第八十一話 魔王軍の動きを推測した
元気よく返事をするミーチャと共に、私達は北上を続ける。すると眼前に、天を突くガエラ連山の威容が大きく迫ってきた。
「ロメリア様。もう少し行くとレーベン峡谷が見えてきますね。その向こう側にアライ山のアライ鉱山と廃村があるはずです」
隣で馬を駆るミーチャが、地図も見ずに話した。
「おや、知っているのですか?」
私はミーチャを見て尋ねた。
私は地図を見て知っているが、確かにこの先レーベンという名前の大きな峡谷があり、谷底には川が流れている。
このまま進むと峡谷に行く手を阻まれるが、一つだけ橋が掛けられているはずなので、橋が無事なら、谷を渡ることが出来るはずだ。そうすればガエラ連山の一つ、アライ山はすぐそこだ。
以前この山は鉱山として鉱物が産出されていたが、現在では廃坑となり村は潰れて人は住んでいないはずだ。
「昔、私はアライ村に住んでいましたから」
ミーチャが懐かしそうに周囲を見回した。
「それは知りませんでした。カシューの生まれだとばかり」
「いえ、生まれはカシューですよ。ただ、子供の頃に父と一緒に移住したんです。ですが鉱山の廃坑に伴い、カシューに戻りました」
「ああ、なるほど」
ミーチャが自分の生い立ちを語り、私は納得して頷いた。
そして兵士達と共に行軍を続けると、ミーチャの言う通り大地を断絶するかの如きレーベン峡谷が見えた。
切り立った崖から下を見下ろすと、峡谷の下はガエラ連山から湧き出た豊富な水が大河となり、激しい濁流となって水飛沫をあげていた。
息を飲むほどの絶景だが、観光に来たわけではない。偵察の報告ではミカラ領を襲った魔王軍の部隊は北上し、レーベン峡谷を渡ったとある。峡谷に沿って地図にもあった通り進むと、大きな吊り橋が峡谷に掛けられていた。
かなりしっかりとした吊り橋で、馬車ですら通れそうだ。アライ鉱山から産出された鉱物を運搬するために、特別に頑丈に作られている。
尤も使われなくなって久しく、だいぶ傷んでいる。通行する場合は注意した方が良さそうだった。
私は馬から降り、地面を確かめる。
地面を見れば、土が踏み固められ、馬や馬車が通った跡が残っていた。魔王軍がここを通行したことは間違いない。
「では橋を渡りますよ。偵察兵を橋の向こうに。後方にも敵がいないか注意してください」
橋を渡る瞬間は無防備になるので、私は偵察兵を送り、入念に魔王軍がいないことを確かめてから橋を渡った。
幸いにも魔王軍の襲撃はなく、無事に橋を渡り終える。川を越えればアライ山は目と鼻の距離だ。
「あの山の向こうはハメイル王国ですね」
私はガエラ連山の山々を見上げた。
我がライオネル王国と隣国であるハメイル王国とは、歴史上何度か衝突して戦争が起きている。現在では魔王軍との戦いのために、休戦協定を結んでいるが、魔王軍が来ていなければ戦争になっていてもおかしくはない間柄だ。
現在でも仲の悪さは変わらず、貿易では互いに高い関税をかけ合っている。
「さて、ミーチャ。この辺りに詳しい貴方に聞きますが、ここからハメイル王国へと抜ける道はありますか?」
私はアライ山を、そして続くガエラ連山を見上げた。
「あ〜っと、どうだったかな?」
私の問いに、ミーチャは頰を掻いて視線を逸らした。
この向こう側には、ハメイル王国が存在する。峻険な山で、地図の上では通行可能な道はないとなっている。だが金儲けをするためならば、人はどれほど険しい道でも踏破してきた。利益への欲望は、ガエラ連山よりも高いのだ。
「国の監視を逃れる、密輸品を運ぶ道があるはずです。知っているなら教えてください」
私がもう一度問うたが、ミーチャはすぐには答えなかった。硬くした表情から、答えを知らないのではなく、答えたくないことが分かった。
「ロメリア様……その……」
「ああ、安心してください。誰かを捕まえて、密輸の罪を問うつもりはありませんから」
言葉を濁すミーチャに私がつけ加えると、ミーチャは安心したように息を吐いた
「よかった。ロメリア様の質問にはなんでも答えるつもりですが、細々と密輸で稼ぐ人を密告する気にはなれなくて」
安堵の息を吐きながら、ミーチャは内心を吐露する。
「鉱山が枯れてから、この辺りはすっかり干上がりました。我が家はカシューに戻りましたが、元からここに住み、どこにも行く宛がない人達は、細々と密輸で凌ぐしかありません」
ミーチャはこの地域に取り残された人々の、哀れな窮状を語った。
もちろん密輸は違法だ。
しかし小さな村では、村を維持する物資を単独では賄えない。足りないものがあれば、近くの村々で融通し合うほかない。国境の付近に住む人々にとっては、国境の向こう側も大事な取引相手だ。はるか以前から付き合いがあり助け合ってきたのに、国家間の都合で繋がりを持つのをやめ、関税をかけろと言うのも一方的だろう。
