第八十七話 逃走経路
唯一の活路を求めて、ガリオスの脇を通り抜け、私は下った穴をすぐに馬で登り始めた。
この穴を越えればアライ山の廃坑が目の前にある。穴を上り切った後は、山に沿って私は右へと進路を取る。一方デミル副隊長率いる部隊は、左へと進路を変えて山沿いを駆け抜け、包囲を突破する手筈だ。
この進路なら巨人兵の妨害もなく、逃げ切ることが出来るはずだった。
「逃すか! ゴルアァ!」
穴の底で咆哮の如き声が聞こえたかと思うと、背後で何かがひしゃげる音が聞こえ、直後赤い飛沫を飛び散らせながら、一人の兵士が前にと飛んでくる。その体には鎧を突き破って巨大な石がめり込んでおり、体がちぎれ内臓が飛び出ていた。
私は肩越しに背後を見ると、ガリオスが棍棒を地面に突き刺し、周囲の石を掴んで投擲していた。
ガリオスが石を投げるたびに、馬に乗った兵士達に命中し吹き飛び、殺されていく。
唯一の活路と見た進路だが、それは竜の股を潜るような方法だ。ただで済むはずがない。ガリオスが石を投げるだけで、鍛えられた兵士達が無惨に殺されていく。
私は歯噛みしたが、投石で倒せるのはせいぜい数人。軽微な被害と割り切るほかない。
犠牲を出しつつも、私達は穴を駆け上がり脱出する。
穴を駆け上がった私は、その場で馬を小さく一周させ、辺りの状況を確認する。
部隊の片方を預けたデミル副隊長を見ると、グラハム騎士団の副隊長は、穴を駆け上がり、騎兵を率いて左へと曲がり、山沿いに逃げる進路をとっていた。
背後を見ると、後続の騎兵達も続々と穴を駆け上がってくる。ガリオスは石を投げても当たらなくなると考えたのか、投石をやめて棍棒を手に取っていた。
そのまま追いかけてくるつもりだろうが、向こうは徒歩でこちらは馬。いくらガリオスが巨体に似合わぬ脚力を持っていたとしても、置き去りに出来る。
アライ山の廃坑前には赤いほうき星の旗が突き立てられ、旗の下には白い衣を着た小柄な魔族が巨人兵に向かって叫び何かを命じていた。
私達がガリオスの脇を通り抜けてくることは、予想外だったのだろう。退路を塞ぐ命令を飛ばしているのだろうが、私達が逃げる方が早い。
出来ればあの小柄な魔族は討ち取りたかった。何者か分からないが、抜け目なく巨人兵を移動させ、私達の退路を遮断した采配は一流の策士だ。
首を取ることが出来れば、魔王軍の片翼をもぎ取ったに等しい功績となるだろう。
だが小柄な魔族の周囲には、十体程の巨人兵が護衛に付いている。今なら手が届く所にいるが、巨人兵と小柄な魔族を倒している間に、ガリオスが穴から登ってくる。そうなれば私達も全滅だ。諦めるしかなかった。
「ロメリア様! 行けます!」
側にいたミーチャが、兵士達が穴から駆け上がったことを告げる。後は逃げるだけだった。
私も馬の腹を蹴り、逃走の進路をとった。だがその瞬間、私の全身を悪寒が駆け抜ける。すぐ隣にいたミーチャも、周りにいた兵士達も全員が同じ危機を感じ取り、同時に発生源である穴の底を見た。
穴の底では、ガリオスが両手で棍棒を掴み構えていた。
その顔は怒りに染まり、目は赤く充血している。そして全身の筋肉が膨張してひとまわり以上大きくなっていた。筋肉のあまりの膨張に、頑丈な鎧が軋み悲鳴をあげている。
「にっ! がっ! すっ! かっっっ!」
ガリオスが棍棒を大きく振り上げる。
私の脳裏にバルバル軍を消しとばし、地形すら一変させたガリオス渾身の一撃が思い出された。
何をするのか分からないが、あの一撃を放たせては行けない。
最悪の予感が体中を駆け巡ったが、もはや止める猶予はない。
「ロメリア様! 伏せて!」
ガリオスの一撃が放たれる直前、危機を察知したミーチャが馬上から飛びかかり、馬に乗る私を押し倒した。
倒れる直前、私はガリオスが放つ一撃を見た。
ガリオスは肥大化させた筋肉を解き放ち、両手に掴んだ棍棒で大地を斜めに殴りつけた。
地震の如き衝撃が走り、大地が揺れる。殴りつけられた地面からは、火山が噴火したかのように大量の石や土が巻き上げられ、私達に向かって降り注いだ。
全身を襲う衝撃と痛みに、私は一瞬意識を失った。すぐに意識を取り戻したが、気がついた時には周りに立っている者は一人もいなかった。
「皆さん、無事ですか!」
私は起き上がり、兵士達の安否を確かめた。
身を起こすと激痛が走ったが、骨は折れていないし頭も打っていない。口の端からは血が滲んでいるが軽傷だ。
「ロメリ……ア様……お…怪我……は?」
私の側に倒れているミーチャが、顔を歪めながらも身を起こし私の安否を確かめる。
ミーチャの鎧は背中の部分が大きく凹んでおり、降り注いだ石が当たったことが見て取れた。私が軽症なのは、ミーチャのおかげと見て間違いない。
「私は怪我一つありません。貴方のおかげです。立てますか? 立ってください。皆さん。怪我は!」
私はミーチャに手を貸して立たせ、周りで倒れている兵士達を見た。
負傷した兵士は多いが、『恩寵』の効果か死者はいなかった。だが手や足の骨を折るなどをした兵士が多く、部隊は半壊状態だった。何よりまずいのは馬にも同様の被害が出ており、半分以上がもう走れない。
「無事な馬を探して怪我人を乗せて、怪我のない者は走ってでも逃げて!」
私はとにかく兵士達を立たせ、逃げるように指示した。
しかし死の足音が地の底から響き、竜の如き顔が穴の淵から這い出てくる。
「いいや、逃がさない」
ガリオスが私達の前に立ち塞がった。
知らなかったのか? 魔王の弟からは逃げられない。




