チートスレイヤー不動
前に書いたチートスレイヤーと登場人物は違いますが、世界観は一緒です。
カルニア国の南部。
国境に近い町、リーヴス。
大きくもなく、小さくもない。
一人の領主に治められた、カルニア国内において一般的な中規模の町である。
その日、ある男がそのリーヴスへと訪れた。
町へ入った男は、そのまま町の至る所を見て回った。
気ままに散策をしているかのような男ではあったが。
しかし観光にしては彼の作る表情は固く、向ける眼差しは鋭利に過ぎた。
そして男が、大通りに面した市へ来た時の事だった。
「このクソガキ! 今日こそは許さねぇからな!」
市場で怒鳴っていたのは、露店で果物を売る男だった。
その怒声を向けられたのは、一人の少女である。
少女はとても可愛らしい顔をしていたが、擦り傷や汚れが目立ち、衣服はつぎはぎだらけの着古した男物だった。
少女は手首を露天商の無骨な手に掴まれており、握られたその手からリンゴが落ちた。
状況から鑑みるに、盗みを働こうとした浮浪児がリンゴを盗もうとして見つかったという所だろう。
露天商の言葉からすれば、この少女は常習的に盗みを働いているようだった。
「放せ! 放せよ!」
少女は腕の拘束を解こうとするが、彼女の腕を掴む露天商の手は固く握りしめられたままだ。
逃れられない事は誰の目から見ても明らかである。
「いいのかよ? あたしを傷つけたら……」
「知った事か! その腕折って、衛兵に突き出してやる!」
言うと、露天商は拳を握って振り上げた。
そのまま少女の関節を叩き砕こうとしたのだろう。
しかし、それは叶わなかった。
露天商の振り上げられた腕が、別の誰かの手によって掴まれ、止められる。
その人物は、黒髪の青年だった。
体はほどよく鍛えられ、顔つきも悪くない。
ただ顔に作られた表情は、攻撃的な笑みであった。
「何をしているんだ?」
「タ、タカアキの旦那」
青年の問いに、露天商が向き直って彼の名を呼ぶ。
怒りの形相から一転して、露天商の表情は一瞬の怯えの後、焦りへと変じた。
「こいつが、俺の店の商品を盗みやがったから」
「だからって、まだ子供じゃねぇか。暴力はいけないだろ」
「でも……」
「だったら、どうして暴力がいけないのか教えてやろうか? この俺が」
タカアキと呼ばれた青年が凄むと、露天商は顔色を悪くする。
「へ、へへ。あんたに言われちゃあ、敵わねぇなぁ」
ぎこちない愛想笑いを浮かべて言い、露天商は少女の腕から手を放した。
少女は露天商から離れ、タカアキの後ろへ隠れる。
そこから、露天商へ向けてべーと舌を出した。
「こんな事、もうするなよ?」
タカアキは露天商へ注意する。
「……はい」
小さく返事して、露天商は店へ戻った。
「いつもありがとな、兄ちゃん。また助けられちゃった」
「いいさ。これくらい」
「そのこれくらいができないもんなんだよ。だって、誰も助けてくれねぇもん。助けてくれるのは兄ちゃんだけだ」
少女は笑顔でタカアキを褒める。
タカアキもそれで気を良くしたのか、満足げな笑顔を作る。
「じゃあ、ありがとな!」
礼を言うと、少女は路地へと走っていった。
その頃になり、タカアキへ四人の女性が群がる。
彼が連れ立って歩いていた女性達だ。
皆一様に、見目麗しい美女ばかりだ。
「いやいや、俺は当然の事をしただけだ。子供に暴力を振るうなんて、最低の事だからな」
タカアキが言うと、女性達は黄色い声を上げた。
「さすがはタカアキね。人間ができてるわ」
「本当、誰にでもできる事じゃないわよ」
女性達が口々に褒める中、タカアキは答える。
「はは、そう褒め過ぎだ。恥ずかしいじゃねぇか」
そう言いながらも、タカアキはまんざらでもない様子だった。
その時である。
取り巻きの女の一人が、視線を動かした。
向けられた先には、一人の男性がいる。
マントで身を包み、顔をフードで隠した男。
今日、町へ訪れた男だった。
目が合うと、男はその場を離れた。
夕刻。
村はずれの小屋。
かつては農家の納屋だったそこは、管理していた農家が潰れたために手入れをする者もなく荒れ放題になっていた。
陽が翳り、光の射さなくなった室内の暗闇。
その中で男は柱に身を預け、佇んでいた。
小屋の戸が外から押し開かれる。
赤い西日が小屋の中を照らした。
戸を押し開けた手は、ほっそりとした女の物だ。
そうして中に入って来たのは、市でタカアキのそばにいた女の一人である。
あの時、男と目を合わせた女だった。
戸が閉じられ、再び暗闇が小屋を満たす。
闇の中に、光が灯される。
柱に備え付けられた蝋燭立てに、ほんの少し残った蝋燭の欠片。
そこに男が魔法で火を灯したのだ。
頼りない小さな光源に照らされた男は、男性なのか女性なのかわからない中性的な顔つきをしていた。
女は男の前へ歩み寄る。
ただ少しの距離を近付くだけだというのに、女は躊躇いを覚えた。
彼へ近付くにつれて空気が密度を増すようであり、息苦しさを感じた。
居心地が悪い。
それは男が、警戒心から女へ軽い殺気を向けていたためだ。
彼女がそれを察知したというわけではないだろうが、本能的な部分でそんな相手へ近付く事に抵抗を覚えているのだろう。
結局、完全に近付く事はできず、会話をするには遠い距離から声をかける。
「やはり、あなたなのですね」
かすかな躊躇いの後、女は言葉を発する。
女に問われ、男は答えない。
「そうでしたね。高潔なる蛇と犬のワルツを以って」
女の口にしたそれは合言葉だった。
ランダムで組み合わせた三つの言葉によって、依頼人を認識する仕組みである。
今回なら『高潔』『蛇と犬』『ワルツ』がその三つの単語に当たり、それら単語を含む言葉の後に『以って』で締めくくる。
この一連の組み合わせを合言葉として、初めて依頼の契約は完了するのだ。
それが、彼の所属する組織の決め事である。
男はそれを聞き、彼女が今回の依頼者である事を悟った。
男はそこで始めて警戒を解き、女の胸中から居心地の悪さが消える。
それを以って始めて、男は口を開いた。
「リュミエルだな?」
男が訊ねると、女は頷いた。
男の声は高く、しかし女にしては低い。
そんな声だった。
容姿と相まって、その声はその者の性別を判り辛くしていた。
「あなたは?」
「不動だ」
「フドウ……召喚者?」
名前の語感から、リュミエルは訊ね返す。
その声には、かすかな警戒と不信感が含まれていた。
「そうだ。依頼の話をしよう。標的は?」
淡々と、動じる事無く問う不動。
「……はい」
リュミエルは躊躇いを抱きながらも返事をし、依頼の内容を口にする。
相手が何者であっても、彼女には彼へ頼る他なかった。
「昼間、市場で私が一緒にいた男。ヤジマ・タカアキ。彼を殺していただきたいのです。彼は、召喚者です」
召喚者は、この世界へと異世界より召喚された者達の総称だ。
地球という名の異世界よりこの世界へと召喚された者達である。
「わかった。依頼を請けよう」
不動は即答する。
何故共にいる男を殺そうとするのか。
殺したいのに何故共にいるのか。
それらの詮索を不動はしなかった。
「昼間の一件、あなたにはどう見えましたか?」
不意に、リュミエルは訊ねる。
「……」
「罰せられるべきは、あの少女です。盗みを働いた者なのですから」
答えない不動にリュミエルは続ける。
昼間の盗人少女の話をしているようだった。
「あの露天商は、自分の利益を守るために当然の事をしただけです。腕を折ろうとするのは、過剰ではありますが……。しかしそれも致し方ない事かもしれません」
リュミエルは一度言葉を切り、続ける。
「あの子が盗みを働き、あの男が助けるのは今回だけではありません」
「そのようだな」
「一度助けられてから、あの少女は積極的にあの時間のあの店で盗みを働くようになりました。たとえ捕まったとしても、あの男が助けてくれるから……。あの男は召喚者。力を持ち、そしてこの国の危機を救った英雄の一人でもある。……逆らう事はできない」
異世界より、この世界へと召喚された者は、その際に超常の力を授かる。
よって、召喚者はこの世界において偉業を成す事が多かった。
だから、あの露天商も大人しく従わざるを得なかったのだ。
リュミエルは言うと、顔を俯けた。
その声には苦悶が含まれていた。
「だから、あの露天商は盗みを働くあの少女をいつも見逃すようになった。けれど、今日は我慢できなくなったのでしょうね。手を出してしまった。それが、あの一連の出来事です」
黙って話に耳を傾ける不動。
そんな彼にリュミエルは続ける。
「哀れな子供を助ける事は確かに道徳的な事ではあります。
けれど、盗みを看過する理由にはなりません。
本当に助けたいと思うなら、孤児院を作るなり配給を行なうなり、子供が飢えぬように他の手を打つべきなのです。
あの男には腕力だけでなく、財力も権力もあらゆる力があるのですから」
語るリュミエルの言葉に、熱が篭っていく。
「でもあえてなのか、それとも手段に気付いていないのか、どちらかはわかりませんが、あの男は手を打とうとしない。行動を起こそうとしない。それは、彼の考えの根底にあるものが、道徳ではないからでしょう。ただただ、あの男は力を誇示したいだけなのです」
だから……、と口にして、リュミエルは黙り込む。
「召喚者ならよくある事だ」
不動は短く答えた。
「力を手にした人間は、力を頼りにする。それが通用するならば、通用するだけ力を行使する。そして、その力が道徳や秩序すらねじ伏せられると知る……。知ってしまえば、その欲求に抗えない者の方が多い」
今まで持ち得なかった超常の力を急に得れば、人は力に溺れる。
そうして、道を踏み外す。
人間としての道を……。
不動はこれまでにも、そんな召喚者を多く見てきた。
それを思い出すと、彼の顔はかすかに顰められた。
「あなたも?」
リュミエルは問い返す。
「さぁな。ただ言えるのは、そんな存在を排除するために僕は生きているという事だ」
