ワンサイドゲーム
あれから少し時間が経った頃、森を切り開いて作られた道を挟み込むように三十人以上の人間が茂みや木の影に身を潜めていた。
「標的の位置はどうだ?」
「そろそろ姿が見えてくる頃ですぜ」
「よし…良いかお前ら、魔動地帯と言っても絶対に魔力が使えない訳じゃない。術者本人が蓄えてる魔力や魔結晶みたいなアイテムなんかの存在もある。決して油断するんじゃねぇぞ」
標的が近いためか、声を上げて茶化すような者は居なかったがその顔はどこか真剣味が無く、明らかにこれからやってくるであろう標的の事を侮っている事が分かる。
(能天気の馬鹿共が…)
部下達の態度に心の中で悪態をついていたが標的の姿が見えた瞬間、頭目の男はすぐに頭を切り替え部下達に指示を出す。
「標的が来た。良いか、俺の合図があるまで飛び出すんじゃねぇぞ」
頭目の男の指示に先程までコソコソと笑いあっていた部下達も口を閉じ話す事を止めたものの、相変わらずその顔に緊張の色はない。
まるでピクニックにでも出かけるかのような雰囲気を漂わせる部下達に男は顔を顰めるも、標的が側を通るというこのタイミングで怒鳴り散らす訳にもいかず、黙って標的へと視線を戻す。
一方、頭目の男達とは反対側の茂みに身を隠していた者達も薄ら笑いを浮かべながら今まさに目の前を通り過ぎようとする二台の荷馬車に視線を送っていた。
「親方は一体いつ襲い掛かる気なんだよ。このままじゃ行っちまうぞ」
集団の前の方で身を屈めていた一人の男が、隣に居る男に小声で問いかける。
「焦るんじゃねぇ、まだ僅かだが魔力が漂ってる。この魔力の波が完全に通り過ぎるのを親方は待ってんだよ」
「ケッ、随分と用心深いこった」
「盗賊なんて憶病なくらいが丁度良いんだよ。前に無警戒に突っ込んで死んでった馬鹿共の事忘れたのかよ」
男達がそんな事を言い合っている間にも二台の荷馬車は男達の目の前を通り過ぎていく。
「おい、まだかよ。もう魔力の波は抜けたんじゃねぇのか?」
「焦るな、完全に波が遠くに離れてからじゃねぇと駄目だ。もし途中で魔力の補給なんぞでもそれたら――なんだ?」
そう言いかけた男の耳に何人かの人間の声が聞こえてくる。
それと同時に向こう側の茂みの陰から数人の男達が声を上げながら飛び出して来る姿が見えた。
「なっ!?あの馬鹿共先走りやがったな!」
「俺ももう行くぞ!臆病者は残ってろ!」
「おい待て!!」
男の制止の声も聞かず、何人かが同じように飛び出していく。
「クソっ!バラバラに出て言ったんじゃ数揃えた意味がねぇ!俺達も出るぞ!」
男がそう叫びながら残った人間を引き連れ隠れていた茂みから飛び出そうした次の瞬間
「がぁぁぁぁあああ!?」
突如前方から凄まじい破砕音と土煙、そして先程飛び出していった男が悲鳴を上げながら吹っ飛んでくる姿。
そしてその奥、停車している荷馬車を守るように立ち、全身を仄かに発光させながらハルバードを構える女の姿も見えた。
「最初っから全開かよ!。てめぇら!あの調子ならすぐに魔力が切れる!無理に攻めず相手の魔力が切れるのを――」
男が言い終えるよりも早く、その言葉を遮るように前方から再び破砕音が響き渡る。
ハルバードを叩きつけられた地面が抉れ、地面に亀裂が入る。
その亀裂が男達の方へと伸び、次の瞬間地面が爆発を起こし男達が空中へと打ち上げられる。
(ぐっ――チクショウ!好き勝手やりやがって!!)
派手に打ち上げられはしたものの、見た目ほどのダメージは無く男は心の中で罵声を吐きながらも冷静に空中で態勢を立て直しつつ、僅かな魔力を使い身体を強化し落下時の負担を緩和する。
しかし、同様に打ち上げられた者達の何人かは突然の出来事にパニックを起こし、そのまま受け身も取らぬままに地面へと叩きつけられ骨を折り、打ち所が悪く絶命する者も居た。
(何人やられた!?クソ、動ける人間を確認してる暇はねぇ!)
