試し合い
書いててフーバーの実況を入れるのをちょくちょく忘れる。
試合が始まって数分、開始から状況は変わらず一方的にライが攻め立てる展開が続いていた。
「ぐっ…!」
ライの攻撃を防ごうとする度にルミエストの剣は弾かれる。
一向に攻めに転じられないこの状況にルミエストは歯噛みする。
だがそれ以上にルミエストの心をかき乱す物があった。
(何故剣だけを執拗に狙う?)
そう、ライの攻撃は何故か全て剣に集中していた。
ルミエスト本人を狙うチャンスなら、それこそ剣を弾いた数だけ存在していたはずだ。
剣を弾かれ、無防備になったその隙に一撃を叩き込む、それだけでこの試合の決着は着くはずだ。
それなのにライは構えを取り、ルミエストに防御させる間を与えていた。
一秒にも満たない僅かな間ではあったが、それでもAランク冒険者と呼ばれるルミエストとって体勢を立て直すには十分な時間であった。
(遊んでいるのか?何時でも倒せるからと?)
そんな考えがルミエストの脳裏を過ると同時に、腹の奥から熱い何かが込み上げてくるのをルミエストは感じていた。
それは怒り、武闘大会という己の技術を競い合う場において、自身が弄ばれている事に対する怒りであった。
「舐めるなぁ!」
剣を弾かれると同時にルミエストが吠え、左足で蹴りを繰り出す。
防御を捨てた一撃だが、常に動き回っていたライはその一撃を後ろに飛び退く事で回避する。
『おぉーっと!今まで防戦一方だったルミエスト!ようやく反撃に出た!ここから【反攻】の反攻が始まるのでしょうか!?』
互いの距離が離れた事により防戦一方だった状況から脱出し、仕切り直す事が出来たルミエストが状況を分析する。
(攻撃と攻撃の僅かな間、その間に攻撃を差し込む事は出来る。でもそれは防御を捨てた捨て身の一撃、そもそもその間も与えられた物でしかない)
ライが間を置くことなく攻撃を繰り出せば攻撃を差し込む隙は疎か、防ぎきれずにやられるのがオチだろう。
ライに勝つには連撃が始まる前に仕掛けるしかない。
覚悟を決め、ルミエストがライに向かって突撃する。
自分に向かってくるルミエストを前に、ライはゆっくりと構え始める。
(構えに惑わされるな!消極的になれば流れを持って行かれる!)
そう自分に言い聞かせながらルミエストが剣を構え、それと同時にライが構え終える。
その構えを見てルミエストの中に動揺が走る。
剣を持つ腕の肘を極限まで後ろに引き、腰は落とし両足を大きく前後に開いた”突き”の構え。
自身に向かってくる相手に対し最も早く届く一撃を放つための構えであり、そして融通の利かない構えでもあった。
肘を極限まで後ろに引いた状態では剣を前に突き出す以外の選択が無く、上下左右に動かすには引いた肘を前に出すか、肘だけでなく腕全体を後ろに下げなければならない。
さらに腰を落とし両足を前後に開いた状態は前に飛び出す分には問題ないが、横や後ろに移動するには一度腰を上げその体勢を解除する必要があった。
どう考えても前に出て突き出すしかないその構えに、ルミエストは迷っていた。
ライの放つ一撃はルミエストよりも速く鋭い、そしてライの持つエクレールはルミエストの持つ剣よりも刃渡りが長い。
間合いはライの方が長いし、例え間合いが同じだったとしても速さで上を行くライの剣が先にルミエストの身体を貫くだろう。
かと言って防御に入ればまた先程と同じ事の繰り返しになってしまう。
どうするべきかルミエストが悩む間にも互いの距離はどんどん迫っていた。
そしてルミエストがライの間合いに入ったその瞬間
カァン!!
