険悪な始まり
マリアンベールから東へと伸びる街道に、二つの荷馬車の姿があった。
先頭の荷馬車の御者台には中肉中背の中年の男性とその男性よりも若く背中にはハルバードを携えた20代後半女性が、その後に続くもう一台の荷馬車の御者台には先程の女性よりもさらに若い二人の女性の姿があった。
「はぁ…まったく、アンタに全部任せたのは失敗だったね。こんな事なら私もギルドに同行するんだったよ」
先頭の荷馬車の御者台に腰を下ろしていた女性が不満げにそう言葉を溢す。
そんな女性に対し、男は冷や汗をかきながら反論する。
「さ、さっきも言っただろう。私はお前達が心配で――」
「心配だって言うならもっとマシなのを雇えって言うんだい、私は護衛を雇うって聞いたのに子守りを雇うなんて聞いた覚えはないよ」
「むぅぅぅ…し、しかしCランクの冒険者だと言ってるんだ、最低限の力はあるはず…」
「だとしても護衛にたった二人、しかもその片割れの少女はただの同行者で冒険者でも何でもないって話じゃないか。どこの世界に護衛の依頼に足手まといを引き連れてくる馬鹿が居るんだい」
女性は露骨に不愉快そうに顔をしかめると御者台から身を乗りだし、自分達の背後を走る荷馬車の方へと視線を向ける。
「そもそも、クラックブーツなんて履いてる若輩が本当にCランクに相当する力を持っているかさえ怪しいってのに…」
後ろをついてくる荷馬車の荷台に鋭い視線を向けたまま女性がそう独り言を呟いた。
そんな女性が視線を向けている荷馬車の荷台の中には6人の人間の姿があった。
「ねぇみてみて、これ私が作ったの!」
「ん…だっこー」
「キャハハ、お兄さんの顔おもしろーい!」
「ひょ、ふぃーあひゃん、ひほのはほであほばなひへ」
はしゃぎ回る三人の女児に囲まれ良いように遊ばれている青年が1人。
「ライって子供に良く好かれるよね」
「三人共、迷惑かけちゃ…駄目」
弄ばれる青年の姿を我関せずと言った様子で眺める少女と、三人の女児を注意する水色のローブを被った大人しい印象を受ける女性が居た。
頬を引っ張られ変顔を披露していた青年――ライは自分の頬を引っ張る女児を優しく抱き上げゆっくりと自身の顔から引き剥がすように持ち上げる。
「んーー!やーー!」
「いひゃい!いひゃい!」
意地でも手を放そうとしない女児の猛攻を受けライの顔が今までに無いほどに引っ張られるも、やがて女児の方が根負けしライの顔から手を離す。
「うぅぅ…顔が凄いヒリヒリする」
「むー!お兄さんの意地悪!」
「意地悪じゃない…」
ライに抱えられたまま不満げに頬を膨らませる女児の背後にはいつの間にか水色のローブを纏った女性が立っており、ライの手から女児をひょいと持ち上げる。
女性は女児を抱えるとライの顔をじっと見つめた後、頭を下げる。
「ごめんなさい、うちの子が」
「いえ、大丈夫ですよこれくらい」
両の頬をさすりながらライが答える。
しかしそれでもまだ女性は気が済まなかったのか、今一度ライの顔を見ると先程と同じように頭を下げた。
「…ごめんなさい」
「えーと…だからそんな謝る必要なんて無いですよ。子供のやる事ですし、それに子供の相手には慣れて――」
「違う、そうじゃない」
ライの言葉を遮るように、女性が少し強い口調で言う。
「…出発前の時、カレンが貴方に酷い事言った。ごめんなさい」
「あー…いやまぁ、カレンさんの言ってる事も分かりますし、それにライラさんが謝る事じゃないですよ」
そう言いながらライはマリアンベールを発つ直前の出来事を思い返していた。
時を遡ること数時間前アルミリア達と別れた後、ライは闘都までの護衛を依頼してきた人物を待っていた。
待ち始めてから少しした頃、正門から二台の荷馬車が現れ、その御者台に腰かける中年の男性に見覚えのあったライが声をかける。
「エリオさん」
「あぁ、ライさんどうもすみせん。お待たせしましたか?」
「いえ、約束の時間よりも早く来ていたのは自分ですからお気になさらず」
そう言いながらライが荷馬車に近づくと、もう一つの荷馬車の御者台に座っていた女性がエリオに声を掛ける。
「エリオ、この人達が護衛の?」
「そうだよ。ライさん紹介します、妻のフローリカです」
茶色でウェーブの掛かった長い髪、ゆったりとした服を着た優し気な雰囲気を漂わせる女性だった。
「フローリカです。今回はよろしくお願いしますね」
「よろしくお願いします。お話では御子さん居るって聞いたのですが…」
「えぇ居ますよ。おーい皆!今回護衛を引き受けてくれた冒険者さんを紹介するから出てきてくれ!」
「はーい!」
エリオが荷馬車に向かってそう叫ぶと、荷馬車の荷台から小さな影が一つ勢いよく飛び出してくる。
「ニーナ、待って…!」
その影を追うように水色のローブを纏った女性が荷台から降り、飛び出した影を捕まえる。
「急に飛び出したら危ない…」
「えー!だってパパが!」
小さな影の正体、ニーナと呼ばれた7歳程の小さな女の子がローブ姿の女性に抱えられながら不満気に言う。
すると荷馬車の荷台から両脇にニーナと呼ばれた少女よりも小さな女の子を抱えながら降りてくる。
「ハイハイ、お話は後でね。それよりも先に自己紹介しなきゃ」
両脇に少女を抱えた女性が先に馬車から降りた二人に向けて言った後、ライの方に向き直り自己紹介をする。
