護衛初日の夜
カレンから認められたライは無事護衛の依頼を続けられる事となり、フローリカが用意した簡易的な食事を口にした後、たき火を囲みながら軽い雑談に花を咲かせていた。
「いやー、ライさんはお強かったんですね!。私の目に狂いはなかった訳だ!」
「良く言うよ。女連れで私達を襲うような度胸も無さそうに見えたから雇った癖に」
酒が入り上機嫌なエリオに対し、カレンが冷たい視線を送りながらそう口にする。
そんな二人のやり取りを苦笑いを浮かべながら見ていたライだったが、ふとカレンの鎧に刻まれた傷に目が留まる。
「カレンさん、すみません鎧の傷…」
「ん?あぁこれかい?。別に構いやしないよ!鎧なんて傷ついてなんぼのもんだし、それに闘都には良い武器や防具が揃ってるって話だからね。いい加減そろそろ買い替えようと思ってたんだよ。コレもコイツも」
指先で鎧の左胸に刻まれた傷を触りながら、もう片方の手で自身の脇に置いてあるハルバードの柄に触れる。
ハルバードにも鎧と同じように無数の傷がついていた。
そう言って笑うカレンだったが、ライはどうにも釈然としない様子で頭を掻きながら頭を下げる。
「まぁ、そうなんですけどね。それでも…すみません」
「なんだい男らしくないねぇ。これくらいの傷が何だってんだ!」
問題はないと見せつけるようにライによって傷つけられた鎧の左胸の辺りをカレンが拳で叩いた。
心配は要らないというつもりでそんな行為に及んだカレンだったが、鎧から返ってくるはずの硬質な物を叩いた時の感覚が無い事にカレンが気が付いた。
「ん、なんだ?」
恐る恐るカレンが鎧を叩いた拳を退け、鎧の左胸を見た。
そこにはライの剣によって幾重にも重なるように傷つけられた傷の中央部分にポッカリと穴が開き口を広げていた。
その光景に唖然とするカレンに、ライが再び頭を下げる。
「すみません…」
「穴が開いてるー!」
「馬鹿力…」
「ママすごーい!」
目の前で起きた出来事に反応を示す三人の少女、特に表情に変化のないフィア、そして増々申し訳なさそうに頭を掻くライを除く全ての人間がカレンの鎧に空いた穴を見て唖然とした表情を浮かべていた。
カレンは鎧に空いた穴に恐る恐る指を這わせ穴の周りを確かめる。
良く確認して見れば一見乱雑に斬りつけられていたように見えた左胸の傷だったが、そのどれもが開いた穴へと真っ直ぐに伸びている事に気が付いた。
あれはあくまでもライの実力を見るためのテスト、だからこそライはカレンを傷つけないよう自身の技量を示すように攻撃を掻い潜り、ピンポイントに心臓に位置する部分にのみ攻撃を当てていた。
実力を示す以外の何の意味もない攻撃、そうカレンは考えていた。
だが実際は鎧の表面を削り、幾重にも傷を重ねる事で鎧によって堅く守られた心臓を貫けるだけの用意をしていたのだ。
勿論、実際に貫くつもりは無かっただろうがそれでもその事実にカレンは戦慄を覚えた。
(鎧の厚さはたかだか数ミリ程度、とはいえ剣でいくら表面を何百回と引っ掻いた所でこうはならない)
改めてカレンは無数につけられた傷の一つに指を這わせる。
(思っていた以上に傷が深い…)
剣で鎧を傷つけようとした場合、下手に剣を鎧に振り下ろせば剣はいとも容易く折れてしまうだろう。
しかしライは鎧に対し直接剣を叩きつけるのではなく、掠り当てるように剣を振り抜いていた。
それにも関わらず、カレンの鎧に刻み込まれた傷は明らかに掠り当てたとは思えない程に深い物であり、ライの放った剣がどれだけ鋭かったかを如実に物語っていた。
「コイツはとんでもない男を雇っちまったのかもしれないねぇ…」
三人の少女にじゃれつかれ、困ったような顔をしているライを見つめながらカレンはそう呟くのだった。
食後の雑談を終え、明日も早いからと見張り役を一人残してそれぞれが自分に割り当てられた天幕へと入っていく。
三つある天幕のうちの一つ、ライとフィアに割り当てられた天幕の中でライは木箱の上に乗せられた本に向かって何やら文字を書き込んでいた。
ライが書いていたのは旅の記録であり、内容的には日記と変わらないが毎日書いている訳ではなく、ライは旅を始めた当初から何か面白い出来事や記憶に残る出来事があった時にだけ記録を残していた。
そんなライの背後からライの手元を覗き込むようにフィアが顔を出す。
「ライ、その木箱どうしたの?」
「エリオさん机の代わりになりそうなものは無いですかって聞いたら商品を入れる空の木箱を貸してくれたんだよ」
「商品って?」
商品という単語に首をかしげるフィアに、ライもそんなフィアを不思議に思うように首をかしげた。
「あれ、エリオさんが行商人をやっているって依頼を受けた時に一緒に聞いてたよね?」
「その場には居たけど別に護衛対象が何をやっていようと護衛する事には変わり無いわけだし、興味も無かったら聞いてなかったよ」
