第十三話 勇敢に散った者達
太陽が沈み星々が瞬き始めたころ、ベリア高原にはいくつものかがり火がたかれ、やってきた夜を照らしていた。
周囲には蟻人の死骸がうずたかく積み上げられ、苦痛の声を上げる兵士たちの声が低く響いていた。
仮設した陣地では負傷兵が運び込まれ、治療を受けていた。もっとも傷を負っていない者などほとんどおらず、だれもが大なり小なり傷を負い、包帯を巻いていた。
「ロメリア、兵の収容が完了した。死者の数は三十三名、重傷者は七十名ほどだ。こっちが死んだ者の、こっちは重症者の名簿だ」
ヴェッリ先生が被害報告をまとめてくれる。
死者三十三人。被害はこの後さらに増えるはずだ。
二千近い敵を相手にしたと考えれば、少ない被害と言っていい。当初の予定ではこの倍は計算に入れていた。兵たちの奮戦があったればこそだ。
しかし数は関係ない。どれほど損害が少なかったとしても、死んだ者は一つしかない命を投げ出してくれたのだから。
死んだ者たちのことを考えると、胸が苦しく、落ちていくような喪失感を覚える。
私が彼らをここに連れてきて、戦えと言ったのだ。全責任は私にある。
「ロメリア」
先生が慰めようとしてくれたが、手を挙げて慰めの言葉を拒否する。
「大丈夫です」
戦えば損害は出る。それは初めからわかっていたことだ。それは兵士たちにとっても同じだ。彼らも死ぬ覚悟で戦場に立っていた。過剰に死を嘆くのは、彼らの覚悟を汚す行為となる。
「戦いには勝ちました。負傷者の治療がひと段落すれば食事にしましょう。今日の食事はケチらずに出してあげてください。酒もある程度は許可します」
夜になればさらに死者が出てくるだろうが、生き残った者は喜ぶべきだ。
「わかった、連れてきた羊を全部放出しよう。酒は傷に悪いからな。ほどほどにするよう言うつもりだが、果たして聞くかね?」
先生が頭をかきながらぼやくと、不意に顔を上げ視線を左へとむける。
つられて私も見ると、鎧を着込んだ騎士の一団がこちらに来た。先頭に立つのは髭が立派なドストラ家のハーディーだ。
「ロメリアお嬢様、改めてご挨拶を。私はドストラ男爵家のハーディーと申します」
騎士は恭しく礼をする。
「戦いの助力に感謝します。騎士ハーディー。それと、負傷兵の治療に協力してくれていることに関しても、兵に代わりお礼を申し上げます」
ハーディーは負傷者の治療や回収に協力してくれている。癒し手の数が増えれば助かる命も出てくる。味方とは言い切れない関係だが、兵のためならば頭を下げよう。
「過分なお言葉、恐縮です」
ハーディーはもう一度頭を下げた後、ヴェッリ先生を見た。
「ニッコロ家のヴェッリだな。はじめてお目にかかる。先ほどの用兵、実に見事でした」
ハーディーが頭を下げ、ヴェッリ先生が私を見る。
「あーっと、家名を呼ばれるのは久しぶりだな」
先生の生家であるニッコロ家は、ちょっとした家柄だ。しかし先生は放蕩が過ぎて、ほとんど勘当状態なので、気まずそうにしている。
「騎士ハーディー、褒めていただいて恐縮だが、この戦場で指揮を執っていたのは俺じゃない」
先生はきっぱりと否定する。
「本当か? だが、まさか!」
ハーディーは驚いた顔で私を見る。
「俺は確かに軍師としてここにいるが、あくまで補助だ。全体の指揮を執ったのはロメリアだよ」
先生が私を見て、ハーディーは言葉をなくしていた。女が指揮をとれるなど信じられないのだろう。それに、あの時の私は自分でもどうかしていた。
戦闘が終わると同時に、あの感覚も消え去っていった。
我ながら不思議な現象だった。まるで戦場が私の手のひらの上にあったような気分だ。
だが何が原因であのような感覚を得たのか、自分でもわからない。
「で、では、あの騎兵を率いていた兵士が、平民だというのも本当か?」
「ああ、事実だ。それどころか、あいつらは今年徴兵された新兵だ。ロメリアが鍛え上げた」
ハーディーは信じられないと目を見開く。
しかし私が鍛えたというのには語弊がある。私は特に何もしていない。強くなったのは兵士たち自身だろう。
「嘘だと思うのなら、本人に聞いてみるといい。紹介しよう。今日は酒も出る。お前たちも楽しんでいけ。ロメリア、構わんだろう?」
「もちろんです。部下の方々もお誘いください」
彼らも戦ってくれたのだから、その権利がある。先生は早く行こうとハーディーを連れて行ってくれた。
ハーディーに対しては、この後どうするかを考えないいといけない。時間を稼ぎたいところだが、戦いぶりを見る限り、仕事ができる男のようだった。口先ではごまかされないだろうから、どうしたものか。