「麻薬などの禁制品を持ち込まないのであれば、貴族としてもその程度大目に見ますよ」
私は私で貴族の内情を吐露した。
おそらくロベルク地方の貴族達も、この地域に住む人が密輸をしていることには気付いているだろう。しかしあえて見て見ぬ振りをしているのだ。
きつく締め過ぎれば、民が土地を捨てて逃げるかもしれない。貴族としては密輸品よりそれが困るし、そもそも犯罪に手を染めるほど困窮していると言うのであれば、統治している側の問題とも言える。
「ですが現在の問題は、その道を通って魔王軍がハメイル王国から渡ってきたことです」
私の言葉に、ミーチャが目の色を変えた。
「それは本当ですか!」
「おそらく。不思議とは思いませんでしたか? 魔王軍が突然ロベルク地方に現れたことを」
私の問いに、ミーチャが頷く。
「それは確かに。正直もっと西で戦うことになると思っていました」
「私もです。この国にやってきた魔王軍は、主に王国の西部に展開していました」
ミーチャの言葉に私は同意した。
魔王軍は王国の西にあるダカン平原に集結して、アンリ王子と決戦に挑み敗れた。そのため、逃走した魔王軍は西から来ると、私も考えていた。
「ですが被害状況を考えれば、どう考えても、ここにいる魔王軍は西から来たのではありません。北のハメイル王国からやってきています」
私は被害状況を分析して、分かったことを話す。
「私達がこの地で戦ったバルバル大将軍は、ハメイル王国に進軍していたはずです。彼はこのガエラ連山を超えて、この地にやってきたのです」
私が天にそそり立つガエラ連山を見上げると、釣られてミーチャも山を見上げた。
「この山を軍隊で越えたのですか? 信じられません。どうしてそんな無謀なことを」
ミーチャは信じられないと首を横に振った。
確かに、かつて太古の英雄が成したこととはいえ、並の行軍ではなかったはずだ。多くの犠牲を払ったことだろう。それでも彼らはあの山を越えてきたのだ。
「なぜそんなことを……まさか! 連中は逃げてきたのですか?」
ミーチャは一つの答えに辿り着き、驚きの声を上げた。
魔王軍を代表する大将軍であるバルバルは、ユルバ砦の戦いでは平原を氷結地獄へと変貌させた。それほどの魔族が、決死の逃避行を決断せねばならないほどの存在がいたのだ。
「一体何者が? ハメイル王国の連中ですか?」
「いえ、おそらく違うでしょう」
ミーチャの問いに、私は首を横に振った。
ハメイル王国は魔王軍との戦いに苦戦していたと聞く。それにハメイル王国の逆襲にあったとしても、バルバル大将軍は北にある魔王軍の本拠地ともいえる、ローバーンに逃げ帰ればいい。わざわざ決死の覚悟をして、険しい山脈を越える理由がない。
「ローバーンは北にあります。逃げるのなら北上すべきでしょう。しかし彼らは本拠地から離れるように南下している。そして先日、私達が討伐に出た先で見た、バルバル大将軍の部下達の死体。これらを考えれば、答えは一つ」
私の推理に、ミーチャが気付いたように目を開く。
「まさか、魔王軍が魔王軍を?」
ミーチャは魔王軍同士が争っていることに驚いているが、私は別に驚かない。
魔王ゼルギスを討ち、魔王軍の結束を乱す。これこそが魔王討伐の大きな目的だったからだ。
そしてこの目論見は成功し、バルバル大将軍は魔王を名乗った。そして別の魔族がバルバル大将軍を誅した。
ここまでは予想通りだが、その余波が今私達に降りかかっていた。
「おそらくですが、魔王を僭称したバルバル大将軍を、同じ魔王軍が誅したのでしょう。しかし倒しきれずバルバル大将軍は手傷を負いながらも逃走し、追っ手を振り切るために、ガエラ連山を越えて逃げてきた」
私は推論を語る。
そして山を越えて逃げてきたバルバル大将軍は、私達と出会い自決したのだ。
「問題はバルバル大将軍を敗走させた魔王軍です。彼らもガエラ連山を越えてこちらにやってきた。そしてバルバル大将軍を探してまわり、ミカラ領を襲撃した」
「では、連中が来た道を戻っていると言うことは、もしや……」
推論を続ける私に、ミーチャが自身の推論を話す。
「ええ、バルバル大将軍の自決を知り、目的を果たしたためと考えられます」
「では、連中が今また北上しているのは、ローバーンへと帰るためですか?」
「その可能性はあります」
ミーチャの問いに私も頷く。
「ですが魔王軍が帰るかはまだわかりません。それに我々の目的は魔王軍の討伐にあります。魔王軍を追いますよ。案内をお願いします」
「わかりました。では元アライ村に案内しましょう」
ミーチャは頷いた。
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