彼がどのような人間なのか、リュミエルには判じる事ができなかった。
しかし、召喚者を殺せる人間がいるとすれば、同じ召喚者ぐらいのものだ。
そして、彼にはその実績があった。
信じてもいいのかもしれなかった。
「存じております。だから、依頼したのです。召喚者殺しの異名を持つ、あなたに」
リュミエルの言葉を受け、不動は彼女へ視線を向けた。
彼には、実績がある。
今まで、多くの召喚者を殺して来たという実績が……。
だからこそ彼女は、彼を呼び寄せたのだ。
「話せ。標的について、お前の知っている事を全て」
「はい」
リュミエルは頷き、タカアキの事を話し始めた。
その翌日。
昨日と同じ時間に、タカアキは市を散歩していた。
彼はいつもこの時間に、自分の情婦である美女達を引き連れて町中を練り歩く。
その中には、リュミエルの姿もあった。
タカアキは市で見知った顔を見つけると、自分なりの気さくさで声をかけた。
「よう。元気か?」
「あ、これはタカアキさん。どうも。元気ですよ」
そんな彼に声をかけられた者は、愛想笑いを浮かべて彼に応じる。
「いい町だよなぁ。ここは」
「そうですね」
「でも、もう少しでこのいい町も敵の侵攻でなくなっちまうかもしれなかった」
「ええ。そうですね」
このカルニア国は、五年程前まで他国と戦争をしていた。
タカアキは、その時に王家が召喚した召喚者の一人だった。
カルニアは、召喚者の力を借りて他国との戦争に勝利したのである。
「本当に、俺があの時この国へ呼ばれてよかったよ。俺が作ったんだ。この平和は……」
「はい。ありがとうございます。本当に、あなた様のおかげで」
タカアキは、その話を幾度もその口から吐き出していた。
時折、思い出したように語る話である。
声をかけられた者が、辟易している事は誰の目にも明らかだった。
気付かないのは、タカアキ当人だけである。
しかし、それを指摘する事は躊躇われた。
タカアキには、少しでも自分の気に入らない事があればすぐに手を出すという性分があった。
何が彼の気に障るかわからず、町人や商人はただただ彼にへりくだってやり過ごす事しかできない。
辟易するのも当然である。
たとえ彼自身に自覚がなかったとして、それでも彼の態度や話す言葉は力を持たない者達を威圧するのだ。
無自覚の示威行為であった。
その様を見て、不動は昨日リュミエルから聞いた話を思い起こす。
不動は、タカアキについてリュミエルの知る全ての事を聞いた。
それは彼の力量は勿論、性格や来歴に到るまでである。
その中でも一番先に聞いたのは、召喚者としての能力についてだ。
召喚者は、この世界へ召喚された時に特殊な能力を授かる。
それは召喚者の強さの根幹と呼べる物であり、戦う上では最も重要な要素だった。
「戦いを知らない私には、あの男がどう強いのかよくわかりません。わかるのは、彼がただただ強いという事。剣を振るう力も動く速さも、常人のものではありません。剣の腕も立ち、魔法も使える。そのどれもが強力です」
「あらゆる能力が高いという事だな」
リュミエルが頷くと、不動は瞑目して考え込む。
これは一番厄介なタイプかもしれない、と不動は思った。
召喚の際に授かる能力というのは、この世界の神によってもたらされるものだ。
この神というのは、人の作り出した形骸ではなくこの世界で確かに存在するものである。
召喚者の中には、時折転移ではなく転生という形でこの世界へ召喚される者もいる。
そんな転生者の中には、実際に神と会って能力を譲渡された者もいるという。
この世界の神は世界の外から世界を見守る存在であり、世界に直接干渉する事は無い。
しかし、例外的に外から招き入れられる召喚者に対しては、加護を与える形で干渉するのだという。
特殊能力というのは、この神の性質によって特徴が出る。
たとえば、力の神ゴドラッドの加護であるならば身体的な強さや膨大な魔力などを授かる事が多い。
今回のケースの場合。
全体的な能力に優れたタカアキがゴドラッドからの加護を受けているかについてはなんとも言えない。
身体的な能力を付与する神は、ゴドラッドだけではないからだ。
どの神の加護が作用しているか、まだ候補が有りすぎてまだわからないが。
絞り込んでいけば、ある程度まで特定する事が可能だ。
そのためにも、情報が必要だった。
「武器は何を使う?」
不動は質問する。
「剣……でしょうか?」
「持ち歩いていなかったはずだ」
市場において、彼は防具の類を一切着けず、剣の一本すら佩いていなかった。
この世界はそれほど治安が良い場所ではない。
無用心な事である。
それだけ、自分に自信があるという事なのかもしれないが。
「私も、彼が剣を使う様は長く見ていませんが……」
そう呟くように言ったリュミエルは、表情を歪めた。
痛みを感じているような、そんな痛ましい表情だ。
しかしそれも一瞬の事。
すぐにその表情を消した。
言葉を続ける。
「しかし、彼はいつも剣を持っています」
「どういう事だ?」
「彼は、何もない場所から剣を取り出す事ができるのです」
何もない場所から、剣を取り出す。
『アイテムボックス』かもしれない、と不動は思った。
アイテムボックスは、アイテム収納のための異空間を作り出す能力だ。
使用者はその空間より、自由に物品を取り出す事ができる。
その様は、知らぬ者が見れば何もない場所から物を取り出すように見えるだろう。
タカアキはそこから剣を取り出しているのかもしれなかった。
アイテムボックスの能力を授けられる神といえば、次元神ハルトコーブが真っ先に浮かぶ。
しかし、ハルトコーブに身体能力を底上げするような加護は授けられない。
タカアキ自身の身体能力が元々から高く、召喚された際にハルトコーブの加護を受けた可能性もある。
しかし、リュミエルの話によれば、タカアキは常人離れした力を持つという。
元々の能力が高くとも、人間の力など多寡が知れている。
それも、召喚者の蔓延るこの世界では、只人の優秀さなど霞んでしまうものだ。
なら、今の彼が持つ力は加護による物と考えるのが自然だ。
と、なれば、能力の強化とアイテムボックスを同時に授けられる神の加護を受けている事になる。
その二つの要素から、不動はタカアキへ加護を与える神を絞り込む。
不動は小さく息を吐いた。
一番厄介な神である可能性が高かった。
まだ確定ではないが、これからはその神の加護を受けている事を前提に殺し方を考えるべきだろう。
「そうでした」
リュミエルが声を上げる。
「戯れに、何度か剣を出した事があるのですが……。その時に言っていました。「この剣がある限り、俺は無敵だ」と」
市場にて。
タカアキは、昨日と同じく剣を持っていなかった。
彼は今、昨日騒動を起こした露天商と話をしていた。
「もう、悪い事するんじゃねぇぞ」
「はい。昨日はすみませんでした」
露天商が素直に謝った事に満足したようだった。
タカアキは店から離れる。
そして、ある場所へ目を惹き付けられた。
市の一角に、人だかりができていたのだ。
「なんだ、あれ?」
「さぁ、何でしょうね。あそこは確か、行商人が店を出すための場所だったと思いますが」
誰にともなく呟いたタカアキの言葉に、リュミエルが答える。
「行商人か。何か、珍しいもんでもあるのかね」
タカアキは興味をそそられ、人だかりへ進んでいく。
「道を開けてくれ」
声をかけて、人だかりへ強引に分け入る。
押されて不快そうな表情をした男が、その相手がタカアキだと知って青ざめた顔をする。
人だかりをものともせずに進むタカアキに気付いて、人だかりが分かれて道ができた。
そうしてあらわとなったのは、リュミエルの言った通り。
その店は行商人の露店だった。
露天は紫の絨毯に品を並べただけの簡素なものではあったが、並べられた品々はこの辺りではおいそれと見られないような珍しい物ばかりである。
そして何より気になるのは、店主が黒髪で童顔の可愛らしい少女である点だろう。
異国の品の物珍しさとその少女の愛らしさに惹かれたのか、店の前には多くの客がいた。
少女自身も愛想がよく、笑顔で引き立てられた彼女の可愛らしさには強い魅力が感じられた。
可愛い子だな。
とタカアキは思う。
ついでに、あわよくば彼女も自分のものにできないか、とも……。
顔を見てすぐにそう思えるほど、少女は魅力的だった。
よし。
彼女も俺の虜にしてやろう。
タカアキはかすかな逡巡の後、決心する。
それは彼にとって簡単な話だ。
いつも通り、自分の力を見せてやれば女なんて簡単に手に入る。
女は強い男に惹かれるものだ。
それがどんな部分であっても、強ければ強いほど女はそこに惹かれて寄ってくる。
今までもそうだった。
彼のそばにいる情婦達は、みなそうやって手に入れてきたのだから。
その自信があってこその決心である。
タカアキが近付くと、露天商の少女は屈託のない笑顔で彼を出迎えた。
「いらっしゃいませ」
「ああ。初めて見る顔だな。何を売っているんだ?」
「ここに並べられますは、私が異国の物は東方西方あらゆる場所へ赴き、吟味吟味を重ねまして揃え揃えた逸品ぞろい。しかしながら異国の品は勿論の事、召喚者より譲り受けた異世界の品まで取り揃えました珍品ばかりにございます」
少女はケレン味のある声で韻を踏んで口上を述べた。
その小気味の良い声は、聞いていて楽しい気分になる。
確かに。
そう言われて見ると、絨毯に並べられた商品にはタカアキが元居た世界の品が混じっていた。
ボールペンや耳かきなどがある。
「え……」
タカアキが商品を見ていると、リュミエルが声を漏らした。
どこか困惑した声音だ。
「なんかあったか?」
「え、いえ……。何でもありません」
「そうか」
タカアキはリュミエルから、露天商へ視線を移す。
「これ、ボールペンだな」
「ご存知なのですか?」
露天商は若干の驚きを含んだ声で訊き返した。
「ああ。俺の世界にあった品だ」
「というと、もしかしてあなたは召喚者様なのですか?」
露天商は明るい声で訊ね返す。
