第百六話 ギルマンの絵図とソネアの計画
更新が遅れて申し訳ありません、今回は難産だった
ミカラ領の邸宅では、早朝から宴の準備が進められていた。
昨夜ミカラ領に帰還した、ロメリアの勝利を讃えるための戦勝祝いだった。
救世教会の司祭であるギルマンは、準備されつつある宴の会場を見て目元を引き締めた。しかし口の端は、微笑みに歪んでいた。
準備が進められている宴は、ただの戦勝祝いではない。ロメリアを暗殺する舞台だからだ。
ギルマンは自らの出世のため、ロメリアの暗殺を計画していた。そして準備が進められているこの戦勝の宴で、暗殺を実行する予定だった。
ギルマンは計画の成功を半ば確信していた。ロメリアは暗殺の計画には全く気付いておらず、戦勝祝いの宴を開くと聞いて大層喜んでいた。暗殺されるとも知らず、無邪気に喜ぶロメリアの顔を思い出すと、ギルマンは思わず吹き出しそうになってしまう。
実際ロメリアにとって、この戦勝祝いはありがたいのだろう。
これまで大きな敗北をしてこなかったロメリアにとって、今回の引き分けは汚点となりかねない。自らの人気を保つために、ロメリアは今回の戦いは勝利だったと、ミカラ領に帰還するなり声だかに叫んでいた。
小さな手柄を大きく見せようと、必死なロメリアの姿は実に滑稽だった。
存外ロメリアは小物なのかもしれないと、ギルマンは思ったが顔には出さず、宴の準備を見守る。すると若草色のドレスに身を包んだ女性が、背筋をピンと伸ばして使用人たちに指示を出していた。ミカラ領の女領主となったソネアだった。
ソネアは顔に化粧をし、口には赤い紅が引かれていた。
「あら、ギルマン司祭。おはようございます」
ギルマンに気づいたソネアが、顔に傷を持つ侍女を連れてギルマンの下にやってきては会釈を浮かべる。
ギルマンはソネアの笑顔を見て、生唾を飲み込んだ。熟れた果実のような唇はどこか毒々しく、浮かべられる笑顔は妖しい色香が漂っていた。
「これはソネア様、おはようございます。宴の準備はどうですか?」
ソネアの笑みに不吉さを感じたが、ギルマンは顔には出さずに会釈を返した。ソネアはロメリア暗殺の協力者である。それも戦勝祝いの宴を開き、毒の入った杯をロメリアに手渡す暗殺の実行犯だ。どれほど不吉に感じても、今は邪険にするわけにはいかなかった。
「宴の準備は問題ありません。今日のお昼には準備が整い、始められると思います」
「ソネア様の協力に感謝します」
ギルマンは胸に手を当てて感謝をのべた。
ロメリア暗殺計画は、ソネアの協力がなければ不可能だった。ロメリアはソネアのことを信頼している。そのソネアが開く宴だからこそロメリアも疑っていない。これがギルマンや、反目しているロベルク同盟の領主たちの催しであったなら、流石にロメリアも素直に喜びはしなかっただろう。
「ところでギルマン司祭。ロベルク同盟の方々は何処におられますか?」
「さて、どこでしょうね? 今日はまだ会っておりません。おそらく部屋にこもっているのでしょう」
「やれやれ、困ったことですね? まだ腹が座らないのでしょうか? 男の方はこれだから」
ソネアの声は、恐ろしいほど冷ややかだった。
「その点に関しては、私も忠告したでしょう。彼らに話すべきではないと」
ギルマンはソネアを睨み、視線で責めた。
ロメリア暗殺計画に関して、ギルマンはソネア以外巻き込むつもりはなかった。ロベルク同盟の領主たちは腹が据わっておらず、ロメリアを暗殺すると聞けば、狼狽えるに決まっているからだ。しかしソネアはロベルク同盟の領主たちを巻き込むことを強く主張した。
「あの人たちは自分の足でこの災禍に臨んだのです。最後まで付き合ってもらいますよ」
