ライの覚悟
『これが魔窯に纏わるお話の全てだよ』
「………」
フィアが話し終えると、暗い窯底は不気味なほどの静寂に包まれた。
大勢の人間が窯底に倒れ伏していたが、誰も身じろぎも、うめき声の一つも上げない。
不気味な程の静寂、そこに突如奥歯を噛み締めるような音が響く。
「何だよ…それ…!」
ライが歯をむき出しにし、両の拳を力いっぱい握りしめ、溢れ出そうになる怒りを堪える。
しかしそんなライの姿とは対象的に、ライの身体からはライの感情に呼応するように始源が溢れ出し窯底の闇を押しのけ地面に倒れる人間達の姿を露わにしていく。
「何なんだよこれは…!!」
ライの足元には十代半ばと思われる少女が転がっていた。
枯れ枝のようにやせ細った手は所々が欠損しており、親指は欠け手首には大きく抉れたような傷があった。
「窯の中に入る人間は大丈夫だったんじゃないのかよ…これのどこが無事だって言うんだ…!」
『男は死なないと言っただけだよ。飢え死ぬ事も、病死する事も、怪我をして死ぬ事も無いと言っただけ。一言も飢える事も、病気になる事も、怪我をする事も無いとは言っては居ない』
「そんな…」
フィアの言葉にライは絶望したように声を漏らす。
「じゃあこの人達は何十年、何百年、何千年!今日に至るまでずっと飲まず食わずで生き長らえさせられてきたっていうのか!?自ら命を絶つことも出来ず、光も届かないような窯の底で何時来るかも分からない解放の時をずっと待ってたっていうのか…!」
ここに居る人間達は自分が犠牲になる事なんて望んでいなかったはずだ。
ただ二つの一族の間での争いを避けるため、互いに生き延びるために自ら窯の中に入る事を決断したはずだ。
それだというのに、一族を待ち受けていたのは二つの一族が共に並び生きていく未来などではなく、片方は陽の光を浴びながらマリアンベールという街を治める一族となり、もう片方は光も届かぬ暗い窯の底で存在そのものを忘れ去れるというものだった。
「何が悪魔だ…!悪魔はどっちだよ!どうしてこの人達がこんな目に合わなくちゃいけなかったんだ!そうまでしないといけない事なのかよ!」
抑えきれなくなった感情を叩きつけるようにライが叫ぶ。
そんなライの疑問に答えるようにフィアが言葉を発する。
『魔窯を動かすためには感情が必要だと男は言ったけど、厳密に言えば人から発せられた感情を使って始源を生み出し、その始源によって魔窯は動いている。感情は何でも良いなんて言っていたけど、男は最初から負の感情から始源を抽出する気だったんだよ』
「どういう事?」
『正の感情、つまり喜びのような物は一過性の物でしかない。喜びを感じても時間が経てばそれは薄れてしまう。じゃあ負の感情は?人は一度負の感情に身を任せてしまえばそれを振り払う事は難しい。そしてその負の感情はそれを抱いた原因となる物が消えない限り持続する。決して消える事のない飢餓感、陽の光への渇望、こんな所に閉じ込めた者達への怨嗟、これらの感情は正の感情にも勝る程の強い感情となるんだよ。魂から、身体から黒い瘴気となってあふれ出す程の強い感情へとね』
「………」
『男は最初からこれを狙っていたんだと思う。そもそも生きた人間から使えるだけの始源を抽出しようと考えたらとてもじゃないけど普通に生きてるだけ人間の感情からじゃ魔窯を動かせるだけの始源なんて手に入れる事は出来ないからね』
「…その男っていうのは一体何者なの?」
ライの問いにフィアは沈黙する。
数秒の沈黙の後、フィアはゆっくりと答える。
『…分からない』
「分からない?かつて何処で何が起きたかも把握できるフィアなら調べられるんじゃないの?」
『勿論調べたよ。調べた結果、私には男が何者であったか分からなかった…』
本当に困惑した様子のフィアに、ライも動揺を見せる。
今までフィアはライに対して事実を隠して話す事はあったが、そういう時はフィアの態度や言葉からそれを読み取る事が出来た。
しかし今のフィアの様子は本当に分からなくて困っているようだとライは感じ取っていた。
『あの男が現れた前後も、人類が地上に生まれてから今に至るまでの全ての人間を調べたけどあの男に該当する人間はあの時、あの魔窯を作り出したあの瞬間にしか存在していなかったんだよ』
「じゃあその男は一体何処から、一体何が目的で魔窯をこの地に残していったんだ…?」
ライのその疑問に答えられる人間は今この場には存在しなかった。
再び沈黙が辺りを支配するも、自身の足元に転がる少女を見つめながらライが口を開く。
「ねぇ…フィア」
『何?』
「俺に、この人達に掛かっている術を…呪いを断ち切る事って出来るかな」
『無理だね』
フィアが即答する。
『これは普通の呪いとは違う。この呪いは魂に取り憑き、肉体から魂が剥がれないないように強固に結びついている。下手にこれを剥がそうとすれば呪いが取り憑いている魂が壊れてしまう可能性がある』
「…俺にはどうしようもないって事?」
『魂が壊れても良いのなら、始源を強引に呪いと魂の間にねじ込めばここから解放する事は出来ると思うよ。でもライはそんな解決は望んでは居ないでしょう?』
ライの心を見透かすようにフィアが言う。
『ライが納得できる答えなんて無い。誰も苦しまず、誰も悲しまない答えなんて在りはしない。土地を豊かにする代わりにここに居る人間が苦しみ続けているように、その苦しみから解放してしまえば魔窯の力は失われ、魔窯の力を失ったマリアンベールの街からは今のような活気は消え失せてしまう』
「…だろうね」
フィアの言葉にライは自嘲的な笑みを浮かべる。
フィアの言う通り、何も考えず目の前の者を救ってしまえば、魔窯の恩恵を受けここまで繁栄してきたマリアンベールはこれまでのようには行かないだろう。
無責任に他人を救えば、それによって不幸になる人間が沢山生まれてしまう事をライは理解していた。
『ただ目の前の人間を救うだけなら簡単だよ。でもそれを救う事によって不幸になる誰かまで救う事は難しい。そんな事は人間が出来る事じゃない、それこそ神様でも無いとね』
「神様か…」
ライが小さく呟くように言う。
もし神様が居るのなら、この状況をどうにか出来るのだろうか?。
そんな事を一瞬考え、すぐにそんな考えを振り払う。
また全部を投げ出して誰かに頼ろうとしている自分に気が付いたからだ。
(弱いな…俺は…)
そんな自分にどうしようもなく嫌気が差す。
(俺にはもうどうする事も出来ないのかな…)
無力な自分が情けなくて、哀れで、反吐が出る。
(こんな自分に出来る事なんてもう何も――)
そう考えたライの脳裏にフィアの言葉が過る。
『ライは覚えてる?昨日私が言った事を”諦める前にライが出来る事をやってからでも遅くは無い”って』
『私は頼るなとは言ってないよ。ただライに出来る事をやってから、それから頼ってって言ったんだよ』
(あるじゃないか…俺にもまだ出来る事が…!)
