第十話 蟻人掃討戦⑧
金剛石の鎧に、突如泥濘と化した大地。
明らかに異常であり、魔法の効果であることは明らかだった。
「魔物って魔法使えるんだ」
魔法を使う敵との戦闘は初めての経験である。にもかかわらずアルは的外れな感想を口にした。
「当たり前だ、ろう!」
レイが石突きを泥に突き刺し、足を取られる馬を助け、泥沼から脱出する。
馬が身震いしながら体についた泥を落とす。
「当たり前なのか?」
「魔物は元々ただの動物だ。魔法の力によりこの姿になった」
「じゃぁ、こいつら元はただの蟻なのか。魔法すごいな」
「知恵や力をつければ、魔法も使えるようになると、ロメリア様が言っていただろうが。忘れたのか?」
「言ってたっけ? 忘れた」
この不忠者めとレイがにらむ。
「でもまぁ、金剛石に見えるからって、魔法で作った物だ、本物よりは弱いだろう」
アルが槍を掲げ、頭上で一回転させたかと思うと、勢いをつけて王蟻の左肩を殴りつけた。
対する王蟻は槍斧を構えもせず、金剛石の鎧で受ける。
鐘のような音が鳴り響くが、王蟻はわずかに体勢を乱しただけで無傷。金剛の鎧にはひび一つ入っていなかった。
「硬ってぇ」
あまりの硬度に槍がはじかれ、大きく振動する。立て直そうとしたアルに王蟻が槍を放つ。
「危ねぇ」
何とか槍を戻したアルが、槍斧を受けてはじく。
「もう一丁!」
次は右肩を槍で殴りつける。
一度目よりも大きな音が鳴り響いたが、金剛石が砕けることはなく槍がはじかれた。
そこをまた王蟻が狙い槍斧を放ってくる。
何とか槍斧を受けるも、刃が腿をかすめ、鎧に覆われていない個所からわずかに血が滲み出す。
金剛石の兜に覆われた王蟻が、顎を動かし笑う。
すでにここでの勝負は見えたと言ってよかった。
アルに金剛石の鎧を突破する手段はなく、王蟻はアルの攻撃を防ぐ必要すらない。後出しで攻撃すればよいのだから、防御はどうしても一手遅れる。
しかしアルの頭に敵前逃亡はない。
自らの主が退けと命じぬ限り、矢のように突き進み、敵を倒すことが自らの使命だからだ。
裂帛の気合を込めて槍を振るい、一呼吸で五連打を王蟻の全身に浴びせかける。
岩さえも砕く破壊の嵐だったが金剛の鎧を打ち破るには至らず、反撃に繰り出された槍斧の一撃を受ける。
刃は鎧で止まったものの、内臓をやられたのかアルは口からわずかに血を吹きだす。
「まだだ!」
だが口から血を吐きながらも、全身の力を込めて石突を跳ね上げ、王蟻の胸を下からすくい上げるように打ち付ける。
この一撃にはさすがの王蟻も体勢を乱し尻餅をつくも、すぐに起き上がり、何でもないとばかりに左手で打たれた胸を払い、破片を落とした。
口から血をこぼしながら、アルはただ王蟻をにらみつけた。
苦戦を強いられているのはレイも同じだった。
そろえられた銀の槍が襲い掛かるも、以前のように上手く弾き返せず、二匹の連携攻撃を防げないでいた。
すべては足場を泥濘にされ、馬の脚が封じられているためだった。
「落ち着け、ディアナ」
愛馬の名前を呼び、なだめる。
レイは訓練により、愛馬ディアナとはすでに一体感が形成されている。人馬一体となり、自由自在に馬を駆ることが出来るが、足場を泥沼へとかえられ愛馬の足さばきが乱れ、レイの精密な槍さばきを阻害していた。
二匹の近衛蟻が、愉快そうにカチャカチャと顎を鳴らす。
「なめるな! ディアナ!」
レイは手綱を引くと馬を立たせる。前足を高らかに掲げた馬は、全身の力を込めて跳躍。空を飛ぶように泥濘を抜け出し、侮る親衛隊の目の前に着地する。
