第十六話 ローバーンの策謀
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ローエデン王国。それは、かつてアクシス大陸の北にあった大国の名前である。
北方の広大な半島を支配していたこの国は、周囲を切り立った岩礁に守られていた。深い山々は鉱山資源をもたらし、三方に広がる海は豊かな漁場となり、王国を支えていた。
北の厳しい大地は精強な軍隊を作り上げ、ローエデン王国の重装騎兵は大陸中の国々を踏みしだき、北の荒波にもまれた海軍は無敵艦隊と称されていた。
王国は活気に満ち、栄華を極めていた。十三年前、魔王軍が現れるまでは。
突如現れた魔王軍に、ローエデン王国は当初まともに相手をしなかった。初めて見る魔族を、未開の蛮族、もしくは魔物の類いと見たからだ。
だが未開の蛮族のはずの魔王軍は、強力な剣や鎧で武装し、高度な戦術を駆使しローエデン王国の重装騎兵を打ち破った。魔物の類が造った船は風に逆らって動き、無敵艦隊と呼ばれた船をことごとく沈めた。
栄華を誇ったローエデン王国は、魔族の足に踏み砕かれ、炎に包まれ灰となった。そして現在ではローバーンと名を変え、魔王軍の竜の旗が翻っている。
魔王軍大陸侵略軍、ローバーン鎮守府。
その鎮守府長官である魔族のガニスは、今や並ぶ者無き地位にいると言ってよかった。
最初に魔王軍が滅ぼし、橋頭堡として築き上げたローバーンは、すでに橋頭堡の役割を越え、魔王軍の大陸侵攻を支える一大拠点に変貌していた。
この十三年で築き上げられた壁は高く長城となり、倉庫には兵糧が貯えられ、工房からは絶えず武具が生み出されていた。
多数の人間を奴隷とすることで、労働力も十分に確保し、生産力は日々向上している。さらに入植していた魔族の移民を兵士として訓練することで、兵員回復能力も持っている。
ローバーンは魔王軍大陸侵略軍にとって最大の拠点であり、その支配者であるガニスは極めて重要な地位にいるといってよかった。
しかも魔王が討たれて三年、本国である魔大陸からは一度として連絡はなく、ガニスより上位の地位にいた大将軍は、人間共との戦いに敗れてことごとく戦死した。
これによりガニスより上位の者は、全ていなくなったのである。だがガニスは、ほぼ頂点と言ってもいい地位にいながら、自らを憐れんでいた。
「皆様お集まりになられましたかな?」
ローバーンの会議室では、白い衣を着た小柄な魔族が、しわがれた鳥のような声を上げた。
この小さな魔族の存在こそ、ガニスが自らを憐れむ理由であった。
ガニスも出席するこの会議には、各部署の幹部が集められていた。それぞれが高い地位にいる将軍や官僚達であり、彼らを統括する者こそ、このガニスである――はずだった。だが主だった者を呼びつけ、この会議を開いたのはガニスではない。また皆の視線を集めているのも自分ではなく、先程発言し、この会議を招集した小さな魔族に注がれていた。
「それで一体何の用だ? ギャミ特務参謀?」
ガニスは顔をしかめながら、小柄な魔族に尋ねた。
魔族にしてはあまりに小柄なその男は杖を持ち、顔は子供のようにシワひとつなかった。魔族としては異形、醜いとさえ言える姿をしている。だが誰よりも存在感を放っていた。
「もちろん、人類に対抗するための会議ですよ。一体足りないようですが、よいでしょう」
ギャミは会議室で空席となっている巨大な椅子を一瞥した後、会議を始めた。
「現在、人間共の各王国に侵攻していた六つの方面軍が壊滅しました。連中は力を蓄えつつあります。奴らの軍隊がこのローバーンに押し寄せるのも、時間の問題と言えましょう」
ギャミは魔王軍が置かれている現在の状況を確認した。まるでローバーンを、いや、魔王軍の行末を語っているかのような口ぶりだが、ギャミの階級は千竜将。千体の魔族を指揮する立場でしかなく、これはガニスの副官、その部下ぐらいの地位でしかない。
その程度の地位の者に、ローバーンの主だった幹部を集める権限などありはしない。しかし誰もギャミに異議を唱えることが出来なかった。
この場にいる誰もが分かっていることだが、ローバーンは、いや、この大陸に残っている魔王軍の全ては危機に立たされていた。魔王ゼルギスが人間に討たれ、本国からの補給も途切れた。こうなった以上、残された兵力だけで、このローバーンを守り抜かなければならない。
しかしこの窮地にあって、頼りになる者はローバーンに殆ど残っていなかった。
大陸侵略軍はその名の通り大陸を侵略し、人間共の国々を魔王軍の支配下に置くことを目的としている。そのため最強の軍隊と最高の将軍が集められていた。だが歴戦の将軍達は手柄を求め、こぞって侵攻に加わり、精鋭部隊をことごとく連れて行ってしまった。
後方を支えるローバーンには、ガニスをはじめ優秀な軍政官は数多くいたが、残った魔王軍をまとめあげ、人類に対抗出来るような将軍は少なかった。
「言われんでも分かっておる。人間共の反抗に備えて、壁を高くし、兵士を鍛え上げている」
ガニスがギャミを睨むと、小さな特務参謀はへつらい笑みを浮かべた。
