第百一話 魔王軍と休戦した
今回はちょっと長め
私はギャミに逃げられない様に肩に左手を置きながら、右手に剣を持ち、ガリオスと共に地下に空いた穴から外に出る。
空から注ぐ陽光は目を眩ませるほど明るく、私は手で顔を覆いながら周囲を見回す。
山の景観は土砂崩れにより一変しており、自分がどこにいるのか分からなかった。
周囲の状況を確認しようとしたが、確認する前に左右から大きな声が響いた。
「ロメリア様!」
「ウョシイタ!」
右からはアルの声が響き、左からは魔族の言語であるエノルク語が聞こえた。
すぐに左右を見ると、右の山肌にアルが立っており、驚きの目で私を見て駆け寄って来る。左からは黒い鎧を着た魔族の兵士達が、ガリオスの元に参じようと、こちらも大急ぎで走って来た。
近くには人間と魔族の両方の兵士がいたが、争っている形跡はない。なんらかの理由により、休戦がなされていたのだ。
私はすぐに視線をガリオスに向けた。ガリオスは大きな顎を引いて頷く。ギャミを捕らえながら、私は駆け寄ってくるアルを見た。アルの背後にはレイの姿もあり、先頭を走るアルを追い抜かさんばかりの速度でこちらに向かって来る。他にもグランやラグン、グレンやハンスの姿が見えた。さらに兵士達もアルの声を聞きつけ集まる。
「アル、レイ! 止まりなさい! 命令です。それ以上私に近づいてはいけない!」
私は先頭を走るアルと、その背後にいるレイに命令した。
「っつ! レイ、ちょっと待て!」
アルは聞き分けがよく、すぐ側に魔族がいることに気付いてその場で急停止し、追い抜こうとするレイの腕をつかんで止めた。
「ラエマオ! レマトデコソ!」
アル達を制止する私の背後で、ガリオスが大声を上げて魔族の兵士達を止める。
ガリオス麾下の兵士達は、主人の命令を忠実に守り、すぐにその場で停止した。一方我が兵士達はあまり聞き分けが良くなく、駆け寄ろうとする兵士達を、アルが声を張り上げ、なんとか止めていた。
「ロメリア様! ご無事ですか!」
レイが悲鳴のような声を上げて私を見る。
「私は大丈夫です。レイ、心配をかけましたね、ですがそれ以上近づいてはいけません」
心労の為か、顔色の悪いレイに私は声をかけ、次に駆け寄ってくる兵士達を見た。
「私は現在、この魔族を人質にとり、ガリオスと休戦状態にあります。もし貴方達が一定以上近づけば、ガリオスは攻撃の意思ありと判断して、私を殺すでしょう。決してそれ以上近づいてはいけません。いいですね」
「お前ら! 聞いたか! それ以上近づくな。オットーとグランにラグンは兵士達を集めろ! 陣形を築いて魔王軍に対応するんだ。レイ、カイル! お前達は素早い兵士を見繕って、周辺を警戒しろ!」
私の説明に、レイをはじめ他の兵士達は騒然とするが、アルだけは状況を理解し、対応策を指示する。
アルはこれまで威勢の良さだけが取り柄なところがあったが、私がいない場面で冷静な対処ができるようになったらしい。嬉しい誤算だ。
アルの予想外の成長を喜びつつも、私はこの先のことを考えた。
「それで嬢ちゃん。この後どうするつもりだ?」
ガリオスがまるで天気を聞くように尋ねる。
「ここの山に来るまでに、大きな渓谷にかかる橋があったのを覚えていますか?」
私は来る前に渡った、巨大なレーベン峡谷を思い出した。
「ああ、あのつり橋な。俺が乗ったら落ちそうになった」
「あの橋の上で別れるとしましょう」
私は剣で地面に一本の線を引き、川に見立てて図形で説明する。
「我が軍は橋を渡り向こう岸で待機させ、閣下の軍勢はこちら側に」
ミカラ領がある方向に我が部隊の旗印である鈴蘭の絵を描き、川を挟んだ反対側に尾を引く星の絵を描く。ガリオス達が掲げる旗印だ。
「最後に、私とギャミ殿が橋を渡ります。中程でギャミ殿を解放します。後は互いに自軍が待つ方向に歩いて戻る。これでどうです?」
私はさらに川を横切るつり橋を書き加え、橋の中央から両岸に向けて二つの矢印を記入する。
「それはいいが、もしお前が約束を破って、ギャミを殺したらどうする?」
「その場合はつり橋を落とせばいい。約束を破った私は、川へと真っ逆さまです」