愛馬が嘶き、泥沼に落とされた恨みか前足を振りかざす。前足で蹴られ二匹の近衛蟻が倒れる。
レイは槍を振りかざし、そのまま突き殺そうとしたが、横から差し出された槍に止めの一撃を防がれる。
横やりを入れてきたのは鎧に身を包んだ近衛蟻たちだった。雑兵の兵隊蟻や突撃蟻、防衛蟻を引き連れレイを取り囲む。
仲間に助けられた親衛隊の二匹は蟻たちの陰に隠れ、顎を動かし、笑いながら泥濘の魔法を発動。またしても愛馬が泥に埋まる。
機動力が封じられ、そこに蟻が群がり始める。
絶体絶命の窮地であったが、レイは小さく舌打ちをしただけだった。
「こういうのは趣味じゃないんだけどなぁ」
ぼやきながらレイは槍の握り方を変えると、大きく振りかぶり力任せに槍を振り回した。
一度に兵隊蟻が二匹や三匹巻き込まれ、粉砕され吹き飛んでいく。
さらに槍を振り回し、周囲にいる蟻人を力任せに粉砕する。
「なぜか力が弱いって思われがちなんだけれど、こう見えても、隊の中じゃぁ三番目なんだけどね」
足場を乱されていようが関係なく、力任せの槍が蟻たちを粉砕していく。
得意とする速度と精密さを捨ててなお、圧倒的な力を見せつけていた。
重装備の近衛蟻を、紙のように切り裂き、巨体の防衛蟻を枯れ枝のように吹き飛ばすレイを見て、親衛隊の二匹が複眼に焦りの色を浮かべ、慌てて二匹同時に地面に手をつく。
直後、槍を振るっていたレイの体が大きく沈んだ。
足元の泥沼が大きく広がり、馬の足をずぶずぶと飲み込んでいく。
泥濘魔法を重ね掛けし、生み出された底なし沼がレイを飲み込もうとしていた。
「ディアナ!」
愛馬が嘶くが、動けば動くほど沼にはまっていく。このままではレイも飲み込まれかねないが、レイに愛馬を見捨てることはできなかった。
口の端から血をこぼすアルに向かって、王蟻が槍斧を振るい打ち据える。
先ほどの一撃が利いているのか、槍斧を受けるアルの動きには精彩に欠けていた。反撃の突きも、槍に力がこもらず金剛石の鎧に軽く弾き返されてしまう。
王蟻が顎をカチャカチャと動かして笑うが、挑発を前にしてもアルは動じず片手で頭を掻き始めた。
「ああ、どうもうまく行かないな、ここか?」
言いながら軽く槍を繰り出し王蟻の胸を突く。大して力が込められているわけでもない一撃。鎧に絶対の自信を持つ王蟻は、防ごうともせず胸で受けた。
だがその軽く放たれた槍が胸にあたると、光り輝く金剛石の鎧に亀裂が走った。
自身の鎧に絶大の信頼を寄せていた王蟻が、驚愕に顎を広げる。
対して金剛石を砕いたアルは、喜ぶどころかため息をついた。
「やっと割れたか、もっと早くに割れると思ったんだがな、どうも運が悪い」
言いながらアルが槍を振るい、王蟻の胸を突く。王蟻は慌てて槍斧を持ち上げるも途中でアルの槍の軌道が変化し、亀裂が走った個所に正確に槍が突き刺さる。
亀裂がさらに大きく広がり、金剛石の鎧が砕け、王蟻の体があらわになる。
身を守る鎧が無くなり、王蟻は呆然とする。
「なんで砕けたのかわからないって顔だな。俺たちの言葉がわかると思えないが、一応教えておいてやる。知らないと思うが、石は種類によって割れ方が異なるんだ。割れにくい石もあるけど、中には一定の角度で力を入れてやると簡単に割れるやつがある。特に硬ければ硬いほど割れやすい石が多い。殴った感触で割れる石だってわかった。ただ、決まった角度や場所じゃないと割れないから、さっきからそこを探してたんだ。さらに言っておくとまぐれじゃないぜ、お前は気づいてなかっただろうけれど、さっき胸を殴った時、そこから破片が落ちてたぜ」