その目には好奇心を映し、それを満たそうと問い掛ける表情はさながら猫のような愛らしさがある。
その表情を向けられたタカアキが、さらに彼女の興味を引き出したいという欲求を覚える程度に。
それは魅力的なものだった。
「そうだ。俺はかつて、この国を守るために召喚されたんだ」
「え、そうなのですか?」
「タカアキって言うんだが、知らないか?」
「なんと! タカアキ様! 知っています! この国を救った英雄の中の英雄ではないですか!」
露天商は今までで一番の驚きを見せた。
とても興奮した様子で声を上げる。
「この国に来た時は、英雄の一人にでも会えれば幸運と思っていましたが。まさか、最高の英雄に会えるとは思いもしませんでしたよぅ」
露天商は過剰なほどに驚き、その様はタカアキの自尊心をおおいに満足させた。
「あ、そうだ。お近づきの印に、これをお受け取りください」
そう言うと、露天商はひとつの果実をタカアキへ渡そうとした。
タカアキは、何の躊躇いもなく果実を手に取ろうとする。
が、タカアキがそれを受け取る前に露天商は手を止める。
「と、思いましたけど。これはダメですね」
「何で?」
「これはとても美味しい木の実なんですが……。実はこれ、微少ながら毒があるんです。本当なら、解毒効果のある薬草と一緒に食べるものなんですけど、薬草を切らしてしまって」
「それなら大丈夫さ」
答えると、タカアキは露天商の手から木の実を奪った。
そのまま齧る。
「ああ!」
咄嗟の事に、露天商は驚きの声をあげる。
その間にも、タカアキは果実をしゃりしゃりと咀嚼した。
そのまま嚥下する。
「確かに、美味しいな」
「え、それはどうも……。っていうか、大丈夫なんですか?」
露天商は心配そうに訊ねる。
「大丈夫さ。だって俺は、解毒の魔法が使えるからな」
タカアキが答えると、露天商はホッと胸を撫で下ろした。
「もう、驚かせないでくださいよぉ」
「いや、すまんな」
緊張が解けた露天商は笑い、タカアキも自然と表情を綻ばせた。
それからしばし談笑を続け……。
「じゃあな」
「はい。もうしばらく、ここでお店を開きますのでまた見に来てくださいね」
「もちろん。毎日来てやるよ」
そのやり取りを最後に、タカアキは去って行った。
そんな彼の背中を見る露天商の目が、冷徹な輝きを放った。
夕方、町外れの納屋。
リュミエルがそこへ訪れると、中では不動が前と同じように佇んでいた。
「今朝は驚きました」
開口早々に、リュミエルは言う。
「まさか、女の露天商に変装しているなんて」
今朝、タカアキと知り合った露天商。
その正体は不動だった。
元々中性的な顔立ちをしていた不動は、女装をしても特に違和感がなかった。
だからこそ、彼が暗殺の手段として女装する事は珍しくない。
使える手段を出し惜しみしていては、召喚者を狩る事などできないのだ。
ただ、リュミエルは女装以上に彼の演技力に驚いていた。
昨日の表情豊かに笑う少女と今の無愛想な暗殺者の表情が重ならない。
同じ顔だというのに、別人のような印象を受けた。
だからあの時も、すぐには気付けなかった。
いや、あれは気付かされたのかもしれない。
リュミエルが不動の顔を見ていた時、不動は一瞬だけ表情を消した。
それを見なければ、最後まで気がつかなかっただろう。
「女好きである事は、昨日聞いていたからな。面識を持って近づければ、と思った。それに、いろいろと確かめておきたい事があった」
「あれで、何がわかったんです?」
不動は少し間を置いてから、口を開く。
「相手の能力だ。まず、彼は僕の正体に気付けなかった。だから、鑑定スキルを持っていない、もしくは持っていたとしても普段から使う癖がない事がわかる」
「鑑定スキル?」
「召喚者の中には、時折いる。一目見ただけで、人物の来歴や素性、物品の用途や価値を見抜く能力を持った人間が。その能力が、鑑定スキルだ」
もし、タカアキが鑑定スキルを使ったとすれば、不動の女装はすぐに見破れただろう。
しかし、タカアキに気付いた素振りはなかった。
持っているが使っていないという可能性もあるが……。
鑑定能力を持つ者は、だいたいがその能力を習慣づけるものだ。
だから、まず持っていないと判断していいだろう。
「次に、毒への耐性の有無。稀に、毒を常時無効化する能力を持つ召喚者がいる。タカアキがその能力を持っているか調べたかった」
「だから、毒のある果実を?」
リュミエルに問われ、不動は頷く。
「実の所、あれに毒は無い。あわよくば毒への対応策を知れれば良いと思って、そう言った。そのかいはあったな。常時無効化する能力はないが、毒に対する回復手段は持っているようだ」
「どちらにしろ、毒は効かないという事ですね」
「いや、一切効かない事と回復手段を持ち合わせているという事は別物だ。わざわざ回復しなければならないという事は、少なくとも毒自体は効くという事なのだから。……念のために訊いておくが、あいつは酒で酔う事があるか?」
「ありますよ。正体を無くすほどに」
「なら、間違いなく毒は効く。酒もまた、毒の一種だからな」
酒に酔うという状態は、アルコールの毒に当てられた状態だ。
適度な毒を体に取り入れる事で、その不調を楽しむというのが酒の効能だ。
それを証拠に、解毒の魔法を使うと酔いは醒める。
リュミエルが言うのなら、あの言葉がフェイクではないという事だ。
実の所、不動は自分の見立てに関して疑いを持っていた。
相手が自分を欺いている事を警戒しての事だ。
鑑定スキルについても、毒物の有効性についても、相手が気付いて欺いている可能性はあった。
自分以上の存在など、いくらでもいる。
それは能力的な部分に関してでもあり、知能的な部分でもある。
そもそも、召喚者というのは自分より強い者ばかりだ。
自分より弱い者などいない。
そんな連中を相手とするには、慎重に慎重を重ねても足りないのだ。
だが、リュミエルの証言からタカアキが嘘を吐いていない事がわかった。
あのタカアキという男は周囲への警戒心が薄いようだ。
自身の力への自負が強いという事だろう。
ならば、相手としてはまだ楽な方だ。
どれだけ強力な能力を有していても、使う人間がお粗末であれば付け入る隙は十分にある。
「しかし、毒で殺すというのは難しい。無効化はできなくとも、耐性を持っている可能性がある。即死させるような毒でも即死せず、その間に解毒の魔法を使って命を永らえる事は十分に考えられる」
「ならばどうするのです?」
「殺す方法なら、いくらでもある。毒に限らず、な」
そう。
どんな者にも、殺すための手段はある。
だが、今得ている情報だけではまだタカアキへ手を出せない。
少なくとも、相手の能力について把握できなければ……。
「能力について、訊いてくれたか?」
リュミエルに問う。
昨日の内に、不動は探りを入れるよう彼女に頼んでいた。
「はい。ですが、はぐらかされました。秘密だ、と」
流石に、警戒しているか。
露天商として会い、聞きだすという手も使えない。
情婦であるリュミエルにすら内密としている事を他人に話す事はないだろう。
今はまだ、タカアキへ手を出せない。
しかし、知るためには一度仕掛ける必要があるかもしれない。
できるなら不用意に仕掛け、相手に警戒心を持たせたくないが致し方ない事だろう。
その日のタカアキは、一人で酒場へ繰り出していた。
高級なぶどう酒をがぶがぶと飲み、気分がよくなると店の客全員へその酒を奢った。
客達は彼の豪気さを口々に賞賛する。
その歓声の中、タカアキは満足そうに笑った。
しかしそれらの酒代は、全て国からの支給金として支払われているものである。
酒代のみならず、タカアキの使う諸経費は全て国の負担で賄われていた。
それは前の戦争で活躍したタカアキへの恩賞という形ではあるが、彼をこの国へ引き止めるための配慮でもあった。
タカアキは、前の戦争で召喚された召喚者達の中で最も強かった。
そんな彼が国への不満から、敵国へ流れる事だけは避けなければならない。
だから、カルニアはタカアキを多額の支給金で繋ぎとめているのだ。
それでも国の中枢でなく、国境沿いの町へ置かれているのはその扱いにくい性格が起因しているのだろう。
不動はその酒場の入り口が見える路地の影へ隠れ、そこから人の出入りを伺っていた。
この数日、不動はタカアキに張り付いて動向を探っていた。
それでわかったのは、タカアキは気まぐれに毎日を過ごしている男であるという事だ。
一日を自分の好きなように過ごし、不意にやりたい事を思い立っては行動に移す。
町へ当て所なく繰り出す事もあれば家で過ごす事もあり、情婦の誰かと一緒にいる事もあれば、一人で行動する事もあった。
その一人になる時間を、不動は狙う事にした。
しかしただ闇雲に、一人になった時を狙うわけではない。
仕掛けるためには、さらに入念な準備を行なった。
それは場所であり、装備である。
不動は、この襲撃でタカアキの殺害も念頭に置いていた。
相手にこちらの行動を悟られない内に、全てを完了させる事が不動の理想である。
でなければ、返り討ちに合う可能性が高まるからだ。
だから、相手に気付かれるかもしれない危険を冒す以上、殺害も考慮に入れるべきなのである。
方法はボウガンによる狙撃だ。
このボウガンに装填された矢の先は、一般的な矢尻の形をしていなかった。
返しのない小さな剣を思わせるブレード状となっている。
そのブレードには、特殊な白いインクによって奇妙な紋様が描かれていた。
これは死の神デルギーネを表す紋様である。
ブレードへ紋様を記す事で、デルギーネの加護を矢へ付与するための物だ。
神は基本的にこの世界へ直接干渉する事はないが、ある種の儀式と紋様を施す事でわずかばかりながら力を顕現させる事ができる。
施された紋様の神デルギーネ。
死の神であるデルギーネの加護は、まさしく相手へ死を与える事である。
即死させるほどの力を発揮する事はできないが、これにつけられた傷は回復魔法を以ってしても治らなくなり、その上傷口より生気を奪う。
