第十二話 猿鬼との戦い②
今日の分です
逃げる猿鬼を見て、私はうなずいた。
これで勝利は確定した。だが終わってはいない。本番はむしろこれからだ。今ここですべてを殲滅する必要がある。
散り散りになって山に逃げられれば、殲滅に時間を要する。
弓兵がいれば楽に背中を撃てるが、いないものは仕方がない。
私は乱れた呼吸を直す間もなく、馬首を返した。
「レイ、アル、もう一度です」
たまたま近くにいたアルと、少し離れた位置にいたレイに再度声をかける。
二騎を従え、逃げる猿鬼を追った。
今度の仕事は牧羊犬だ。四方へと逃げる猿鬼に対し、大きく弧を描いて走り、外へと逃げようとする猿鬼を中央に誘導する。剣を振るう必要もない。ただ駆け抜けて逃がさないように威嚇すると、『恩寵』のおかげか効果は抜群だ。
中央に集められた猿鬼達を、兵士たちが串刺しにしていく。
「アル、レイ無事ですか」
後ろを見ている暇がなかったので、改めて確認すると、すぐ横に蒼い顔をしたレイがいた。息も荒く、必死で食らいついてきたといった様子だ。
さらに後方を見ると、アルがいた。その手には槍を持っておらず、剣を抜き馬から身を乗り出して斬りつけている。
折れた槍を捨てて剣で戦うことにしたのだろう。血刀を振るう姿は、なかなかに勇ましい。
周囲を見回せば、ほとんどの猿鬼を倒すことが出来たが、倒し損ねた猿鬼が一匹逃げているのが見えた。
「レイ、来てください!」
こうなったら一匹も逃がさない。
馬を駆り逃げる猿鬼を追い掛ける。
非力な私に魔物を倒す力はないが、この状態ではそれもいらない。真っ直ぐ馬を駆り、逃げまどう猿鬼を馬の蹄で踏み抜く。
足下で悲鳴が聞こえ、踏みつぶした感触が伝わってくる。少し罪悪感がよぎったが、すぐに振り払う。これは戦い。甘いことを言っていられる状況ではない。
馬を止め振り返ると、地面に猿鬼がうずくまっていた。
しかし死んではいない、脚を踏みつぶされ、右の太ももが大きく陥没しているがまだ生きている。
「お嬢様」
追いついてきたレイが、青い顔をしてうごめく猿鬼を見下ろしていた。
「レイ、とどめを」
「え?」
驚いたようにレイが私を見るが、私は真っ直ぐ見返す。
レイはまだ魔物を一匹も倒していない。槍は綺麗なままだし、返り血も浴びていない。
彼を臆病だとそしるつもりはないが、敵を殺したことのない兵士を、このまま連れて行くわけにはいかない。
戦いはこれからもっと激しくなる。さっさと童貞を捨てて貰わないとこまる。こんな機会は滅多にない。積極的に活用したい。
「早くしてください。それが兵士のつとめでしょう」
「はっ、はい」
命じられ、流されるままに槍を構える。猿鬼は必死で抵抗して声を上げる。
必死な猿鬼の形相に気圧され、レイは槍を繰り出せない。
「早く!」
怒鳴るように声を出すと、反射的にレイが槍を繰り出す。だが槍は外れて地面を突き刺す。
「しっかりとねらって」
叱咤され、レイは何度も槍を繰り出すと、何度目かでようやく猿鬼に当たるが、貫いたのは肩であり、致命傷にはほど遠い。
「一撃で仕留めなさい。相手は死にものぐるいで反撃してきますよ」
レイはなおも槍を繰り出すが、上手く急所に当たらず、何度も突き刺すハメになった。
「くそ、くそ、くそ」
レイは何度も槍を突き刺す。すでに猿鬼は絶命していたが、興奮したレイはそれに気付かず何度も何度も突き刺していた。
猿鬼が原型を留めなくなった頃、ようやく死んでいることに気付いたレイが顔を上げる。
「やりました」
顔に返り血を浴び、瞳孔が開いた目で笑う顔には見覚えがあった。
旅に出て、初めて魔物を倒した王子が同じ顔をしていた。あの時は彼を抱きしめ、この人の支えになりたいと思ったものだが、今は昔だ。
「良くやりました。本隊に戻りますよ」
短く褒めると、レイは驚くほど大きな声で返事をした。
大きな声が少しおかしくて、笑いながら本隊に戻ると、すでに猿鬼の殲滅を終えており、あちこちで先ほどのレイと同じように、何度もとどめを刺す新兵の姿が見られた。