アルが胸の部分を指さすと、王蟻が後ろに飛んだ。距離を取り、槍斧を大地に突き刺すと膝をつき大地に両手を付く。王蟻の体が光ったかと思うと、光り輝く鎧が王蟻の全身を覆っていく。
魔法の力がある限り、何度でも作り直すことが出来るのだった。
「ご苦労さん」
再構成された金剛石の鎧にアルが槍を繰り出すと、槍の穂先が突き刺さり、金剛石が星屑のように砕けていく。
「だからまぐれじゃないって、どこを突けば砕けるかはもうわかった」
自身の鎧を二度も砕かれたが、王蟻はそれでも金剛石の鎧を再構築した。
だが今度は先ほどまでの鎧と違っていた。鎧の上にさらに鎧を重ね掛けし、どんどん巨大化していく。
「おいおい、そんなので動けるのか」
まるで巨人のような姿に、アルは呆れた声を上げる。
二回りは大きくなった王蟻が、耳障りな音を立てて動く。だがその動きは遅く、もはや子供でも楽に逃げられそうだった。
「ここかな?」
へき開を見切ったアルが槍を放ち、金剛石の塊に槍を突き刺す。
槍が突き刺さり亀裂が走るも、砕けるには至らない。亀裂の上に金剛石の魔法をかけ、破砕を防いでいた。
破壊不可能であることに安堵したのか、分厚い金剛石の向こう側で王蟻が笑う。
いまや金剛石の鎧は自分だけが入れる城塞となり、ただ王蟻のみを守っていた。
「やれやれ、お前ひとり助かっても意味がないだろうに、まぁいいさ」
アルは突き刺さった槍を持ちながら王蟻に話しかける。
「ところでお前、魔法使えるのは自分だけと思ってないか?」
アルの手に炎が生み出される。
王蟻が驚愕の顔を浮かべるも、アルは無視して槍を握り締める。炎が槍全体を覆い、突き刺さった穂先にも炎が走る。
小さな亀裂の間にも浸食するように炎が伸びていき、金剛石の城壁を潜り抜け、王蟻に絡みついた。
自身についた炎を消そうにも、全身を金剛石で覆いつくし、手で払うことすらできない。炎はさらに燃え広がり王蟻の全身を焼き尽くしていく。
「なんだ、出たいのか?」
中で燃え、焦げていく王蟻にアルが声をかける。すでに魔法を解く余裕すらなく、外に出るには砕いてもらうほかない。
「だが駄目だ、お前はそこで燃えていけ」
金剛石の向こう側、王蟻が赤く燃え、体を炭化させ亀裂からは煙が噴き出る。それでも出られず、金剛石の外殻を残したまま内部だけが燃え尽きていった。
愛馬を見捨てられないレイに、周囲を取り囲んでいた蟻たちが一斉に槍を構える。
底なし沼に飲み込むのを待たず、投槍で仕留める考えだった。
十数本の槍が放たれ、レイに向けて殺到したが、レイは槍を払おうとはせず、それどころか自身の槍を泥沼へと突き刺した。
「吹き飛べ!」
槍が泥沼へと突き刺された瞬間、泥濘が爆ぜた。大量の泥をはねのけ向かい来る槍さえも吹き飛ばす。
地面には大穴が空き、泥沼が消失、穴の底に愛馬ディアナとともにレイが着地した。
レイの周囲には風が巻き、まるで守るように吹き荒れている。
大穴の周りでは、弾き飛ばされた蟻たちが何とか起き上がろうとしていた。
レイが素早く目を走らせると、起き上がる蟻たちの間に、必死で逃げようとする親衛隊二匹の姿を捕らえた。
「逃がすか!」
レイは鞍の腕に足をかけて立つと、愛馬の背を蹴り跳躍した。
「風よ!」
跳躍するレイが叫ぶと、周囲を舞っていた風が吹き荒れ、レイの体を持ち上げる。
背のマントが風を受け、羽のように広がり空を舞う。
飛ぶレイの姿を見て周囲にいた蟻たちが驚くも、レイは連中の頭や肩を足場に飛び跳ねる。
「そこか!」
