新たなる二人の旅立ち
イザベラを石板で行動不能にした後、ライ達は街の正門を通り街の外に出ていた。
時刻は丁度昼頃、こんな時間から街の外に出る人間は少なくライとフィア、正門を守る兵士達を除いて人の姿は見えない。
「しまったな…つい街の外まで出ちゃったけど、これなら街の中で時間になるまで待ってれば良かったね。こんな所で待ってたらさっきの人に見つかっちゃうな」
「それは大丈夫、あの石板はそう簡単に壊せる物じゃないし退けるにしても何人がかりでやっても数時間はかかるよ」
「俺達が去る間も後ろでずっとドシンドシン音がしてたけど…生きてるのかなあれ」
イザベラの安否を心配しながらも、ライは周囲を見渡す。
こんな身を隠す物も何もないところにただ立っていては本当に見つかってしまうと、何か身を隠せる場所は無いかとライが視線をあちこちに向けていると、ふとライが右耳に違和感を覚える。
その違和感の正体に気が付くと同時に、耳元に囁き声のような物が聞こえてくる。
『ライさーん、フィアちゃーん!』
「この声は…」
ライが声の主の姿を探す。
すると正門から死角になっている街の外壁の影に、か細い腕がライ達を誘うように手招いてるのを見つける。
ライとフィアがその手に誘われるようにそこに近づいてみると、外壁の影からひょっこりとアルミリアが顔を覗かせた。
「お二人共、お久しぶりです」
「ミリア!?何で街の外に?」
「何でって、まぁ話せば色々あったんですけど…まずはそれよりも」
アルミリアはそう言うと隠れるようにしていた外壁の影から身を出しライの目の前に立つと頭を下げた。
「ライさん、あの時助けていただきありがとうございました!」
「ちょ、声を押さえて!。こんな所兵士に見つかったら――」
慌てるライに対し、フィアが落ち着くように声を掛ける。
「大丈夫だよライ、私がいつものように認識ズラしておいたから」
「そ、そう?ありがとうフィア」
「やっぱりフィアちゃんは頼りになりますね!」
「お世辞は良いよ。それよりもミリア、貴女はどうしてここに?」
フィアがそう尋ねるも、アルミリアはその問いに答える事なく呆けたような顔をする。
「どうしたの?」
「フィアちゃん、今自分から私の名前を…それも愛称で!」
興奮気味に言うアルミリアの言葉に、そう言えばとライも続く。
「本当だ。いつもはあの子とか、貴女とかで呼んでたのに。あれ?そういやちょっと前にミリアが居ない時にミリアって呼んでた事があったような…」
「えー!?ライさん、そういうのはもっと早くに教えてくださいよ!」
「いや、ミリアと中々会えなくなってからの話だし、ちょっとそんな事気にしてる余裕が無かったと言うか…」
「そんな事って何ですか!あのフィアちゃんが私の事を愛称で呼んでくれたんですよ!?これはもう大事件ですよ!!」
「た、確かに…あのフィアが他人を愛称で呼ぶなんて大事件かも」
「二人は一体私の事を何だと思ってるのかな?」
笑みつつも静かな怒りを湛えながらフィアが二人ににじり寄る。
そんなフィアにライは怯むも、興奮した様子のアルミリアは逆にグイグイとフィアに詰め寄る。
「フィアちゃん!もう一回!もう一回呼んで下さい!」
「なっ…何で意味も無く名前を呼ばなきゃ――」
「意味はあります!大いにありますとも!だからはい!大きな声でもう一度!」
こうなったアルミリアがそう簡単には引き下がらない事を知っていたフィアは、ため息を吐き諦めたような顔をする。
「ミリア」
「はい」
「…これで満足した?」
「はい!」
恥ずかし気にそっぽを向くフィアにアルミリアが満面の笑みを浮かべながら返す。
フィアは恥ずかしさを紛らわせるようにアルミリアにもう一度同じ質問をする。