ソネアの冷たい声の裏には、地獄の業火の如き怒りが感じられた。
「まぁ、いいです。宴が開かれる昼には部屋から出てくるでしょう。それよりギルマン司祭、賠償請求を破棄する書類の方はどうなりましたか?」
「ええ、それはなんとか書かせました」
「では、見せていただいても?」
ソネアが手を差し出すので、ギルマンは懐から折り畳まれた紙を取り出して渡した。ソネアが受け取り中を確認する。書類にはミカラ領で起きたロベルク同盟と魔王軍との戦いにおいて、敗戦の責任はロベルク同盟に加盟していた領主全員にあり、ミカラ男爵家に賠償請求は行わないと書かれている。さらに書類には、ロベルク同盟の領主たちの直筆のサインが並び、最後には立会人としてギルマンの署名も書かれていた。
「教会の立ち会いのもと、正式に書かれた書類です。それがあれば、今後ロベルク同盟がどのような要求をしてきたとしても、拒否することができるでしょう。これで満足ですか?」
「ええ、これさえあれば十分です」
ソネアは満足げに頷いた。ソネアがロベルク同盟の領主たちを巻き込むよう主張したのは、この書類を欲したためだ。
ミカラ男爵家の存続、ひいては領民たちの安寧を第一に考えているソネアにとって、何より欲しい物がこの賠償請求を破棄する書類だった。ロメリアを暗殺する代わりに、領地の安寧を得る。それがソネアの狙いであり望みだからだ。
「しかしギルマン司祭、よく彼らにこの書類を書かせることができましたね」
「彼らは、ロメリア様にも訴えられていましたからね、そこを指摘してやれば同意しましたよ」
ギルマンは呆れて息を吐いた。
ロベルク同盟の領主たちは城館が魔王軍に襲われた時、命惜しさにロメリアの兵士を襲い、爆裂魔石を奪って橋を破壊した。その結果多くの人が犠牲となった。貴族が命惜しさに人々を犠牲にしたとなれば、家が取り潰しになりかねない大失態だ。ギルマンはこの弱みに漬け込み、ロメリアを殺せば有耶無耶になると囁いて、ロベルク同盟の領主たちにロメリア暗殺計画を頷かせたのだ。
「おっと、その書類は返していただきますよ。報酬は計画の成就と引き換えです」
「もちろんです。ギルマン司祭が預かっていて下されば、何より安心です」
書類を奪い返そうとしたギルマンに対し、ソネアは進んで返した。報酬に執着しないとは暢気なことだった。
「それでソネア様、あの娘はどこに?」
「娘? ああ、ミアさんのことですか? 彼女でしたら、私が用意した客室にいますよ」
ソネアはロメリアが連れてきた、癒し手見習いの名前を挙げた。
「この度の戦争で恋人を亡くされたらしく、とても落ち込んでいたので睡眠薬を与えました。あの分だと夜までぐっすりでしょう。いつでも犯人に仕立て上げることができますよ」
ソネアの不用意な言葉に、ギルマンは目を見開いて驚いた。しかしソネアは鈴を転がしたように笑った。
「大丈夫ですよ、こんな場所で聞き耳を立てるものはおりません」
ソネアは忙しく作業を進める使用人たちを見回す。
確かに聞き咎めた者はいなかったようだが、油断が過ぎる。
「こちらをご覧ください」
笑うソネアは一通の手紙を差し出した。ギルマンが中を確認すると、手紙には『全てを失った、もう生きていけない』と、遺書めいた言葉が滲んだ文字で書かれていた。
「あとはこれも」
ついでのように、ソネアは赤い液体が半分ほど入った小瓶を渡す。ギルマンは慌てて小瓶を受け取り懐に隠した。
瓶の中身は、ロメリアを毒殺するためにギルマンが用意した毒薬だった。
小瓶の毒薬は半分ほど減っていた。ロメリア毒殺の為、別の瓶に小分けしてあるのだろう。
「ことが起きれば、私は犯人として一時拘束されるでしょう。その隙にギルマン司祭はこの侍女とともにミアさんのいる客室に向かってください」