ライが突き出した剣先が、防御の構えを取ったルミエストの剣の腹と衝突する。
「ぐぁ!?」
本日二度目の防御に成功したルミエストだったが、完全に押さえる事が出来ずに後方へと弾き飛ばされる。
『突き飛ばしたぁぁあ!何というすさまじい一撃!ルミエストは動けるのか!?』
地面の上を数回転がった後、ルミエストが地面を踏みしめ剣を突き立てる事で停止する。
「…っ!」
何とかその場に停止したルミエストだったが、掴んでいた剣から手を離しそうになるのを堪える。
ライの一撃を防いだ時は何ともなかったのに、今ルミエストの両腕にはじわじわと痺れが広がりつつあった。
最初に攻撃を防いだ時に感じた痺れとは違う、身体の芯から発生したその痺れはやがて腕全体に広がって行く。
(あの不利な体勢から放った一撃とは違う、これが彼の全力の一撃か)
咄嗟に胸の前で剣を構え、両腕で押さえていたのにも関わらず、その一撃は容易にルミエストの腕を剣ごと押し返し、胸部にもその衝撃を伝えていた。
(こんなものまともに受けては無事じゃ済まないな)
防いでもなお、これだけのダメージを与えるライの一撃に慄きながらもルミエストが剣を支えに立ち上がる。
ダメージを少しでも抜くためには僅かでも時間を稼ぐ必要があると考えたルミエストは地面から剣を引き抜きゆっくりとライと距離を取る。
『なんとか立ち上がりましたが、警戒してか距離を取ります!さぁ両者ここからどう出る!?』
距離を取り互いに睨みあう中、ライが一歩前に踏み出す。
そしておもむろに後ろ手に構え、ルミエストから剣が見えないようにし、その状態からルミエストに向かって駆け出す。
『今度はアレなんちゃらから飛び出したぁ!先程の意趣返しか、はたまた回復される前に追撃を加えるためか!どうするルミエスト!』
ライの名前を適当に呼ぶフーバーの実況、だがルミエストにはそんな物に構っている余裕などなかった。
接近してくるライを前に、ルミエストは考えていた。
後ろ手に回した状態からでは次の動作に移る際に通常よりも大きな動作を要求される。
特に突きなどの一部の攻撃は後ろ手の状態からは繰り出せない攻撃であり、この状態で繰り出せるのは大振りの振り下ろし、横薙ぎ、斬り上げくらいである。
無論途中で構えを変えればそれ以外の攻撃も可能ではあるが、ルミエストに接近するライにそんな素振りは無かった。
(選択肢は三つ、どう出てくる!)
どれにも対応できるよう、剣を中段に構えながらルミエストがライを睨む。
いくらライの一撃が速いとはいえ、極端に振りが大きくなる後ろ手の状態から繰り出された一撃ならば、初動さえ見逃さなければルミエストならいなす事は十分に可能だ。
ルミエストの意識が剣を持つライの右手側に集中する。
刻一刻と互いの距離が近づくにつれ、ルミエストは自身の体感時間がドンドン引き延ばされていくのを感じていた。
そしてついにライの右手が動きを見せる。
ゆっくりと背中からライの右手がその姿を露わにしていき、ルミエストの前に”徒手”の右手が姿を現した。
「なっ!?」
その事に一瞬気を取られたルミエストの右手側から凄まじい衝撃が襲い、剣が大きく弾き飛ばされる。
(ぐっ…左手に持ち替えて!?)
驚愕した様子のルミエストの前で、ライは剣を振り抜いた流れで次の構えを見せる。
地面に対し水平にされた剣、肩よりも僅かに上に構えられた腕、大きく剣を弾かれてしまったルミエストでは絶対に間に合わない、その剣が辿る軌跡の先は――
(――首)
その事実を理解した時、ルミエストの頭の中で警鐘が鳴り響く。
伸びていく体感時間の中でルミエストが必死に状況を打開すべく考える。
外側へと大きく弾かれてしまった剣では防ぐ事はもう間に合わない。
両腕で剣を握りしめていたため、腕で防ぐ事も出来ない。
先程のように蹴りを繰り出そうにも、構え終えたライに対しては既に手遅れだった。
今のルミエストに出来る事はライの一撃よりも速く、ライの間合いから一刻も早く抜け出す事だけだった。
(速く!速く!速く!!)
スロー再生のように流れていく景色の中でルミエストが必死にそう唱え続ける。
伸びきった体感時間のせいか、まるで鉛でも詰め込まれているかのような緩慢な足の動きにルミエストが焦燥感を覚える。
このままでは――そう思った時、ルミエストは見てしまった。
剣を持つライの指先に力が込められる瞬間を
(来る!!)
それと同時にルミエストの思考は完全に真っ白に塗りつぶされ、そして
ブゥゥゥゥゥゥゥゥ――!