「そ、それよりも一体何でこんな所に居るの?。そんな大きな鞄背負って見送りに来たって訳じゃ無いんでしょ?」
フィアの言う通りアルミリアの背中には大きな鞄が背負われており、どう見ても見送りに来たというような様子ではない。
「実は…」
アルミリアは少し言い辛そうにしならがも、ライとフィアに向き直り口を開く。
「旅に出てみようと思うんです」
「旅に?」
アルミリアの口から飛び出た言葉にライが驚く。
今まで街の外はおろか、家からもロクに出たことが無かったアルミリアが自ら旅に出るというのだ。
「どうして急に?」
「…この一週間、色々と考えたんです。祭りを台無しにしてしまった私に何か出来る事は有るのか無いのか、有るのだとしたらそれは何なのか、どうすれば良いのか」
アルミリアの視線は空中に向けられ、何処か遠くを見るようにしながらこの一週間の出来事を思い返していた。
「考えて…考えて、そして決めたんです。私に出来る事を探しに行こうって」
ライとフィアの顔を交互に見ながらアルミリアが続ける。
「そのためには屋敷の中に籠っていたのでは駄目だと考えたんです」
「なるほど…それで旅ね」
「でもミリア、旅をするにしてもこれからどうするつもりなの?。特に当ても無いって言うなら俺達と一緒に来ない?。正直言ってミリア一人じゃ旅は無理だよ」
ライの誘いにアルミリアは首を横に振る。
「ライさんありがとうございます。でももう行先は決めてあるんですよ。それにお二人は確か闘都までの護衛依頼を受けてましたよね?」
アルミリアの言う通り、実はライは闘都までの護衛依頼を受けていた。
その護衛の約束の日が今日であり、そのためライはあの男に一週間後に街を出ると告げたのだ。
「私の目的地は魔都なんです。闘都はここから東の方角、魔都はここから西の方角と正反対ですからね。残念ですけど私はお二人とご一緒する事は出来ません」
「そんな…でもミリア一人じゃ――」
心配するライの言葉にアルミリアが微笑みながら言葉を返す。
「大丈夫です!実は私を旅に誘ってくれた人が居るんです」
「ミリアを旅に?」
「はい、なのでご心配は無用です」
「…そっか」
一人ではないというアルミリアの言葉に、ライは素直に引き下がる。
アルミリアを旅に誘った人物とは一体何者なのだろうか?。
その人物について気になったライだったが、だがそれ以上にライにはどうしても一つアルミリアに対し聞いておきたい事があった。
「ミリア」
「はい?何でしょう?」
「…この一週間の間ミリアの所にさ、その…」
黒衣を纏った男が姿を見せなかった?。
ライはその一言を言い出せずにいた。
聞いたところで今更何かが変わる訳でもない。
それ所かアルミリアはあの男に操られていたのだ。
下手に思い出させるような事を言えばアルミリアに嫌な思いをさせるかもしれない。
そう考えたら、ライはその後の言葉を続ける事が出来なかった。
「………」
言葉を言いかけ、俯き黙り込んでしまったライをアルミリアが首を傾げ不思議そうに見つめていると、アルミリアの背後から何者かの声が聞こえてくる。
「何しけた顔をしている」
「っ!?」
聞き覚えのある声。
つい一週間ほど前に聞いたばかりのその声にライは顔を上げアルミリアの背後に視線を向ける。
しかしそこに人の姿はなく、ライが視線をあちこちに巡らせていると、ふとアルミリアの背負った大きな鞄、その隙間から上半身だけはみ出したぬいぐるみに目が止める。
以前アルミリアを始めて街へと連れ出した日、怪しげなぬいぐるみの出店で貰ったあの不気味なぬいぐるみだった。
ライは何故か不思議とそのぬいぐるみから視線を外す事が出来ず、じっとそのぬいぐるみを見つめ続けていると、突然ぬいぐるみの身体から黒い瘴気が漏れ出し、それと同時に上半身だけぶら下がっていたぬいぐるみの首がライの方へとグリンと勢い良く向き直る。