症状を治すためには傷付けられた幹部を抉り取るか、生の神リクルオルの神殿で大規模な儀式を行なう他ない。
これはどのような神の加護を持つ召喚者であっても有効な手段だ。
デルギーネは、不死である神という存在にすら死をもたらす力を持ち、だからこそ他の神々はデルギーネを忌避するのだ。
例外があるとすれば、デルギーネ自身とデルギーネの加護を受けた転生者のみ。
ここで転生者のみと断じるのは、デルギーネが召喚者に加護を与えないからである。
デルギーネが加護を与えるのは、一度死を経た者だけ。
つまり、転生によってこの世界へ来た者だけなのである。
しかも、デルギーネの力によって転生した者は、デルギーネの眷族たる不死の存在となる事が多いらしい。
スケルトンやグール、死霊、ヴァンパイアなどである。
そのため、召喚者であるタカアキに対してならこの矢は必ず威力を発揮する。
紋様を施したこの弓矢は、相手へ死を届ける死神の一撃となりえるのだ。
とはいえ射程距離はスナイパーライフルなど、現代武装のそれに遠く及ばない。
このボウガンであるならば、飛距離や威力、矢の命中精度などを考えてもそう遠い距離から狙う事はできない。
遠くとも十メートル程度の距離が現実的な狙撃距離だ。
そして、失敗する事は十分に考えられた。
そのため、失敗時の逃走経路、さらに逃走失敗に際して起こるであろう戦闘での対処。
それらの準備を過剰なまでに行い、綿密に計画を立てた。
そして、この日。
酒場より帰るこの時が、絶好の好機だと判断した。
酒に酔い、気を良くして帰る時。
その背中を狙い撃つのである。
不動は一人、タカアキが出てくるのを待った。
タカアキが店に入って二時間が経つ頃、彼は店を出てきた。
彼の頬は酒気によって火照り、赤く染まっていた。
鼻歌交じりに歩き、帰途へ就こうとする。
酒場から道路へ出て、歩き出す。
しばらく歩き、不動から距離が開いていく。
不動は路地から身を乗り出した。
ボウガンでタカアキを狙う。
不動は、自分が確実に標的を狙え、なおかつ逃げやすいようにできるだけ相手との距離が開くのを見計らい、ギリギリで矢を射た。
矢は夜風を切り裂き、まっすぐにタカアキの後頭部へ迫った。
矢のブレードが、タカアキの後頭部へ直撃した。
「あ?」
タカアキは、間の抜けた声を出した。
矢の当たった後頭部を撫でる。
「なんだぁ? クシュンッ! ああ、寒みぃ」
不機嫌そうな声を出して周囲を見回した彼だったが、思わぬくしゃみでそのまま不機嫌さも忘れてしまったらしい。
頭に当たった物の正体も意に介さずそのまま歩いていった。
弓矢は刺さらなかった。
恐らく、痛みも感じていない。
せいぜい、何かに押された程度しか感じていないだろう。
タカアキが道の先へ姿を消すと、不動は弓矢を回収してその場を後にした。
リュミエルに訊いてみないとわからないが、恐らく弓矢によってタカアキは負傷していない。
負傷させなければ、死の神の加護も意味がないだろう。
暗殺は失敗である。
しかし、それによって重要な事がわかった。
それは、彼に加護を与える神についてである。
不動の使うボウガンには、人の頭部ぐらいならば易々と貫通するだけの威力がある。
なのに当たっても傷一つつかないというのはおかしい。
物理法則を無視した不可思議な現象だ。
その現象から考えるに、ある特殊な力が作用した事がわかる。
その能力を持つ神の候補は二柱ある。
偽神マンデルコアと鍛冶の神エンデリアだ。
この二柱には、共通する能力がある。
それはあるものを欺く力だ。
何かを欺く力というのは偽神マンデルコアの領分である。
しかし、この二柱は兄妹関係であるため同じ能力を持っているのだという。
この欺く力だが。
人を欺くだけの力ならばそれほど脅威では無い。
しかし、欺く対象によってはとても恐ろしい能力となる。
その対象とは世界の理。
つまり、世界を欺く力である。
世界を欺く力というものは、具体的にどういうものか。
世界を構成するあらゆる法則や摂理を捻じ曲げ、本来ならばあり得ない現象を発現、もしくは付与する力である。
たとえば、マンデルコアの加護にはレベルやパラメータの概念を人に与えるというものがある。
これはRPGゲームなどにあるレベルアップという概念を世界に反映する能力だ。
この能力を与えられた者は自分のステータスを記したメニューを開く事ができ、数値化された自身の身体能力を閲覧する事ができる。
この数値だけならばただの数字でしかないが、マンデルコアはその数値を世界へと実際に介入させる力がある。
これは世界を虚構で欺くという偽神の能力によるものだ。
このパラメータの数値はレベルアップによって上昇し、数値が高ければ高いほど身体能力も高まる。
たとえば力のパラメータが高ければ見た目が華奢な人間でも怪力を発揮するなどの常識では考えられない現象を起こせる。
つまり、身体能力に数値分の補正を受ける事ができるのだ。
タカアキに矢が刺さらなかったのも、防御に関連した能力が高かったためだろう。
刃の通る余地すらないほど、彼の防御力は高かったのだ。
だから、タカアキに加護を与えた神は偽神マンデルコアである可能性が高い。
他にもマンデルコアの能力者は、それぞれ詳細な仕様こそ異なるが様々な特殊能力をスキルという形で取得できる。
本来なら地道に覚えなければならない魔法などの技術も、メニューにおける操作で簡単に得る事ができるのだ。
アイテムボックスの能力もそうだ。
ハルトコーブが実際に異空間を作り出すのに対し、マンデルコアは世界を欺く事で付与する事ができる。
それどころかハルトコーブのみならず、世界を欺く事で数多の神の権能を授ける事すらできる。
加護の中ではこの神ほど種類が多岐に渡り、厄介なものはない。
チート使い。
不動は心の中で呟く。
予感はあった。
ただただ強いというリュミエルの証言。
これはチート使いの特徴を捉えたものと言える。
このタイプの召喚者の特徴は、弱点らしい弱点を持たない所にある。
全体的に満遍なく強く、しかし凡庸ではない。
全ての能力が尖った強さを持っている。
しかし、一概にそれだけとも言えず、多様性もある。
取得スキルなどによって、戦い方は大きく変わってくる。
共通する事と言えば、ほぼ弱点がない事。
それでもあえて弱点として挙げるとすれば、レベルが上がるまではそれほど強くないという所だ。
1レベル程度ならば、それこそ平凡な一般人と変わらない。
だが、育ちきってしまえば殺す事は困難だ。
人を小指で軽く持ち上げ、ドラゴンすらも容易く殺す。
不動は小さく息を吐いた。
タカアキがチート使いだとして、そのレベルはどうなのかわからない。
ただ、戦争で活躍した男だ。
決して低くないだろう。
戦争という経験を得て、運よくレベルを上げていったという所か。
そんな彼を殺すには、今の装備では難しいかもしれない。
「世界を騙す詐欺師め……」
彼の口から呟かれたその声には、抑え切れない憎しみの色があった。
彼もまた、リュミエルと同じである。
行動の根底には、感情があった。
召喚者は、チート使いに限らず不動にとってあまりにも強大な相手だ。
それでも彼がそんな相手に挑むのは、彼にもまた憎しみがあるからだった。
絶対に勝てないと判れば、不動は躊躇いなくこの地を去るだろう。
しかし、そのまま諦める事はない。
少しでも勝てる見込みがあるのならば、決して諦めない。
一度標的に定めたならば、不動はどんな手段を使ってでも召喚者を殺す。
彼の信念が、そうさせる。
だが、今回はまだ殺せないと断じてしまうべきじゃない。
まだ、タカアキの能力の正体が明らかとなったわけではないのだから。
殺せない人間など、この世には決していない。
何か方法があるはずだ。
どれだけ強大な相手でも、必ずどこかに付け入る隙がある。
その隙の手がかりを探し、不動は考えを巡らせる。
ふと、引っ掛かる事があった。
あれはどういう事だったのだろう。
「この剣がある限り、俺は無敵だ」
リュミエルによれば、タカアキはそう言ったらしい。
しかし、彼自身が高いパラメータを有しているなら、「剣がある限り、無敵だ」なんて事は言わないはずだ。
この言葉を信じるならば、彼の力は剣に依存している可能性が高い。
剣と言えば、鍛冶の神エンデリアだ。
この神もまた、世界を欺く力を持っている。
ただこれは、人に対してではなく、無機物に対してのみ付与される力だ。
エンデリアの加護を受けた召喚者は、物作りの力を得る。
その力を与えられた召喚者は、自分の造物にパラメータや特殊スキルを組み込む事ができる。
所謂、付与能力だ。
仮に、タカアキがエンデリアの加護を受けているとしよう。
だがそれで強い剣を打てたとしても「無敵」と豪語するにはまだ足りない。
平和な日本で育ったであろう男が、質の良い剣一本だけを頼りに生き抜けるほど戦場は甘くない。
弓矢による攻撃を攻撃として気付けなかった時点で、戦いの巧者でない事は明白だ。
彼がチート使いだとすれば、低レベルの間に戦場を生き抜けたのはおかしな話である。
それらの点を考慮するに、タカアキはマンデルコアやエンデリアとは別の特殊能力系の加護を受けているようにも思える。
パラメータ保有者特有の現象を目の当たりにして、チート使いだと思ったが……。
実際の所は、違うのかもしれない。
チートとは別の、すぐに強さを発揮できる能力を彼は持っているのかもしれなかった。
タカアキの能力についてはわからない事だらけだ。
わかるとすれば、タカアキのような警戒心の薄い愚鈍な男でも戦場で英雄になれるほど、その能力は強いという事である。
彼の持つ、絶対の自信は自らの能力に対するものに違いない。
他の者では決して抗えない絶対的な力。
それに対する自負だろう。
それがあるから、あの男は傍若無人な有様を隠そうともしないのだ。
なら、やはりタカアキの能力はチートではないのか?
