第八十八話 竜問答
アライ山の廃坑前は、もはや原型をとどめぬほど破壊し尽くされていた。
二度による超破壊で地面には穴が空き、大量の土砂が巻き上げられていた。岩盤が砕かれ、大地にはいくつもの亀裂が走り、山肌からは落石があちこちで発生している。
そしてこの惨状を生み出した元凶が、私の前に立ちはだかっていた。
「もぉ、逃がさねぇぞ」
棍棒を携えたガリオスが、巨体から私を見下ろす。
まるで山脈のような存在感に圧倒され、私は身動き一つ出来なかった。
鍛えられたグラハム騎士団の騎士達も同様で、ガリオスに威圧され、声を上げることも出来ない。
「ロメ……リア……様」
負傷したミーチャだけが、私を守ろうと前に立つ。だが巨大なガリオスの前にはロメ隊のミーチャでも、相手になる気がしなかった。
「ん? なんだ、お前らもうボロボロじゃねぇーか。そんな様でバルバル殺ったのかよ」
戦う前から満身創痍の私達を見て、ガリオスがつまらなそうに顔を歪めた。
「バルバル大将軍を倒したのは、私達ではありませんよ」
私は恐怖に干上がる口を動かし、ミーチャの手を押し退けて前に出た。
「ロ、ロメリア様?」
前に出た私にミーチャが驚き、なんとか下げようと鎧を掴み引っ張るが、私は手を払いガリオスの前に出た。
少しでも時間を稼ぎたかった。だがそこにいるだけで兵士達を威圧するガリオスに対し、現状の戦力で戦って勝てる見込みは万に一つもない。なら会話で一縷の望みを見出す。
私はじっとガリオスを見る。ガリオスが会話を拒否し、棍棒を薙ぎ払えばそこで私は死ぬ。
「ん? じゃぁ、誰が倒したんだ?」
私の一世一代の大博打に対し、ガリオスは会話で答えた。
即死しなかったのは奇跡的な幸運。だが危機はまだ続く。
「誰も倒していません。彼は自決しました」
私は口を動かし続ける。会話が止まれば死ぬ。
「マジで? チッ、つまんねーの。そんなら逃げずに俺に殺されていろよ」
ガリオスはつまらなそうに吐き捨てた。
やはりバルバル大将軍に傷を負わせ、敗走させた原因は目の前の魔族にあるらしい。バルバル大将軍程の魔族を倒すなど、只者ではない。だが私はガリオスの正体に心当たりがあった。
「貴方はガリオスですね? 魔王ゼルギスの実の弟」
私は目の前に立つ、魔族の正体を推理した。
「魔王の弟?」
私の言葉に背後にいるミーチャが小声で驚く。
正体を知る手がかりは、魔王ゼルギスが残した日記の中にあった。ゼルギスの日記には弟に関することがいくつか書かれており、ガリオスという名もしばしば出てきた。
同名の魔族でなければ、この魔族は魔王の弟ということになる。
「いかにもそうだが、そういうお嬢ちゃんは?」
正体を言い当てたことで、ガリオスは私に興味を持ったらしく尋ねた。
「ロメリアといいます」
「そうかい。女のくせに、俺と面と向かって口が利けるとは大したタマだな。そこら辺の兵士よりは腹が据わっている」
名乗る私に、ガリオスが豪放磊落に笑う。
私は会話を続けながら、ガリオスという魔族を分析した。
会話やこれまでの行動から分かったことは、破格の肉体と剛力を持ち、戦いが何より好きで堪らない、典型的な力自慢の戦士だった。
私をすぐに殺さず、無駄とも言える会話をしているのは、気の良い性格なのだろう。憎しみで戦っているわけではないため話は通じる相手だ。
「俺が怖くねぇのか? 嬢ちゃん」
ガリオスが棍棒を担ぎ私を見下ろす。
もしガリオスの機嫌を損ねて棍棒を払えば、その瞬間ロメリア風挽肉の出来上がりだ。
だがここで相手をおもねり、命乞いなどをすれば逆効果だろう。これまでの会話から、ガリオスは戦いと強者を尊ぶ戦士だ。弱いと見れば即座に興味をなくすだろう。
「死は恐ろしいですね。ですが貴方をそれほど恐れる理由はありません」
「ほー、このガリオス様相手に言ってくれるじゃねぇか」
私の答えに、ガリオスが声を跳ね上げる。その巨体からは、百万の兵士にも匹敵する殺気が放たれる。
巨大すぎる殺気に身がすくみそうになるが、私は顔色を変えず胸を張って答えた。
「私はこの戦場で最弱の人間だと自負しています。この戦場にいる誰と戦っても、私は間違いなく負けるでしょう。貴方はこの戦場で最強の存在かもしれませんが、私にとっては、全員が私を殺せる相手です。貴方だけを恐れる理由がどこにもありません」
私はとにかく胸を張って、堂々と答えた。
言っていることは情けない限りだが、下手な強がりが通用する相手ではない。
「やれやれ、全く。オメーらみてーなの相手にしていると、この俺様も形なしだぜ」