男は額から汗を流しながら前方を睨みつける。
男の視線の先には再びハルバードを掲げ、振り下ろさんとする女の姿があった。
「生きてる奴は全力で避けろ!!」
男がそう叫ぶと同時にハルバードが再び振り下ろされ、亀裂が再び男達の方へと伸びてくる。
無事だった数名は身体強化を使い横に飛び去る事で難を逃れるも、生きては居たが骨を折り動けずにいた者達は逃げる事も出来ず、再び空中へとその身を投げ出した。
「ぎゃあああああああ!!!」
打ち上げられた味方の悲鳴を気にする暇も無く、生き残った者達が武器を握りしめながら次の攻撃に備える。
だが、次の攻撃が飛んでくる事はなく、女の全身からは身体強化の証である光が消え失せていた。
「魔力切れだ!!」
誰かがそう叫んだと同時に、生き残った者達が一斉に女目がけて飛び掛かる。
相手は魔力を使い切った女、対して自分達はまだ魔力を残しており人数も圧倒的、男達が勝利を確信し口元に笑みを浮かべた次の瞬間、女の全身が再び発光する。
「っ!?誘われ――」
女はまるで枯れ枝でも振るうかのような軽快さでハルバードを振るい、飛び掛かってきた男達を上半身と下半身を分断する。
出遅れハルバードの間合いに入って居なかった者は難を逃れていたが、その顔には先程までの笑みはなく驚愕の色が浮かんでいた。
「なんで…!魔力が切れてたんじゃねぇのかよ!!チクショウ!騙しやがったのか!」
「騙す?人聞きの悪い事言うね。大体盗賊なんかにそんな事言われる筋合いはないさ。それよりも…覚悟は良いかい?」
「ヒッ――!?」
ハルバードを握りしめながら獰猛な笑みを浮かべる女に、生き残った者達はただ怯える事しか出来なかった。
一方その頃南東側はというと、こちらも壊滅寸前で男達が潜んでいた茂みには何人かの亡骸が転がっており、その側には頭目の男が木に背を預けながら息を押し殺し震えていた。
(クソ、どうしてこんな事に…!)
あれだけ楽勝だという雰囲気を漂わせていた部下達も全員殺され、残っているのは自分と見張りに張っていた男のみになっていた。
相手を侮っていたから失敗した?言う事を聞かない馬鹿が居たから失敗した?。
(いや、そのどれでもねぇ…!何なんだよ”アレ”は!?)
失敗した理由を頭の中で思い浮かべるも、それ以上に強烈な物が頭目の男の頭の中を支配する。
遡る事数分前、息を殺し標的の周囲から魔力の波が離れ、遠くに行くのを待っていた時の事だ。
目の前を通り過ぎようとする標的の姿に我慢ならなかったのか、別の盗賊団に所属していた男が声を出す。
「なぁ親方さん、もう魔力の波は過ぎたんじゃないですか?」
「静かにしろ、十メートルは離れてるとはいえ目の前を通り過ぎてんだ。…波についてはまだだ、周囲から無くなったと言ってもまだ魔力をかき集めようとすれば届く範囲にある」
「チッ、女相手に何ビビってるんだか…もう良い。悪いが親方さん俺は好き勝手やらして貰いますわ」
「貴様、何を――」
頭目の男が言い終わるよりも早く、男が叫ぶ。
「てめぇら!女は早い物勝ちだ!!後から来ても遅ぇからな!?」
そう叫びながら飛び出した男に、女に餓えていた数名の男も先を越されてたまるかと男の後を追うように飛び出していく。
雄叫びを上げながら草木を掻き分け、男達は茂みから飛び出し道に出る。
異変に気が付いたのか、荷馬車は停止しており御者台から何者かが降りようとしている所だった。
荷馬車の荷台から降り、荷馬車を守るように立ち塞がった者の姿に盗賊達は一瞬立ち止まる。
そこに立っていたのはハルバードを背負った女でも、魔術師の女でも、軽装の弓を携えた女でもない。
武器も防具も身に付けず、身体の線が分かりにくいゆったりとした服を着たどう見ても戦えそうにない女だった。
その事に思わず面食らい、動きを止めた盗賊達だったが、誰が出てこようとやる事は変わらないとすぐに目の前に居る女に襲い掛かろうとする。
「――っ、なんだ?」
最初に異変に気が付いたのは真っ先に飛び出した男だった。