「いきなり騒がしくてごめんねお兄さん、私はノーラって言うの。弓の扱いが得意だから牽制や援護なら任せてね。そんで私が両脇に抱えているのが――」
「アミナ、です!」
「…フィー」
ノーラに促されるように黒色の髪の少女は活発に、水色の髪の少女は眠たげに自身の名前を告げる。
その後に続くように先程の二人もライに向かって自己紹介をする。
「私はライラ、魔術師…攻撃よりも回復の方が専門」
「私ニーナ!ねぇねぇ!お兄さんって冒険者なんだよね!お兄さんは――」
「ニーナ、質問は後」
「むぐぐー!」
そう言いながらライラがニーナの口元を抑え、口元を抑えられたニーナが不満を露わにするように四肢をジタバタさせる。
個性の強い面子の登場にライは苦笑いを浮かべつつも、自己紹介を返す。
「自分はライ、Cランクの冒険者で旅をしています。そして隣に居るのがフィア、冒険者では無いですけど頼りになる旅仲間です」
「よろしく」
何時も通りの必要最低限の挨拶ではあったが相手が依頼人という事もあり、フィアは軽く頭を下げる。
フィアが下げた頭を上げると同時に、いつの間にか接近していたノーラがフィアの頭を抱きしめる。
「んー!フィアちゃんか!可愛いねー!」
「い、いきなり何――」
「いやー!中々居ないよーこんな可愛い子!お兄さんもやるねー」
「そ、そうですかね…?」
二人の少女を両脇に挟んだまま、器用に両手でフィアの頭を撫でまわし、抗議するフィアをそっちのけでライに話しかける。
そのあまりの自由っぷりに若干引き気味になりながらもライがそう返す。
「よっ、色男!」
そうライをからかいながらもノーラはフィアの頭を撫で回し続ける。
一向にやめる気配のないノーラに対し、ライは一旦ノーラから視線を外すとエリオへと視線を向け直す。
「えーとこれで互いに挨拶は終わりですよね。早速出発しますか?」
「え?あーいやその…」
ライの言葉にエリオが歯切れの悪い返答をする。
その事にライが首を傾げているとエリオの背後、ライから死角になっていた荷馬車の影から一人の女性が姿を現す。
「エリオ、コイツがアンタが雇った護衛の人間かい?」
ライと同じかそれよりも少し高いくらいの身長、金属鎧に身を包み背には巨大なハルバードを背負った如何にも戦士といった風体の女性がライに対し値踏みするような視線を向ける。
不躾なその態度にエリオが注意しようとする。
「カレン、初対面の人に対していきなり――」
「ふん、エリオこれは一体どういう事だい?」
カレンと呼ばれた女性がエリオの言葉を遮るように語気を強めて言い放つ。
「私は戦都までの護衛を雇うって聞いて居たと思ったんだけどね」
ライに睨むように見ていたカレンだったが、ライから視線を外すとエリオに対し厳しい視線を向ける。
「私はてっきり屈強な男連中でも雇ってくるもんだと思ってたのに…なんだいこのヒョロいのは。護衛って言うのはただ戦えればそれで良いって訳じゃない。そこに居るだけで相手を威圧し、迂闊に手を出せないようにする事も重要なんだ。それなのに――」
片足が地面にめり込む程にカレンが力強く地面を踏みつけ、エリオに対し怒りを露わにする。
「一体どこの世界にこんな威圧感の欠片もない二人を見て逃げ出すような人間が居るって言うんだい!?クラックブーツなんて履いてる駆け出しにしか見えない冒険者と虫も殺した事が無さそうなただの少女相手に!ほら言ってみな!!」
「う…それは…」
「言えないって事はアンタもそう思ってるって事だよ。一体何考えてこんなのを雇おうなんて考えたんだい」
「それはお前達の事が心配だからだ!カレンの言う事も確かに分かるが、荒くれ者を護衛に付けてもしお前達の身に何かあったらどうする!?女に餓えた男達がどういった行動を取るかなんて言わなくても分ってるだろ!?」
「それで人畜無害そうで女付きの人間を雇ったってのかい?。その結果野盗に襲われたんじゃ意味が無いだろうに!!」
ヒートアップしていく二人の言い争いにノーラが割って入り、それに続くようにフローリカも二人を宥めに入る。
「あーハイハイ、とりあえず落ち着きなよ二人共。夫婦喧嘩なら後でいくらでもやってくれて構わないけどさ、ここが街の入口だって事忘れてない?」
「ノーラの言う通りです。こんな所で言い争いをしていたら他人の迷惑になります。とりあえずお話は後にして出発しませんか?。せっかく時間を見計らって出てきたのにこのままでは意味が無くなってしまいます」
二人のその言葉にカレンとエリオは言い争いを一旦やめる。
「それもそうだね。魔動地帯を警戒してこんな時間から街を出る事にしたってのに、ここで無駄に時間を浪費してたら意味が無くなっちまう。どのみち今からじゃ別の護衛を用意するのも無理だろうしね」
そう言うとカレンはライの方へと向き直る。
「アンタに一応言っておくけど、ランクをいくら詐称した所で報酬が増える事は無いからね」
「ラ、ランク詐称って――」
カレンの口から飛び出た思ってもいなかった言葉にライが両目を見開き驚いたような表情をするも、当のカレンはそう吐き捨てるように言うとライの事を無視してそのまま背を向けて荷馬車の方へと歩いて行く。
「…これはまた気を遣う護衛依頼になりそうだな」
カレンの背を見つめながらライがボソリと呟き、この護衛依頼の行く先に不安を覚えるのだった。