先程まで何もかも諦めていた様子のライだったが、今ではそんな様子も消え失せ表情には覚悟の色が伺えた。
「ねぇフィア、聞いて良いかな」
『どうしたの?』
深呼吸するようにライが一呼吸を置きながら、フィアに切り出す。
「さっき魔力の存在を塗りつぶしたように、呪いだけを始源で塗りつぶす事って出来る?」
『………それを聞いてライはどうする気なの?』
フィアのその質問にライは答える。
「フィアに助けてほしいんだ。俺にはこの人達の魂を無傷で救い出す手立てなんて無い。それでも俺はどうしてもこの人達を助けたいんだ」
ライの言葉にフィアは考えるように一拍間を置いた後、ライに質問する。
『その選択がこの街に住む全ての人間を不幸にするんだって事を分かってて言ってるの?』
「分かってる」
『魔窯の恩恵を受けていたのはマリアンベールに住む人間達だけじゃない。この地で取れた作物によって私腹を肥やしてきた人間達も大勢居る。これから先、ライは多くの人間を恨みを買う事になるよ。仮に魔窯の力を失わせたのがライだとバレなかったとしても、そんな人達の怨嗟の声を聞く度にライは自責の念にかられる事になる』
「分かってる」
『きっと、ミリアの事を苦しめる事になるよ』
「…分かってる」
フィアの質問に答えた後、ライはフィアの姿が見えないにも関わらず、まるでそこにフィアが立っているようにただ一点を見つめながら言葉を発する。
「俺は今まで、自分で答えを出す事を恐れていた。自分が出した答えによって誰かが傷つくのが怖かった。だから俺は全部を他人に丸投げしてどうにかして貰おうとしていたんだ」
自分の罪を告白するかのようにライが言葉を紡ぐ。
「他人がやった事だ、自分には関係ない…他人に押し付けておいてそんな勝手な事を考えていた。我ながら酷い臆病者だと思うよ。自分には何も出来ない、そう勝手に決めつけて全部を諦めていた」
『ライ…』
「でもそうじゃなかった。こんな俺にもまだ出来る事があったんだよ」
誰も居ない魔窯の壁に視線を向けたままライが口を開く。
「それは自分で答えを出す事。例え自分の手で救えなくても、誰かに頼る事になろうとも、それでもその答えだけは自分で出す、それが今の俺に出来る事だったんだ」
出来る者からすれば、ライの導き出した答えは酷く滑稽なものに映っただろう。
それもそうだ、結局は自分の手を使う事無く他人に頼るという事に何ら変わりはないは無いのだから。
それでも、その答えすら出す事を躊躇していたライにとって、それは大きな変化だった。
「俺の出した答えを実現するために俺に出来る事があるのなら何だってする。俺の始源を使ってくれて構わない、答えを出したのは俺だ、その結果何が待っていようとも受け入れる覚悟は出来てる。だからフィアお願いだ、俺に力を貸してほしい」
『…そっか、それがライの出した答えなんだね。分かった、元から私はライを助けるためにここに居るんだもの、ライがそう自分で決めたのなら異存はないよ』
フィアの言葉にライは思わず笑みを浮かべながら言葉を返す。
「ありがとう、フィ…ア――」
突然、ライの全身から力が抜け落ちたようにライが前のめりに倒れ込む。
「あ…れ…なん…で?」
『始原を使い過ぎたんだよ』
窯の底に辿り着いた時点でライの体力は底を尽きかけていた。
そんな時にライの感情に呼応して始源が勝手に溢れ出し、ライが気付かぬうちに残っていた体力も根こそぎ奪い去っていたのだ。
『後は私がやっておくよ』
「で…も、俺は…始源をまだ…」
『決断しただけで今は十分だよ。始源は私の方で用意するから、ライもうお休み』
「そん…な…」
朦朧とする意識の中でライは最後の最後に力尽きてしまった自分の無力さを噛み締める。
(あぁ…結局、フィアに頼りっぱなしになちゃったな…)
その思考を最後に、ライの意識は深い闇の中へと沈んで行くのだった。