だが、弓矢を防いだ力はパラメータ特有の現象でもある。
この矛盾はどういう事だろう?
チート系のようでも、特殊能力系のようでもある。
これは何なのだろう?
思えば今まで、タカアキがスキルを使っている様子も無かった。
毒への対処法も、彼の言葉を信じれば魔法によるものだ。
しかし、パラメータを有している事も間違いない。
でなければ、弓矢を防ぐ事ができない。
チート使いだと仮定するとして。
高レベルのチート使いは、あらゆるスキルを持っているものだ。
それも死に繋がるような攻撃を防ぐスキルは、早い内に取得するため必ず持っているといっても良い。
毒の無効化など、持っていない事の方が珍しい。
だから不自然だ。
パラメータはあるのに、スキルはない。
どういう事だ……?
もしや実際はスキルを使えるが、無効化系のスキルは持っていないという事なのか?
だとしても奇妙な事に違いはないが。
……いや、待て。
不動は、ある一つの可能性に気付いた。
これがエンデリアの加護であるとして考えれば、不自然ではない。
世界を欺けるもう一柱の神、エンデリア。
この神の加護を受けた者は、パラメータとスキルを有した武器を作れるようになる。
そして、無機物が毒で死ぬ事はない。
そのため、造物にスキルを付与するにしても毒の無効化などを付与する必要はないのだ。
だから、パラメータを持ちながら毒の無効化スキルを持っていなくとも不自然ではない。
しかし、それがタカアキの能力にどう関係しているのか?
エンデリアの付与能力は、造物にのみ発揮されるものだ。
剣がある限りは無敵、か。
その考えに至る理由は……。
エンデリアの加護が、タカアキ自身に付与されているのだとすれば……?
不動は一つの可能性に思い至った。
夕暮れ、リュミエルが小屋を訪ねてくる。
リュミエルは、経過を聞くために毎日不動のもとを訪れていた。
依頼者が、請負人と頻繁に接触を持とうとする事は珍しい。
暗殺の依頼と言う後ろ暗い行為は忌避されるべきものであり、それから目を背けたがる人間の方が一般的であるからだ。
さながら彼女の行動は、標的の死を待ち望んでやまないというようでもあった。
しかしそのような思惑があったとしても、彼女の態度にはそれらしい熱が感じられなかった。
少なくとも、表には出ていない。
「進捗は?」
「目処が立ちそうだ。まだ、確かめておく事はあるが」
「そうですか」
事務的に言葉を交し合うと、リュミエルと不動は口を閉ざした。
普段なら、やり取りを終えればすぐに帰る所だ。
しかし、その日のリュミエルはすぐに帰らなかった。
何かをするでもなく、二人は佇み続けていた。
小屋の中に静寂が満たされる。
鳥の鳴く声も、風の音もない。
二人の息遣いが聞こえる程の静けさ。
その沈黙に耐えられなかったわけではないだろう。
しかし、リュミエルは口を開く。
「あなたは、聞かないのですね」
「何を?」
「何故、あの男を殺して欲しいのか……」
「依頼があれば殺す。特にそれが召喚者であるなら、なおの事」
暗に、動機に興味は無いと不動は答えた。
「あなたも、召喚者に恨みを持っているのですね」
「……個人への恨みはもうない。ただ、召喚者はこの世界にいるべきじゃない。そう思っているだけだ」
「使命感、なのですか?」
再びの沈黙があり。
それを破ったのは、今度もリュミエルだった。
「私は、恨んでいますよ。あの男を……」
不動は答えない。
「私の住んでいた場所は、ここからそう離れていない小さな村でした。国の手も十分に届いていない場所で、近くに盗賊団が住み着いてしまえば抗う術はなかった。だから無常な略奪にも抵抗せず、ただ言われるままに金品と食料、若い女を差し出す事しかできなかった」
黙りこむ不動に、リュミエルは淡々とした口調で語る。
「私は、幼馴染と一緒に盗賊団へ差し出されました。お互い、婚約者のある身で……。婚約相手は最後まで抗おうとしてくれて……。だからあの日、偶然訪れた召喚者に私達を助けて欲しいと頼んだ」
盗賊のアジトに連れられてきて、そう時間の経っていない時だった。
自分の未来を想像し、そのあまりにも希望のない展望に心を不安で占められ……。
リュミエルは幼馴染と共に、ただただ震えていた。
ほどなくして自分達を捕らえていた檻に盗賊の一人が訪れ、盗賊団のボスの所へ連れられていく事となった。
これから辱められるだろう事は想像に難くなく、一歩ずつそこへ近付くたびに恐怖は肥大し、絶望は深くなっていった。
もはや貞操は守れないだろうという諦観を抱きながら、それでも婚約者の名を心で呼び続けた。
たとえ望みは薄くとも、愛する者へ縋らずにはいられなかった。
そして部屋へ辿り着く。
そこには大柄の男が待っていて、二人の女性を前にいやらしい笑みを浮かべていた。
そんな時だった。
部屋の中へ、三人の男が駆け込んできた。
先頭に立つ男は見た事もない男で、手には剣を持っていた。
そしてその後ろには、二人の婚約者。
自分の婚約者を見つけたリュミエルは、小さな安堵を覚えた。
助けに来てくれた事が嬉しかった。
婚約者は、偶然村へ訪れた召喚者に自分達の救出を頼んだのだ。
その召喚者こそが、タカアキだった。
そのタカアキは恐ろしく強く、襲い来る盗賊達を難なく殺しながらここまで来ていた。
彼らの後ろに見える通路では、殺戮の痕跡が垣間見えた。
タカアキは盗賊のボスもあっさりと殺した。
その時になって、リュミエルは心底から安堵した。
心の絶望が晴れるのを感じた。
自分達は助かったのだ。
リュミエルは婚約者に駆け寄ろうとし……。
しかし、その行く手を一本の剣に阻まれた。
タカアキの剣が、リュミエルと婚約者の間に割って入った。
「悪いが、彼女達を渡す事はできない」
「どういう事だ?」
召喚者の言葉に、困惑する二人の婚約者。
「わからないのか? お前達は、一度彼女達を捨てたんだよ。我が身可愛さに、盗賊達へ差し出したんだ。なのに、今更虫が良すぎるぜ」
「誰が望んでそんな事をするものか! だからこそ、助けに来たんじゃないか」
「俺が助けなけりゃ、それもできなかったじゃねぇか。お前達はまた盗賊が襲ってきたら、また同じ事をするだろう。弱いお前達のそばにいても、彼女らは幸せになれない。だから、渡せないって言ってるんだ」
「ふざけた事を言うな!」
タカアキの言い様に腹を立て、幼馴染の婚約者が掴みかかる。
しかし、その手が届く前に召喚者の剣が閃いた。
幼馴染の婚約者が、胴体を斜めに斬られて真っ二つになる。
「な、貴様!」
リュミエルの婚約者が叫びを上げる。
と同時に、再び剣が閃く。
彼の頭が、宙を舞った。
「え?」
リュミエルの口から、気の抜けた声が漏れる。
彼女は今見た光景をすぐに理解できなかった。
あまりにもあっけなく婚約者を殺された事実は、受け入れがたく……。
それもあって、彼女はしばし呆然と立ち竦んだ。
理解し、感情が追いついた頃。
「なにするの! あなた、どうして殺したのよ!」
リュミエルの幼馴染は、激昂してタカアキへ掴みかかった。
そんな彼女の頬をタカアキは手の甲で張った。
倒れこむ幼馴染。
「落ち着けよ。攻撃してきたんだ、自業自得だろうが」