足を踏み出そうとしてもまるで足が地面に縫い付けられているかのように地面から足が離れない事に気が付いた。
そして自分の足元を確認した男は、更なる異変に気が付く。
自分の足元にある影、その影とは別にもう一つ、女の足元から伸びる影があった。
その女から伸びる影はその男だけでなく、道に飛び出して来た盗賊達の影と結びついていた。
「クソ、足を封じる魔法か…!」
男は忌々しそうに女から伸びる影を見つめていたが、動かせないのは足だけであり、上半身は動かせるためすぐさま次の行動に映る。
右腕を目の前で笑みを浮かべる女に向かって真っ直ぐ伸ばし、魔力を体内で練り始める。
「足を止めたくらいで笑ってんじゃねぇ!。魔法が使えんのはお前だけじゃ――」
男がそう言おうとしたその時、ふと目の前に立っていた女が動きを見せる。
その場から動くことなく、両足を左右に開き出した。
女の突然の行動に一瞬男の目が女の開かれた両足へと向けられる。
左右に開かれた女の足の間、そこから一本の黒い短刀が零れ落ち、男はその短刀から目を放せずにいた。
闇から出来たような真っ黒な短刀は女の足元から伸びていた影に飲み込まれるようにゆっくりと沈み込んでいく。
一体それが何を意味するのか。
男の意識が目の前に立つ女から逸れた次の瞬間、女から伸びる影から無数の刃のような影が出現し、それが女の影を伝い男達の影まで伸びてくる。
その状況に男達の頭の中に嫌な情景が思い浮かぶ。
結びつけられた影、影に飲まれた短刀、そして影に映る無数の刃、それらが自分達に向かってくるという事実に男達は恐怖した。
そして影から現れた無数の刃が男達の足元まで達した時、男達は思わず目を瞑る。
しかし、いくら待とうが男達が想像していたような痛みが全身を貫く事はなかった。
「な、なんだよ…ただのこけ脅し――かふゅ!?」
「おい、どうし――ヒッ!?」
こけ脅しかと言いかけていた男の隣に立っていた者が、その男に視線を向け小さな悲鳴を上げる。
その声につられるように他の者もその男に視線を向け、驚愕に目を見開く。
その男の喉には穴が開き、穴からは夥しい量の血と空気が漏れ出していた。
そしてその男の影、その影の首元から短刀の影が生えているのを目にする。
「ふふふ…一瞬で終わると思いましたか?」
突然聞こえてきた女の笑い声に、男達はビクリと肩を揺らしながら恐る恐る視線を女へと向ける。
「安心してください。一瞬で終わらせるなんて事はしませんから」
そこには笑みを浮かべる女が居た。
最初から今まで一切変わらぬ笑みを浮かべた女。
「だって、勿体ないじゃないですか。中々無いんですよ?壊しても良い”玩具”に出会えるって」
そう言って変わらぬ笑みを浮かべる女に男達は恐怖した。
人畜無害そうなその姿が、太陽のような朗らかな笑みが、男達の瞳にはそれらが恐怖としか映らなかった。
「一つ、二つ、三つ…全部で六つですか。一つ壊れてしまったので残りはもっと丁寧に扱わなければ行けませんね。まぁ…他にもまだ有るなら話は別なんですが」
そう言って、女は視線を茂みの奥に向ける。
女が見つめる茂みの奥、そこには残った八人の姿があった。
「親方!一体どうするんですか!?」
「落ち着け!焦って突っ込めばこっちもやられる。あの馬鹿共をすぐに殺さないのは俺達を引き摺り出すためだろう。あの状態を維持するだけでも魔力を消耗してるはずだ。俺達が出るのはあの馬鹿共が殺された後か、アイツの魔力が底をついた時だ。それまで堪えろ」
頭目の男の言う言葉に周囲に居た者達は頷く事しか出来ず、道の方から聞こえてくる仲間の悲鳴をただ黙って聞いていた。
そんな状態が数分続いた頃、頭目の男の顔には困惑の色が伺えた。
(一体何時まで続けてやがる。もう魔力が尽きても良い頃のはずだぞ…!)
戦闘が始まって数分、既に魔力の波は通り過ぎており周囲には一切魔力が無い状態になっていた。
(周囲の魔力はもうない。それに魔結晶なんかを使った様子もねぇのに何で未だに魔力が尽きねぇんだ!?)
