第十四話 王妃のお茶
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「騒がしいこと。外まで声が聞こえましてよ」
「何をしに来た! エリザベート。今は執務中だぞ!」
入ってくるなりため息をつくエリザベートに、アンリの言葉は余計に鋭くなった。
最愛の妻を見ても、アンリの心は安らぐということがなかった。
結婚してからというもの、エリザベートとの関係も悪くなる一方だった。いつの頃からか度々衝突するようになり、会話が減ってしまっていた。
「お忘れですか? 今日はヒューリオン王国の大使と会談する約束があるのですよ?」
エリザベートに指摘され、アンリはそうだったと思い出す。大国であるヒューリオン王国の大使を待たせるのはよろしくない。だが大使との面会にはまだ時間があったはずだ。
「ん? 呼びに来るのが早いのではないか?」
「確かにまだ時間はございます。その前にお茶でもいかがで?」
「茶などいらん」
「いいえ一服して頂きます。そのようなささくれだった御心で、交渉に向かわれるおつもりですか?」
妻に指摘され、アンリは顔をしかめた。
苛立たしいことに正しい意見だ。眉間にしわを寄せていては、交渉はうまくいかない。
「貴方達、もう下がりなさい」
エリザベートは、家臣達に退室を促す。家臣達はほっと息をついて部屋を出て行った。
家臣達の逃げるような態度は気に入らなかったが、何も言わずその背を見送っていると、入れ替わりにエリザベートの侍女が茶器を載せた台車を運び入れる。
侍女が茶を淹れようとしたが、エリザベートが手で制して侍女を退出させる。自ら茶器を手に取り、数種類の茶葉を混ぜて茶瓶に入れて湯を注いだ。
「どうぞ、陛下」
王妃は自らが淹れた茶を、アンリに差し出す。アンリは口をとがらせながら茶を受け取った。素直に口をつけたくはなかったが、かぐわしい香りが鼻孔をくすぐった。
気が付けば茶に口をつけていた。花のみずみずしい香りに、口に含んだ液体はほんのり甘く、後味は草原のようにさわやかだった。一口飲んだ後、息を吐きながら唸る。
美味い。
アンリはつい口から出そうになった言葉を押しとどめ、エリザベートを見た。
ここ最近エリザベートは茶を淹れるのがうまくなった。
魔王を倒す旅をしていた時は、料理もろくに出来ず、茶を淹れさせても薄すぎるか濃すぎるかだったが、二年程前から茶に凝りだし、最近では貴族の間でもその腕が評判となり、エリザベートが開く茶会は人気がある。
茶器が置かれた台車を見ると、数十個の小瓶の中に乾燥した香草や薬草がつまっていた。ただ美味いだけではなく、苛立っているアンリの状態に合わせて、茶葉を調合したのだ。
エリザベートの目論み通りアンリはすっかり落ち着き、怒る気もなくなっていた。
「アレンとアレルは?」
アンリは、二人の息子達の事を尋ねた。
エリザベートとの関係は冷めきっているが、子供のことは愛している。妻とは離縁したかったが、王家の体面や教会との関係、何より子供達のためにも、夫婦でいる必要があった。
「お昼寝中です。よく眠っていますよ」
子供達のことを話すと、エリザベートの顔が微笑む。アンリも子供のことを思うと、釣られて笑みが出てしまった。
「陛下、あまり家臣達を責めては……」
アンリが落ち着いた頃合いを見計らい、エリザベートが先程のやり取りを窘めた。
少しだけ気分がよくなったところに言われて、顔をしかめるしかない。
「だがあいつらは何も出来ん。命じたことを、何一つこなせていない。財政難は解消されず、討伐軍も機能不全のままだ」
「ですが嘘も申しておりません。あの者達とて、何も不首尾の報告をしたくてしている訳ではないのです」
エリザベートの言葉に、アンリはさらに顔をしかめた。
為政者として、真実を告げる者は貴重だ。嘘の報告をされ、嘘を喜べば、周りの者は嘘しか言わなくなる。耳が嘘で塗り固められていては、もう何が真実か分からなくなってしまう。
「そうだな、それは、分かっておる……」
不承不承ながら、アンリはエリザベートの言葉を認めた。
それに落ち着いた今では、少し言い過ぎたと内省している。財政難も騎士団の不服従も、今に始まったことではない。問題の根は深く、すぐに解消出来るものではなかった。
