第十五話 魔王軍との邂逅①
今、私たちは山の中を彷徨い、絶望に追い立てられ逃走していた。
振り返れば、兵士たちが皆疲れ切った顔で歩んでいる。しかも半数以上が負傷し満足に手当も出来ていない。馬を失い、水と食料もわずか。飢えと乾きに疲労が重なり、行軍の速度も遅くなるが、少しでも早く移動しなければいけなかった。
焦りと疲労に思考が鈍るが、そろそろ時間だと言うことを思い出す。
「小休止を取ります。少し休んでください」
足を止めて休息を告げると、兵士たちはその場にへたり込んだ。
私も脚が限界だが、兵達の手前、座ることが出来ない。疲労を隠しながら最後尾の兵に、脱落者がいないかどうかを目で確認する。
最後尾の兵士は頷いて脱落者がいないことを教えてくれた。
「カイル、疲れているところすみませんが、木に登ってくれますか?」
骸骨のようにくぼんだ眼窩を持つカイルが、小さく頷いて木に登っていく。しかしやはり疲労はあるのか、いつもよりは遅い。
木に登ったカイルが、四方を確認する。
「いました、二キロ後方です」
私たちを追いかけてくる死神、それは五人の魔王軍偵察部隊だった。
この山に来た時、最初は魔物化した熊が出没するといわれていた。
私はうかつにもその情報を鵜呑みにしてしまった。
だが目撃情報というのは、あまりあてにはできないものだ。魔物を目撃した人たちはたいてい恐慌状態に陥り冷静ではないし、魔物を見たことがある人も少ない。魔族を見たものはもっと少なかった。
それに反省すれば、気づくきっかけもあった。
熊の魔物ならば木の幹などを爪でひっかき、自分の縄張りを示すものだが、そういったものは見なかった。
そして山に入り、魔物が目撃された地点に向かってみると、そこにいたのは、蜥蜴のような鱗を持つ魔王軍の兵士だった。
数はたったの五。しかし歴戦にして手練れの五人だった。
魔王軍はこれまで侵略に侵略を重ね、多くの戦闘をこなしてきた歴戦の兵ばかりだ。しかも少数で敵地に潜入し、地形や防衛力などの情報を持ち帰る偵察部隊は、特別な訓練を施された精鋭だ。
この前まで新兵だった兵士たちとは、練度がまるで違いすぎた。
兵たちは訓練通りの働きを見せたが、槍を並べて作られた方陣は易々と突破され、多くの兵が傷を負った。
とっさに爆裂魔石を全て使い、何とか山へと逃げたが、死者がいないのが奇跡だった。『恩寵』のおかげかも知れないが、危機はまだ去っていない。
山へ逃げ延びた私たちを、偵察兵は正確に距離を保ち追い掛け続けている。
まるで影のように、ぴったりとくっついて離れない。
どうやら私たちを皆殺しにして、情報を持ち帰らせないつもりだろう。たった五人で私たちを皆殺しにできると考えているのだ。実際、それぐらいに戦力差は開いている。追いつかれれば、私たちに抗う術はない。
二キロ先に魔王軍がいるという言葉に、へたり込んだ兵士たちが慌てて立ち上がる。先ほどの戦闘の恐怖が忘れられないのだろう。追いつかれたら死ぬと彼らも理解している。だが今は慌てるときじゃない。
「落ち着いてください。ゆっくり休んで。連中は私たちを動揺させるために、わざと姿を見せているのです」
潜入工作に長けた偵察兵の分隊が、少し上から覗いた程度で見える位置にいてくれるわけがない。わざと姿を見せていると考えるべきだろう。
「私たちが焦ってペースを乱し、バラバラになるのを待っているのです」
懐のゼンマイ式の懐中時計を取り出す。昔お父様が私にくれたものだ。これ一つで家が一軒買えるほどの高級品だが、外側には傷が目立っていた。王子との旅にも同行した、長年の相棒でもある。
「一時間歩いて五分休む。このペースを守るのです。これが最終的には一番長く歩いていられます」
旅の途中で知り合った、老練な兵士が教えてくれた話だ。
無理をせず同じペースで歩き続けること。歩くことが兵士の仕事だと彼は言っていた。
それに連中が姿を見せている間は、まだ大丈夫だ。姿が見えなくなった時が一番危ない。
そしてそのときはそう遠くない。
「今はゆっくり休んでください。この間隔で歩けば、すぐには追いつかれません」
問題は夜だ。日が暮れたころに連中が仕掛けてくる。何とか手を打たなければいけない。
どうにかしなければと考えていると、レイと目があった。
レイは怪我こそしていないものの、すでに死んでいるのではないかと思うほど顔色が悪い。自分を責めているのだろう。
先ほどの戦闘の際に方陣を崩され、そこから傷口が大きく広がった。
方陣を崩されたのはレイの所からだった。不用意に槍を繰り出し、陣形がわずかに乱れ、そこから崩されたのだ。
勇み足ではあったが、責めるほどのミスではなかった。レイがミスしなかったとしても、いずれ崩されていただろうし、結果論に過ぎない。だが崩される原因となったにもかかわらず、自身は傷一つ負っていないことに、レイは責任を感じて今にも死にそうだった。