「もちろんガニス様の働きは存じております。しかしそれでも、我らの防衛力はまだ充分とは言えません。人間共の軍隊に対抗するには、ローバーンの総力を以て当たるほかありません。移民としてこの地にいる全ての魔族を兵士として鍛え上げ、武装させる必要があります。建設中の長城もさらに高くしなければいけません。訓練はもとより、武器に防具、兵糧、軍馬。その全てが足りません」
「そんなことは分かっておる! だがどれほど急いでも、その全てを行うのは不可能だ」
ギャミの言葉に、ガニスは机を叩いた。
ガニスをはじめ、幹部達は日々努力し、ローバーンの戦力を高めている。だがギャミが言った要求を全てこなすには、どれほど努力しても時間が足りなかった。
「承知しております。私は軍備を整えるためには、時間を稼ぐ必要があると言いたいのです」
「ならば、どうやって時間を稼ぐと?」
ガニスは油断せずに問う。
このギャミという男は侮れない。小さな体を見て分かるように魔族としては最弱だが、この男の頭脳は魔王ゼルギスすら恐れたと言われている。ガニスとしても遠くへ追放するか、いっそ殺してしまいたかった。だがこの危機的状況の中では、その頭脳に頼るしかない。
「それについて、このギャミが一計を案じました。このまま放置すれば人間共が力を蓄える一方です。かといって大軍を率い、再侵攻することも出来ません。そのため少数の戦力で敵の後方、食料供給地や生産施設を叩き、弱体化させるべきと考えます」
「筋の通った話だが、どうやってだ? 少数の兵力では国境すら越えられぬぞ?」
ギャミの言葉に、ガニスは疑問を呈す。
人間共はすでに国境を厳重に封鎖している。少数の偵察兵なら潜り込めるだろうが、部隊となるとそうはいかない。
「越境の方法についてはご安心ください。すでに準備は整ってございます」
「……そうか! 『あれ』か。しかし本当に使えるのか?」
ギャミの自信ありげな言葉に、ガニスは思い当たるものがあった。
以前からギャミが作り上げようとしていた一つの部隊があった。作り上げるのに恐ろしいほどに資金と時間を必要とする実験部隊で、とても実際に運用出来そうにないものだった。
しかし魔王ゼルギス肝煎りの計画でもあり、ギャミは魔王直筆の命令書を振りかざし、資金や資材、兵士を奪っていった。
「私が作り上げた部隊ならば、千体程の兵力を越境させることが可能です」
「千体だと? たったそれだけの兵力で何が出来る」
ギャミの自信満々の答えに、ガニスは笑うしかなかった。
人間共も馬鹿ではない。当然だが後方の食料供給地や生産施設には守備兵が置かれている。千体やそこらの戦力では、砦一つ落とせない。
「確かに、千体では砦一つ落とせないでしょう。であれば、砦を落とさなければよろしい」
ギャミは兵力不足の問題を簡潔に解決した。
「敵の後方を襲撃する部隊は、徹底的に敵との交戦を避けます。砦や要塞を攻めず、討伐部隊が繰り出されれば、追いつかれる前に分散して逃げます。そもそも敵に捕捉されないよう、常に移動し続け、略奪と襲撃、道路や橋の破壊工作を繰り返します」
「待て、そんな作戦、聞いたこともないぞ!」
ギャミが提示した作戦に、ガニスは声をあげて待ったをかけた。
これまでガニスは、戦争を双六のようなものと考えていた。終点である敵の本拠地に向けて進軍し、途中にある拠点を一つ一つ攻略していく。これまでずっとそうやって来た。しかしギャミが考案した戦術はそれを根底から覆していた。
「この攻撃部隊は、低きを流れる水のように、敵の戦力を避けて弱い場所だけを攻撃します。浸透戦術とでも名付けますかな」
ギャミは笑いながら答えた。
浸透戦術。
初めて聞く戦術に、会議室にいた誰もが動揺していた。だがガニスには、その作戦がいかに効果的なものか理解出来た。
ローバーン鎮守府の長官であるガニスにとって、戦争とは生産と輸送であった。
後方でどれだけ大量の物資を生み出し、前線にいかに素早く届けるか。その効率性が勝敗を分けるとガニスは考えていた。
そして効率を生み出すのは安全である。
敵に襲われる心配がないからこそ、生産性は向上していく。橋や道路が破壊されず、輸送部隊が襲撃されないからこそ、素早く物資を輸送することが出来るのだ。
もし畑が焼かれて工房が破壊されれば、一から種を植え、設備を作り直さなければならない。それだけでも多くの資源と労力を必要とするし、しかもその間は生産が止まってしまう。
橋や道路が破壊されれば、何日も遠回りせねばならなくなる。輸送部隊が襲撃されれば、護衛部隊を編成せねばならず、余計な出費に頭を悩ませることになる。
後方で軍政を任される者にしてみれば、悪夢のような戦術と言ってよかった。
「基本方針としては敵とは交戦せず、討伐部隊が現れれば、少数の部隊に分かれて逃走します。そして事前に決めた集合地点で集結し、周辺の通商を破壊及び集落を襲撃します。これを方面軍が侵攻していた六カ国に対して行います。人間共の国力を削ることが可能でしょう」
ギャミが浸透戦術の概要を話した。