第六話 戦争に勝利したから戦後処理を始めた
勝敗の趨勢が決しても魔王軍は最後まで抵抗を続け、戦闘を終えたのは日暮れ前になった頃だった。
血で染まった大地に、夕日がさらに赤を付け足す。まるで血で出来た丘のようだった。
戦いは終わったが、私の仕事はまだ終わっていなかった。むしろここからが本番と言えた。
「アル、怪我の少ない者を半数選んで魔族のとどめを刺してください。レイは負傷兵の収容に当たってください。それと今更言うことではないかもしれませんが……」
「生きている魔族に注意しろ、でしょ?」
私の言葉をアルが引き継ぐ。
「分かっているなら構いません。せっかく勝ったのに、こんなところで死なないように」
「もちろんですよ、ロメ隊長」
「ではロメリア様、負傷兵の収容に当たります」
私の指示に、アルとレイが一礼してから動きだす。
二人を見送った後に私は周囲を見ると、荷物を体に括り付けた馬の列が、ポルヴィックに到着していた。魔王軍との戦闘の前に、後方に残したカシュー守備隊の補給部隊だ。武器や食料だけでなく医薬品を積んでおり、さらに怪我を治癒する力を持つ『癒し手』を多数引き連れている。戦後処理には彼らの助けが必要だ。
補給部隊を見ていると、荷物をほどいている一団の中から、黒い修道服を身に着けた若い女性が、こちらに向かって走って来るのが見えた。癒し手の一人であるミアだ。
「ああ、ミアさん気をつけてください。そこには窪みが……」
私は走ってくるミアに注意したが僅かに遅く、穴に足を取られたミアは盛大に転倒し、頭から地面に倒れた。
私は片目を閉じて顔をしかめる。倒れたミアを見ると、一瞬苦しそうにしていたが、即座に起き上がり私を見た。
「ロメリア様。お怪我はありませんか?」
「ええ、貴方よりも軽傷ですよ、ミアさん」
私は駆け寄ってきたミアの服を軽く払い、付いた泥や葉っぱをとってあげる。足を見れば膝小僧をすりむいていた。なんというか子供みたいだ。
「大丈夫? ほら、ミアさん。怪我を治して」
「いえ、こんなの怪我のうちには入りません。それよりも少しでも多くの方を治さないと」
ミアは負傷兵を優先して、自分の怪我の治療を後回しにした。
「分かりました。あとで治療するのですよ? それでカールマンはどこです?」
私はミアの先輩であるカールマンの所在を尋ねる。
カールマンは癒し手をまとめる立場にある。負傷兵の治療は、彼がどれだけ効率的に動けるかにかかっている。
「カールマン先輩はすでに負傷兵を収容するための、仮設診療所の設営を開始しています。負傷兵が収容され次第、治療に入られる予定です」
ミアがカールマンはすでに働き始めていることを教えてくれる。
「では、ロメリア様。私も負傷兵の治療に当たります」
ミアは一礼して去っていく。入れ替わる形で一人の男性が私の元へやって来た。ボサボサの頭に無精髭、薄汚れた緑のローブを着た男性は、なんともだらしない格好だったが、これでも我が軍きっての名軍師であり、私の師であるヴェッリ先生だ。
「先生、お疲れ様です。おかげでポルヴィックが落ちる前に到着出来ました」
私はヴェッリ先生に感謝した。
「今回は大変だった。十日も日程を短縮しろと言われた時は、どうしようかと思ったぞ」
ヴェッリ先生は肩を叩いた。さすがの先生も、今回ばかりは疲労困憊といった様子だ。
ポルヴィックが救援を求めて来た時、私達は遥か遠くにいた。救出に向かうには時間が足りず、間に合わせるために、私は通常ではありえない強行軍を命じた。その強行軍を支えてくれたのが、名軍師であるヴェッリ先生だ。
軍師といえば、策を練って敵を罠にはめる姿を思い描く人も多いが、実際の軍師は、戦争の前にこそ本領を発揮する。
武器を揃え食料を集め、目的の場所と日時に軍隊を移動させる。戦いの場に兵士を連れて行くことが、軍師の仕事なのだ。
一見すると簡単なことのように思えるが、数千人分の武器や食料を手配し、予定通りに進軍させるというのは、信じられないほど難しい。道幅や道路の状態、天候一つで行軍の速度は変化してしまう。さらに飲み水をどこで給水するか? 食事の煮炊きに必要な薪はどこで手に入れるか? 様々な変数を考慮に入れなければならない。
通常はある程度遅れることを計算して、水や食料を多めに持ち、行軍の行程にも余裕を持っておく。しかし今回だけはポルヴィックが持ち堪えられるか分からず、急ぐ必要があった。
「全ては先生のおかげですよ。到着が半日遅れていたら、どうなっていたことか」
私はヴェッリ先生を讃えた。
