第百二話 ギルマンの策謀
救世教会の司祭であるギルマンは、表情を硬くしてミカラ領にある屋敷の中を歩いた。
屋敷には療養中の怪我人が多数収容されており、体に包帯を巻いて屋敷の中をうろついていた。
屋敷の中を歩くギルマンは、怪我人を歩くのに邪魔な障害物としか見ていなかった。もちろん癒し手としての力を持つギルマンは、彼らを治すことが出来た。だがそんなことに力を使うつもりは毛頭なかった。
救世教会内部で栄達を望む者にとって、癒しの力は出世の道具である。せっかく天から与えられた癒しの才能、自分のために使わなければ意味がなかった。
もしここにいる怪我人の中に、名のある騎士や貴族の子弟がいれば、ギルマンとしても診てもよかった。だが名も知れぬ平民の治療をするために、癒し手になったわけではない。
癒し手を養成する治療院に入学するだけでも、とんでもない大金が掛かったのだ。晴れて癒し手となったからには、貴族や大商人から金をせしめるためだけに、ギルマンは癒しの技を使うつもりだった。だが現在、ギルマンは自分が思い描いていた出世街道から、大きく離れたところにいた。
出世を望むギルマンにとって、ロベルク地方のような片田舎に飛ばされたこと自体、我慢ならない話だった。ギルマンはロベルク地方の貴族から大金をせしめ、踏み台とすることで一日も早く王都の大聖堂に返り咲くことだけを考えていた。そのためにミカラ領のカルスにすり寄り、ロベルク同盟を後押ししたのだ。しかし状況はギルマンの思い通りには進んではいなかった。
「皆さん。お揃いですか」
ギルマンは館の廊下を歩き、大部屋の扉を開けると、部屋の中には五人の男性が椅子に座り話し合っていた。彼らはロベルク地方を治める領主達であり、今は亡きカルスが集めたロベルク同盟に参加した者達だった。
「これはこれは、ギルマン司祭おはようございます」
「挨拶は結構です。それよりもお聞きになりましたか?」
頭を下げる領主たちの挨拶を遮り、ギルマンは伝令の早馬がもたらした手紙を掲げた。手紙には出陣したロメリアとその軍隊が、数日後に帰還するとあった。
「ええ、もちろんです。今もその話をしていたところで」
「あの女、魔王軍に負けてすごすご逃げ帰って来るとか」
「大見得を切ってこの様です。所詮は女ですな」
領主たちが口々にロメリアをけなす。その姿を見て、ギルマンは歯噛みしたい気分だった。
確かにロメリアは、魔王軍を倒すことなく帰還するようだった。これは失態であると言うことができた。
今回のロメリアの軍隊が出陣した目的は、ミカラ領を襲った魔王軍の討伐にある。だがロメリアは魔王軍を倒すことができなかった。何のために出陣したのだと、責任を追及することは可能だった。しかしできることはそこまでだ。
伝令の手紙によれば、ロメリアの軍勢はミカラ領を襲った魔王軍と会敵するも勝利することはできなかったとある。しかし魔王軍は北へと進路を取り、ライオネル王国の領土から撤退したとも書かれていた。ロメリアの軍勢には大きな損耗はなく、好意的に見れば魔王軍を撃退したとも言えてしまう状況だ。特に兵士の損失が少ない以上、どうしても大きな問題にはならない。せいぜい数日分の食料を無駄にした程度だ。
一方、カルスが主導したロベルク同盟は、魔王軍を相手に敗北を喫した。それも言い訳が効かないほどの大敗北だ。
部屋にいる五人の領主たちが自分の領地に帰らないのは、このままおめおめと領地に戻れば、確実に敗戦の責任を取らされて、家督を譲ることになってしまうからだ。彼らは自分たちの領地に帰るに帰れず、ミカラ領でロメリアの戦の結果を待っていたのだ。
望んでいたのはロメリアの敗北だ。もしロメリアが敗北していれば、自分たちの敗戦も仕方のないことだったと言い訳ができるからだ。しかしロメリアは魔王軍を倒すことはできなかったものの、少ない損害で帰還してくる。これではロベルク同盟の大敗北の言い訳にはできなかった。
五人の領主たちはそのことが分かっているはずなのに、ロメリアが犯した小さな失態をあげつらい、互いに頷き合っていた。尻に火が付いてなお、自分たちの問題を直視できないのだ。
ギルマンはため息をつきたかったが、なんとかこらえた。
目の前の五人の領主たちは、もはや死に体と言ってよかった。だがギルマンに残された最後の手駒である、うまく使いきって乗り切るしかないのだ。
ギルマンの今後の身の振り方を考えた。ここロベルク地方を自分の地盤とする可能性は、これで潰えたと言っていい。派閥に組み込もうとしていたロベルク同盟が失墜し、ここにいる領主たちも、いずれ領主の地位を追われることは間違いない。
新に擁立された領主をまとめ上げて派閥を作ろうにも、ロベルク同盟に参加した領地は多くの兵士を失った。兵士の喪失は労働力の喪失と同義である。今後ロベルク同盟は経済的に困窮することは目に見えている。逆にロメリアに与したドストラ男爵家やケネット男爵家は、グラハム伯爵家の経済支援を受けて、にわかに賑わいを見せている。時間が経てば経つほど、ロベルク地方では経済格差が広がっていくだろう。
ロベルク地方で財を成し、賄賂を贈り王都の教会に働きかけて中央に返り咲くというギルマンの予定は諦めるしかなかった。しかしギルマンは出世への夢を諦めるつもりはなかった。ロベルク地方を踏み台にすることはもう不可能だろうが、王都に返り咲くことは可能かもしれなかった。
希望の切符は、この状況を作り上げたロメリアにある。
ロメリア・フォン・グラハム伯爵令嬢。
アンリ王子と共に魔王ゼルギスを倒した一行の一人。しかし旅のさなかアンリ王子の不興を買い、英雄の列から外され、アンリ王子との婚約も破棄されてしまった。救世教会が認定した聖女エリザベートとの間にも、確執があったと言われている。
この確執が使えるはずだった。
ギルマンは五人の領主たちを見た。
カルスをはじめ、目をかけてやったというのに役に立たない者達だった。だが捨て駒ぐらいにはなるだろう。そしてあとはミカラ領のソネア。あの女が重要だった。
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