タカアキは悪びれた様子もなく答える。
リュミエルの見える前で、俯く幼馴染。
垂れた髪で顔は見えなかったが、ポトリと雫を落としたのが見えた。
血ではなく、透明の雫。
それは彼女の流した涙だ。
次の瞬間、幼馴染は盗賊のボスが取り落とした剣を拾い、タカアキへ斬りかかった。
「殺してやる!」
「ちっ、何なんだよ」
タカアキは言葉を吐き捨てるのと同時に、幼馴染を斬った。
幼馴染の持つ剣は斬り折られ、そのまま抜けた一閃は彼女の胸元を裂いた。
血が、派手に噴き出した。
赤い飛沫が視界を染める。
「こいつら、クズだな。せっかく、助けてやったのに。恩を仇で返しやがって」
そんな中、タカアキは吐き捨てる。
リュミエルはその時に理解した。
この男は、本気で言っている。
自分の言っている事は全て正しいと思っている。
だから、容赦がないのだ。
他を尊ぶ気がないのだ。
罪悪感など微塵もなく、自分の正当性を微塵も疑っていない。
自分が正しいと感じた事であるならば、どんな非道もまかり通ると思っている。
この男には、道理が通じないのだ。
リュミエルはそう理解した。
タカアキに目を向けられたリュミエルは、恐怖に震えた。
自分も、殺される。
そう思った。
それが恐ろしくて……。
「あ、ありがとうございます。助けて、くださって」
震える声で、感謝の言葉を述べた。
「あなたさまのおかげで助けられました」
凄惨な光景を前に、それでも笑顔を浮かべた。
凝り固まった表情を無理やり変えて笑みを作り、リュミエルは感謝の言葉を並べ続けた。
助けられた礼を言い、タカアキのした事の正当性に賛同し、婚約者達の非情さを詰り、幼馴染の恩知らずさを責めた。
それは命乞いに等しかった。
ただただ助かりたくて、思いつく限りにタカアキを褒め、自分の大事な人達を貶めた。
するとタカアキは満足そうに笑った。
それ以来、リュミエルはタカアキに気に入られ、ずっと一緒にいる事となった。
拒否すれば殺されるのでは無いか、と思えば彼から離れる事はできなかった。
彼に求められれば、体を開く事も拒めなかった。
臆病さのままに、彼女は憎い相手と過ごし続けた。
タカアキは強く、彼のそばは安全だった。
何の不自由もない。
だからと言って、幸せを感じる事などない。
心には平穏などは無い。
命を永らえられた時こそ、リュミエルは少しの喜びを覚えた。
しかし、そうして得た人生が続くほど、罪悪感に苦しむようになった。
心が死んでいく。
リュミエルには、その日々がそう感じられた。
リュミエルは、自分が臆病な人間である事を自覚していた。
今、生き永らえた自分を悔いていたとしても、あの時と同じ事があれば自分はまた同じように生き永らえようとするだろう。
自分はそんな人間だと、リュミエルは自覚していた。
しかし、その事実を正当化して肯定するには、彼女の心は善良すぎた。
なんと卑劣で矮小な人間だろうかと自らを責苛み。
恨む相手を殺す事もできず、それどころかそんな相手に縋って生きている。
そんな自分がこの世の何よりも汚らしく思えてならなかった。
心の苦しみは強くなり……。
あらゆる事に、耐えられなくなりつつあった。
そんな時に、彼女は知ったのである。
召喚者殺しを生業とする暗殺者の事を。
「恨み……いいえ、罪滅ぼしでしょうか。いいえ、そう思いたいだけでただの自己満足……。私は、免罪を得たいだけなのかもしれません」
リュミエルは目を伏せた。
「私のした事は、そんなもので許される事ではないでしょう。けれど、これだけが臆病な私にできる唯一の報い方で……。だから、殺してください。あの男を……」
リュミエルの訴えに、不動は答えなかった。
そのまま何も語らないかに思えた不動だったが。
しばしの間を置いてから、口を開いた。
「使命感かと訊いたな? それは違うだろうな。恨みの矛先が、個人ではなくなった。それだけだろう」
どのような意図をして、不動がそう言ったのかはわからない。
本意なのか、もしくは彼なりの慰めだったのか。
その確かな答えはついに語られる事はなく、彼はそのまま黙り込んだ。
市場にて、不動は露天商としてタカアキを待った。
その目論見通り、タカアキは店へと現れた。
その日のタカアキも、いつも通り情婦達を引き連れていた。
「これはタカアキ様」
不動はタカアキへと惜しみなく愛想をふり撒いた。
女装した不動は歳相応の少女にしか見えず、それも魅力的な部類に入る。
そんな彼の笑みが、自分へ対して向けられているとなればタカアキは思わず相好を崩してしまう。
そんな様子をタカアキから半歩ほど退いて見やっていたリュミエルは、不動の演技に感嘆を覚えた。
不動だとわかっているのに、別人に思えてしまう。
不動はここ数日で巧みな話術を以ってタカアキの自尊心をくすぐり、彼の自分に対する好感を積み重ねさせてきた。
その試みは功を奏し、タカアキの不動に対する好意は並々ならぬものとなりつつあった。
しかし、これだけ不動という魅力的な女性と仲良くしていても、情婦達は何も行動を起こそうとしない。
それは、リュミエルは勿論の事、他の情婦達もだ。
自分へ向けられるべき愛情が他の女性へ取られてしまうというのは、おもしろくないものだ。
それでも何も言わないのは、彼女達のタカアキへ対する感情が見せ掛けだけだからなのかもしれなかった。
もしくは、タカアキの怒りを恐れての事か……。
今日もまた連日の通りに不動の心地良い言葉へ耳を傾けていると、不意にこんな事を言われた。
「そう言えば、タカアキ様は剣をお使いになると聞きました」
「へぇ、よく知ってるな」
「そりゃあ、有名な方ですから。それで、お使いになっている剣がたいした業物だという話で。できれば拝謁願いたいと思うのですが……」
不動は上目遣いに、愛嬌のある表情で願った。
さながら懇願するかのような態度が、タカアキの自尊心をくすぐる。
「ふぅん、どうしようかなぁ」
もったいぶってタカアキは不動を流し見る。
「お願いしますよぉ」
なおも懇願する不動に、タカアキは満足を得た。
「仕方ねぇなぁ。ほら」
タカアキの手が差し出される。
彼の手には、何も握られていない。
しかし次の瞬間。
さながら、何もない空間から突如として現れたように、剣はタカアキの手へ握られていた。
「おお、これですか! 手にとって見ても?」
「いいぜ」
少しの警戒でも見せるかと思われたが、タカアキはあっさりと不動へ剣を渡した。
笑顔で受け取る裏腹に、不動はじっくりと余す所なく剣を観察する。
一目見てわかるほどの名剣だった。
握りから切っ先までこしらえはしっかりとしており、刃も鋭い。
最小限の意匠は質素でありながら、作った者の腕の良さを示すように精巧だ。
若干の魔力を帯びており、何かしらの特殊な力を有している事は間違いない。
良い剣だ。
しかし、それ以上の事は見ただけでわからない。
その伺い知れない部分に、タカアキの強さの秘密があるのだろうか。
「良く斬れそうな剣ですね。どんなものでも斬れそうです」
何かしらの情報を得られないか、と不動は剣を褒めた。
すると、タカアキは不動の意図を汲み取ったかのように答える。
「そりゃそうさ。だってそれは、カンストしてるらしいからな」
カンスト?