そもそも、魔結晶などの魔力の補給源があったとしてもその量も魔結晶の品質にもよるが、大体が平均的な人間が体内に貯蓄出来る魔力の総量と同じくらいだ。
そのため魔結晶があったとしても魔動地帯では極力魔力の消耗を抑えながら戦うのがセオリーとなっていた。
だが、盗賊達が襲い掛かった標的は魔力の消耗を抑える所か、まるで魔力切れになる事を恐れていないかのように魔力を湯水の如く浪費していた。
(とっくに四、五人分の魔力は消費してるだろうに一体どうなってる…)
待てども魔力が尽きる様子は無く、何も出来ぬままに時間が過ぎていくという事実に頭目の男は歯噛みする。
「チクショウ…!もう我慢ならねぇ!!あのアマ好き勝手やりやがって、ぶち殺してやる!!!」
一人の男が立ち上がりそう叫んだその時、何処からともなく風を切り裂く音が周囲に響き渡り、次の瞬間立ち上がった男の額に一本の矢が突き刺さる。
「狙撃!?お前ら身を隠せ!!」
頭目の男の言葉にその場に居た者達が木々の裏へと身を隠す。
「チクショウ!一体何処から撃たれた!?草木が邪魔で向こうからじゃこっちはロクに見えねぇはずだろ!!」
「知らねぇよ!それよりもどうすんだよこれ!!もう襲う所の話じゃ――あがっ!?」
「おい、一体どうし――ぐぇ!?」
木々の後ろに身を隠していたはずの二人の額に矢が深々と突き刺さる。
「おいどうなってやがる!!なんで森の奥から矢が飛んでくるんだ!?」
突然訳も分からぬままに二人も仲間が殺され、半狂乱になりながら一人の男がそう叫ぶ。
すると再びあの風切り音が聞こえ、矢が飛来し半狂乱になっていた男の額に突き刺さった。
身を隠してもなお、寸分の狂いも無く自分達目がけて飛んでくる矢に男達が浮足立っている中、頭目の男は見ていた。
道の方向から矢が軌道を変え、木々を避けながら声を上げた者の所へと矢が飛んでいく姿を。
(クソ、遠隔操作の魔法か!)
声を上げた者からやられている所を見ると、恐らく声を頼りに矢の軌道を操っているはずだ。
その事を仲間達に伝えようにも声を上げれば自分も狙われるという恐怖に頭目の男は声を出す事も出来ず、半狂乱になり声を上げた部下達が矢の餌食になるのをただ黙って見ているしかなかった。
やがて半狂乱になった部下達の声も、そして道に飛び出していった部下達の絶叫も聞こえなくなり辺りが静寂に支配される。
(全員やられたのか…?)
その事を確認しようにも、木の裏から身体を晒して周囲を確認する勇気は頭目の男には無く、目だけを動かして周囲を確認する。
すると一人、頭目の男と同じように木に背を預け俯いている者の姿が見えた。
(一人か。口惜しいがこれだけやられた以上逃げるしかねぇ)
そう考えると頭目の男は懐から木で出来た球体の物体を取り出す。
それは光属性の魔力が詰まった代物で少し力を加えただけで破裂し、光属性の魔力が周囲を照らし相手の目をくらませるという撹乱用のアイテムだ。
手の中にあるそれを握り、投げ込むタイミングを計っていたその時、突然握っていた手の方が強い力で引っ張られもたれ掛かっていた木に固定されるように押さえつけられる。
「っ!?」
咄嗟に口から漏れそうになった悲鳴を抑えながら、頭目の男が押さえつけられた自分の腕に視線を向ける。
そこには黒く長細い髪のような影が無数に絡みついていた。
(この影は――)
頭目の男がその正体に気が付くと同時に、その影が腕だけでなく自分の腰や胸、首の辺りにも絡みついている事に気が付く。
そしてそれらが突然頭目の男の身体を締め付け、男の身体を木に固定する。
「っ――!!」
首を絞めつけられ、声を出す事はおろか呼吸すら出来なくなった頭目の男は、生き残っていた部下の一人に助けを求めるため視線を向ける。
だが、男の視界に映ったのは生き残った部下ではなく、全身を影によって木々に縛り付けられ、首が変な方向に折れ曲がった部下の亡骸だった。
その事実を男が認識すると同時に、男の首に巻き付いていた影がさらに強く巻き付き、男の意識はそこで途切れるのだった。