第五十九話 奇跡の真実
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エリザベートに向けて幾本もの矢が放たれ、アンリ王の体が遮るように前に出た。エリザベートは守護の力で壁を生み出そうとしたが、血を失いすぎているためか術にならなかった。
矢がアンリ王の背に突き立ち、口から血が漏れる。
「陛下! いけません。お逃げください! 貴方一人なら、まだ助かります」
エリザベートは叫んだが、アンリ王は逃げなかった。
炎の奥では、とどめの矢が放たれようとしたその時、ロメリアがアルビオンとレイヴァンを連れて、謁見の間にやってきた。
ロメリアの騎士達は疾風の如く駆け、弓を構える刺客達を倒していく。
「陛下、援軍が来ました。助かります。お気を確かに」
エリザベートはアンリ王に助かったと声を掛けたが、背に矢を受けたアンリ王は、エリザベートの膝に崩れ落ちた。
「ああっ、しっかりしてください。こんな怪我、すぐに治りますから」
エリザベートは背に矢を受けたアンリ王に癒しの技を発動した。しかし手に灯る光は弱々しく、出血が止まらない。
「安心してください、陛下。貴方は死にません。必ず治ります」
エリザベートは治癒の力を使い続けた。自分は深手を負い助からないかもしれない、しかしアンリ王は死なない。エリザベートにはその確信があった。自分には、その力があるからだ。
もう六年も前のことだった。魔王討伐の旅をするアンリ王子と初めて出会った日の夜、エリザベートは教会でアンリ王子のために祈りを捧げていた。
その時、天から奇跡の力を授かったのだ。
奇跡の力の名は『慈愛』。その力はエリザベートが愛する者の傷を癒し、死の淵からでさえ命を救い復活させることが出来る。
この力は魔王討伐の旅で遺憾無く発揮され、何度もアンリ王子を救った。
魔王ゼルギスの渾身の一撃ですら、アンリ王子を殺すことは出来なかったのだ。それに比べればこの程度の矢傷、ものの数ではない。しかし、どれほど癒しの技を使おうと、矢傷が塞がることはなかった。
「どうして? なぜ治らないの?」
エリザベートは涙を流しながら、必死に癒しの技をかけ続けたが、流れる血を止めることも出来なかった。
涙を流すエリザベートに、アンリ王が身を起こし、涙を血の付いた手で拭った。
「よい、よいのだ。エリザベート。無理をするな」
「いいえ、治ります。必ず治るのです。陛下、今まで隠しておりましたが、私には奇跡の力が……」
「ああ、知っているよ。君達が奇跡の力を持っていることを」
エリザベートの告白に、アンリ王は口の端に血をにじませながらも、柔和に微笑んだ。
この言葉に、エリザベートは驚いた。
エリザベートは奇跡の力を授かった時、この力は秘するべきであると直感し、今日の今日まで誰にも話さなかったからだ。
「どうして? 何故知っているのです?」
「さて、何故だろうな。ただ、君達がガリオスを倒したのを見て分かったのだ。君達は神に愛されており。私は違うのだと。恐らくエカテリーナや呂姫、そしてロメリアも似たような力を持っているのであろう」
アンリ王の言葉は、二度目の衝撃となってエリザベートを襲った。
これまで奇跡の力を授かったのは、自分一人だけだと思っていた。しかし自分だけが特別とする理由は何もないのだ。
それに思い返せば、エカテリーナや呂姫が仲間になった後、アンリ王子の魔法や剣技が劇的に向上した。
今までは二人の指導により、アンリ王子の才能が開花したものと思っていた。だがそうでなかったとしたら?
エカテリーナと呂姫にも奇跡の力が宿り、その力がアンリ王子を強くしていたとしたら?
そしてロメリア。戦う力を持たず、魔王を倒す旅では雑用以外では役に立たなかった。しかしあのロメリアが、現実主義で無駄なことは一切しないロメリアが、アンリ王子のためとはいえ、足手纏いになるようなことをするだろうか?
