第百五話 仲間を元気づけようと考えたらいらなかった
レーベン峡谷で魔王軍との戦いを終えた私たちは、一路ミカラ領へと帰還していた。しかしその足取りは重かった。
私は馬に乗りながら、進む兵士達の顔色を見た。兵士達の顔色は暗い。兵士達の脳裏には昨日目撃した、魔王の実弟ガリオスの姿がこびりついているのだ。
人馬をたやすく薙ぎ払い、地形すら一変させるガリオスの脅威。誰もが戦慄し、怯えていた。
私としても、あれほどの魔族がいるとは想像もしていなかった。どうやったら勝てるのか、考えもつかない。
馬に乗りながら、私は懐中時計を取り出した。そろそろ昼食の時間だった。
「アル、休憩を取りましょう。兵士達に昼食を取らせるように」
「わかりました」
馬に乗る赤い髪のアルが頷く。
「全軍停止! 休憩を取る。昼食の準備!」
アルが号令を発すると、兵士達の行軍が止まる。兵士たちはその場に座り込み、各々携帯食料を齧り、水筒の水を飲み始める。
私の周囲では、ロメ隊の面々が集まり休息をとる。
集うロメ隊の面々も覇気が無い。最初期から私とともに戦ってきた彼らは、これまで苦戦や死闘を演じることはあっても、最後には常に勝ってきた。今回の戦いは、ある意味敗北に近い。彼らにとっては、最初の挫折なのだ。
「最後尾を見てきます。アル。ここを頼みます」
私は先頭をアルに任せ、馬を駆り最後尾へと向かった。
最後尾ではグラハム騎士団が列をなしていた。正規の訓練を受けた騎士である彼らは、さすがに士気を保っていた。彼らはこれまで多くの戦場を経験し、苦い敗北も味わってきているのだ。ガリオスの猛威を理解はしているが、敗北に打ちのめされてはいない。
「デミル副官、ちょっといいですか?」
私はグラハム騎士団を率いる、デミルの前で馬を降りた。グラハム騎士団を率いる指揮官は、ドストラ男爵家のハーディーだ。しかし彼は現在ロベルク地方のまとめ役となっているので、副官のデミルが指揮を執っている。
「これはロメリア様。どうかされましたか?」
「休憩中にすみませんが、会議をしたいので来てもらえますか?」
「それは構いませんが、あと少しでミカラ領に到着します。その前に会議ですか?」
デミルが首を傾げる。確かに、会議をするならミカラ領に到着してからでもいいと思うだろう。だが到着してからでは遅い、準備は前もってしておくから準備なのだ。
「ええ、ミカラ領に帰ってからが、問題になると思いますので」
「ああ、なるほど」
デミルは察しが良く頷いた。
我々は魔王軍を討伐するためにやって来た。しかしガリオス率いる魔王軍を殲滅することはできなかった。
ひいき目に見れば、私たちは魔王軍をロベルク地方から追い返したと言える。だが悪いように言えば、勝てずに逃げ帰ったとも言えるのだ。
この辺りがどう判断されるかは微妙だ。だが今から帰還するミカラ領には、私達に反目するロベルク同盟の面々が待ち受けている。彼らは確実に私が敗北したと糾弾するだろう。どのような難癖をつけてくるか分からないが、兵士達には軽率な行動をしない様に、よく言いつけておかねばならない。そのために会議をしておく必要がある。
「わかりました、向かいましょう」
デミルは頷き、一緒に先頭を目指して歩く。
歩きながら兵士達の顔を見ていくが、やはり兵士達の顔色は暗く、士気の低下が感じられた。
「兵士たちは堪えているようですね」
「ええ、私たちはこれまで、負けることがありませんでしたから」
私は過去の戦歴を思い出した。
魔物の討伐に魔王軍との戦いもあったが、有利な状況で戦えることが多かった。完全な敗北と言えるものはなく、今回の敗北は彼らにとっては初めての事だ。しかもその相手は、魔王軍最強と言っても過言ではないガリオスである。心が折れてしまっても仕方がないと言える。
「なんとか彼らを奮い立たせないといけないのですが、どうしたものかと……」
私はデミルに弱音を漏らした。
確かにガリオスは強く、とても勝てそうにない。だが私たちは死んだわけではないのだ。ロベルク地方の魔王軍は撃退できたが、他にも魔王軍の脅威にさらされている人々は大勢いるのだ。こんなところで躓いていられなかった。
「グラハム騎士団では、こういう時どうしていましたか?」
「そうですねぇ、やはり少し時間を置くしかないでしょう」
デミルは顎に手を当てて答えた。
「敗北を受け入れるには時間が掛かります。時間を置き敗北を受け入れることができた時に、自分たちの使命を思い起こさせてやるのです。そして対策を考えて訓練を施し、実戦を積ませて自信をつけさせてやる。こんなところですかね?」
デミルの答えに、私は頷いた。