「よぉ…」
地獄の底から響くような、それでいながらもどこか諦めたように力ない声がそのぬいぐるみから聞こえてきた。
「………何してるんだお前」
元より不気味な姿のぬいぐるみと黒い瘴気という取り合わせにライは恐怖を覚え、顔を引き攣らせながらもぬいぐるみに取り憑いているのであろう男へと質問を投げる。
「見て分からないか…?ぬいぐるみだ」
「いやそれは分かるけど、何でぬいぐるみの中に?」
「そんなもの、この娘に聞いてくれ」
そう言いながら男がぬいぐるみの手でアルミリアの肩を叩く。
「だって、タッチャンさんが旅に同行するなら入れ物が欲しいって…」
「だからってなんでぬいぐるみなんだ!しかもこんな気味の悪い!!お前の屋敷に鎧とかあっただろう!?」
「あの鎧は私個人の物ではないので、勝手に持ち出すのは駄目だって説明したじゃないですか」
「別に鎧の一つくらい無くなった所で気にするような家でも無いだろうが!こんな身体でどうしろと言うんだ!?」
アルミリアを責めるように男が激しく手を振って肩を叩くも、中身が綿で出来たぬいぐるみの手でいくら抗議した所で意味はない。
そんな二人のやり取りを見ていたライだったが、話を聞いて居た中で気になる事があり質問をする。
「あの、”タッチャンさん”って言うのは…」
「え?ライさんはタッチャンさんと知り合いだったんじゃないんですか?。私はタッチャンさんからそう聞きましたけど」
「いや、そのぬいぐるみの中に入っているであろう男の事なら知ってるけど、名前は聞いてなかったんだ。あんた”タッチャン”って名前だったのか?」
「そんな訳あるか!私の名前は”タチャ”だ!断じて”タッチャン”なんてふざけた名前ではない!」
「そう大差無い気もするのだけど」
「全然違う!」
冷静にツッコミを入れるフィアに対し、タチャが噛みつく。
「仮にお前の名前が――そういえばお前達の名前を聞いてなかった」
「そういえば自己紹介もしてなかった。俺はライ、Cランクの冒険者だ。こっちはフィア、俺の仲間で一緒に旅をしてる」
「そうか…じゃあライ、フィア改めて言おう。仮にお前達の承諾も得ぬままラッチャンだのフッチャンだの呼ばれてみろ。お前達はどう思う?」
「ラッチャン…」
「フッチャン…」
ライとフィアはタチャの口にした名前を頭の中で反芻する。
微妙な表情を浮かべる二人の心の内を代弁するようにアルミリアが言葉を発する。
「んー…タッチャンさん、流石にそのセンスは無いと思いますよ」
「無いね」
「私でもそんな名前はつけないよ」
「誰が私のセンスを酷評しろと言った!?あとアルミリア!お前にだけは言われたくはない!!」
「なぜ私にだけ名指し!?」
「タッチャンなんてふざけた名前をつけた張本人はお前だろう!言っておくが私はまだタッチャンさんと呼ばれる事に納得した訳ではないからな!」
そう吠える男に対し、アルミリアが不満そうに頬を膨らませながら反論する。
「だって、タチャさんだと何だか言い辛いですし、それならタッチャンの方が愛称見たいで言いやすいし可愛いかなーと思ったりもしたんですが、タッチャンさんって私よりも歳上ですからちゃん付けじゃなくてさん付けにしないとって考えたら今の形に…」
「だったらチャンを抜いてタッサンとかでも良いだろうに、なんで頑なにチャンを抜かないんだお前は!」
「チャンを抜いたらタチャの"チャ"の部分が抜けちゃうじゃないですか!そんなの絶対に駄目です!」
「何だその謎の拘りは!?」
目の前で繰り広げられる少女とぬいぐるみの漫才にライとフィアは一言も発すること無くただ黙って二人の様子を見守っていた。
(一体、この一週間で何があったんだ?)
