第七十三話 遅すぎた援軍
鈴蘭の旗の下、私は馬を駆り一路南にあるミカラ領を目指していた。
私は馬の腹を蹴り、行軍を急がせる。私の隣では、ロメ隊のミーチャが同じく馬の腹を蹴って速度を上げる。私もミーチャも、今にも駆けだしたい気持ちで一杯だった。
バルバル大将軍の残党を倒すべく、ロベルク地方を北上したが、残党は何者かにすでに倒されていた。誰が倒したかは不明だが、巨大な足跡は南にあるミカラ領へと向かっていた。
足跡は途中で途切れていたため、本当にミカラ領に向かっているのかどうかは分からない。
だがもし魔王軍がミカラ領を目指していれば、カーラさんだけでなく、ミカラ領に囚われているミアさんや、ミアさんを救出するために動いてくれているソネアさんも危険だった。
三人は私にとって大事な人物だし、それにミカラ領の人々を救うために、私達はこのロベルク地方にまで来たのだ。なんとしてでも彼らを守りたかった。
そしてそれは隣にいるミーチャも同じ気持ちだった。
ミーチャは癒し手のミアさんのことを好いているらしく、とても大事に思っている。
そのミアさんがいるミカラ領に魔王軍が迫っていると知り、ミーチャは今にも飛び出しそうだ。
勝手に動かぬよう、私の護衛として側に置くことにしたが、互いに焦りといら立ちが伝わり、余計に気がせいてしまっている。
指揮官がこんなことではいけないと思うが、速度を緩めることが出来なかった。
「ロメリア様! 行軍速度が速すぎます」
「ロメ隊長、後方が遅れています」
後方の様子を見てきたアルとレイが、馬で私に駆け寄り報告する。
たしかに、後ろを見れば先頭の騎兵部隊が先行し、行軍の隊列は伸びている。もし今横から襲撃されれば大きな損害を被ることだろう。
「では騎兵部隊だけで先行します。後方の歩兵部隊はグランとラグンに任せます」
私は行軍の速度を緩めることはせず、騎兵だけで先行することを決断する。
「ロメリア様、しかし……」
レイが騎兵部隊だけで先行することに難色を示す。
「ロメ隊長。落ち着いてください。ミカラ領にはロベルク同盟の兵士もいるんですよ」
アルの言う通りミカラ領には、ソネアの伯父であるカルスが兵を挙げ、北部ロベルク同盟の兵士達が集っている。
「アル。彼らが魔王軍を相手に、戦えると思っているのですか?」
私の言葉に、アルも顔をしかめる。
ロベルク同盟は農民兵の集まりだった。装備は揃わず、練度も低い。まともな軍隊を相手にすれば、一撃で粉砕されてしまうだろう。
「魔王軍を見て、彼らが逃げてくれればいいのですが、なまじ戦力が有れば、戦うことを選ぶかもしれません」
私の脳裏に、戦火に焼かれるミカラ領の光景が幻視された。
「それは確かに……そうですね」
レイも否定せず頷く。
「ですがロメリア様。カイル達がなんとかしてくれるかもしれません」
レイがここにはいないロメ隊の名前を出す。
確かに、ミアさん救出の為にカイル達五人を派遣している。
「ですが五人では、幾ら何でも荷が重すぎます」
私はレイに話しながら、カイル達五人のことを思った。
信頼できる兵士達だが、五人では出来ることが限られている。こんなことならば、五人と言わず百人を送り出すべきだったが、今更後悔しても遅い。
とにかく急ぎますよと命令しようとした時、前方から一騎の騎兵が戻って来た。偵察として前方警戒に出していた兵士だ。その兵士は一人の女性を馬の背中に乗せていた。
女性はフードを被り顔は隠れて見えなかったが、緑のドレスには見覚えがあった。ミアさんの救出を頼んだソネアさんだ。
ソネアさんの無事は喜ばしいが、周囲にミアさんの姿はなかった。ソネアさんによるミアさんの救出は失敗したらしい。