私の説明にガリオスがなるほどと頷く。
両者の合意が成り、互いの軍勢も準備が整う。
「アル、レイ! 私たちはこのままレーベン渓谷へと向かいます。陣形を保ちながら移動を開始してください」
「わかりました。お前ら、陣形を保ったまま渓谷まで後退だ!」
アルが頷き、味方に号令をかける。
兵士達は魔王軍の攻撃を警戒しながら、後退を開始する。
「さてガリオス閣下、ギャミ殿。我らも行きましょうか」
軍勢が動き出したのを見て、私は二体の魔族を促す。
ギャミが歩き出し、私達も続く。小さなギャミの歩みは遅いが、軍勢の移動も陣形を保ったままであるため動きは鈍くちょうど良かった。
「そういえばガリオス閣下にはお子様がおられるとか」
移動中、私は足音を立てて歩くガリオスを見上げた。
魔王ゼルギスの日記には、ガリオスの息子が誕生したことも書かれていた。
「ああいるぞ、息子が七体だ」
「閣下に似て、さぞやご立派な息子さんなのでしょうね」
「どうだろうな? ガキ共のことは良くしらねぇんだ。あんまり会ってなくてな」
「おや、そうなのですか? てっきり親子で戦場を駆けているものとばかり」
「長男のガラルドは戦場で育てようと思って連れ回していたんだが、そしたら流れ矢に当たって死にかけてな。これに嫁が怒って、おっかねぇったらありゃしねぇ」
ガリオスは鱗に包まれた頭を撫でる。
「天下のガリオス閣下も、奥さんには勝てませんか。いったいどのような奥方なのです? 馴れ初めなど教えてもらえませんか?」
私は気さくに話しかける。
「ガリオス閣下。おしゃべりは結構ですが、兵士達を率いていただきませんと。私は囚われの身で、指揮出来ないのですよ」
雑談する私とガリオスに、下からギャミが小さな口を尖らせた。
「分かった分かった、そうぼやくな!」
ガリオスが豪快に笑いながら、振り返って兵士達に指示を出す。一方私はギャミに視線を向けた、ギャミもまた私を見た。
互いの視線がぶつかり合い、火花が散りそうなほど睨み合う。先に視線を逸らしたのは私の方だった。ギャミはさらに私を睨み、鼻で笑った。
私は別にガリオスとおしゃべりなどしたくはなかった。
ガリオスは気の良い魔族かもしれないが、ミーチャの死の原因となり、多くの災厄を振りまいた男だ。話していて気分のいい相手ではない。だが私は本心を押し殺し、話す必要があった。
今後魔王軍と戦う上で、ガリオスが最大の障害となることは間違いない。ガリオスを倒せるかどうかが焦点となってくるが、強大な力を誇るガリオスを倒すことは簡単ではない。弱点を捜さなければいけなかった。
雑談のふりをして、何か利用できる情報を引き出せないかと考えてみたのだが、ギャミには読まれていたらしく邪魔をされた。
さすがに魔族一の知恵者であるギャミの隣で、ガリオスから情報を引き出すことは難しい。ここはおとなしくしているしかなかった。
人類の軍と魔王軍が争うことなく行進し、ついにはレーベン峡谷にまでたどり着いた。大地を大きく切り裂く峡谷には、一本のつり橋が掛かっている。
私はガリオスを見ると、ガリオスは大きな顎を引いて頷く。
「アル、レイ。兵士を率いて橋を渡りなさい」
「分かりました、ロメリア様」
アルが力強い声で頷いたが、レイは私を残していくことが不満なのか返事をしなかった。しかしアルに腕をつかまれ、渋々橋を渡っていく。
すべての兵士が橋を渡り終え、対岸ではアルとレイが橋の前で私を待つ。
「では、私達も橋を渡りますが、よろしいですか?」
私は再度ガリオスに尋ねる。
「ああ、だが余計な真似はするなよ、嬢ちゃん。ギャミを死なせたくないし、お前をこんなところで殺したくもない」
ガリオスが牙の並んだ口を開き、赤い舌を見せて笑う。
「お前さんとは次に戦場で会う時が楽しみだ、その時は、思う存分殺し合おうぜ」
剛毅な笑みを見せるガリオスに、私は頷いておく。
「ではギャミ殿。行きましょうか」
私が促すと、ギャミは頷く。
一人と一体でつり橋を歩く。足を支える橋板の隙間からはレーベン峡谷を流れる濁流が見えた。ここから落ちればまず助からない。
私はすぐ右隣りを歩くギャミを見た。