「って言っても、わからないだろうけどな。あと、自動修復がついてるから刃こぼれしてもすぐ直るんだ」
「へぇ、すごいですね。でも、カンストって何ですか?」
「はは、秘密さ」
タカアキはイタズラっぽく笑う。
「えーそんなぁ。教えてくださいよ」
「はっはっは」
タカアキはリュミエルに、自分の能力を秘密にしていたというが。
それは警戒からではないのかもしれない。
警戒しているにしては、この男の口は迂闊すぎる。
ただ、相手の興味を引く手段として秘密を用いているのだろう。
リュミエルに、能力の事を教えなかったのもそのためかもしれない。
それより、カンストか……。
カンスト。
カウンターストップ。
ある数値が最大値で止まってしまっているという意味の言葉である。
数値と言えば真っ先に思い浮かぶのはパラメータだ。
恐らく、この剣にはパラメータがあるのだろう。
つまり、この剣はエンデリアの能力者が作った剣だという事だ。
彼がこの剣を持っていた事は、不動の予想していた通りだった。
ならば、タカアキの能力も不動が思う通りの能力である可能性が高くなった。
だとすれば、やはり装備が足りないか……。
今のままでは、タカアキを傷つけられないかもしれない。
こちらも、カンストしたエンデリアの武器を持っていなければ傷つけられない。
……いや、そうでもないかもしれない。
「お返ししますね」
不動は剣を両手で捧げるように持ち、タカアキへ差し出した。
「あっ」
タカアキが剣を取ろうとした時、不動は過失を装ってタカアキの手を切る。
彼の手へ刃があたり、傷ができた。
「痛っ」
タカアキが痛みに呻く。
この剣なら、傷はつけられるようだ。
「何しやがる!」
タカアキの怒鳴り声と共に、不動は頬を殴られた。
横殴りにされ、不動は思わず倒れこむ。
殴ったのはタカアキだった。
不動の口内が傷付けられ、口元には血が滲んでいた。
しかし、不動の思考に屈辱や怒りはなかった。
あくまでも冷静に、彼は分析する。
やはり、タカアキはチート使いではない。
今の拳で不動はその確信を持った。
今の拳に、手加減が成されていなかった事は動きを見ればわかった。
もし相手がパラメータの補正を受けていれば、この拳の一撃で不動の命は終わっていただろう。
終わらなかったという事は、タカアキ自身にパラメータの補正は無い。
程度はわかった……。
不動は、タカアキについて知るべき事は全て知ったと判断した。
不動は、怯えた表情を作ってタカアキを見上げた。
怒りに顔を歪めるタカアキへ、不動は土下座する。
「す、すみません! 私が至らないばっかりに、お怪我をさせてしまって! お許しください!」
不動が謝ると、タカアキの顔から徐々に怒りの感情が消えていった。
「まぁいいぜ。どうせすぐ治せるからな」
そういうと、タカアキの剣が彼の手から消えた。
すると、彼の手にあった傷が治っていった。
「でも、痛いものは痛いんだ」
言うと、タカアキはその表情に好色を映した。
「何か詫びぐらいはしてもらいたいな」
「は、はい。私にできる事ならなんなりと」
「じゃあ、今夜一緒に飲まないか?」
「はぁ、そんな事でよいのでしたら喜んで」
不動が答えると、タカアキはニヤリと笑った。
「町の西にある酒場だ。そこで待ち合わせようぜ」
「はい。わかりました」
踵を返すタカアキ。
そんな中、リュミエルが不動へ近寄った。
「大丈夫ですか?」
「はい。大丈夫ですよ」
不動は笑顔で答えた。
そんな彼の口元へ、リュミエルはハンカチを当てる。
ハンカチの白に、血の赤が滲んだ。
ついてこないリュミエルに気付いて、タカアキは振り返る。
「何してるんだ? リュミエル」
「手当てです」
「おお、そうだな。頼むぜ」
そのやり取りで、タカアキは今度こそその場を去っていく。
十分に距離が離れた時、不動の唇がリュミエルの耳に寄せられた。
「今夜だ」
「え?」
囁く声に、リュミエルは声を返す。
「今夜、あいつを殺す」
「……っ!」
緊張からか、それとも歓喜からか。
囁かれた言葉に、リュミエルは小さく震えた。
その震えを残した声が、不動へ返される。
「私も、その場へご一緒してよろしいでしょうか?」
「……いいだろう」
少しの思案の後、不動は答えた。
不動は一度、小屋へ戻った。
準備を整えるためだ。
共に訪れていたリュミエルの前で、不動は準備のための作業を行った。
まともに戦うつもりは無いが、何事も予定通りにいくとは限らない。
そのため、鎖帷子と薄い皮で作られた軽装の防護服を装備した。
上から異国情緒溢れるドレスを着て、それらを隠す。
布地がゆったりと多いため、パッと見ただけでそこに防具を着込んでいるとはわからないだろう。
加えて、服の中へ隠し持てるサイズの短剣。
この短剣の柄には石がはめ込めるようになっており、そこにデルギーネの紋章を刻んだ石をはめ込む。
石を着脱式にしているのは、状況に応じてあらゆる神の加護を剣へ付与するためである。
刃にもデルギーネの紋様を描き、彼の神の加護を付与する簡易の儀式を施した。
最後に常備しているいくつかの薬草と木の実を取り出し、すりつぶして粉状の薬を精製する。
小瓶に入れ、これもまた服の中へ隠す。
これで準備は整った。
「行くぞ」
「はい」
リュミエルを伴って小屋を出る。
酒場へと向かった。
酒場の前ではタカアキが待っており、一度不動がリュミエルと一緒にいる事に気付いて驚いたが、すぐに笑みを作った。
「一緒に来たのか?」
「はい」
タカアキが問い、リュミエルが答える。
「何だ? 俺が他の女といる事にヤキモチでも焼いたか?」
「そんな所です」
「はは、バカだな。一度自分の物になった女を手放す事なんてしねぇよ」
「そうですね。あなたは、そんな男です」
タカアキは、自分の手中に収めた女を決して手放さない。
女が離れようとすれば、どんな手を使っても引き止める。
そのためには暴力も辞さず、他者を殺す事にも躊躇いはない。
一度、彼に目をつけられてしまえば逃げる事はできない。
自分の気に入らない事があれば、迷わず手を上げる。
彼の物となってしまった女は、従う事しかできないのだ。
彼の怒りを買わないように、少しでも気に入られるように、タカアキを尊重しながら生きなければいけない。
それができなければ痛みを与えられ、最悪他者の命にも関わる。
「それより、早く行きましょうよ」
「おう、そうだな。じゃんじゃん飲むぞ」
不動が笑顔で言い、タカアキは応じた。
酒場へ入ると、タカアキは案内されるまでもなく店の奥にある席へ向かった。
他の席と違い、座り心地の良さそうなソファーを置かれたその席はタカアキの特等席である。
そこはタカアキが無理を言って作らせた自分だけの特別な席だった。
慣れた様子でソファーにどっかりと座ると、両手で自分の両隣を叩いた。
そこに座れという事だろう。
不動はそれに応じて彼の右隣に座り、リュミエルは左隣へ座った。
「では、ここは私の奢りですのでじゃんじゃん飲んでください」
「おう」
不動が言うと、タカアキは上機嫌で答えた。
不動は次々と酒や料理を注文し、タカアキをもてなした。
杯へ酒を注ぎ、料理を取り分け、耳障りのいい言葉でそれらを口にする頻度を早めさせた。
時間を追うごとにタカアキの腹と心は満たされていき、二時間も経てば彼の正体はかなり怪しくなっていた。
泥酔したタカアキであったが、解毒魔法でそれを治そうとしなかった。
とても気分がよかったからだ。
消してしまうには、その感覚は心地良すぎた。
「ほら、次だ……」
「もうそろそろ、おやめになった方がいいのではないですか?」
タカアキは酒を求めたが、不動はそれを止めた。
心地良さに水を差す言葉。
タカアキはそれに怒りを覚えた。
咄嗟に手を出そうとする――
「おやめになった方がいいですよ」
が、重ねて不動が口にすると、不思議な事に憤りがスッと消えた。
その方がいい気がしてきた。
「ああ。そうだな。じゃあ、次は……」
「あなた様の家へご一緒しましょうか」
「家? あ、ああ、そうしようか」
家、か……。
酔った男女が、家でする事なんて決まっている。
その行為に思いを馳せ、タカアキはほくそ笑んだ。
タカアキは立ち上がり、ふらりと一度体を傾がせた。
不動はテーブルに代金を置いて立ち上がると、その手を取り、タカアキを入り口へと導く。
外へ出た。
ふらふらとした体をリュミエルに支えられ、不動に先導されたタカアキは夜道を歩き出す。
酔いはいつもより深かった。
今まで感じた事のないような、酩酊。
それは不思議な酔いだった。
顔は火照り、当たる夜風が気持ちいい。
こんな酔い方をしたのは、きっと彼女の言葉のせいだ。
不動の言葉はどれも心地良くて、心はするりと素直にそれを受け取った。
素直に受け取る事で、どんどんと気分が良くなっていった。
彼女の言葉は全て心地良い。
彼女の言葉をもっと聞き入れたい。
タカアキはそう思うようになっていた。
「こっちですよ」
だから、そう言って導く不動に、タカアキは何の疑問も抱かずついていった。
その道が、明らかに家路と異なっていたとしても。
連れられるままに歩き、人通りのない道へ出た時だった。
辺りに霧がたちこめ始めた。
それはこの季節に不自然なもので、明らかな異常だった。
「あっ」
不意に、不動は緊迫した声を出す。
「あそこに人が! 黒い影が!」
言って指差す場所には、確かに黒い影があった。
縦に伸びる、さながら人が佇んでいるような影である。
タカアキにはそれが見えた。
「襲ってきます! 剣で倒して!」
緊迫した声で言われると、タカアキは不動の言葉のままに剣を手に出した。
黒い影へ斬りかかる。
斬りつけると、不思議と手ごたえはなかった。
「まだです! あそこに!」
不動がまた叫ぶ。
指した先には、また黒い影がある。
避けられたのだろう。
タカアキはまたそちらを攻撃する。
