第百十一話 陰謀の宴
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館の大広間にはいくつものテーブルが並べられ、色とりどりの料理が載せられていた。
ロメリアの戦勝を祝う宴の準備が整ったのを見て、ソネアは広間の入り口の前に移動した。開け放たれた扉からは着飾った紳士淑女が次々にやってくる。戦勝祝いに駆けつけてきたロベルク地方の貴族達だ。
ソネアは貴族達を出迎えながら、胸が次第に高まるのを感じていた。
今から開かれる宴は戦勝祝いなどではなく、毒と陰謀が交錯する謀略の宴なのだ。宴の準備をしていた時は忙しさに気が紛れていた。だが準備が終わりいよいよ宴が始まるとなると、やはり焦りや不安が大きくなってくる。しかし後戻りは許されない。一度やると決めた以上、最後までやり切らねばならない。例えそれがどれほど許されないことであったとしても。
宴に参加する客を出迎えていると、司祭服を着た男と数人の貴族たちがやってくるのが見えた。救世教会のギルマン司祭とロベルク同盟の貴族達だ。
ギルマン司祭は自信に満ちた表情を顔に浮かべている。一方、その背後にいるロベルク同盟の貴族達は顔色が悪く、まるで今から自分の葬式に出席するかのようだった。
二種類の顔を見て、ソネアは内心ため息をついた。ギルマン司祭もロベルク同盟の貴族達も、わかりやすすぎた。
ギルマン司祭は自分のことを、やり手の陰謀家か何かだと思っているかもしれない。だが実際のところ、彼は陰謀家としては二流だ。陰謀を考える大胆さを持ってはいるが、彼には慎重さが足りない。
そもそもギルマン司祭が陰謀を好むのは、自分は必ず成功するという、根拠のない自信を持っているだけにすぎない。その無鉄砲さが功を奏したこともあったのだろうが、大胆なだけでは陰謀はうまくはいかない。大胆さの中に、常に自分も騙されているのではないかという注意深さが必要なのだ。
ギルマン司祭は二流だが、それでも背後にいるロベルク同盟の貴族達よりはマシだった。彼らは陰謀に加担したことに、心の底から怯え切っていた。
こちらに関してはもう呆れるしかなかった。
安全な場所にいれば、威勢の良いことを幾らでも言うくせに、いざ自分の命が天秤に乗れば慌てふためく。そんなことなら、初めからロベルク同盟などと息巻かなければいいのだ。伯父であるカルスに唆されたとはいえ、彼らはまるで腹が据わっていない。
「ソネア様、よろしく頼みますよ」
ギルマン司祭が笑みに唇を歪ませる。ギルマンに対して、ソネアは赤い唇を歪ませて会釈を返した。
用意された席に、ギルマン司祭とロベルク同盟の貴族達が向かっていく。ソネアは彼らの背中に注意深く視線を送った。だが誰も振り返ったりはしなかった。
すべての客が広間に集い楽しそうに談笑していると、使用人が現れて声を張り上げた。
「ロメリア様御入場、ロメリア様御入場!」
先触れの声に、談笑していた貴族たちが入り口を見る。しばらくすると鎧姿のロメリアが、十数人の兵士を引き連れ登場した。その脇には軍師役でもあるヴェッリを伴っている。
凛々しいロメリアの姿に、貴族たちが惜しみない拍手で迎える。拍手のほとんどは真にロメリアの功績を讃えるものだった。このロベルク地方では、様々ないざこざがあった。だがロメリアが魔王軍を倒し、撃退したのは事実だ。ロベルク地方に住む者にとって、ロメリアはまさに魔王軍を成敗した英雄だった。
周りから沸き起こる拍手に、ギルマン司祭を始めロベルク同盟の貴族達も、仕方なく手を叩く。ソネアも同じく手を叩いた。この歓迎の拍手を、心から叩けぬことが心残りだった。
万雷の拍手の中、ロメリアが入り口の前に立つソネアのもとに歩み寄る。
「歓迎を嬉しく思う、ソネア様」