ライが知り得る限り、この二人の接点には蟠りしか無かった筈だ。
窯底に閉じ込めた一族と閉じ込められた一族。
自由を奪われ操られた人間と操った人間。
儀式を完遂させようとした者と邪魔をした者。
どうしようもない程に敵対するしかなかったはずの二人がどういう訳か今こうして共に並び、下らない言い争いを繰り広げている。
そこには相手を避難するような声も混ざってはいたものの、それも本気ではなく言葉の節々からは相手を気遣うように言葉を選んでいる事を感じ取ることができた。
どうしてそんな風にしていられるのだろう。
一体二人の間に何があったのだろうか。
そんな疑問がライの頭の中で渦巻いていたが、ふとライはタチャに対して聞かなければならない事を思い出した。
「なぁ、タッチャン」
「誰がタッチャンだ!お前まで私をそう呼ぶ気か!?」
「あ、いやごめん、そういうつもりじゃなくてただ聞きたい事があって咄嗟に言葉を発したら自然と出てしまったというか…」
慌てたようにそう返すライにタチャは小さくため息を吐きながらも気を取り直してライの用件を聞く。
「それで、聞きたい事とは何だ?」
「お前はミリアの旅に同行するのか?」
「そうだが…それが聞きたい事か?」
「いや、そうじゃない」
ライは首を振って否定すると、本当に聞きたかった事を尋ねる。
「ミリアの旅に同行するという事は、お前とはここで別れる事になる。次に俺達が出会える時が一体何時になるか、もしかしたら二度と会えないかもしれない。もしそうなったらお前は――」
「…?ライさん一体何のお話ですか?」
「お前が気にする事じゃない、黙っていろ」
「むー…」
その二人のやり取りを見てライは確信する。
(やっぱり、アルミリアには呪いを解く方法については話してないんだな)
タチャがアルミリアに何処まで話したのかをライは知らない。
だがもし、アルミリアが呪いを解く方法について知っていたのならタチャと共に旅に出ようなんて考えず、タチャを自由にする事を選んでいただろう。
その証拠にタチャは聞きたがるアルミリアに対し関係ないと言い放ったのだ。
「お前の言いたい事は分かった。確かにお前の言う通りまた再会できる保証も無い。ここを逃せば次の機会は何時になるかも分からない…でもこれが最後の機会という訳じゃ無いだろう」
「最後じゃない?」
「私は長い時を過ごした。終わりの見えない永遠の時間、そんな時を過ごす中で俺は様々な可能性を見出してきた。その殆どが期待外れの代物でしか無かったがな」
タチャは魔窯から解放され、魂とだけとなった後もただ無意味な時間を過ごしていた訳ではない。
一族に掛けられた呪いを解くために奔走していたはずだ。
だが一族に掛けられた呪いは非常に強力な物であり、とてもじゃないが一般的な解呪方法が通じるような代物では無かった。
「どれ程の時が流れたか、いつしか私は諦めそうになっていた。でもそんな時だ」
ロクな成果も得られぬまま、せめて窯の底から出してやりたいと半ば呪いを解く事を諦めかけていたタチャの前にライ達が現れたのだ。
「長い時の中で私はやっとお前と言う存在に、希望に出会えた。長い時を経てお前と言う存在にこうして出会えたんだ。ならば同じように時間を掛ければお前とはこれが最後だったとしても、お前と同じような存在にまた会えるさ」
「本当にそれで良いのか?」
「あぁ、これで良い。こっちは今で無ければ出来ないという訳でも無いし、それに――」
タチャはそう言いながら、アルミリアの頭にポンと叩く。
「コイツとの旅は今で無ければ出来ないからな。コイツとの旅が終わった後でも問題は無いだろう?」
「そっか…分かった。それならもう何も言わない」
ライはそう言うと大人しく引き下がり、タチャはもう何も語る事はないと沈黙する。
そんな二人のやり取りを言われた通り黙って聞いて居たアルミリアだったが、二人の話が終わると不機嫌そうに頬を膨らませる。
「なんか、二人だけで通じ合ってる感じでずるいです…一体何の話だったんですか?」
「その男が言っていたように貴女が気にする事じゃないよ」
「もー恥ずかしがらないでまたミリアって呼んで下さいよ…って、その言い方もしかしてフィアちゃんには二人の話の内容が分かってるんですか!?」
詰め寄るアルミリアに対し、フィアは無言のままそっぽを向く。
フィアの無言は肯定を意味している事はアルミリアも知っていた。