何か声をかけるべきなのだろうが、今の彼には何を話しても逆効果になりかねない。それに一人に構っている場合でもない。
視線を移すと、木の幹に体を預けたアルが荒い息を吐いていた。
体に当てた布は赤黒い血がにじみ、顔色は紙のように白い。アルはこの中でも一際重傷だ。まだ死んでいないのが不思議なぐらいに。
「大丈夫ですか? 少し傷口を見ましょう」
止血のために当てた布を取るが、傷口が酷い。出血は何とか止まったが、血を失いすぎている。このまま行軍を続ければ、傷口が開きかねない。
行軍の最中に見つけた薬草で、何とか応急手当をする。
「それは薬か?」
私が取り出した薬草を見てアルが問う。何か喋っていないと意識を保てないのだろう。
「ええ、昔旅をしていて覚えました。貴方曰く、私を捨てた王子を助けるために覚えた技術です」
言ってやるとアルは顔をしかめた。怪我が痛んだからと言うことにしておこう。
旅の初めの頃は、私も必死だった。戦えない分、出来ることは何でもやった。特に質の高い薬草は市場には出回らない。直接買い求めるか、あるいは自分で採取するか。王子を助けるために必死で覚えた。聖女が仲間になってからは、発揮することが無くなった知識と技術だったが。
「なぁ、俺を置いていけ、俺は足手まといだ。このまま俺を連れていけば、みんな死ぬ」
アルの言葉に、兵士たちがうつむく。うすうすみんなが分かっていることだった。一番重傷のアルに合わせて移動していては、行軍が遅れる。全滅の危険性が高まる。
効率を考えれば見捨てるのが最適解だ。だが効率的なことが、常に正しいとは限らない。
「そんなことはしません。私は共に戦った仲間を見捨てない。見捨てられたことはありますが、私は誰も見捨てません」
アルは驚いたような顔をし、兵士たちの中には、涙ぐんでいるものもいる。
もちろん嘘だ。私はそんなに高潔な人間ではない。
必要があれば切り捨てるだろうし。利の大きい方を取る。今の言葉はアルに、そして周りの兵士に聞かせるための言葉だ。
兵士たちの心を掴むには、こうした演出も必要だ。私は彼らには命を懸けさせているのだ。命を懸けたくなる人物であると、思わせてあげなければいけない。
「だ、だが。このままでは」
アルはなおも喋ろうとしたが、私は遮った。
「もういいから黙っていてください。これでも食べていて」
口の中に薬草を突っ込む。
「うげぇ、なんだ、これ。ニガっ」
「薬草です。鎮痛効果がありますから、吐かずに食べてくださいね」
尤も、鎮痛効果はそれほど高くはない。ただとにかく苦くて口の中が麻痺するおまけ付きだ。これで口の悪さが治ればいいのだが。
苦い葉っぱを何とか飲み込むアルの傷口を処理し、私は立ち上がって兵士たちを見た。
嘘のおかげで、兵士たちの目は生き返った。とりあえず、逃げ出そうとする者はいない。ギリギリ何とかなるかも知れない。
「皆さん、聞いてください。すでに理解していると思いますが、追ってきている偵察兵は強敵です。ですが我々は、あの敵をなんとしてでも倒さなければならない」
倒すどころか勝ち目すらないぞと、兵士たちは目で訴えるが、続きを話す。
「彼らは敵地に潜入して、情報を持ち帰る役目を帯びた偵察兵です。カシューのような僻地の情報を集める目的は、本隊の進路を決定するための情報収集と考えられます」
私の言葉に、兵士たちに動揺が起きた。
魔王軍本隊がくる。
たった五人の偵察兵に、二十人がなすすべもなく逃げている。その本隊が来るとなればどうなるのか? 故郷が血と炎に染まることは、想像に難くなかった。
「もちろん、本隊がここに来るとは限りません。しかし情報がなければ本隊を移すことは無いでしょう。少なくとも私なら、偵察兵が帰ってこなかった場所に本隊を移そうとは思わない。あの偵察兵を倒せば、魔王軍の本隊はここに来ないかも知れない」
どこまでも可能性だ。来るかも知れないし、来ないかも知れない。そして答えは常に分からない。
たった二十人。私たちの行動や戦いは、全体から見ればほんの小さなものでしかない。砂粒のようなものだろう。
私たちがどれほど悲壮な決意を固め、勇気を振り絞り雄々しく戦ったとしても、見向きされないどころか誰も知らず、ただ埋もれていくだけかも知れない。
だがその逆もあり得る。
私たちの砂粒は、全体を大きく変える一つとなるかも知れない。
進軍先を決めあぐねている敵の将軍が、帰ってこなかった偵察部隊に目を止め、判断材料とするかもしれない。
未来は誰にもわからない。だからこそ、常に最善と全力を尽くすしかないのだ。
兵士たちが持つ武器を力強く握りしめる。
士気は高い。
「れも、ろうやって」
変な声を出したのはアルだった。
舌が麻痺してろれつが回っていない。しかし言いたいことは分かる。
相手はたった五人で、二十人からなる私たちを一方的に蹴散らした精鋭ぞろい。正面から戦って勝てる相手じゃない。
「策があります」
私はそう請け負った。