隣にいるミーチャが、ミアさんの姿がない事に小さなため息を漏らす。
「落ち着いてください。ミーチャ。ソネアさんには救出が難しいことは、初めから分かっていたはずです」
私はソネアさんを責めぬよう、ミーチャに釘を刺しておいた。
ソネアさんには、味方のふりをしてカルスに近付き、頃合いを見てミアさんと共に逃げるよう頼んだ。
しかしいくら親族とはいえ、昨日まで敵陣にいたソネアさんを、カルスがすんなりと信じるとは思えない。
ソネアさんによるミアさんの救出は、成功の可能性が低かった。
それでもソネアさんに救出に向かってもらったのは、本命であるカイル達の陽動とするためだ。ソネアさんの失敗は、ある意味予定通りのことだ。
偵察の騎兵が私の元にやってくると、フードで顔を隠すソネアさんが、馬から降りるなり顔を見せることなく頭を下げた。
「申し訳ありません、ロメリア様。ミアさんを助けることが出来ませんでした」
顔を伏してソネアさんが謝罪する。
その姿を見て、私の胸に罪悪感が沸き上がった。必要なこととはいえソネアさんを騙し、囮としたことは、なじられて当然の行為だ。
「いえ、よくやってくれました。顔を上げてくださいソネアさん。ミアさんを助けるために、つらい仕事をさせてしまいましたね」
私はソネアさんに顔を上げるよう頼んだ。
だがソネアさんは伏したまま、顔を上げようとしなかった。
「ソネアさん、顔をあげてください」
私が再度顔を上げるように促すと、ソネアさんはゆっくりと顔をあげた。しかし顔の左半分をフードで隠し、見せようとはしなかった。
私は手を伸ばして、フードを少しだけ退けてソネアさんの顔を確認した。
フードの下に隠されたソネアさんの顔は赤く腫れ、殴打の跡が生々しく残っていた。私は表情を硬くし、そっとフードを元に戻した。
ソネアさんは、恥じるように顔を俯かせる。
おそらくやったのは、ソネアさんの伯父であるカルスだろう。カルスに対して怒りが湧き上がったが、口出しすることは出来なかった。
貴族社会では、他家の内情に口を挟むことは王であってもしてはならないとされている。
それに問題を広げることも、ソネアさんのためにもならない。
この手の家庭内の暴力が起きた時、たとえどのような事情があろうと、正しいのは夫や息子、家を取り仕切る男達であり、悪いのは妻や娘、女ということになる。
ことが明るみになれば、評判を落とすのは決まって女の側だ。ソネアさんのためにも、これは無かったこととするしかない。
「ソネアさん。後方に癒し手のカールマンがいますから、彼の治療を受けて、ゆっくりと休んでください」
私は傷を治すようにいった。
こういう時は出来れば女性の癒し手に任せたいのだが、残念な事に、癒し手の中で女性はミアさんしかいなかった。
「いえ、大丈夫です。それよりも早くミアさんを。伯父は、カルスはとんでもないことをしようとしています」
ソネアさんは涙ながらに、ミアさんの救出を訴えた。
「大丈夫です。ミアさんは私たちが助けます。今治療を受けるべきはソネアさんです。傷を治し休んでください」
私は再度休むように言った。傷の跡が残らぬよう早く治療すべきだった。
だがその時、不意に兵士たちが空を指差し騒ぎ始めた。
「ロメリア様! あれを!」
そばにいたミーチャが南の空を指さす。南の空からは黒煙が上がっていた。ミカラ領がある方角だった。
「ロ、ロメリア様……」
ソネアさんの声は震えていた。
「急ぎましょう。アル、レイ! 騎兵だけでミカラ領に先行します。いいですね?」
私の命令に、二人の兵士は表情を引き締めて頷いた。
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