第九十二話 停戦交渉
地響きが静まったアライ山の麓で、アルはただ茫然としていた。
主人であるロメリアが土砂崩れに巻き込まれ、いなくなってしまった。
その光景を間近で目撃したアルは、自分が見たものが信じられず、呆けたように固まった。
「ロメ……隊長……」
アルはロメリアの名を呟いたが、返事が返されることはない。ロメリアがいなくなったことに、アルは巨大な喪失を感じ、手足に全く力が入らなかった。
「ロ、ロメリア様……」
下からも声が聞こえ、視線を向けると馬の背に横たわるレイが、顔から感情を喪失させ絶望していた。
どうやら途中で意識を取り戻し、ロメリアが土砂崩れに巻き込まれたところを見ていたらしい。
レイは馬から降りると、土砂崩れが起きた場所に駆け寄り、素手で地面を掘り返す。
ロメリアを助けようとするレイの行動を見て、ようやくアルも救助をすると言う発想に思い至った。
「レイ! そこじゃない、こっちだ!」
アルもすぐにレイに続いたが、掘り返す場所が違うと叫んだ。
姿が見えなくなった時、ロメリアは行く手を遮られて廃坑の入り口前で立ち往生していた。そして土砂崩れが降り注ぐ直前、唯一の活路と見て廃坑に飛び込んだ。いるとするなら廃坑の中だ。
だが廃坑前はすでに土砂で埋もれ、入り口はどこにも見えない。
「レイ! こっちだと言っている!」
アルはレイに向かって再度叫んだが、レイは同じ場所を一心不乱に掘り続けている。
「おい、こっちだ!」
アルがレイの肩を掴むと、レイが逆にアルの胸ぐらを掴んだ。
「お前のせいだぞ! アル! お前がついていながら!」
レイが血走った目でアルを睨む。
言葉の刃がアルの胸に突き刺さった。
レイとは長い付き合いがあり、共に背中を預け合ってきた。相棒の非難にアルは動揺するも、すぐに怒りとなってレイを睨み返した。
「しっかりしろ!」
アルはレイを殴りつける。倒れたレイが起き上がる。その眼には殺意のこもっていた。
レイが拳を握りしめ、アルに殴りかかろうとした時、二人を止める声が響き渡った。
「おい、お前ら! 何やってる!」
制止の声を発したのは、ロメ隊のタースだった。そのすぐ後ろには同じくロメ隊のグレンとセイがいる。
さらに後方にはオットーやゼゼ、ベンにブライ。グランとラグンの双子、ボレルにガットなど、ロメ隊や兵士達が続々と集まってくる。
皆が土砂崩れにロメリアが巻き込まれたのを見て、戻ってきたのだ。
「一体何があった。ロメリア様はどこだ?」
「ロメ隊長は、土砂崩れに巻き込まれた」
「なんだと!」
グレンの問いにアルが重い口を開く、グレンから悲鳴とも叫びともつかぬ声が発せられ、他のロメ隊の面々に動揺が走る。
「そんな、どうすれば……」
セイが絶望の声をあげ、グランとラグンの双子が怒りに形相を歪める。ベンとブライがどうして良いのか分からず迷う。
それぞれに違った反応を見せるロメ隊の面々を見て、アルはまずい状況に陥っていることを実感した。
カシューで兵をあげて以来、自分達はいくつかの戦場を駆け抜け、窮地にあっても互いに助け合い乗り越えてきた。その結束力は固く、決して揺らぐことはないと思っていた。しかし今、ロメ隊は崩壊の危機に瀕している。
ロメリア一人いなくなっただけで、こうまで脆くなってしまうのかと、アルは愕然とした。
「おい! 敵だ!」
ロメ隊のボレルが槍を向ける。
穂先の向こう側には、巨人兵が土砂崩れが起きた場所に駆け寄り、土砂をかき分けていた。連中の主人であるガリオスが、同じく生き埋めとなっているのだ。
魔王軍の姿を見て、グレンが武器を構える。巨人兵達もこちらに気づき、武器を手に向かってくる。
「殺す! 殺してやる!」
「そうだ、殺せ!」
レイが目を血走らせ、グレンが叫ぶ。グランとラグンの双子も槍を手に構える。
他にもロメ隊や兵士達が武器を握りしめ、殺意をみなぎらせる。
「まて、お前ら!」
アルは制止の声を上げた。
陣形も何もない状況で戦えば、個人の力量が物を言う殴り合いとなる。体格に優れる巨人兵と乱戦になれば、敗北は目に見えていた。