ざっと見渡すが大きな負傷者は見られない。
兵士たちは敵を倒した興奮と勝利に酔いしれているが、まだ終わったわけではない。
「レイ、負傷者を集めて治療に当たってください。アルは怪我のないものを五名連れて猿鬼のとどめを刺して回って。死んだふりをしているかも知れないので注意すること」
レイとアルに命じて回る。
「はいはい、人使いの荒いことで」
返り血を浴びたアルが口では文句を言うが、笑いながら従う。魔物を倒せたことで興奮冷めやらぬのだろう。
「ほかに手の空いているものは、火の消火と負傷した村人の救出を」
手早く指示を出し、私自身は集落に向かって進む。
集落では粗末な柵の隙間から、村人達が顔を出していた。
「村の皆さん、カシュー守備隊のものです。皆さんを助けに来ました」
簡単に名乗り所属を告げ、周辺の魔物の討伐にきた旨を告げると、集落から話を聞いていた村人達の、喜びと安堵の声が聞こえてきた。私たちが敵国の兵ではないかと心配していたのだろう。
村を囲っている門が開き、一人の老人が現れる。おそらく村の村長か何かだろう。
「救援に来ていただき、ありがとうございます。村を代表してお礼を申し上げます。皆様が来てくれなければ本当に危なかった」
「いえ、当然のことをしたまでです」
領民の安全を守るのは、領主の義務だ。
安全が確認され、村からは村人たちが出てきて、怪我人の救助や畑に着いた火を消して回っている。
救援に来ることが遅れたため、三人ほどの村人が犠牲となり、重傷者も出ている。
もう少し早くに来ることが出来ればと後悔が出てくるが、考えても仕方のないことだと割り切るしかない。
「お礼と言っては何ですが、ささやかながら宴を設けたいと思います。少ししかありませんが、肉や酒もご用意いたします」
村長の申し出に、兵士たちが歓声を上げて喜んだのは言うまでもなかった。
村長が用意してくれた宴は、規模はささやかではあったが、大いに盛り上がり、兵士たちはこんなに楽しいことはないと笑いあっていた。
兵士たちは薄い酒であっても、勝利の美酒に酔いしれ、あちこちで歓声を上げていた。
少し浮かれすぎているが、何せ初陣での大勝利である。水を差すのは無粋というものだった。むしろさらに次への弾みとしたいところだ。
兵士たちの喜びは、何も酒だけではない。何人かは手に握りしめた銀貨をしきりに眺めていた。
今回の褒美として与えた銀貨だ。あれ一枚で羊が一頭買える値段だ。猿鬼を倒した褒美には少し多いが、初陣での手柄だ、次につなげるためにここは弾んでおく必要がある。
人生で初めて得た大金に誰もが胸躍らせている。大金持ちになるのも夢ではないと興奮しているのだろう。
宴では特に声が大きいのはアルだった。酒杯を片手に巨大な肉にかぶりついている。
今回の戦功一番ということで、アルには銀貨二枚を渡した。手柄が認められ、初めて手にした大金に、アルは大はしゃぎだ。渡した金を早速使い、村人から羊を買い取って丸焼きにして豪快に食べている。
もちろん一人で食べきれるようではないので、皆にもふるまっている。
もっと大事に使いなさいと言いたいが、この浪費癖は都合がいい。褒美を渡して豪快に散財しているところを見れば、次は自分もああなりたいと、兵士たちもやる気になる。しかも金を使えば当然なくなるから、次に贅沢するためにはまた稼がなければならず、手柄欲しさに戦場を求め勇敢に戦うことだろう。よいことである。
「皆さん、今日はよく戦ってくれました」
宴も終わりに近づき、私は最後に声をかけることにした。
「明日、この村を出発し、次の村を目指します。そこでも魔物が出没しているとのことです」
新たな敵と戦場を聞いても兵士たちに恐れはない。中には口笛を吹いて喜んでいる者もいる。手柄を立て、金を手に入れる好機だと思っているのだ。
「この調子で、領内にいるすべての魔物を討伐していきましょう。私たちならそれが出来る」
兵士たちを煽ると、歓声が一斉に上がる。あまり調子づかせると危険だが、彼らには頑張ってもらわないといけない。