「うぅぅ…私だけのけ者なんてずるいです!そんな風にされると気になるじゃないですかぁ!」
「ご、ごめんねミリア。でも本当にミリアが気にするような話じゃないから」
アルミリアを窘めるようにライが言う。
そんなライの言葉にアルミリアは一瞬だけ不満気な表情を浮かべたが、すぐにそれも消えその表情からは先程までの駄々を捏ねる子供のような幼さが抜け落ちていた。
「ライさん、私に気を遣わないでください。ライさんが私の事を気にして言葉を選んでいるのは分かってます」
「それは…」
「私を傷つけないようにって考えてくれてたんですよね?。でもその心配は要りませんよ。タッチャンさんからお話は聞いていますから、魔窯がどうして生まれたのか、どうやって動いていたのか、私達一族がどんな罪を犯したのか」
怒りか悲しみか、それとも罪悪感か、溢れ出る感情を抑えようとアルミリアの両手が固く握られる。
「タッチャンさんは教えてくれました。そんなタッチャンさんが私に隠そうとしている。それはつまり今の私がそれを知るべきでは無いっていう事なんでしょうね」
「………」
「だから私はこれ以上何も聞きません。それよりも私はライさんに言わなければいけない事があるんです」
「俺に?」
首を傾げるライに向かって、アルミリアが深々と頭を下げる。
「私達一族が犯した罪、本当は私達がどうにかしなければいけなかったのに、それを関係の無いライさんに尻拭いさせてしまいました。本当に申し訳ありませんでした!」
アルミリアは顔を上げるとライの瞳を見つめながら言葉を続ける。
「そして窯の中の人達を助けてくれた事、罪を犯した一族の末裔として感謝します。ありがとうございました…!」
涙ぐみ、声を震わせながら再度アルミリアが頭を下げた。
顔を伏せたまま嗚咽を漏らすアルミリア、三人は一言も発する事無く、ただ黙ってアルミリアが顔をあげるのを待っていた。
やがてアルミリアが顔を上げライとフィア、そしてタチャへと視線を向ける。
タチャは無言のままアルミリアに対し頷くと、二人揃ってライ達の方へと向き直る。
「それじゃあライさん、フィアちゃん、私達はもう出発しようと思います」
「お前達には世話になった。もしまた会える時があれば改めて感謝させてくれ」
「感謝の言葉ならもう二人から十分貰ったよ。二人の旅が成功する事を祈ってる」
「心配しなくても大丈夫だよライ。二人は強いもの、きっと大丈夫」
そんな言葉を交わすと、アルミリアは名残惜しさを振り払うようにその場から駆け出し、距離を置いてからライとフィアに向きなおる。
「お二人共!また会いましょう!その時には今よりもずっと成長した私を見せてあげます!」
「あぁ!楽しみにしてる!」
互いに手を振りながらアルミリアは少しづつその場を離れて行き、やがて後ろを振り返る事も無く街道を西に向かって駆け出していく。
ライはアルミリアの背が見えなくなるまで手を振り続けた。
「行っちゃったね」
「そうだね…ねぇライ、一つ聞いて良いかな?」
「ん?どうしたの?」
ライの顔を見上げるようにしながら、フィアがライに質問する。
「ライは後悔してない?。魔窯の力を奪ってしまった事に」
「後悔…か」
アルミリアのその質問にライは空を見上げたまま、答えを返す。
「その質問には素直に頷けないな」
「…どうして?」
「もし俺が魔窯の力を奪った事に後悔していると認めてしまえば、それはあの人達を助けた事を後悔したという事になってしまう。だからフィアの質問に対して答えるのなら――」
ライは空から視線を外しフィアの顔を見ながら答えを告げる。
「俺は後悔を”したくない”」
後悔を”している”ではなく”したくない”。
それはフィアからすればほんの些細な違いでしかない。
本当に後悔をしていないのであれば、後悔はしていないと真っ向から否定するはずだ。
”したくない”とそう口にするという事は、心のどこかで悔いている事に他ならない。
街一つ、そこに住む住人の未来を奪ったのだ、何も感じないはずがない。
その巨大な罪悪感から逃げ出したいと一瞬でも考えなかったはずがない。
決断なんて、答えなんて出さなければ良かったと、そう思わなかったはずがない。
だが、何度頭の中でそんな事を考えようと、何度答えを出した事を無かった事にしたいと思おうとも、ライは決して後悔している事を認めようとはしなかった。
「俺はあの人達を救った事を後悔なんてしたくない」
それはただの意地でしかないのかもしれない。
