第三十話 ユルバ砦での戦い⑥
「行きますよ」
魔王軍の天幕の前で私が言い、前に進もうとするとアルとレイが二人して左右から手を差し伸べ私の行く手を阻んだ。
「何がいるかわかりませんから、ロメリア様はここで」
レイがこれ以上は前にいかせないと首を振る。私は指揮官ですよと言いたかったが、こと前線では彼らが絶対だ。従うべきだろう。
「お前たち、二人行け。注意しろ」
アルが二人の兵士を選び、天幕に向かわせる。二人の兵士は槍を突き出しながら、天幕へと歩み寄る。
私はアルたちに守られて、後方から二人の兵士を注視する。
その時、私は不意に何かを感じ、気がつけば叫んでいた。
「危ない!」
「お前たち逃げろ」
「避けろ」
私に続いてアル、そしてレイが叫ぶ。
私たちの声に、二人の兵士はすぐに反応しようとしたが、身をかわすには至らなかった。
それは空間に引かれた線のようだった。
一瞬世界に線が引かれたかと思うと、二人の兵士の上半身がずれた。兵士の体が滑るように落ちていき、大量の血と臓物をこぼし倒れていく。
布一枚隔てた天幕の反対側から長大な刃が振るわれ、天幕に近づいた二人の兵士を避ける間もなく両断したのだ。
二人の兵士を、それも槍や鎧ごと断ち切る恐るべき一撃。居並ぶ兵たちも超絶の一太刀に青ざめる。
ただし、私のそばにいた二人を除いて。
「炎よ! 敵を焼き尽くせ!」
「風よ! 荒れ狂え!」
アルが叫びながら炎を放ち、レイが突風を生み出す。
炎が風を飲み込み、猛火となって天幕を飲み込む。
凄まじい熱風に、私は一歩下がる。中に誰がいようと、確実に燃え尽きただろうと誰もが予想した。しかし焼け落ちた天幕の中で、炎などなかったかのように立つ魔族の姿があった。
その姿を見て私は戦慄に震えた。
まず巨躯である。魔族は人類よりも巨体だが、この魔族はさらに大きい。そして身につけているのは、堂々たる大鎧。右手には馬さえも両断できそうな大刀。頭上には竜を模した兜を身につけている。
これほどの武具を身に付けているとなると、ただ者ではない。間違いなく将軍級の人物。アンリ王子が倒したと言うガレ将軍と位を同じくする、方面軍の長に違いなかった。
突然の大将首、しかも相手は一人である。だが百人からなる兵たちは、だれも近づけないでいた。全身を押しつぶすような重圧が百人の兵士を押しとどめていた。
ただ立っているだけで周囲を圧倒するこの圧力。魔将軍と言える風格だ。
魔王軍が必死になって守っていた天幕。何が出てくるかと思ったか、まさかこんな所で魔王軍の将軍と出会うとは、想定外に過ぎた。
だがこの邂逅は決して、不幸な出会いとは言えなかった。あるいは千載一遇の好機と言えた。
「落ち着け! 相手は手負いだ! 周囲を固めろ」
レイが気圧される兵に指示を出す。
そう、百の兵を威圧する魔の将軍は手傷を負っていた。左腕と右目を失い腕と頭に包帯を巻いている。鎧で見えないが、体にも深手を負っているかもしれない。
将軍が戦場に出ず、部下である兵士たちが命をかけて守ろうとした理由。それがこれだ。彼らは敗残兵なのだ。
魔王軍が誇る大将軍と、その麾下の精鋭部隊。だが彼らは何かに敗北し、手傷を負い、逃げ惑ってここにやってきたのだ。
一体何があったのか、それは全く分からない。だが彼らが西ではなく北からやってきたことや、かなり早い行軍速度など、全て説明がつく。
私が改めて敵を見ると、将軍は竜の兜の下、片方の目だけで私たち百人をにらみつける。
「小童共め、俺、いや余が直々に相手をしてくれる!」
竜の口が開き、驚くべきことに人間の言葉を話した。魔族も私たちの言葉を勉強しているのだろうが、流ちょうに話せることに驚いた。
「人間の言葉を話せるとは、頭のいい蜥蜴だ。その首この俺が貰い受ける」
アルが叫ぶと同時に魔力を練り、槍に炎をともし火尖槍を生み出す。
「ふん、少しは魔法の心得があるか」
片目片腕であるというのに、魔将軍は余裕の顔で評する。おそらくは演技だろうが、まるでそう見えない。
「ぬかせ!」
『火尖槍』を生み出したアルが残りの全魔力を振り絞り、大火炎を生み出して敵将軍にぶつける。
先程の猛火にも引けを取らない熱量だが、離れて見ている私にはわかる。アルの炎は相手の将軍には届いていない。青白い光が炎を阻んでいる。