「このロベルク地方を救ってくれたロメリア様を祝いの席にお迎えすることができて、これほど喜ばしいことはありません」
ロメリアが柔和な笑みを浮かべる。その顔に一点の曇りもない。
「さぁ、こちらにいらしてください、ロメリア様」
ソネアが優雅な手つきで、ロメリアを上座に据えた席へと誘う。
ロメリアを席に案内すると、ソネアはその右側に付いた。護衛の兵士達が背後の壁に整列する。そして貴族でもあるヴェッリがロメリアの左脇に立つ。
ロメリアを歓迎する拍手は鳴りやまず、上座に付いたロメリアは手を掲げて会釈していた。
歓迎を受けるロメリアを見ながら、ソネアはロメリアの左に立つヴェッリに目を向けた。祝いの席だと言うのに、無精髭にぼさぼさの頭のヴェッリは、ひょうひょうとしており、その顔色からは何もうかがえない。
ソネアの視線はヴェッリから離れ、広間の隅に立つ侍女に目を向けた。頬に傷を持つ侍女キュロットが、ソネアの視線に気付いて頷き、部屋から出て姿を消す。しばらく待ってから、頃合いと見たソネアが手を掲げて使用人たちに合図を送る。すると何人もの使用人たちが盆を手に広間に入って来る。盆の上には幾つもの杯が乗せられていた。乾杯用の祝い酒だ。
使用人たちが客に杯を配って回る。その使用人たちの中で一人、銀の盆に銀の杯を持つ侍女がやって来る。頬に傷を持つキュロットだ。キュロットが運ぶ杯は、ロメリアに饗される杯だった。
段取りを知っているギルマン司祭たちが、銀の盆を掲げるように運ぶキュロットに視線を送る。その視線はギラギラと輝き、先ほどまで陰鬱に沈んでいたロベルク同盟の貴族達でさえ、陰謀の毒気に当てられているようだった。
キュロットは人の間を通り抜けて、ロメリアのいる上座を目指す。その時、キュロットが一人の男性客と体がぶつかった。体勢を乱したキュロットが、酒をこぼしそうになる。ソネアもギルマン達も目を見張ったが、キュロットとぶつかった男性客は素早く手を動かして、倒れそうになった杯をつかみ、中の酒をこぼさぬよう体を一回転させる。一瞬杯が見えなくなり、酒がこぼれてしまったのかと危惧したが、男性客の手には水平に保たれた杯があり、男はキュロットが持つ盆に杯を戻す。
酒はこぼれていないらしく、キュロットが私を見て頷く。ギルマン司祭たちが胸を撫でおろし、キュロットと杯を見守る。
キュロットは落ち着いた足取りでロメリアのもとにたどり着くと、ロメリアは躊躇することなく、銀の杯を受け取った。
ギラギラした目を杯に向けていたギルマン司祭たちにも、使用人がやってきて杯を配って回る。ギルマン司祭たちは疑うことなく杯を受け取った。
「ロメリア、毒見は俺がしよう」
ヴェッリが名乗り出て、杯に口をつける。一口酒を含んだ後、味を確かめて飲み干す。
「大丈夫だ」
ヴェッリが毒見を終え、頷いて杯をロメリアに戻す。
毒見をしたヴェッリを見て、ギルマン司祭たちが目をさらに輝かせる。ギルマン司祭が用意した毒は無味無臭の上、効果が出るまで時間が掛かる。ソネアは毒の加減を知るため、何度か動物で実験を行ったが、一口程度であれば、毒が効き始めるまで半日はかかるだろう。
「みなさん、このような宴を開いて頂き、感謝に堪えません。我々は……」
全員に杯が行き渡ったのを見て、ロメリアが演説を開始する。ソネアはその言葉の半分も耳に入ってこなかった。ギルマン司祭たちも、早く演説が終われと念じているのが分かる。
「それでは、王国の繁栄を願って、乾杯!」
ロメリアが杯を掲げ、祝い酒を飲み干す。ギルマン司祭たちは瞬きもせず、その様を凝視した。
