第七十九話 ソネアの憂い
出陣していくロメリアの軍隊を見送った後、館に残ったソネアは憂いのため息をついた。
今のソネアには、憂うべき事柄で一杯だった。
ミカラ領を襲った魔王軍を討伐すべく、出陣したロメリア達の安否は何よりも心配だった。母と伯父の仇を討ってほしいと言う願いもあったが、それ以上に無事に、一人でも多くの兵士が帰ってきて欲しかった。
そして幼いソネットのこと、ミカラ領の今後も心配だった。また幼馴染であり婚約者でもあったハーディーが、再度求婚してくれたが、これも憂いの種だった。
この求婚が一年前であったならば、喜んで承諾しただろう。
しかし今やミカラ男爵家は取り潰しの危機に瀕している。ハーディーは家を捨てる覚悟だと言ってくれたが、その言葉を素直に喜ぶことは出来なかった。
自分と違って、ハーディーには未来がある。
才覚があり、これからいくらでも出世が出来る男だ。その未来を自分が閉ざしてしまうわけにはいかなかった。
いっそ正妻ではなく妾にと言われた方がマシだったと、ソネアは考える。
妾としてならば、逆に気楽にハーディーのもとに行けただろう。だがハーディーの性格を考えれば、そんなことは口が裂けても言うはずがない。
一度こうと決めれば、ハーディーは揺るがない。それは頼もしくもうれしくもあるが、今となってはどうすればいいか分からなかった。
ソネアは憂いを込めたため息をもう一度吐き出し、館を歩いて自分の部屋に戻った。
部屋では顔に包帯を巻いた侍女が、ソネットを見てくれていた。
妹はお昼寝中らしく、すやすやと寝息を立てている。
「ありがとうね、キュロット」
ソネアはソネットのお守りをしてくれていた、侍女のキュロットを労う。
「いえ、これぐらい。私は何も出来ませんでしたから」
キュロットは包帯が巻かれた顔で頷く。
半分だけ見えるその顔は、暗い後悔があった。
彼女は母であるカーラが側に置いていた侍女で、魔王軍が襲来した際に魔族の攻撃を受け、顔に大怪我を負った。
幸にも命に別状はなかったが、顔には深い傷が出来てしまい、おそらく跡が残るだろうと言われている。
若い女の顔に傷が出来てきてしまったことを考えると、ソネアは胸が締め付けられる思いだった。
しかしキュロットは恨み言一つ言わず、むしろカーラを助けられなかったことを詫び、こうしてソネットの面倒を見てくれる。
「ソネア様。料理人が今日の夕食のことでお話があると申しておりました」
キュロットが伝えてくれるので、ソネットを任せて台所へと向かう。台所の前では年老いた料理人が、水桶を抱えながら廊下を歩いていた。
曲がった腰で無理をして重い水桶を運んでいるため、料理人の足取りは危うい。
「ああ、危ない。私が持ちましょう」
「あっ、ソネア様。いえ、もう目の前ですから」
ソネアが歩み寄り助けようとしたが、老いた料理人は水桶を渡さなかった。
「それよりも、ソネア様」
料理人がソネアを見る。ソネアは顎を引いて体を硬直させた。
年老いた料理人が重い水桶を運ばなければいけないのは、カルスが戦争に敗北して人手がなくなってしまったせいだ。
文句の一つも言われることを、ソネアは覚悟した。
「今晩の夕食ですが、村の衆が川魚を釣ってきてくれました。ハーディー様は川魚がお好きでしょうか?」
「え? ええ……好きだと思いますよ。子供の頃はよく川で釣りをしていましたから」
ソネアが頷くと、料理人はシワのある顔を破顔させて喜んだ。
「それはよかった。夕食は腕によりをかけますので期待していてください」
料理人は笑って頷くと、水桶を抱えたまま台所へと入っていった。
料理人の背中を見て、ソネアの心はまたも締め付けられる。
キュロットにしても料理人にしても、そして魚を差し入れてくれた村人にしても、誰もソネアを責めたりはしなかった。
だが戦争に負け、家が没落するのは紛れもなくソネアの一族が原因なのである。本来なら敗北の責任を追及され、罵詈雑言を浴びてもおかしくはないのだ。
もちろん領民の中には、戦争に敗北して多くの被害を出したミカラ家を恨んでいる人間はいるはずだ。しかし家中の者達は、そう言った人達を宥め、近寄らせないでくれている。
今ソネアは領民たちに守られていた。本来は彼らを庇護すべき立場にあるというのに。
ミカラ家は領民に恵まれた。それだけに彼らの今後が気になって仕方がなかった。
ハーディーの求婚を、素直に受け取ることが出来ない理由もそれだった。
ミカラ家が取り潰されれば、侍女や使用人達は職を失う。今後どうなるか分からず、先行きが見えないのだ。
それなのに自分一人だけ、ハーディーと結婚して幸せになってしまって良いのか?
迷うソネアに答えは出なかった。
どうすれば良いのか分からず、ソネアは当てもなく館の中を歩いた。
館を散歩していると、体に包帯を巻いた男達の姿を見かけた。怪我人に館の部屋を開放しているのだ。
負傷した彼らに何かをしてあげたいが、もはやミカラ家には施しをする余裕すらない。
怪我人に心を痛めていると、金糸の刺繍が入った司祭服を着た男性が、怪我人を避けながらこちらに向かってくる。
救世教会のギルマン司祭だ。
ギルマン司祭は、通行の邪魔をする怪我人に対して苛立ちの目を向ける。
癒しの技で人々を救った、癒しの御子を教祖に崇めているとはとても思えぬ酷薄な目つきだった。
ギルマン司祭は癒しの技を習得していると言う話だったが、これまで一度も怪我人を治療しているところを見たことがない。彼にとって治療費が払えぬ怪我人は、存在しないも同然なのだろう。
「ソネア様、ちょうど良いところにおられた。少し話があります」
ギルマン司祭が、薄い目でソネアを見る。
蛇に見られたようにソネアは背筋を震わせた。
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