実際ポルヴィックは落城寸前だった。先生は武器を持たず、戦場にも立たなかったが、地図と紙だけで、ポルヴィックに住む全員を救ったと言えるだろう。
「お疲れでしょう。休んでください」
「そういうわけにいくかよ。ここからが俺の仕事だしな」
私はゆっくりしてもらおうと思ったが、ヴェッリ先生は目頭を揉みながら答えた。
「そうですよ、ロメリアお嬢様。この男を甘やかす必要はありません」
突然凛とした声が聞こえ、声のした方向を見ると、そこには妙齢の淑女が立っていた。
髪を後ろでまとめ上げ、濃紺のブラウスにくるぶしまであるロングスカートを身に着けた女性は、私のもう一人の師であるクインズ先生だった。
「なんでお前がここにいる?」
ヴェッリ先生は古なじみであるクインズ先生を見て、気まずそうに顔を歪めた。
私もヴェッリ先生と同じ疑問を抱いた。クインズ先生は確か、カシュー地方にあるミレトの街にいたはずだ。
「ヴェッリが無茶な計画を立てたと聞きましてね、補給物資の運搬を任せられる人がいなかったので、私が出張って監督することにしたのです。ついでに補給の最終便に付いて来ました」
「ああ、だからですか。補給がやけに正確に届いたので、不思議に思っていたのです」
クインズ先生の答えを聞いて、私は納得した。
私の無茶な強行軍を実現するため、ヴェッリ先生はより無茶な計画を立てた。その方法とは、荷馬車を使わないというものだった。
行軍の速度は荷物の速度だ。荷馬車を引き連れた輜重部隊が、行軍の速度を決定する。
しかし今回は輜重部隊の速度に任せていては、絶対に間に合わないことが分かっていた。そのため今回は輜重部隊と本隊を切り分けた。本隊は数日分の食料だけを持って先行し、置き去りにした輜重部隊からは逐次、数日分の食料を馬で輸送させる方法をとったのだ。
荷馬車を切り離した分、本隊の行軍の速度は向上した。だが日増しに輜重部隊との距離が離れていく。もちろんその距離を計算して補給計画を組んだが、一日でもずれれば前に進めなくなる綱渡り。正直、ちゃんと食料が届くのか、毎日が不安で仕方がなかった。しかし蓋を開けてみれば、後方からの補給は半日と遅れることなく到着した。あまりの正確さに、計画したヴェッリ先生も驚いていたが、その背景にはクインズ先生の尽力があったのだ。
「全く、いくら時間がないからって、あんな手段をとるなんて。間に合わなかったらどうなっていたことか」
クインズ先生は、呆れ顔でヴェッリ先生を見た。
確かに無茶な方法だったが、クインズ先生はヴェッリ先生のやり方が破綻すると見るや、すぐに後方支援に駆けつけている。他人には無理でも、自分ならヴェッリ先生の計画を支えられると考えたのだ。互いに相手の思考を理解しているからこその、連携と言えるだろう。
「輜重部隊の本隊が到着するのは数日後ですが、最終便で食料と共に医薬品や天幕なども持ってきました。医薬品の分配に当たりましょう。ヴェッリ、貴方は負傷兵の取りまとめを」
「へいへい、分かりましたよ」
クインズ先生がヴェッリ先生に指示を出すと、ヴェッリ先生は頭を掻きながら同意した。
「ああ、私も手伝いますよ」
私は手伝いを買って出た。戦争は兵士だけのものではない。後方を支える事務方が必須だ。私自身は戦えないので、事務仕事を手伝うべきだろう。
「何を言っているのです、ロメリアお嬢様こそお疲れでしょう? 少しでもいいのでお休みください。強行軍はさぞお辛かったでしょう」
クインズ先生が私を気遣ってくれるが、全員が同じだけ歩いたのだ。私だけ休むわけにはいかない。
「それに、お嬢様にはお嬢様のお仕事があります。最終便には侍女達と共にお嬢様の身の回りの品も持ってきました。少し休んで身支度を整えてください。お化粧もした方がよいでしょう」
「化粧ですか?」
「ええ、疲労が顔に出ていますよ? 疲れた顔でポルヴィックの歓待を受けるつもりですか?」
クインズ先生が、城壁に囲まれたポルヴィックの街を見る。
ポルヴィックの街は城門が開け放たれ、住人達が負傷兵の収容や治療を買って出てくれている。さらに城門からは、正装に身を包んだ兵士の一団がこちらに向かって来ていた。
そういえば少し前に、ポルヴィックの先触れが来て、あとで正式に使者が挨拶に来ると言っていた。この後ポルヴィックの貴族と、話し合いをしなければいけない。
戦争をした直後であるため、多少の無礼は許されるだろうが、交渉事に疲れた顔で挑むのは良くない。身なりを整えておくべきだ。さすがはクインズ先生、痒い所に手が届く。
クインズ先生の指示に納得していると、ポルヴィックの使者が私の前にやって来た。