「その程度か! 所詮は人間。我ら魔族にかなうものか!」
将軍の前に広がる青白い光が広がり、アルの炎を押し返していく。
「だったらこれでもくらえ」
敵の意識を引き付けるため、アルが炎を止め、叫びながら『火尖槍』を握りしめて真正面から突き進む。
「猪め、勢いだけで王は倒せん!」
魔将軍は大刀を掲げ、余裕の表情で一撃を繰り出そうとする。
だがアルの真の狙いは炎でも『火尖槍』でもない。本命は派手な炎に隠れて遙か上空に跳躍したレイの跳躍攻撃。自分に意識を引きつけ、死角である真上からの一撃を狙う必殺の策。
アルのまっすぐすぎる動きに、将軍は気づいていない。急降下してきたレイの槍が将軍の首を捕らえる。
これは決まる。
私を含めその場にいた誰もがそう感じた時、驚くべきことが起きた。
既にアルに向かって刃を振りかけていた将軍が、いかにしてか頭上から来る脅威に気づき、振り下ろしかけていた刃の軌道を変え、真上からくるレイに向けて放ったのだ。
戦場全体に聞こえるほどの激突音が鳴り響き、火花が閃光となって散る。
レイの槍は大刀によって阻まれ、軌道がそれ大地を穿つ。
「やるな、今のはいい戦術。だが隙が大きい」
魔将軍がレイに刃を向ける。狙いを外し、武器を地面に突き刺しているレイは格好の的だ。
「させるか!」
大きな隙を晒したレイに、魔王軍の将軍が迫る。だがその時、アルの『火尖槍』が将軍の大鎧を穿ち、左脇腹に突き刺さった。
『火尖槍』に跳躍攻撃、どちらも必殺の一撃。外れた方が囮で、決まった方が本命だ。
狙われたレイはすぐに槍を引き抜き、とどめの一撃を放とうとする。
だが腕と目を失い、さらに腹を燃える槍で貫かれたというのに、魔王軍の将軍の戦意は衰えない。
「お前らごときに、王の首をやるものか!」
魔王軍将軍の体から青白い光と共に膨大な魔力が放たれる。
「アル! レイ!」
私は危険を察知し、二人に下がるように叫ぶ。だが私がいうまもなく、アルは後ろに下がり、レイは宙を飛び逃げる。
二人が退避した直後、魔将軍の周囲に白いもやに包まれた。
一見すると大した危険はなさそうだが、ただのもやではない。
将軍から離れたところにいる私の頬を冷気が打つ。
「氷結魔法か」
アルが呟くようにもやの正体を見抜く。
あのもやは空気中の水分が凍結して見えるだけだ。その証拠に将軍の足元にある草は凍て付き、触れるだけで粉々に砕ける。
アルの手を見ると手の皮が破れ、血を流していた。身をかわせたが槍が遅れ凍りつき、手が張り付いたのだ。
レイも右足をわずかに掲げている。靴の爪先が白く凍て付いている。
「大丈夫ですか?」
「行けます」
「問題ありません」
私が問うと二人はすぐに返事をする。
強がりかもしれないが、アルやレイの動きに大きな変化はないので、深手ではないのだろう。だがほんの一瞬でこの傷。あの瞬間で将軍の周囲は、極低温の氷結地獄となっている。
さすが魔王軍の将軍。強力な魔法も使いこなす。
「さすが魔王軍の将軍。こんな魔法を使えるなんてな」
アルが不敵に笑う。
「なめるなよ、小童。余をだれだと思っている!」
腹を貫かれながらも、魔の将軍が気炎を吐く。
「お前が誰かなんて知るか。俺の槍に貫かれた以上、お前はもう終わりなんだよ」
アルが将軍の腹に開いた槍の傷跡を見る
その傷口は炭化し、熾火のように赤黒く燃えている。『火尖槍』を受けた以上ただでは済まない。あの傷口から炎が噴き出し、全身を覆いつくす。先ほど何人もの魔族の精鋭を屠ってきた業だ。
一拍遅れて傷口から炎が噴き出し、全身に広がる。
「つまらん!」
だが全身が炎に包まれているというのに、魔王軍の将軍はただ一喝する。すると気合に吹き飛ばされたかのように炎が静まり、消え去ってしまった。
将軍の周囲には青白い光が生まれ、腹の傷口は氷の幕で覆われていた。
完璧な連携で放たれた跳躍攻撃が見切られ、必殺の『火尖槍』が防がれた。
しかも相手は万全の状態ではなく手負いなのである。
これが魔王軍、その頂点である大将軍の実力なのだ。
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