「だが、ロメリアに関しては君のせいだぞ。私は早期にロメリアを反逆罪で処罰すべきだと言ったのに、放置するよう進言したのは君だ。おかげで奴は国の聖女気取りだ。国民は誰が本物の聖女なのか、忘れているほどだぞ」
「それは、困りましたねぇ」
エリザベートは、さして困った表情を浮かべずに述べた。
「それでいいのか! 聖女は君だろう。ロメリアが憎くはないのか!」
アンリは、平然とするエリザベートの態度が癪に障った。
ロメリア。その名前を再び聞くことになるとは思っていなかった。
初めは相手にすべきではないというエリザベートの言葉に従ったが、今やロメリアは、魔王を倒したアンリと並ぶほどの賛辞を受けている。とてもではないが許容出来なかった。
「ですがこれで国内の魔王軍はあらかた一掃されました。国内は安定し財政再建のめどが立ちます。ザリア将軍派の勢力を削ることも可能でしょう」
「だが代わりに、ロメリアがでかい面をしているではないか!」
エリザベートの言うように、幾つかの問題は改善されるだろう。だが代わりにロメリアという新たな問題が生まれてしまっている。
「それは別に対処すればいいだけのこと。魔王軍は一掃され、もう用済みとなったのです」
「始末するのか?」
妻の言葉に、アンリの声も鋭さを帯びる。
「殺しは致しません。状況を整えて法的に処罰するだけです」
「ロメリア騎士団は私兵だ。勝手に軍を越境させている。ロメリアを反逆罪に問えないか?」
「それは難しいでしょう。公式にはロメリアは軍属ではありません」
エリザベートは首を横に振った。
「しかしロメリア騎士団と名乗っているではないか。どう見ても奴の私兵だ」
「周りがそう言っているだけです。正式な所属はカシュー守備隊。指揮官は炎の騎士アルビオンとなっています。反逆罪を問うならば、あの者達を罰することになりますが。陛下はあの騎士達を気に入っているのでしょう?」
エリザベートに指摘されると言葉に詰まった。
ロメリア騎士団の兵士達は、皆が立派な騎士達だ。恐れることなく魔王軍に立ち向かい、そして強くなった。生まれの身分が卑しいことに、口を挟む者もいるが、アンリは気にならない。彼らは努力と実力で、身分の低さを克服したのだ。
「確かに彼らは立派な騎士だ。私の側に置きたいぐらいだ」
「であれば、罪に問うわけには参りますまい」
「しかしだ、彼らを評価するからこそ、ロメリアから助けてやりたいのだ」
アンリが許せないのはそこだった。
ロメリアは他人の功績を奪う卑怯者だ。実際に魔王軍と戦っているのは彼ら騎士団だ。ただ付いているだけのくせに、その功績を奪い、聖女などとおだてられている。
「グラハム伯爵を罪に問うのはどうだ? それならば可能だろう」
アンリは名案を思い付いた。ロメリア騎士団がカシュー守備隊であるならば、カシュー地方を治めるグラハム伯爵にこそ責任がある。父を罪に問い、ロメリアも連座させることは可能なはずだ。
「それも難しいでしょう。相手はあの二枚舌のグラハム伯爵です。うまく逃げ切るでしょう」
「ええい、ならどうしろというのだ!」
エリザベートにまた首を横に振られ、アンリは苛立ちの声を上げた。
「ロメリアのおかげで魔王軍の数は減りました。ロメリア達はその役割を終えたのです。騎士団と同盟の解散を要請し、応じなければ、王家に対して叛意ありとして討てばよろしい」
「なるほど。確かに、それなら大義名分は通る」
アンリはエリザベートの進言に大いに頷いた。
聞けば聞くほど良い話だった。アンリはエリザベートの顔を見た。
最近はあまりうまく行っていなかったが、妻の顔は相変わらず美しかった。
「エリザベート、君のような妻を持てて、私は幸運だ」
アンリは手を伸ばし、妻の頬に触れた。そういえば撫でてやるのも久しぶりだった。
頬に触れると、氷のように固められた顔が不意に氷解し、頬に赤みが差す。
「いえ、私は……陛下の御力になりたかっただけです……」
エリザベートは俯き、手を組んでもじもじと体を揺らし、まるで少女のような仕草をする。
「し、しつれいします」
エリザベートは顔をそむけたまま、恥ずかしいのか部屋を出て行った。
その後ろ姿が可愛く、今日は久しぶりに一緒に寝るかと、アンリは考えていた。