弱さゆえに恐れないという私に対し、ガリオスは息を吐いて頭をかいた
「俺んところにもオメーみてーのがいるよ。喧嘩したら子供にだって負けるくせに、平気で俺に命令しやがる」
ガリオスは視線を廃坑へと向ける。廃坑前にはほうき星の旗の下に、小柄な魔族が立っている。
体格からして魔王軍の兵士とは思えないが、自らの数倍は大きいであろう巨人兵に対して、杖を振り回し指図していた。
「殺すには惜しいタマだが。残念ながら敵だしな。生かしては帰さねーぜ」
ガリオスが肩に担いだ棍棒を私に向ける。
話が分かり、気の良い性格であったとしても、ガリオスは戦士だ。敵を前にして、生かして帰すという決着はない。
もちろん私も、会話で見逃してもらおうなどと、都合の良いことは考えていない。この会話は全て時間稼ぎだ。
「もちろん、敵同士なので仕方ありません。ですが、私を殺すというのなら、あの騎士達を倒してからにしていただきたい」
私は戦場を見た。戦場には二頭の馬がこちらに駆け寄ってくる。一頭の背には誰も乗っていないが、残る一頭には槍を持つアルが乗っていた。
「ロメ隊長!」
駆け寄ってくるアルは腕や足に傷を負い、左頬にも裂傷があった。巨人兵を掻い潜り、単身で包囲網を突破してきたのだ。
「ロメリア様。無事ですか? 俺の馬に乗ってください」
私とガリオスの前に馬で割り込んだアルは、即座に馬から飛び降り、私に馬を差し出す。そして槍を構えガリオスに向けて構えた。
「おっ、俺んとこの兵隊相手にして、一騎で抜けてくるとはやるなぁ。でも、一人で俺に勝てるかな?」
アルを前にして、ガリオスは余裕の表情だった。
「慢心がすぎますね」
私はガリオスに指摘した。
私という敵を前にしても、ガリオスはすぐに殺さなかった。
これは一か八かの賭けだったが、勝算はあった。
会話に乗って来たのは、気がいい性格というのもあるが、何よりも大きいのは自分の力に対する絶対の自信だ。
バルバル軍との戦いを見て気づいたが、ガリオスは勝負の決着を急がない。相手が逃げず正面からくるのであれば、妨害せずに戦いを受けていた。
もっとも、これを油断や慢心と呼ぶのは違うのかもしれない。何せ圧倒的な実力差がある。たとえどれほど油断していようとも、蟻が竜の足を掬うことは出来ないからだ。しかしここに来たのが一人だけと考えるのは、状況認識が足りていない。
「私は『あの騎士達』と言ったはずですよ?」
話しながら、私は背後のミーチャに目を向けた。ミーチャはアルと並走して走ってきた馬を止め手綱を掴んでいる。その馬の名前はディアナ号。レイの愛馬だ。
私の視線につられ、ガリオスが馬を見る。そのガリオスに頭上から影がさした。
「上か?」
影に気付いたガリオスが咄嗟に上を見上げる。そこには天空を飛翔し、槍を携えて猛禽類のように襲いかかるレイの姿があった。
私が会話と視線で注意をひいての奇襲攻撃。
レイの槍がガリオスの頭を狙うも、ガリオスは左手を掲げ、必死の一撃を巨大な手で受ける。
並の魔族なら頭を貫くことが出来る一撃だが、レイの槍はガリオスの左手の平を貫きはしたものの、そこで止まる。
「片手で止めた?」
「簡単に! やらせるかよ!」
空中で止められ驚愕するレイに、ガリオスが貫かれた左手で槍を握り、頭上から襲いかかったレイを地面に叩きつけようとする。そこにアルが接近してガリオスに槍を放つ。
「こっちが本命か!」
頭上から襲いかかったレイを陽動と判断し、ガリオスがアルに向けて右手の棍棒を払う。だがその直後、レイが槍から手を離し腰の剣を抜剣した。
「いいや、こっちも本命だ!」
風の魔法を操り、空中で姿勢を整えたレイの刃がガリオスの首を狙う。ガリオスは槍に貫かれた左手で防ごうとするが、レイの剣はガリオスの左手首を切断した。
ほぼ同時に、アルはガリオスの棍棒を槍で受ける。
大地さえも砕くガリオスの棍棒を槍で受けたアルは、槍の柄に棍棒を滑らせた。火花を走らせながら棍棒を弾いたアルは、槍の穂先に炎を宿し、棍棒を放った右の二の腕に槍を突き刺す。
手傷を受け唸るガリオスに、レイが大地に足をつけたかと思うと宙返りをして私の前に舞い降りる。アルもガリオスの腕から槍を引き抜き、炎の尾を弾きながらレイの隣に立った。
二人の前に切断されたガリオスの左手が落下し、槍が引き抜かれた右腕は赤黒く炭化し、炭のように燃えていた。
「ロメ隊長には指一本触れさせん」
「ロメリア様はこのレイが守る」
私の前に立つ二人の騎士が、ガリオスに刃を向けた。
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