闘技場全体にけたたましい音が鳴り響く。
突如鳴り響いたその音に観客の誰もが一瞬何事かと考えたが、ルミエストの姿を見てすぐにその音の意味を理解する。
観客達が目にした物、それは赤く染まったルミエストの亡骸――ではなく、ルミエストの右腕に嵌められた赤く染まった腕輪だった。
闘技場全体に鳴り響いた音の正体、それは出場者が魔法を使用した事を知らせる音だったのだ。
『ルミエスト!魔法使用により反則負け!よって勝者!!アレなんちゃら!!』
フーバーが試合終了を告げるも、先程までの試合とは違い観客の誰もがその口を噤んでいた。
それは誰も予想していない結果だったからか、望んでいない者の勝利だったからかは分からないが、誰も一言も発さなかった。
そんな中、”構えたまま”のライは構えを解くと壁に背を預け、腰を落としているルミエストの元へと近づいて行く。
あの時、ルミエストは無意識に身体強化を使い壁際まで下がっていた。
しかしあの一瞬に魔力を集め、練り上げ、身体強化を発動させるまでの時間があったかと言われればそんな時間は無かった。
もしライが本当にあの時剣を振り抜いていたならば、ルミエストの首は飛んでいただろう。
どう考えても間に合うタイミングではなかった。
無意識だったとはいえ、そんな事くらいルミエストもすぐに分かったのだろう。
壁に背を預けたまま、力ない声で向かってくるライに声を掛ける。
「何故、剣を振り抜かなかった」
ライは歩みを止める事無く、ただ黙っていた。
「殺す事を躊躇ったのか?それとも振り抜くまでも無いと思ったのか?」
無言のまま歩み寄ってくるライを睨みつけながらルミエストが言う。
「それ程までに君にとって私は取るに足らない存在だったという事か!?」
ルミエスト本人を狙わず剣のみを狙った執拗な攻撃、フェイントによる陽動、今回の試合の中でライがルミエストに対し殺す気で放った一撃など一つも存在しなかった。
「何とか言ったらどうなんだ…」
全ての攻撃に手心が加えられていた。
その事実がルミエストを惨めな思いにさせる。
やがてルミエストの前にライが立つ。
自身の目の前に立つライをルミエストが睨み上げる中、ライは頬の辺りを指で掻く素振りを見せた後、突然頭を下げ
「ありがとうございました!!」
礼を述べた。
ライの突然の行動にルミエストが目を白黒とさせる。
「俺、今までまともに人と戦った事なんて無くて、人相手に戦えるのかなって不安で…でも貴方のおかげで自分の技術が人にも通用するんだって確信が持てました。本当にありがとうございます!」
「………」
魔形に隠れ表情を見る事は出来なかったが、その言葉が決して嘘偽りの無い物であるとルミエストは感じ取っていた。
遊んでいた訳でも、侮っていた訳でも無い。
自分の技術が通用するか、その確認の為に使われた。
前者にせよ後者にせよ、怒りを感じる者は居るだろうが、ルミエストは違っていた。
「ふふふ、そうか。君はただ試していただけなんだな」
何かを理解したようにルミエストが笑う。
闘都の武闘大会とは魔法を使わず、己の磨き上げてきた技術を使い競い合うための舞台。
ライはその用意された舞台で思う存分己の技術を使っていただけなのだ。
手心を加えられた訳ではない、ライの振るう一撃にはライが今まで培ってきた技術が込められていたのだ。
ルミエストの事を侮っていた訳でも侮辱していた訳でも無い。
ライはただ、武闘大会という場においてその本来の意図通りの戦いをしていただけ、技術を使い勝つ――ただそれだけだったのだ。
その事に気が付いたルミエストはすっかり毒気が抜けてしまい、先程の険しい表情とは打って変わり柔らかな笑みを浮かべていた。
「なぁ、腰が抜けてしまって立てないんだ。済まないが手を貸してくれないか?」
「え?は、はい!」
差し出された手をライが慌てて掴む。
ライに引っ張り起こされたルミエストはライの手を握ったまま、ライの顔(魔形)を見つめ続けていた。
一向に手を離す素振りを見せないルミエストにライが困惑していると、ルミエストが口を開く。
「二回戦、進出おめでとう。私の分も頑張ってくれ」
「あ…はい!ありがとうございます!!」
こうして不安の中始まったライの一試合目は、様々な人間の記憶の中に爪痕を残しながら終わりを迎えたのだった。