逃げまどう親衛隊の一匹を、頭上から襲い頭から串刺しにする。
槍を引き抜き、体が倒れる前に蹴って跳躍、上空から二匹目を探す。
「いた!」
風を操り真上から襲う。親衛隊の一匹は空を仰ぎ見て逃げようとしていたが、その背中を槍で突き刺し、昆虫標本のように大地に縫い留めた。
周りにいた蟻人がレイを取り囲もうとするも、レイは宙返りをして空を飛び、包囲しようとする蟻人の頭を蹴って愛馬ディアナのもとに戻った。
すでに王蟻を倒していたアルが、空を飛び戻ってきたレイに不満げな顔を見せる。
「なんだよ?」
「なんか偉そう。空を飛べるからって偉いわけじゃないからな。俺が隊長でお前は副長だからな」
「もちろんわかっている。だが今日の活躍を見たら、ロメリア様もだれが隊長に相応しいか気づかれるだろう」
「ふざけるな! 俺の方が先に倒した!」
「俺の方はほぼ無傷だ。胸の傷は大丈夫か? 血なんか吐いてるけど休んだ方がいいんじゃないか?」
戦場のただなかでアルとレイが口喧嘩をする。
「こんなもん、かすり傷に決まってるだろうが、痛くもねぇよ」
「その割には顔色悪いけど? 足からも血が出てるな? 休んでおきなよ」
「お前だって、馬が沈みかけた時の慌てぶりったらなかったぜ、今度ロメ隊長の前でその時のお前の無様な姿を実演してやる」
「なっ、だったらお前がいまだに石を集めてコレクションしてること言いふらす。そういえばずっと大事にしてた石が、実は獣の糞だったことがあったよな」
「お前、それは内緒にするって言っただろう! もーいい。もーキレた。言わないでおこうと思ったけれど、お前がこっそり飛ぶ訓練してるとき、操作を誤って豚小屋に頭から突っ込んだこと言いふらす、糞まみれのレイ君の姿は傑作だったよ」
「見てたのか貴様! それをロメリア様に言ってみろ、明日の太陽は拝めないと思え」
「お前こそ、今日の夕食を食べられると思っていたのか」
互いに槍を握り締め構える。
「アル隊長、レイ副長」
今にも殺し合いを始めそうな二人に、兵士たちが止めに入った。
「こっちは終わりました、いけますよ!」
二人が周囲を見ると、王蟻の周囲を守っていた蟻たちはあらかた殲滅を終えていた。
「仕方ない、一時中断だ。総員集結、突撃用意」
殺戮を終えた兵たちを集める。
二人とも戦場の真ん中で、口喧嘩をしたかったわけではない。蟻を蹴散らした部下たちが集結するまで待っていただけだ。
「これより敵の後方を突く、止まらず一気に駆け抜けるぞ」
王蟻が倒れすでに指揮官はいない。蟻たちは前しか見えておらず、たやすく後ろを突ける。
だがここからは休む暇はない。後方からとはいえ、たった五十騎で千にも上る大軍を突っ切り殲滅していくのだ。
「隊列を乱すな、はぐれた者から死んでいくと思え。必死でついて来い」
レイが兵士たちに声をかける。
「アル隊長! あれを」
今まさに突撃の号令を掛けようとしたとき、一人の兵士が自陣の後方を指さす。
はるか後方では、いつの間に現れたのか騎馬の一団が出現していた。その数およそ百。
「どこの兵だ」
騎馬の群れを視認した兵たちの間に戦慄が走る。
カシュー守備隊が擁する騎兵はここにいる五十のみ、援軍の予定もない。
「まさかハメイル王国か?」
いくら防衛線を再構築したとはいえ、騎兵の突撃を受ければ持たない。
今すぐ助けに行こうにも、自陣は遠く離れ、間には千の蟻人を挟んでいる。
「いや、違う! 落ち着け!」
混乱する兵士たちを、レイの鋭い声が律した。
「あれは、味方だ」
騎馬の一群の頭上には、ライオネル王国の旗が掲げられていた。