時間はかかるようだが、致し方なかった。戦うのは彼らである。私が必要だから、今すぐ立ち直れとは言えない。
私はどうやってロメ隊の面々を奮起させるか、思案しながら歩いていると、先頭の方で大な声が聞こえた。
「あーっ! 辛気臭い!」
声を上げたのはアルだった。
アルはロメ隊の面々の間から苛立たしげに立ち上がり、暗い表情で携帯食料を齧る仲間たちを見下ろす。
「よし、お前ら! もう十分食っただろ! 木剣を取れ、今から訓練するぞ!」
叫ぶアルに、ロメ隊の面々はぽかんと口を開けた。ただ一人レイだけが立ち上がり、訓練用の木剣を手に取った。
「いや、アル、それにレイもちょっと待って。訓練って、今休憩時間だよ」
ロメ隊の一人ハンスが、戸惑いながら問う。
「別にこの後で戦闘あるわけじゃねーだろ。通常の行軍だけじゃ体がなまる! 俺はあのガリオス倒さなきゃいけねーんだ! こんなところでのろのろしてる暇はねーんだ!」
アルが放ったガリオスを倒すという言葉に、ロメ隊の面々が顔色を一変させる。
「いや、アル。おまっ、あのガリオスを倒すって本気かよ!」
ロメ隊のタースが信じられないと叫んだ。
「ああ? 本気に決まってるだろうが! あのガリオスが誰かに殺されるとは思えねぇ、ってことは、俺らが戦場にいる限り、いつかあいつは俺たちの前に現れる」
アルは眉間にしわを寄せながら叫んだ。
いずれガリオスと相対する事実を突きつけられ、ロメ隊の面々は青ざめた。先日見た恐怖を思い出してしまったのだ。
「ですがアル。ただがむしゃらに訓練して、あのガリオスに勝てるのですか? よく考えてから……」
ロメ隊のセイが、生真面目な顔を見せる。
「相手は地面の陥没に巻き込まれても、生きてるバケモンだぞ、ちょっと考えた程度で倒せるかよ!」
アルが冷静な顔のセイを一喝する。
「それに考えるのは俺らの仕事じゃねぇ! 勝つための段取りはロメ隊長がつけてくれる。後は俺らがどれだけやれるかだ。俺らが強ければその分ロメ隊長が楽をできる。俺たちがやることは、ただ強くある事。それだけだ!」
ロメ隊全員に向けて、アルが吠える。
なんとも乱暴な言葉だったが、アルの声にロメ隊の面々は顔色を一変させた。
「やれやれ、アルの猪突猛進ぶりも、時には正鵠を射るね。そう思わないかい? ラグン」
「下手の考え休むに似たり、ではあるかもね。考えるよりはまず行動さ、グラン」
グランとラグンの双子が槍を抱えて立ち上がる。その隣では戦槌を地面に打ち付け、オットーが巨体を持ち上げた。三人の顔には、先ほどまであった敗北の暗さはない。体に力がみなぎり、顔には闘志に満ちている。
「アル! 俺もやるぞ! お前ばっかりには、格好つけさせねーからな! おら、こっち来い俺とやれ!」
「グレン、喧嘩じゃないんだから」
威勢良く立ち上がったグレンの隣で、細目のハンスも立ち上がる。
「やれやれ、御飯ぐらいゆっくり食べたいんだけどなぁ」
食いしん坊のベンが携帯食料を口に突っ込むと、咀嚼しながら手を払い立ち上がった。その隣では禿頭で巨漢のブライも立ち上がり、ベンの肩を叩く。
「ジニ、僕たちもやろう。ガリオスはいつか倒さなきゃいけない敵だ」
「まぁ、確かにその通りだな」
ゼゼが促し、ジニも頭を掻きながら立ち上がる。
「まぁ、一度やるって決めたんだ。最後までやるしかないか。なぁガット」
「わーってるよ、今更カシューに逃げ帰るわけにもいかねーしな」
ボレルに促され、ガットも仕方がないと立ち上がる。
「おいおい、お前ら、マジかよ」
タースは呆れながらも立ち上がった。
「考えるよりは行動、ですか……」
真面目ゆえに考えすぎるきらいのあるセイは、首を横に振り、自分の考えを振り払って立ち上がった。
気が付けばロメ隊の全員が、木剣や槍を振るい訓練を始めていた。
「たった一日で立ち上がるとは……どこでこんな兵士達を見つけて来たんですか?」
自力で士気を高めたロメ隊の面々を見て、デミルが信じられないとつぶやく。
「カシューの橋の下に、『拾ってください』って置いてあったんですよ」
私は笑って応えた。
人生とは戦いだ。だが勝ってばかりはいられない、いつか負けるときは来る。問題はその時、どれだけ早く立ち上がるかだ。
寝転がってできることは苦汁をなめることのみ。誰よりも早く立ち上がる者に、勝利の栄光は輝く。
「デミル副官。会議をすると言いましたが、その前に少し見回りをしましょうか」
今のアル達に水を差すのは無粋というものだった。
「そうですね、ゆっくりと時間をかけて見回りをしておきますか」
デミルも満足げにうなずいた。
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