これはこれで頭の痛い問題だったが、すぐに思考を切り替えた。今考えるべきことは、目の前の問題だ。
私は小さくため息をついた後、息を吸い気合を入れた。いまからやることは、もう一度合戦をすることよりも大変な作業だからだ。
私は設営した陣地の外れ、負傷者が集められた区画へと向かった。
周囲では布が敷かれ、怪我人が横たわっていた。彼らの間を治療の心得のある者たちが行きかい、清潔な水で傷口を洗い、布で傷口を縛っていた。
彼らは私が作った分類の中でも、三番に位置する者たちだ。
怪我の程度は比較的軽く、止血などをすることで状態が安定する者たちだ。ある程度治療すれば死ぬことはないと判断されているため、癒し手による治療は後回しとなっている。
私は怪我人に労いの言葉をかけつつ、さらに奥を目指した。
奥では五十人ほどの兵士が横たわり、苦鳴を上げ、痛みにあえいでいる。その間を癒し手たちが飛び回り、必死に治療を続けていた。
癒し手が出血している傷口に手をかざすと、白い光が生まれ血が止まり、傷口が塞がっていくのが見えた。
彼らは二番に分類されている重傷者だ。怪我の度合いが重く、放置すれば死に至る可能性もあるため、ここでは四名の癒し手が奮闘し、治療にあたってくれている。
「カールマン」
私は陣頭指揮にあたっているカールマンに声をかけた。
「ロメリア様、来てくださりありがとうございます。みんな、ロメリア様が来てくれたぞ」
カールマンが治療しながら、怪我人たちに声をかける。
苦しんでいた兵士たちが身を起こし、私を見て苦しみの表情を笑顔に変えてくれる。
「皆さん、今日はよく戦ってくれました。皆さんの働きを、私は忘れることがないでしょう。今日はゆっくり休み、しっかり傷を治して下さい」
声をかけると、兵士たちが活気づく。
私は短いながらも、一人一人に声をかけていった。声をかけると、負傷兵たちはどう見ても深手だというのに、この程度はかすり傷だと強がりを言う。
「ありがとうございます、ロメリア様。こうして来ていただけると、怪我人も喜びます」
声をかけ終わった私に、カールマンが頭を下げる。だが邪魔になっているのではないだろうか?
「そうでしょうか? やせ我慢をさせているだけなのでは?」
いい所を見せようとするのは有難いが、よけいな体力を使わせているだけかもしれない。
「いえ、そんなことはありません。減らず口が叩けるようになれば、気力も回復します。何よりもまず生きる気力があるかないか、それが生死を分けますから」
私の励ましで助かる命も出てくると、カールマンは言ってくれる。
「あなたは大丈夫ですか?」
カールマンの顔には疲労の色が濃かった。戦いが終わってからというもの、彼らに休む暇はなかったはずだ。
「大丈夫です。ハーディー隊の応援が二人来てくれました。ここにいる連中は、決してこれより奥には回しませんよ」
疲労困憊しながらも、カールマンは気を吐く。
確かにカールマンの手際は水際立っている。
まずは手早く患者を割り振り、分類わけしてくれたのは彼だ。今もまずは全ての患者に止血を施して安定させ、それから怪我の重い者から順に治療を開始している。
この分なら、ここからは死者が出ないかもしれない。
「それよりも、ミアが心配です」
ミアさんはここよりさらに奥にいる。この先に居るのは一番に分類されている者たちだ。
「私が見てきます。ここをお願いします」
「わかりました、お任せください」
この場はカールマンに任せて、私は奥へと足を向けた。
一番の分類には、二十人ほどの負傷者が運び込まれていた。
ここでは悲鳴が聞こえてこなかった。ただ荒い息だけが聞こえてくる。負傷が大きすぎて、悲鳴を上げる力すら残っていないのだ。
内臓が体からはみ出ている者や、頭が半分潰れている者。全身に深手を負い、血を失いすぎて紙のように白くなっている者もいた。
その中で二人の癒し手が患者の治療にあたっていた。ミアさんともう一人の癒し手だ。
ミアさんは一人の治療を終えると立ち上がり、次の患者に向かおうとしているところだった。立ち上がったが、足元がふらつき倒れそうになる。私は慌てて体を支えた。
「大丈夫ですか、ミアさん!」
「ロメリア様? いえ、大丈夫です」
ミアさんは気丈にも自らの足で立った。
「皆さん、ロメリア様が来てくださいましたよ」
ミアさんが寝ている患者に声をかけたが、声に反応する者は少なかった。声も聞こえていないのだ。
「次の患者さんのもとに行かないと」
ミアさんはふらつく足取りで次の患者に向かおうとする。
「ミアさん、少し休みなさい」
私は無理やり座らせて、彼女に休むように言った。重傷者の治療は難しい。人体に対する深い知識と、高度な癒しの力がいる。さらに力を振り絞らなければならず、数人の治療で疲労困憊となってしまう。
