第十九話 戦う前の戦い
「やれやれ、やってもやっても減らないわねぇ」
代官を追い出したあと、私に待っていたのは書類仕事の山だった。
執務室の机の上には書類がうずたかく積み上げられ、どれだけやっても一向に減る気配が見えない。
「ロメお嬢様、少し休憩されませんか?」
書類に苦戦していると、カイロ婆やがお茶を淹れて持ってきてくれた。
「ありがとう、爺やは?」
茶器を受け取り、口をつける。温かい飲み物が心地よい。添えられているパイも木苺の酸味が利いていておいしい。
「また釣りに出かけましたよ、今日は大物をつってくると言っていましたけれど、まぁ、期待しないでいましょう。そうそうお嬢様、今朝ですが近くの村の方が木苺を持ってきてくれましてね、このパイはそれで作ったんですよ、今度お返ししないといけませんねぇ、何にしましょう?」
カタン爺やは田舎暮らしが性に合っているみたいで、毎日釣りや散歩に出かけている。婆やも最初は文句ばかり言っていたが、なんだかんだ言って楽しんでいるようだ。
「しかしロメお嬢様、ここには療養に来たはずですのに、お仕事ばかりですねぇ」
積みあがっている書類を見て、婆やは呆れていた。
「ごめんなさい婆や、やめるわけにはいかないの。わかって」
「いえ、いいんですよ、ロメお嬢様が何をなさりたいのか、カイロはもう承知しています。人々の助けになりたいのでしょう?」
婆やは私のことを理解してくれていた。
「お嬢様が兵士の方と出陣されてから、いくつかの村からお礼の手紙や、贈り物が来ています。周囲の村の人も、ロメお嬢様に感謝しています。この木苺の差し入れも、その一つですから」
まだ活動を始めて日も浅いが、領民には知られてきているらしい。ありがたいことだ。
「ですが少し心配なのです。その書類も、一人では限界があるのでは?」
婆やは積みあがっている書類を一瞥する。
指摘されると言い返せない。
首尾良く代官を追い出したが、そのまま放っておけば、当然だが次の代官がやってくる。そうなれば今度は弱みを握れていないから、私は兵を取り上げられて、物語に出てくるお姫様のごとく、塔の上にでも幽閉されること請け合いだ。
仕方がないので実家から付いてきてくれたカタン爺やを、新たな代官に仕立て上げた。
流れとしては、私と共にこの地に赴任した爺やが、前代官の不正に気付き告発。膿を出し切るという名目で臨時に代官として残ることを、書状にしたためて送っておいた。
手紙と一緒に、代官が不正に蓄財していたものを送っておいたので、お父様は快諾してくれた。気づかれる前にいろいろ態勢を整えないといけないだろう。
「残念ですが、私やカタンではロメお嬢様のお力にはなれません」
「いいのよ、私が勝手にやってることなんだから」
私の陰謀により、爺やは代官代行という、訳の分からない地位についたわけだが、老後をのんびりとした田舎で過ごすつもりで付いてきてくれた爺やに、まさか領地経営に心血を注げとは言えない。必然、私がやるしかない。
「ロメお嬢様は、昔から人を頼るのが苦手でしたから。いつだったか、どこかの男爵令嬢がお嬢様をいじめていた時のことです」
婆やが子供時代の話をする。たしかあの頃は頻繁に園遊会が行われ、同じ年ごろの貴族の子弟が集められてよく遊んでいた。その時、どこかの男爵令嬢がなぜか私をいじめてきたのだ。
「私たちに言ってくださればよかったのに、お嬢様は一人で立ち向かわれて」
婆やは面白そうに笑っているが、私としては過去の恥ずかしい話をされて赤面するばかりだ。
子供の頃はやんちゃをしていた。いや、今も大して変わらないか。
しかしあの子いったい何のつもりだったんだろう。人のことを悪役令嬢だとかこうなる運命とか言って、執拗に嫌がらせをしてきた。
戯曲か何かを見すぎていたのだと思うけれど、面倒な子だった。
「最後には取り巻き連中も巻き込んでの、大げんかに発展していましたね」
そういえばそんなこともあった。
自分の敵は自分で打破するを合言葉に、ひっつかんで叩きのめしたが、我ながらいけないことだった。
「あれには少し反省しています。子供だったのです」
暴力は何も生まない。
計略と策略を駆使し、二度と争いが起きないように事を収めることが大事だと今なら言える。
「ほかにもお嬢様は」
ばあやが話を続けそうになったので、慌てて止める。恥ずかしい思い出話を聞いていられない。
「もういいから、お茶ごちそうさまでした。そろそろ仕事に戻ります」
強引に会話を打ち切ると、ばあやは笑いながら出ていく。婆やとは子供の時から一緒だった。恥かしい話をし始めればきりがない。
「さて、気を取り直して、仕事仕事」
まずは前代官がつけていた裏帳簿を見つけ出し、それを精査して正しい帳簿を提出しなければいけない。
もちろん見つけた裏帳簿をそのまま提出すれば簡単でいいのだが、税金を馬鹿正直に納めるのは馬鹿のすることだと思う。
せっかく前任者があれこれ工作してくれていたのだから、適当に数字をごまかして提出すれば、こっちの予算が増える。それでなくても軍隊は金食い虫。自由に出来る資金が多い方がいい。
とはいえ、前任者の轍を踏むわけにもいかないので、横領はごまかしの利く範囲内で。記入する時に、すこーし文字を掠れさせて読みにくくして、書いた数字も、読み間違いしやすいように記入しておく。
公文書を記入する際には文字や数字には決まった書式があり、インクに濃淡やかすれがあってはいけないという法律もあるのだが、それら全てを守っている方が少ないし、咎められてもこちらは罰金で済む。検査する者に賄賂を渡せばそれすらない。
もちろん実入りは格段に少なくなるが、これが限界だ。
そもそも世の悪事というものは、よほど独創的なものでもない限り、ほとんど出尽くしてしており、その筋の専門家達は、大体どんな不正をしているかなどすぐに分かる。
それでもこの世から悪事が無くならないのは、単に人手が足りないからであり、気づいているがいちいち咎めないだけだ。そのあたりを勘違いして目に余るような事をすると、当然だが捕まる。
だから悪さはほどほどに、バレた時のことを考えて、ごまかしが利く範囲でやるべきなのだ。
しかしそれでも金が足りない。前任者が武器の横流しをしてくれたので、武器や防具には問題がある。消耗を考えればいくらあっても足りない。食糧も不足している。軍馬も増やしたい。
ほしいものはたくさんあるのに、金だけはどこにもない。
戦う前にやらなければならないことが多かった。
今日は書下ろし分多め
次回更新は三日後を予定