アンリ王の指摘は、なんの証拠もなかった。しかしエリザベートはそれが真実であると、直感してしまった。
「アンリ……私は…私達は……」
「よい、よいのだ……そなた達のおかげで、夢を見ることが出来た」
震えるエリザベートに、アンリ王は優しく微笑みかけた。だがその顔は悲しみに溢れていた。
「エリザベート。私は……私は英雄になりたかった……」
アンリ王は頰に一筋の涙を流し、エリザベートの膝に崩れ落ちた。
「アンリ……すみません。私が、私達が貴方の人生を……」
エリザベートは謝らずにはいられなかった。
もしエリザベート達が力を貸さなければ、アンリ王は英雄にならずとも、人々の痛みと弱さを知る、善王となっていたかもしれなかった。
自分達が幸運の女神気取りで、この人の人生を歪めてしまったのだ。
「アンリ……」
エリザベートのこぼした涙が、アンリ王の頰を打った。
「貴方は英雄です。これまでも、これからも」
両手を広げ、エリザベートはアンリ王の頭を抱擁する。
爆発が起き、城が揺れ、火の手がさらに激しくなった。
「エリザベート! アンリ!」
炎の向こう側で、ロメリアが叫んでいた。
「ザリア将軍は倒しました。早くこちらに!」
ロメリアの言葉通り、ザリア将軍は死に、刺客達も倒されたようだった。しかしエリザベートは首を横に振った。
「アンリ王が今亡くなりました。私も最後を共にします」
エリザベートはアンリ王の顔を撫で、最後に流れた涙を拭った。
「エリザベート! アンリ王が亡くなられても、貴方までが死ぬ必要は無い。二人の子供はどうするのです!」
ロメリアが子供達のことを引き合いに出す。
アレンとアレル、二人の子供達のことは気がかりだった。しかし自分にはもう息子達を助けてやることは出来ない。
「この深手では私も助かりません。それにアンリ王を一人には出来ません。英雄は聖女を守り、聖女は英雄と最後を共にした。死すら二人の愛を分かつことは出来なかった。歴史書にはそう記され、唄に唄われるのです」
エリザベートの言葉を聞いて、ロメリアが目を見開いて驚く。直後大きく城が揺れ、城の崩壊が始まった。
「エリザベート!」
ロメリアの声が響き渡った。
私は力の限りエリザベートの名を叫んだが、エリザベートは玉座から動こうとしなかった。
城が大きく揺れ、天井から石が降り注ぐ。
「ロメリア様! 危険です!」
レイが降ってくる破片から、私を守ってくれる。
「おい、セルゲイ? 生きてるのか? しっかりしろ。ここで寝てたら死ぬぞ! こっちの爺さんと嬢ちゃんも息があるのか!」
アルが倒れている親衛隊のセルゲイ副隊長とファーマイン枢機卿長、そして侍女を見つける。
「エリザベート! 必ず助けます。諦めないで!」
私はなおも二人を救う方法がないかと近づこうとしたが、レイに肩を掴まれ止められる。
「離しなさい! レイ! 二人を助けないと」
私は肩に置かれた手を振り払おうとしたが、レイは離さなかった。
「ロメリア様、これ以上は駄目です! 全員が死にます! どうしてもと言うのなら、私が行きます。ロメリア様は脱出してください」
レイの言葉は、私に歯噛みをさせた。
自分が行くならともかく、レイを火の海に飛び込ませるわけにはいかなかった。それに私が脱出しなければ、ロメ隊やカシュー守備隊も決して脱出しない。
七百人全員を道連れにするわけにはいかなかった。
「……仕方ない、脱出します。アル! 生存者は?」
「この三人だけです!」
アルは背中にセルゲイ副隊長を担ぎ、ファーマイン枢機卿長と侍女を左右の脇に抱えていた。
とても重いはずだが、アルは三人を担いでも、まるで重そうなそぶりを見せていなかった。
「エリザベート、アンリ!」
私はもう一度だけ二人を見ようとしたが、すでに二人は炎に包まれていた。
「すまない!」
私は思いを断ち切るように踵を返し、外を目指した。
火の手が上がり、崩壊する城を駆け抜け、カシュー守備隊と合流する。
炎上する城の中を走っていると、不意に私の耳に唄声が聞こえた。
私以外に誰も唄声に気付いた者はなく、気のせいかもしれない。だが私は確信した。
「エリザベートが唄っている」
それは旅の途中、エリザベートが唄っていたものだった。
野営のたき火を見ながら、あるいは大海原に沈みゆく太陽を眺めながら、満天の星が瞬く夜の砂漠で、心の慰めに彼女が唄っていたものだった。
「エリザベート……アンリ……」
私達は幾つもの平原と山を越え、氷原と海を渡り、多くの困難を乗り越え旅をした。
何故こうなってしまったのか? 何を私達は間違えたのか?
その答えは、燃え尽きる城に埋もれていった。
次回、第三章のラストです