クラック
カレンとライが刃を交え始めてから数分の時が流れた。
最初は何度か突撃と離脱を繰り返していたライだったが、新しいクラックの扱い方に慣れたのか徐々にその距離を詰めて行き、今では二メートルの距離を維持しながらカレンと切り結んでいた。
(何だこの違和感は…!)
刃を交えながらカレンは困惑とした表情を浮かべる。
(噛み合わない…何もかもが!)
ハルバードを振り下ろすと刃の腹の部分を剣で叩かれ攻撃を逸らされ、不用意に横薙ぎに振るえば一瞬にして刃の届かぬ懐へと潜り込まれる。
その度にライの剣はカレンの身につける鎧の左胸の辺りに切り傷を一つずつ増やしていく。
既にカレンの鎧の左胸の部分には何十本もの線が刻み込まれていた。
自分が良い様にやられている。
その事実にカレンが歯噛みしながらも、カレンは先ほどから感じている違和感の正体を探る。
(コイツの戦い方は私のとは根本的に何かが違う…!)
普通の冒険者が魔物と相対する時、彼らが常に心掛けている事がある。
それは”一撃必殺”、魔物を相手にする際、普通の冒険者は一撃で終らせる事に注力する。
自分よりも体格も身体能力も生命力もその全てを上回る魔物を相手に戦闘を長引かせるのは不利になる事はあっても有利になる事はない。
故に戦闘を短時間で済ませるために刃で一撃で殺せる魔物は刃で、刃で一撃では殺せない魔物は魔法で対処する。
それが一般的な冒険者の戦い方だった。
だがライの場合はそうはいかない。
一撃で殺せない魔物と相対したとしても、魔法が使えなかったライには剣で攻撃する以外の手段が無い。
普通の冒険者であれば一撃、もしくは二撃見舞ってもビクともしない魔物に遭遇した時点で逃げる事を選択するだろう。
しかしライはどれだけ小さな一撃だったとしても、その一撃が魔物の身体を傷つける事が出来たのであれば逃げ出す事はしなかった。
一撃で倒せぬのなら二撃、それでも足りないなら四撃、五撃と魔物が倒れるまで攻撃を止めなかった。
そうしなければ、とてもじゃないが魔法を使えないライがCランクにまで上り詰める事は出来なかったからだ。
一撃で相手を殺す事を常とするカレンと手数で相手を倒す事を常とするライ。
一撃必殺と多撃必倒。
異なる二つの戦い方だ、噛み合う訳が無い。
ライのペースに乗り、至近距離での連打を繰り返していたカレンの顔には玉のような汗が浮かび、カレンが激しく動く度に辺りに汗が飛び散っていた。
一方のライは多少の汗はかいていたが、呼吸も乱れた様子も無く冷静にカレンの攻撃に対処しながらカレンの鎧の左胸の部分に傷を増やしていく。
もうこの時点でカレンに勝ちの目が無い事は誰の目にも明らかだった。
カレン自身それを分かっていながらもハルバードを振るう事を止めなかった。
四肢が動く限り、武器を振るう事が出来る限りカレンがこの試合の決着を認める事は無いだろう。
それをライは理解したのだろう、至近距離で切り結ぶ事を止め、繰り出された一撃を後ろに飛ぶ事で躱そうとする。
ライの身体が後ろに下がるのを見たカレンは空振りしそうになったハルバードを身体が悲鳴を上げる事も気にせず急停止させ、その場から大きく踏み込みライ目がけて思いっきり突き出した。
(当たる!)
ライとカレンの距離は三メートル、柄を長く持ち突き出せば届く距離だった。
ハルバードの穂先とライまでの距離は数十センチ、この距離では躱す事も出来ないとカレンがこの勝負の決着を確信したその時、カレンの手に握られていたはずのハルバードが姿を消した。
「…は?」
呆けたような顔をするカレンの背後の地面に天高く打ち上げられたハルバードが音を立てて叩きつけられる。
一瞬何が起きたのかを理解出来なかったカレンだったが、何かに思い至り目の前でまるで何かを蹴りあげた後のように片足を大きく上げたライを睨みつけながら口を開く。
「身体強化は無しだって話じゃなかったかい?」
ハルバードの穂先がライを貫こうとしたあの時、ライは自身に向かってくるハルバードの柄を蹴り上げたのだ。
ハルバードの重量は平均的でも三キロはある。
しかもカレンのハルバードは硬い皮膚を持つ岩のような魔物でも一撃で殺せるように作られた特別製であり、重量も並みの物ではない。
それを蹴り上げるなど通常の人間の脚力では不可能であり、カレンはライが身体強化を使ったのだと考えた。
しかし、そんなカレンの言葉をライは否定する。
「身体強化なんて使ってませんよ。クラックです」
「…あぁ?」
ライが何を言っているのか一瞬理解出来なかったカレンだったが、ライの足元の地面に刻まれた爆発したように抉れた跡を見てライが何をやったのかを察する。
「アンタ…正気かい?」
冷や汗を浮かべながらカレンは目の前に居るライに対して驚いたような表情をする。
「クラックの反動を利用して蹴り上げた。言葉にするだけなら簡単だが、口にする程決して簡単な事じゃない…」
通常、移動手段でしかないクラックをこのような使い方をする人間は居ない。
何故かといえば身体強化というもっと使い勝手の良い魔法があるからだ。
「身体強化を使えば数キロの鉄の塊を蹴り上げるなんて簡単な事だ。だがクラックの場合はそうはいかない。爆発の反動を利用する以上、その反動を制御する必要がある。失敗すれば足はあらぬ方向に飛んで生き、下手をすれば股関節が外れ、股が裂けても可笑しくない」
カレンの言う通り、同じ事を身体強化でやった場合とクラックでやった場合では大きく異なる。
爆発による反動の制御、失敗した際のリスク、補強されていない肉体に掛かる負荷、これだけのリスクを背負いながらわざわざクラックでやる意味など皆無と言って良いだろう。
「クラックを使う理由があったとしてもそれは身体強化を使えないという今回のような特殊な場合だけ、それ以外であえて理由を探すのなら身体強化よりも魔力の消費が少ないって所かい。とはいえ背負うリスクに対して返ってくる物があまりにも小さすぎる」
しかも爆発の反動制御なんて芸当、思いついてその場で出来ると言う程簡単な物ではない。
それが出来るようになるまで幾度となく繰り返してきたはずだ。
このリスクしかないような行為を何度も、何度も、正気の沙汰ではない。
だが目の前に居る者はそれをやってのけたのだ。
この時点でカレンは自身の目の前にいる者が見た目通りの若輩などでは決してない事を悟る。
「もう認めるしかないね…武器を失った私の負けだよ」
カレンは諦めたような笑みを浮かべると、両手を挙げて負けを認める。
そんなカレンに対しライは苦笑いのような表情を浮かべる。
「一体いつから勝った負けたの話になったんですか。これはテストだったんじゃ無いんですか?」
そう言って笑うライに、カレンは少し恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「し、仕方ないだろう!やってる間に熱くなっちまったんだよ!大体それはアンタも同じだろうが!」
「否定はしませんよ。それよりも俺はテストに合格したんですかね?」
「嫌味を言うねぇ…負けを認めておいてまさか不合格だなんて言える訳がないだろう」
そう言いながらカレンは笑みを浮かべながらライに向かって手を差し出す。
ライも同じように笑みを浮かべ、カレンの手を取った。
「闘都までの間だが、よろしく頼むよ。ライ」
「はい、こちらこそよろしくお願いします。カレンさん」