カールマンを呼べればいいが、あちらも手いっぱい。それに、治療すれば治るというものではない。
ここにいる半分ほどは、治療不可能なほどの深手を負っている者ばかりだからだ。
聖女と呼ばれるエリザベートほどの人間がいれば別だが、大きすぎる怪我は癒しの技でも助けられないのだ。
「でも、ロメリア様、私が行かないと。これより先にはいかせられません」
ミアさんが立ち上がろうとする。
ここより先は四番の部類になる。そこにあるのは苦痛によるうめき声ではなく、友人や戦友の死を嘆く泣き声だった。
彼らはすでに死亡しているため、私たちができることは何もない。
一人も死なせまいと、ミアさんは立ち上がろうとするが私は止めた。
ミアさんは優しい。治療を受けていない人たちが気になるのだろう。
「あなたは少し休みなさい」
彼女にはつらい仕事をさせている。
私は負傷者の治療を重傷者からではなく、比較的怪我の軽い者から治療にあたらせている。
重傷者の治療に時間がかかるし、助からないことも多い。
死にそうな者を助けず、助けられる命を助けることを優先した。
それは私が判断し、命じたことだ。私がやらなければいけないことなのだ。
「あの、ロメリア様。すみませんが………」
ミアさんを休ませていると、二人の兵士が私のもとにやってくる。名前も知らない兵士だが、顔には悲壮な表情を浮かべていた。
「わかりました、どこです?」
何があって何を求めようとしているのか、言われずともわかった。
私は立ち上がり、彼のもとに案内させる。
二人の兵士が案内した先には、一人の兵士が横たわっていた。
胸にいくつもの傷があり、全身が血まみれとなっている。肺に穴が開いているのかまともに呼吸すらできず、隙間風のような音が口から漏れているような状態だった。
「おい、ラン、起きろ。ラン! ロメリア様だ、ロメリア様が来てくれたぞ」
案内してくれた兵士が、友人の体をゆすって声をかける。
声に反応して、呼ばれた兵士がうっすらと目を開けた。
「ラン、私の声が聞こえますか?」
私は彼のもとで跪き、顔を覗き込む。はじめは私が誰かわからないようだったが、しばらくしてわかったのか、目を見開き何かを言おうとした。しかし言葉にならず、血の混じった咳をする。
「落ち着いて、無理をする必要はありません。知っていますか? 我々はこの戦いに勝ちました。貴方のおかげで勝てたのです。貴方はグランの隊に居ましたね、左翼の後方で戦うあなたの姿を見ていましたよ」
ランの目が驚きに開かれ、側にいた二人の兵士も顔を見合わせる。
もちろん嘘だ。全員の配属先を覚えてなどいられないし、戦いぶりなど見ていられるわけがない。ヴェッリ先生にまとめてもらった名簿を見た時、名前と配属先、配置を覚えておいただけだ。
ランは目に涙を浮かべ、求めるように手を伸ばした。私はその手を両手で受け止め引き寄せる。
「ラン。貴方の活躍のおかげで勝てました。貴方のような兵を持てて私は幸せです」
嘘ばかりついている私だが、これは偽りない言葉だった。私の勝手な理想のために、文字通り命を投げ出して戦ってくれたのだ。私にはもったいない兵士たちばかりだ。
「あっ、ロメ………わた、あり………とう」
ランはさらに嗚咽のような声を漏らし、血を吐く。血のしずくが私の顔にもかかったが気にもならなかった。
不意にランの手から力が抜けていくのを感じた。私は彼の手を強く握り締めた。
しかしどれだけ手を握り締めても、命というものが抜け出て行ってしまうのが分かった。
どれだけ強く握っても、こぼれていってしまう。
私は泣きそうになったがこらえる。泣くな、笑え、笑うのだ。
「疲れたのですか? ゆっくりと休みなさい。貴方はよく戦ったのだから」
母親のように声をかけると、ランは痛みを忘れたかのように穏やかな顔となり目を閉じた。
直後握っていた手が急に重くなり、命が抜けきってしまったことが分かった。
私は目をつぶり、静かに瞑目する。
涙を流しそうになったが、泣いてはいけない。
彼らが私に求めているものは、小娘のように涙を流す姿ではない。
私は彼らに兵士としての役割を求めたのだ、なら私は彼らが求める役割を演じなければいけない。
すべてを知る絶対者、間違いを犯さない完璧な指揮官。そしてあらゆるものを包み込む聖女であること。
自分は命を懸けるに値する人のために戦い、そして死んでいくのだと思わせてあげなければいけない。
彼らの死に、大いなる意味を与えてあげなければいけない。
それが私にできる唯一のことだからだ。
その日、私は八人の兵士を見送ることとなった。