祝い酒を飲み干したロメリアが杯を下ろす。ギルマン司祭が視線をソネアに向けた。ソネアは赤い口紅が塗られた唇を歪ませ、ギルマンに向けて笑みを見せる。するとギルマンも笑い、杯を掲げて酒を飲み干す。ロベルク同盟の貴族達も一斉に酒を飲み干した。ギルマン達が酒を飲み干したのを確認して、ソネアも杯の中身を飲んだ。
乾杯が終わり祝いの席が盛り上がるなか、酒を飲み干したギルマン司祭たちが気づかれぬように広間から出て行こうとする。広間の出入り口まで移動したとき、ロメリアが突如背を丸め蹲った。
「ロメリア様!」
主の異変に気付いた兵士達が、ロメリアの元に集まりその体を隠す。
「毒だ!」
「医者だ、医者を連れて来い!」
「部屋を封鎖しろ、誰一人出すな!」
兵士達が次々に怒号を上げ、客たちが悲鳴を上げる。混乱が沸き起こった中、ギルマン司祭達がすぐさま広間を出て行く。私は倒れたロメリアを見ず、どこを見るわけでもなく、まっすぐ前を向いていた。
次の瞬間だった、広間の出入り口から大量の兵士達がやってきて、整然とした足取りで広間の壁に並び、完全に包囲してしまう。猫の子一匹這い出る隙間のない包囲網と、落ち着いた兵士の動きに、悲鳴を上げていた貴族たちが動揺しながらも落ち着きを取り戻す。
「ああ、もういいですよ」
兵士に囲まれた中、女性が声を上げると兵士達が下がる。その中心には倒れたはずのロメリアが立っていた。貴族たちが驚く中、広間の外からは叫び声が聞こえてきた。
「放せ、私を誰だと思っている。私は教会の司祭だぞ!」
「いったい何のつもりだ」
「我らにこのようなことをしてタダで済むと分かっているのか!」
叫んでいたのはギルマン司祭とロベルク同盟の貴族達だった。彼らは兵士達に体を掴まれ、無理やり歩かされていた。その兵士達を指揮しているのは、ドストラ男爵家のハーディーだった。
広間に引き戻されたギルマン司祭たちは、部屋の中央まで連行されると突き倒されるように解放された。
「おや、ギルマン司祭。祝いの席だと言うのに、いつの間に中座されたのですか?」
部屋に連れ戻されたギルマン司祭たちを見て、ロメリアが冷ややかな声をかける。
「なっ、ロメリア様、どうして!」
「どうして? 私が生きていることが、そんなに不思議ですか?」
驚くギルマン司祭に対し、ロメリアが当然の疑問を返す。
ロメリアが倒れる前にギルマン司祭が外に出たのなら、ロメリアが生きていることを驚くのはおかしい、逆に倒れたのを見て外に出たのであれば、それは暗殺犯であるが故の逃走ということになる。
周囲にいる貴族たちは、ギルマン司祭の言葉を聞いて息を呑む。
「あっ、それは……」
周りの貴族達に不用意な発言を聞かれてしまい、ギルマンが顔色を変えた。
「おっ、お許し下さい、ロメリア様!」
「これには訳が!」
「我々はそそのかされただけなのです!」
ロベルク同盟の貴族達が、我先にと弁明を口にする。それはもう完全な自白だった。
「やめろ、お前ら!」
ギルマン司祭が慌てるが、もはやどうしようもない。
ロメリアはため息を付き、視線を前から横に立つ私へと向けた。
「ソネアさん、このような形となって、残念です」
ロメリアが諦念を表情に浮かべ、首を横に振った。だがソネアはその言葉に答えず、ただひとり頷いた。
「ああ、あの時ですね」
「何がです?」
「杯を運んだキュロットが、男性とぶつかった時です。あの時、杯が一瞬だけ見えなくなりました。あの時に杯をすり替えたのですね」
ソネアはロメリアの計画を見抜いた。
あとから考えてわかることだが、すり替えることができたのはあの時しかない。
ソネアはロメリアを見たが、ロメリアは問いには答えず、答え合わせをすることはできなかった。だがそれはどうでもいいことだった。本当にどうでもいいことだった。
「別にすり替える必要はありませんでしたのに」
ソネアはロメリアに向かってほほ笑む。その口の端からは一条の血がこぼれた。