だが仲間達にそこまでの思慮はない。ただ主人を失った喪失を、怒りに変えているだけだ。
「落ち着け」
アルは再度制止したが、仲間達はまるで話を聞かない。その目は怒りに染まり、感情に任せようとしている。
「くそ!」
アルは腰の剣を捨てて飛び出し、ロメ隊と巨人兵の間に走りで出た。
「双方! 鎮まれ!」
アルは両軍の間に躍り出ると、両手を掲げて腹の底から声を出し、停止を呼びかけた。
レイ達はアルの声に驚く。巨人兵達も武器を持たずに手を掲げるアルに戸惑い歩みを止めた。
「我々は魔王軍に対して停戦を申し込む!」
突然休戦を申し込んだアルに対して、巨人兵達が顔を見合わせる。
「誰か、言葉が分かる者はいないか!」
アルは巨人兵を見た。
以前戦ったバルバル大将軍は人間の言葉を話した。ミカラ領を襲い、カイル達が戦った巨人兵も人間の言葉を話したと聞く。この魔族達も人間の言葉を話せるかもしれなかった。
「停戦、だと?」
先頭に立つ巨人兵の一体が、アルに言葉を返す。
「そうだ! 停戦を申し込む。俺達の指揮官が土砂崩れに巻き込まれて行方不明だ。救助したい。そちらも指揮官が同じく生き埋めになっているんだろう?」
「だったらなんだ! ガリオス大将なら戦えと言う!」
別の巨人兵が叫び、他の巨人兵も同調する。
「かもな。だが指揮官を助けて、命令を確かめたほうが確実だろ? 判断が間違いだと怒られるにしても、指揮官が生きていればこそだ。なにより重要なのは指揮官の生死だ」
アルの言葉に、巨人兵達が目を見合わせる。
ミーチャが自爆し、ガリオスが生き埋めになった時。巨人兵は持ち場を離れて救助に向かっていた。
巨人兵もロメ隊と同様、主人であるガリオスが精神的支柱となっていたのだ。
ガリオス不在ではまとまれない。救助を優先したいのは巨人兵達も同じのはずだ。
「そちらの指揮官が先に見つかれば、停戦はどうなる?」
最初に答えた巨人兵が尋ねる。
「そこから先は指揮官の命令次第だ。指揮官が戦えといえば戦うし、撤退といえば撤退だ。それはそちらも同じだろう?」
アルの言葉に、巨人兵達も目を見合わせる。
「どちらかの指揮官が見つかるまで停戦する! どうだ! 飲むか! 蹴るか!」
アルが叫ぶ。
巨人兵達の目が彷徨う。突然の停戦交渉に、誰が決断して良いのか分からなかったのだ。
「分かった、飲もう!」
叫んだのは最初に言葉を返した巨人兵だった。
「人間の停戦の申し出を、このオムスが受けよう」
オムスと名乗った巨人兵が踵を返し、後ろにいる巨人兵に向かって語りかける。
「このオムスの名を持って、人間共と停戦を結ぶ。どちらかの指揮官が見つかるまで、双方互いを攻撃するな。いいな!」
オムスの言葉に、巨人兵は反論しなかった。
一刻も早くガリオスの救助を開始したいのが、彼らの総意なのだろう。
「だが一つ言っておくぞ、我らがガリオス様を先に発見すれば、その時点で停戦は解消される。そしてお前らの指揮官を我らが見つけた場合、すぐに殺す。それでいいな」
オムスが交渉の条件を念押しする。
「ああ。分かっている。こちらもガリオスを見つけた場合、すぐに殺しにかかる」
アルが同じ言葉を返すと、オムスは口の端を歪ませて笑った。
お前達に殺せるものかといいたいのだろう。確かに今の自分達に、ガリオスを殺す手段はないのかもしれない。アルが持ちかけた停戦協定は、魔王軍にとっては有利な条件だった。だからオムスは条件を飲み、巨人兵達も反対しなかったのだ。
「よし。なら、停戦だ!」
アルがオムスに右手を差し出す。
オムスも右手を取り、がっちりと固く握る。
魔王軍との停戦が、ここに締結した。
いつも感想やブックマーク、評価や誤字脱字の報告などありがとうございます。
先日、宵凪海理様に素敵なレビューを書いていただきました。ありがとうございます。
ロメリアヒストリー
アルが結んだ停戦協定。
人類国家と魔王軍が交渉して締結した、最初の停戦協定可能性がある。