「あぁ…うん、なるほど」
どうやらフィアの中では護衛するという点だけが重要な部分であり、それ以外の話はどうでも良い話と判断してその一切を聞き流して居たようだ。
そんなフィアをライはフィアらしいと思いながらも依頼を受けた時に話したことを改めてフィアに説明する。
「今回俺が受けたのは闘都――軍事国家ヴァーレンハイドの首都であるヴァーロンまでの護衛任務だよ」
「国を渡るの?」
「いや違うけど…って、もしかしてフィア今まで自分がどこの国に居るかとか知らなかったの?」
「うん、別に興味も無かったから」
あっけらかんというフィアに対し、ライは一体どこから説明した物かと頭を悩ませながらも説明を続ける。
「えーと、俺達が最初に旅立ったガダル、それにブルガスやマリアンベールもヴァーレンハイドに属する街なんだよ。だからまだ国境を跨いだ事はないんだ…っと、話を戻すけど闘都までは大体一週間の予定で途中に盗賊が出るかもしれない危険な場所があるから、俺達はそのために雇われたって感じかな」
「危険な場所?」
「ここに到着した時、先の方に森が広がっていたのが見えなかった?。あの森は”魔物嫌いの森”って呼ばれる魔動地帯なんだよ」
「魔動地帯?」
ライの説明にフィアは増々首を大きく傾げる。
「魔動地帯っていうのは、その場所に流れる魔力の量が一定ではなく常に変動してる特異な場所を示す言葉なんだけど、フィアは知らないの?」
そう説明したライの言葉に、フィアは納得したような表情を浮かべた。
「それなら知ってるよ、ライ達はあの空間の事をそう呼んでるんだね」
「ライ達は…って事は、フィアは別の名前で呼んでるの?」
「いや、特に呼称を付けた事はないよ。私からしたらそれがどこにあって、そこに何があろうと空間はただそこに広がっているだけの空間でしか無いんだから。いちいち空間一つ一つに呼称を付けてたらキリが無いでしょ?」
「た、確かにそうかもね…」
改めてフィアと自身の感覚の違いに戸惑いながらもライは説明を続ける。
「えーと、その魔動地帯なんだけど高ランクの魔物なんかは魔力のない場所を嫌って寄り付かないんだ。だから今から行く場所は危険な魔物も殆ど居ないし、魔物に関して言えば比較的安全な場所であるんだ」
「あれ?でもさっきは危険って言わなかった?」
「言ったよ。安全と言っても高ランクの魔物に襲われる心配が無いってだけで、それ以外の危険が無い訳じゃない。さっきも言ったけど魔物嫌いの森には盗賊が良く出るんだ。危険な魔物も居らず、森の中で姿を隠す場所には困らない。さらに魔動地帯だから魔力が安定して補給出来ない以上、魔法だって迂闊に使えない相手に奇襲しつつ数で攻める事を前提にすればこんなにも襲撃にうってつけの場所は無い」
魔法を使えないというのは襲撃側にも言える事だが、どれだけ不利な状況でも一瞬にしてそれを覆してしまうのが魔法だ。
それを封じる事が出来たのなら、ライの言ったように奇襲しつつ数で圧倒し一気に押し込んでしまえば殆ど被害を受ける事無く襲撃を成功させる事が出来るだろう。
「だから危険を少しでも減らすために魔物嫌いの森は休憩無しで一気に抜ける必要があるんだけど、休憩無しでも森を抜けるのに半日は掛かるんだ。だから街を昼過ぎに出て夕暮れ前に森の入口に辿り着くように時間を調整したんだよ。次の日の朝から一気に森を抜けるためにね」
「なるほど、じゃあ今回の護衛でライを雇ったあの人は運が良かったね。魔法抜きの戦いならライに勝てる人間なんてそうは居ないだろうしね」
「そう、だね…」
フィアの言葉に同意しつつもライは何やら歯切れの悪い言葉を返しながら、何やら考え事をしているようだった。
それから少ししてライは何かを決心したような顔をするとフィアに向かって口を開いた。
「ねぇフィア、俺に始源の使い方を教えてくれないかな?」
ライのその言葉にフィアは一瞬キョトンとした表情を浮かべるも、すぐに目を細め厳しい視線をライに向ける。
「ライ、それは魔力を阻む始源を除けるための制御の話ではなく、始源を始源として使いたいからその扱い方を教えてくれって、そう言ってるの?」
魔力を阻む力ではなく、全ての源である万能の力として使いたいのかとフィアがライに問う。
「…うん、そうだよ」
ライがそう頷いた瞬間、フィアから剣呑な雰囲気が漂ってくるのをライは感じていた。
その雰囲気に一瞬ライは飲み込まれそうになったが、顔に冷や汗を垂らしながらも言葉を紡ぐ。
「あの時、窯の底で俺はフィアにあの人達を解放して欲しいと、助けて欲しいと願った。それは俺にあの人達を救えるだけの力が無かったからだ」
あの時の事を思い出しながらライが続ける。
「…あの時、最後はフィアに全部を押し付けるような形になってしまった」
「それはライには無理だったから仕方のない――」