やはり、手ごたえはなかった。
「そちらに!」
「あっちに!」
「次はこっちに!」
影は幾度となく現れる。
その都度声を上げる不動。
言われるままに影を攻撃するタカアキ。
不自然なまでに続く単調なやりとり。
タカアキはそれに疑問を持つ事無く、影を攻撃し続けた。
そして何度目かの攻撃を経て。
「やっと倒しました!」
不動のその声と共に、敵の襲撃は終わった。
黒い影は現れなくなる。
しかし最後のそれにも手ごたえはなかった。
そのはずだ。
いや、手ごたえはあった気がする。
そう、倒したのだからあったのだ。
確かにあった。
敵は斬り殺した。
ついに終わりだ。
「ありがとうございます。助かりました。流石は、タカアキ様。英雄の中の英雄です」
心地良い声。
自分を称える声。
この声に従うと、良い気分を味わえる。
何も考えなくてもいい気がする。
「さぁ、血に濡れた剣を清めましょう。渡してください」
不動は言う。
普段はそんな事などせず、自分の中へ仕舞いこむのに。
タカアキは何の疑問も抱かず、剣を不動へ渡した。
「ありがとうございます」
優しい笑みと感謝の言葉。
次いで訪れたのは、幸福な酩酊を一気に覚ます痛みだった。
「あ、え?」
タカアキは困惑する。
何が起こったのかわからず、不動を見る。
先ほどから変わらない笑み。
しかしその手に握られた剣は、自分の腹部を貫いていた。
その剣を抜き去ると、次の瞬間どこからか取り出した短剣で、不動はタカアキの両足を斬りつけた。
パラメータ補正のため、傷付けられなかったその肉が容易に切り裂かれる。
太い血管を斬られたのか、大量の血が太腿から噴き出した。
足から力が抜け、タカアキはその場で仰向けに倒れた。
「な、何、だ? 痛ぇーーー!」
驚きのために遅れて痛みに気付いたタカアキは絶叫を上げる。
「やはり、思った通りだ」
痛みにのたうつタカアキを前に、不動は冷ややかな声で呟いた。
「剣を手放すと、お前はパラメータの補正を受けられなくなる。それはお前の能力が、手にした剣の能力をそのまま自分の能力へ変換する事ができるものだからだろう」
タカアキの能力は、不動が語った通りの物だった。
タカアキは、手にした剣の力を自分自身の物にできる能力を持っている。
その剣がただの名剣、業物の類ならばたいした事のない能力ではあるが、手にした物がエンデリアの加護者が作った剣だとすれば強力な能力になる。
彼自身はチートの能力を持っていないが、エンデリアによってパラメータとスキルを持った剣を手にすれば、剣に付与されたチート能力を扱う事ができるようになるのだ。
つまりエンデリアの加護を受けた者の作る剣を持つ事で、最大の効果を発揮する能力だった。
毒の無効化を持たないのもこれで納得できる。
剣が毒状態になる事などなく、そのようなスキルなど着ける必要は無い。
剣の力に依存する彼の力では、そのスキルを自力で得る事などできないのだ。
剣を自由に出し入れできるのは、アイテムボックスではなく自分の中へ内包するためだ。
つまり、タカアキの能力は剣の鞘となり、剣の一部として機能する能力というものである。
そして剣を持たない今の彼は、チート能力の恩恵を受けられなくなっている。
何の力もないただの死に行く男だった。
「だから、今ならこれも十分に通用する」
言って、不動はタカアキの腹部、先ほどタカアキの剣を刺した腹部の刺し傷へ短剣を突き入れた。
タカアキは悲痛な悲鳴を上げる。
回復魔法を使っていたのだろう。
徐々に治りつつあった傷口が切り裂かれ、強引に広がった。
すぐに刃を抜き去ると、血が噴き出す。
「くそっ! 力が、入らない……」
タカアキは起き上がろうと足掻くが、体が思うように動かなかった。
さながら、体中の力を何かに吸い取られていくかのようだった。
それはデルギーネの加護によるものであった。
デルギーネの加護は傷を治らなくするどころか、傷を受けた者の生気を奪って急速に死へと近付ける。
「お前……何なんだよ……。何でこんな事……回復できないじゃねぇか……」
タカアキは泣きそうな声で言う。
その声も次第に弱々しくなっている。
デルギーネの加護に加えて失血により、意識が遠退き始めているのだろう。
そんなタカアキは、助けを求める様にリュミエルを見上げた。
しかし、彼女はタカアキを無視して不動へ声をかける。
「どうやったのですか?」
リュミエルには不思議でならなかった。
彼女には、タカアキの剣を奪うまでの一連の出来事が不可解なもの思えてならなかった。
霧の中、タカアキが不動の言われるまま剣を取り出し、何もない場所を攻撃していたようにしか見えなかった。
彼の見ていた黒い影など、そこにはなかったというのに。
そして、誰にも触らせようとしなかった剣をいとも簡単に、言われるまま不動へと渡した。
不可解以外の何物でもなかった。
「隙を衝いて、幻覚を見せる薬を酒と料理に混ぜた」
不動は答える。
「意識を混濁させ、現か幻かの判断がつかなくさせるものだ」
霧は不動が魔法で出した物である。
霧が出てからの一連の事柄は、薬による幻覚だった。
「この薬を飲んだ者は酩酊感を覚え、次第に判断能力を低下させる。感情の起伏を増幅され、この時に幸福感を覚えるような事があればそれが何倍にも心地良く感じられる。その心地良さに身を任せ、抗えなくなっていく」
だからこそ、不動はタカアキに良い思いをさせ、耳触りの良い言葉ばかりを囁いた。
言葉を聞くたびに良い思いをすれば、次第にそれは内容ではなく声そのものに心地良さを覚えていくようになる。
不動の言う事を聞くという行動に、幸福感を覚えるようになる。
その効能は自白剤に近いものであった。
だからこそ、タカアキは不動の言葉に黒い影の幻覚を見て、剣を求められた時には素直に応じた。
そうする事で、心地良い気分を覚える事ができるから。
その状態に幸福を感じているから、解毒の魔法を使う事もしない。
幸せに抗える人間は、まずいない。
薬を飲まされ、不動の話術に嵌った時点で彼に逃れる術はなかったのである。
不動はリュミエルに答えると、仰向けに倒れるタカアキへ近寄った。
「何故こんな事をするかと訊いたな? 単純な話だ。召喚者は存在するだけでこの世界の人間を不幸にする。だから召喚者《僕達》はこの世界に必要ない。それだけの事だ」
言うと不動はタカアキのそばにしゃがみ、短剣を振り上げた。
トドメを刺すための一撃だ。
「や、やめろ」
タカアキの悲鳴。
不動の短剣が振り下ろされる。
「お待ちください」
その時、リュミエルが制止した。
不動は短剣を振るう腕を止めた。
タカアキは、その言葉に希望を見た。
助かるかもしれない、と。
「私に、やらせていただけませんか?」
が、その発言に表情を絶望に染めた。
「……命を奪うんだ。苦しむ事になるぞ。たとえそれが、憎い相手であっても」
人を殺した経験は、そのあらゆる物が生涯を通して忘れられなくなる類のものだ。
人を殺した感触は実感として残り、人一人の人生を終わらせた事実を深く心へ刻みつけ、そこから来る良心の呵責は苦しみを生み続ける。
真っ当な人間が耐えられるものではないだろう。
「お願いします」
リュミエルは、不動へ手を差し出した。
彼の持つ短剣を手に取る。
不動は少しだけ迷い、短剣から手を離した。
短剣がリュミエルの手へと渡される。
リュミエルは、怯えるタカアキを見下ろした。
あんなに強大な存在だった男が、今や虫の息で何の抵抗もできずに倒れている。
目には恐怖が湛えられ、その感情を向けられる対象は自分だ。
なんとも哀れな姿だ。
こうなる事を、どれだけ長く願っていた事だろう。
だというのに……。
そんな姿を見ても気が晴れる事はなかった。
この憎い男の命を握っているとしても、愉悦など覚えようはずもない。
だがそれでも、このままこの男を生かしておくわけにはいかなかった。
これ以上この男が生き永らえる事は許せなかったし、何よりも……。
「人を殺す事が苦しみを生むというのなら、だからこそ私がしなければならない事でしょう。それが、きっと私の罰になる。一人だけ、大事な人達を裏切って……。生き延びてしまった私への……。これからも生きていく臆病な私への……」
自分だけが手を汚さず、罰を受けない事は許されるべき事じゃない。
そう思い、リュミエルは短剣を振り上げた。
「やめて、くれ……」
「どうして、こんな事になったのか……。あなたにはわからないんでしょうね」
言うのと同時に、リュミエルは短剣を振り下ろした。
夜が明ける間際の時刻。
最も闇の深い時間。
町から少し離れた街道。
そこに、不動とリュミエルの姿があった。
「きっと、大騒ぎになるでしょうね」
リュミエルは呟くように言った。
「だろうな」
その言葉に、不動は答える。
まだ、タカアキの死体は発見されていないだろう。
しかし、夜が明ければいずれ見つかる。
そうなれば、騒ぎになるだろう。
英雄の死。
それは、その力の恩恵を受けていた者達にとって凶報をもたらすだろう。
彼を疎んでいた者達にとっては吉報となるだろう。
さまざまな思惑が、これからあの町では渦巻くのだろう。
「これを……」
リュミエルは、金貨の入った袋を不動へ差し出す。
依頼完遂の報酬だ。
しかし、不動は顔を左右に振ってそれを拒否した。
「どうして?」
「殺したのは僕じゃない。だから、貰うわけにはいかない」
「そう、ですか……」
「その代わり、これは貰っていく」
そう言って示したのは、タカアキが持っていた剣だった。
「パラメータをカンストした剣は、そうそう手に入るものじゃない」
「そうですか。……あなたが剣を欲するのは、これからも――」
「召喚者を殺すためには必要だ。まだ、たくさんいるからな」
答えると、不動はリュミエルへ背を向けた。
地平から日が顔を出し、光が不動の背を照らす。
照らされてできた、自分の体が作る影の道を彼は歩んで行った。