第八十四話 暴虐の王弟
廃坑の奥底から竜の如き咆哮が響き渡り、戦場の全てが、水を打ったように静まり返る。
その場にいた誰もが、アライ鉱山の入り口を凝視すると、地の底から体を震わせる地響きがこちらに近づいてくる。
信じられないことだが、その地響きが何者かの足音である事を、その場にいる全員が瞬時に気が付いた。
「ロメリア様! これは! 一体何が来るのです!」
隣にいるミーチャが私に向かって叫ぶが、私にも分からなかった。
足音がさらに近付き、洞窟の様な廃坑の入り口から、大きな影が現れた。
竜!
その姿を見て、私は一瞬巨大な竜の姿を幻視した。
しかし現実は違った。
廃坑から現れたのは、一体の魔族だった。
巨躯である。幻視した竜ほどではないが、並の魔族より遥かに大きい体躯を持っている。その顔もまさに竜そのもの。鱗は岩のようにごつごつとしており、口にはいくつもの牙が並び、大きな顎を持っている。
体には胴を覆う巨大な鎧を着込み、右腕に特大の棍棒を携えていた。そしてその全てが赤く血で染まり、頭の先から足の先まで血を滴らせている。
だが傷を負っているわけではない。肩や鎧の隙間には、ちぎれた臓物や魔族の手足が引っかかり、全身を濡らすものが返り血であることを証明していた。
廃坑の内部で戦いがあり、この魔族が暴虐の限りを尽くしたことが容易に想像出来た。
まるで母親の腹を引き裂いて生まれ落ちたような有様で、鱗の色さえも分からないほどだが、真っ赤に染まった顔の中で、目だけが白く爛々と光り輝いている。
その恐るべき姿に、戦場の誰もが身を凍りつかせていると、赤いほうき星の旗の下から、金属の打撃音が鳴り響いた。
ほうき星の下に集う魔王軍の兵士達が、剣や拳で自身の鎧や盾を叩き、三拍子を打ち鳴らす。
「「「ガリオス!」」」
旗の下に集う魔族が叫び、さらに武具を叩く。
「「「「「「ガリオス‼︎」」」」」」
三拍子に合わせて、巨人兵達が声をそろえる。
「「「「「「「「「ガリオス‼︎‼︎」」」」」」」」」
さらに三拍子が続き、戦場にいる巨人兵全てが武具を鳴らす。その声は大気を震わせ、バルバル軍の兵士のみならず、私達をも威嚇する。
廃坑から出てきた巨体の魔族が、自らに向けられた掛け声を聞き前へと進む。最初は歩くような一歩だったが、次第に速度が上がり、巨大な足が振り抜かれ、歩みは疾走となる。
地響きを立て、爆走する巨体の魔族は、真っ直ぐバルバル軍が集まる正面を目指した。
走る魔族を見て、巨人兵達が慌てて道を開けようとする。だがこれは不要だった。巨体の魔族が身を弾ませると、なんとその巨躯で跳躍する。
宙を飛んだ魔族の跳躍力は凄まじく、巨人兵の背丈を軽々と越え、さらには天に向けて並ぶ槍の穂先さえも見下ろす。そして巨人兵が盾を並べる防御陣形を飛び越えて、最前線に墜落するように着地した。
巨大な地響きと砂埃を巻き起こし、飛び出てきた巨大な魔族に、巨人兵達が再度声を揃え、讃えるように叫ぶ。
「「「「「ガリオス!」」」」」
「「「「「ガリオス!」」」」」
「「「「「ガリオス!」」」」」
巨人兵の声に応え、巨大な魔族が身を震わせ、再度竜の如き咆哮を放つ。
その声を聞くだけで、腹の底から恐怖が湧き上がり、体は震え足がすくんだ。
あの血まみれの魔族が何者なのか、何一つ分からない。だがその名だけはこの場にいる全員が心に刻み込んだ。
ガリオス。
咆哮一つで兵士達を威圧する、化け物の名前であった。
ガリオスの叫び声に戦場にいる兵士たちが威圧され、私も命令一つ発することが出来なかった。
だがその緊縛を破り、バルバル軍の中から雄叫びが上がる。
声を上げたのは、赤い鎧に一本角の兜を身につけた一体の魔族だった。
恐らく名のある魔族だろう。歴戦の胆力が無ければ、あのガリオス相手に声を上げるなど不可能だ。