背の小さなギャミは非力で、女の私でも下に突き落とすことが出来るだろう。もちろんギャミを殺せば、ガリオスを始め魔王軍が黙っておらず、つり橋を支える綱を切って私を殺そうとするだろう。だがこちらには空を飛べるレイがいる。運が良ければ落ちてもレイが助けてくれるかもしれなかった。
「雛鳥よ、やめた方がいいなぁ」
つり橋を歩くギャミが不意につぶやき私を見上げる。
「私を殺すのはいいとして、ガリオス閣下との約束を破るのは、賢い選択とは言えん。あの方は大雑把な性格をしているが、一度決めた約束事を反故にした場合、必ず落とし前を着ける。どれほどの犠牲を払おうとな」
ギャミは私の思考を見抜き、約束を反故にした場合の結末を予想した。
「……分かっていますよ」
私は後ろを振り返り、ガリオスを見た。
ガリオスは一度やると決めたら、必ずやり通す男だ。私が約束を破れば、この崖だって乗り越えてくるだろう。この取引で下手を打つわけにはいかなかった。
「さて、この辺りでよかろう」
つり橋の真ん中あたりにまで来たところで、ギャミが足を止めて私を見上げた。
私とギャミの視線がぶつかる。
「ギャミ殿、貴方は指揮官として私より、数段上である事を認めます」
私は小さなギャミに頭を下げた。
ギャミはこれまで数多の戦場を駆け抜け、幅広い戦術と知識を兼ね備えている。その経験からくる戦術眼は、一級品と言えるだろう。今の私はギャミに敵わない。
「しかし次、戦場でまみえた時、必ず貴方を殺します」
「それはこちらの台詞だ。次に戦場で会う機会があれば、地面に転がるのはその方の首よ」
私の殺害予告に、ギャミは呵々と笑う。
「ではな、雛鳥よ。いや、ロメリア嬢。また会う時を楽しみにしている。私が倒すまで元気でいろ」
「はい、ですがギャミ殿はいつ死んでくださっても構いませんよ。その方が私は楽が出来ますので」
「童が口だけは達者だ」
ギャミは口の端を歪ませ、ガリオスが待つ方向に歩いていく。私もギャミと歩調を合わせ、同じ速度でアル達が待つ対岸を目指す。
「ロメリア様! お早く!」
橋の先では、心配性のレイが手招きをする。私は急がず後ろを振り返ると、ギャミもそろそろ橋を渡り終えるころだった。そしてほぼ同時に、私とギャミは橋を渡り終えた。
アルとレイに挟まれながら、私は対岸のガリオスとギャミに目を向ける。大きなガリオスと小さなギャミが頷き、私も頷き返す。
「アル、橋を」
私の合図にアルが剣で橋を支える綱を切断する。
同時に魔王軍もつり橋の綱を切り、橋が落ちて大河に呑み込まれていく。これで両軍がレーベン峡谷を渡ることは不可能となった。
対岸ではギャミが号令すると、魔王軍は踵を返して北を目指して行軍を開始する。ここから北に向かえばハメイル王国の領地だ。そこからさらに北上すれば、魔王軍の一大拠点であるローバーンが存在する。ガリオス達の軍勢は、ハメイル王国を横切りローバーンへと帰還するのだろう。
去り際にガリオスが大きな手を掲げて、私達にあいさつをして背中を見せて歩いていく。
竜は去った。去ってくれた。だが……。
「アル、レイ。ガリオスを倒せますか?」
私の問いに、二人は即答しなかった。
「……ロメリア様のご命令とあれば、差し違えてでも倒します」
「……一年……いえ、二年あれば」
レイは覚悟と決意を込めて頷き、アルは二年でガリオスに追いついて見せると拳を固める。
ガリオスやギャミと話していたように、私達はいずれあの二体の魔族と、相まみえる時が来るだろう。その時がいつになるかは私にも分からない。だがその時までに、倒せるようになっておかなければいけなかった。
「アル、レイ。忙しくなりますよ」
私は表情を硬くして、アルとレイを見た。
ガリオスとギャミは、魔王軍の支柱ともいえる存在だ。今からあの二体に追い付くとなれば、生半可な方法ではたどり着けなかった。過酷な戦場を乗り越え、命懸けの戦いを潜り抜けてようやく足元にたどり着ける。それほどの敵だ。
私の言葉にアルとレイは覚悟を秘めて頷いた。
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