「そして同じように、自分がしたことから逃げ出すような人間にはなりたくない」
後悔していると言えば助けたことを後悔してる事になり、後悔していないと言えば、自分が街の住人に対してしてしまった事を後悔していない事になる。
「俺にはそのどちらかだけを選ぶことなんて出来ない」
だからこそ、ライは後悔をしたくないと言った。
後悔したでもしていないでもない、他人から見たら優柔不断で、答えを出すことから逃げているように見えるかも知れない決断。
だがライのこの決断は決して逃げた訳ではない。
いっそ後悔していると、罪悪感に押し潰されてしまえば楽だったかもしれない。
いっそ後悔していないと、人々を助けたという誇らしさだけを抱き開き直ってしまえば楽だったかもしれない。
でもライの決断はそのどちらも捨てること無く、両方を背負って見せるという勇気の決断だった。
「フィア、こんな俺をどう思う?欲張りな人間に見えるかな?。罪悪感に押し潰されそうになってるくせして、意地を張って強がりを言う馬鹿な人間に見えるかな?」
その言葉とは裏腹にライの表情には不安や憂い、卑屈さの色はなくどこか吹っ切れたように微笑みを浮かべていた。
ライは決して自分を貶めるような事を言っていた訳ではない。
それどころかむしろそんな今の自分をどこか誇らしげに思ってさえいた。
そんなライに対し、フィアも同じように微笑みを浮かべながら言葉を返す。
「良いと思う。ここに来てからライは以前よりもずっと成長したと思うし、以前はどこか頼りなくてオドオドしてたのに、今のライは堂々としてて、口調もちょっと男らしくなってカッコ良くなったと思うよ」
フィアの口から出たカッコ良いという予想外の言葉に、ライは赤くなった顔を隠すように明後日の方向に視線を向ける。
「そ、そっか。フィアにそう言って貰えたら今の自分に自信が持てるよ」
「ふふ…どうしたのライ、人と話す時はちゃんと相手の顔を見ないと駄目だよ?」
「いや、その…今はちょっと勘弁して欲しいというか…!」
「何恥ずかしがってるの、さっきまであんなに堂々としてたのに。折角の男前が台無しだよ」
ニヤニヤと笑みを浮かべながらそんな事をいうフィアに、恥ずかしがってる所を決して見せようとしないライ。
二人はマリアンベールで様々な人と出会いや別れ、様々な出来事を体験してきた。
そんな出来事の中にはライとフィアの関係を変える出来事もあっただろう。
無条件に今まで信じてきたフィアに対してライが感じた違和感。
疑念、疑惑、それらの感情が消え去った訳ではない。
ライはフィアが何かを隠していることに気付いていた。
だがライはそれを分かっていながら、フィアを問い詰めるような事はしなかった。
例えフィアが何を隠していようと構わない。
それが自分に都合の悪いことだとしても、ライはフィアを信じると、そう決めたのだ。
「フィア」
「ん、どうしたの?」
「俺はもう答えを出すことを恐れないよ。例えそれが過ちだったとしても、自分が決めた事は絶対に曲げない。最後まで信じるって決めたんだ」
突然のライの宣言にフィアが呆気にとられたような顔をする。
しかし、ライのその言葉に込められた意味に気づいたのか、フィアが一瞬表情を変化させるも、すぐに顔を俯けてしまいその表情はライには見えなかった。
「そう…そう決めたんだね」
「うん」
「…ねぇライ」
「なに?」
優しく語りかけるようにライがフィアに聞き返す。
俯き地面を見つめていたフィアが顔を上げライの瞳を見つめながら言葉を紡ぐ。
「――ありがとう」
「どういたしまして」
お互いに微笑み合いながら、どちらかが指し示した訳でもなく自然と二人で空を見上げる。
遥かな空が広がるこの世界で、ライとフィアの旅はまだ始まったばかりだった。
という訳で、マリアンベールの魔窯祭り編はここで終わりとなります。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
振り返って見ると当初の予定よりも長く、そしてたいぶシリアス成分が多くなってしまいました。
自然とシリアスに偏るくせに、シリアスになると筆の進みが遅くなるというコンボにより予定よりも大分投稿が遅れてしまい申し訳ありませんでした。
次とその次の章は真面目はあるけどシリアスではないので筆の進みは早くなると思います。
次話は前回にもやった登場人物の補足説明を投稿する予定です。