしょう。調査隊の費用を、幾分か我々で負担しましょう」
全額と言わない辺り、セリュレは本当に商人だ。値切れるところは値切ってくる。しかし多少の資金を出してもいいと思う程度には信頼されたようだ。上手くいくと分かれば、さらに資金を提供してもらえる様になるだろう。
「しかし当面の問題としては」
「分かっています、あの辺りの魔物を駆除できるか、ですね」
全てはそこからだ。ギリエ渓谷はこれまで何度も人類の手を拒んできた。金の採掘も通商路も、全てはギリエ渓谷を確保できるかにかかっている。
今頃アルたちは渓谷に到着しているころだろう。
彼らを待ち受けている困難を想うと胸が痛んだが、顔には出さなかった。