ソネアが傍らの侍女に目を向けると、顔に傷を持つ侍女は無言で頷く。
「そして……あとは計画通りに」
ソネアは赤い唇を広げて笑った。まるで毒花が咲いたような微笑に、ギルマンは背筋が寒くなる思いだった。
ソネアが語らなかった計画では、侍女が眠るミアに毒を飲ませ、ソネアが書いた遺書を置く。あとはミアの遺体と毒薬の入った小瓶、そして遺書をギルマンが発見したことにする手筈となっていた。
「恐ろしい人だ、貴方は……」
ギルマンは背筋に悪寒を覚えながら、ソネアを見た。
自殺死体に毒薬、そして遺書があればロメリア暗殺の犯人はミアということになる。ミアをいけにえにし、ソネアは自分が助かる計画を立てたのだ。
「おや、最初に絵図を描いたのは貴方ではありませんか。私は少し付け足しただけです。ミカラ男爵家のため、私は捕まるわけにはいきませんので。ちょうど条件に合う人がいて助かりました」
ソネアの唇が怪しく光る。
確かに恋人を亡くしたばかりの若い女であれば、世を儚んで自殺したとしてもおかしくはない。そして恋人を失う原因となったロメリアを恨み、道連れにしたとしても筋は通る。
「しかしこの小瓶を、私が預かる必要があるのですか? 計画にはそこの侍女一人でも十分でしょう?」
ギルマンは首をかしげた。
眠るミアを殺して遺書を置くだけなら、ギルマンの手はいらない。侍女一人でも十分に事足りる仕事のはずだった。しかしソネアは首を横に振った。
「それはいけませんねぇ、貴方にも危ない橋の一つは渡ってもらいます。嫌というのであれば、この計画は白紙に戻しますよ」
ソネアの脅し文句に、ギルマンは顔をしかめた。
ロメリア暗殺の絵図を描いたギルマンだが、証拠となるようなものは一切残さず、計画自体にも直接かかわるつもりはなかった。危ない橋は人に渡らせることがギルマンの信条だからだ。しかしソネアの目は、貴方だけ逃げるなど許さないと訴えていた。
「私としても、計画の途中ではしごを外されたくはありませんから」
「何をおっしゃる、私は裏切りなどいたしません。もし計画が露見すれば、最後までお供しますよ」
「であれば、計画の一部を担っていただいても構いませんね」
ソネアの微笑に、ギルマンは内心悪態をついた。
ギルマンはソネアと一緒に捕まる気などさらさらなかった。わずかにでも疑われそうになれば、ギルマンは即座にソネアを裏切り、自分だけは逃げるつもりだった。しかし毒薬の入った瓶を持たされてしまっては、簡単に裏切ることはできなくなる。もし毒薬が人に見つかれば、言い逃れが難しくなるからだ。
「実行のすべてはそこの侍女が行います。それまでの間、ギルマン司祭はその瓶を持っているだけでいいのです」
持っている間は私を決して裏切れないと、ソネアは言わんばかりだった。
「わかりました、いいでしょう」
今更やめることはできないと、ギルマンは頷くほかなかった。
「しかしいいのですか? そのミアとかいう女を貴方は犠牲にしても」
ギルマンは犯人に仕立て上げられる、ミアのことを思い出した。
恋人を亡くしたという癒し手見習いは、ソネアも懇意にしていたはずだ。
「確かその女性は、貴方の妹を助けた恩人ではなかったのですか?」
「ええ、そうですよ。その助けてくれた妹を守るために、死んでもらいます。何かいけませんか?」
ソネアが赤い唇を歪ませる。その笑みは怪しく、そしてどこか壊れていた。
ギルマンはソネアの笑みを見て、言い知れぬ不安を覚えた。
自分は何か、とんでもない過ちを犯してしまったのかもしれない。だがもはや後戻りはできなかった。
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