一本角の兜を被った魔族の声に釣られ、バルバル軍の兵士達も剣を掲げて声を上げる。だがそれは勇猛果敢というより、心の奥底にある恐怖をかき消すための、虚勢にしか聞こえなかった。
だが虚勢であっても、彼らはガリオスに立ち向かった。剣を持ってガリオスに突き進む。
バルバル軍の兵士達がガリオスに殺到し、先頭を走る一本角の兜を身につけた魔族が刃を振るう。
やはり名のある魔族なのだろう。その一振りはロメ隊のアルやレイにも劣らぬ鋭さがあった。
だがガリオスは向かいくる敵に一歩も動じず、ただ手に持つ大棍棒を振り払った。
薮でも払うような動作だが、その一撃は一本角の兜を被る魔族の剣をへし折り、そのまま兜を粉砕。さらに後ろに続くバルバル軍の兵士達数体を吹き飛ばした。
棍棒を受けた魔族は鎧ごと体が引きちぎれ、内臓や手足が宙を舞い、雨となって戦場に降り注ぐ。
「なっ、ば、化け物だ!」
隣にいるミーチャが、ガリオスの一撃を見て信じられないと声を上げる。
私も自分が見ているものが信じられなかった。たった一撃で、数体の魔族を人形のように吹き飛ばすなどありえない。
だがこのことを知らないのは、私達だけのようだった。バルバル軍の兵士達はおそるべき死と殺戮を前にしても足を止めない。降り注ぐ仲間達の血と臓物、首や手足をものともせず、悲鳴のような雄叫びを上げながら、ガリオスに向かって突進していく。
恐れを知らぬ行動と言いたいところだが、バルバル軍の行動は自殺に他ならなかった。
ガリオスが棍棒を振るうだけで、バルバル大将軍が鍛え上げた精鋭が吹き飛ばれ、叩き潰されていく。
だがそれでもバルバル軍は亡者のように進み、無数の屍を乗り越え、ついに一体の魔族がガリオスにたどり着きその巨体に飛びつく。そして二体、三体と兵士達がガリオスの体にしがみつき、体を使ってガリオスを止め、鎧の隙間から剣を突き立てる。
「ロメリア様! これなら!」
隣にいるミーチャが歓声をあげる。私も手綱を強く握りしめる。
ガリオスにはすでに十体以上の魔族が飛びつき、もはやその巨体すら見えなかった。
だがにもかかわらず、ガリオスは倒れず、右手に持つ棍棒がゆっくりと上に掲げられる。
ガリオスの体にしがみつくバルバル軍の兵士が、必死になって右腕を止めようとするが、力自慢の魔族が数人がかりで全身の力を使っているのに、ガリオスの片腕を止めることが出来なかった。
さらにガリオスの左腕も動き出し、振り上げられた棍棒に添えられる。
ガリオスが両手で棍棒を握りしめる。その瞬間、ガリオスの体がひとまわり近く膨れ上がった。ガリオスが着込む巨大な鎧が軋み、体にしがみついていた魔族が、筋肉の膨張だけで弾き飛ばされる。
頭にしがみつく魔族の隙間からはガリオスの顔が見える。その双眸は赤く充血し、爛々と輝いていた。
ガリオスが棍棒を大きく振りかぶる。
「いけない、伏せ……」
私は特大の危険を察知して叫んだ。だがその声は落雷の如き轟音にかき消され、直後、巨大な衝撃が私の体を襲った。
私は馬から転げ落ち、全身をしたたかに打ったが、すぐに起き上がり周囲を見た。
「なっ、これは!」
私は目の前の光景に絶句した。
アライ山の廃坑前には、先ほどまでなかった巨大な穴が出現していた。穴の底には棍棒を振り下ろしたガリオスが立っている。
ガリオスに攻撃を仕掛けていたバルバル軍の兵士達は、吹き飛ばされ、無惨な屍を晒していた。
「化け物め」
私は戦慄に声を震わせた。
魔族の巨人ガリオス。
災害にも等しい、暴虐の嵐が吹き荒れていた。
気が付けば年の瀬でございますね。
今年一年ありがとうございました。
皆様のおかげで今年はロメリア戦記が二冊も出版され、来年にはコミカライズも始まる予定です。
ひとえに皆様のおかげです。改めてお礼申し上げます。
それでは皆様、よいお年を