「分かってるよ。あの時の俺にはあの人達を助ける事が出来なかった事くらい分かってる」
フィアの言葉を遮りながら悔しさを噛み締めるようにライが両の拳を握りしめる。
「だからこそ、このままは嫌なんだ。この先もしかしたらまたあの時と同じような事があるかもしれない。その時答えだけ出して後はフィアに丸投げするような事はもうしたくないんだ!」
暗い窯の底の地面の冷たさ、意識を失う刹那に感じた無力感、もうあんな思いは御免だとライはフィアに己の思いをぶつける。
「フィアに頼るだけの人間にはなりたくないんだ。今の自分には無理だとしても、努力する事でいつか出来るようになるのなら俺はそれに挑戦したい」
「………」
「フィアは前に言ったよね。”その先を目指さなきゃ”って」
「それは…」
ライのその言葉にフィアが動揺したような素振りを見せる。
確かに以前フィアはライに対してそんな言葉をかけた事があったが、あれは魔法が使えないと思い込んで凝り固まってしまっていたライの考えを壊すために発した物だ。
少なくとも始源を扱えるようになれという意味で言ったつもりはフィアにはなかった。
「例え普通に魔法が使えるようになったとして、それでもまだ俺には出来ない事が沢山あると思う。どれだけ頑張っても出来ない事だってあると思う。それでも頑張ればまだ出来る事が俺にあるのなら、俺は頑張りたいと思うんだ」
フィアの目を真っ直ぐ見つめながら、ライが真剣な顔でそう言った。
そんなライにフィアは顔を俯け何やら葛藤している様子だったが、やがてゆっくりと口を開いた。
「…私はライが力を付けていく事をとても好ましく思う。でもそれと同時にライには始源に頼るような人間にはなって欲しくない」
もしライが始源を自在に操れるようになれば、ライの言っていたような出来ない事など無くなってしまうだろう。
それが決して悪いという事ではないが、フィアはライが始源を自在に操れるようになった際、それに頼りきりになってしまうのではないかと思ったのだ。
刃を突き立てれば簡単に死んでしまう脆弱な魔物も、剣や魔法でも倒せないような強大な魔物も、始源の前には等しく無力だ。
フィアが以前やって見せたように、始源を使いその存在を塗り潰すだけで簡単にその存在を抹消する事が出来る。
人間は一度力を手にしてしまえば、その力に溺れる生き物だ。
それ程の力を手にした時、ライが今まで積み上げてきた物が一瞬にして無駄になってしまうのではないか。
そう考えるだけでフィアはライに始源を始源として操る術を教える事を躊躇してしまう。
でもそれと同時にライの言っている事も間違ってはいないと思ったし、努力しようとするライの姿を好ましくも思った。
ライを応援したいという気持ちとライを堕落させたく無いという想い、その二つの間で揺れていたフィアだったが、自分を見つめるライの視線に押されるように口を開いた。
「…始源の扱い方を教えるにせよ、始源を動かすだけで集中力が必要になるような今の状態じゃとてもじゃないけど始源を扱うなんて不可能だよ」
「それじゃあ一体どうすれば?」
「まずは始原の出し入れをもっとスムーズに出来るようになる事、それが第一条件だよ。少なくともそれが出来るようになるまでは始原の扱い方は教えない」
ライに始源の扱い方を教えるかどうか、それを決めかねたフィアは答えを先延ばしにするような言葉を言った。
フィアの言った言葉に偽りは無いし、実際今のまま始源の扱い方を覚えてしまえば誤って自分の体内に溢れる始源によって自身の存在を塗りつぶすという事になりかねない。
何にせよ、ライが始源を始源として扱うためにはフィアの言う通り出し入れくらいはスムーズに行えるようにならなければならない。
説明があった訳ではないが、ライもそれを感覚的に理解したのだろう。
ライは神妙な面持ちでフィアの言葉に頷く。
「とりあえず、始源の出し入れをスムーズにするためにも特訓をしなきゃだけど、流石に護衛中に全身から始源を垂れ流す姿を見られるのも具合が悪いからね。始源については極力一目に触れないようにしたいし、ちょっと変わった特訓にしようか」
「変わった特訓…?」
フィアの言葉にライが不安げな顔をする。
ライの頭の中にはマリアンベールで受けた暴力――ではなく特訓の記憶が蘇っていた。
「まぁ、特訓は明日からにして今日はもう寝ようよ。明日の朝も早いんだし、特訓の内容については明日のお楽しみって事にしてね」
そう言って意味ありげに笑みを浮かべるフィアに、ライは増々不安を募らせていった。
こうして護衛初日の夜が更けていくのだった。
自分の言うシリアスは雰囲気が重いとかそっちの方なので、真面目はシリアスに含まれません!(言い逃れ)
まぁ、このくらいなら自分の中じゃまだ全然シリアスにも含まれない感じです。
とはいえ多分ここがこの章での一番の真面目要素、後はコメディと戦闘くらいです。