受け継がれた使命
遠い昔、ようやく人類が言語を習得し自らの手で作物を育てる事を覚えたばかりの頃、現在マリアンベールの街がある土地に二つの一族が居た。
その二つの一族の仲は決して円満とは言えなかったが険悪という程のものでもなく、互いに助け合いながらその土地で共に暮らしていた。
少し離れた森に入っては狩猟で動物を狩り、木の実や山菜などを採りその日の糧を得ていたが、一つの土地に二つの一族、得られる食料にも限界が有り、いずれ食料が足りなくなるのは目に見えていた。
二つの一族はこれからをどうするべきか話し合った。
その話し合いの場で一族の人間の一人が農作について話題に出し、これからを共に生きるにはそれしかないと二つの一族は協力して作物を育てる事にした。
だが、二つの一族の住む土地は決して肥沃な大地とは言えず、むしろ痩せこけていたといっても良い。
そんな土地でロクな作物が育つはずも無く、農作の経験も知識もない二つの一族の人間達は何が原因なのかも分からないまま無為に時間を過ごしていた。
そんな事をしている間にも食糧事情は悪化していき、ついにはどちらかの一族がこの土地を離れるしか手はないという所まで話は進んでいた。
しかし新天地を求めるにはあまりにも二つの一族は大きくなり過ぎた。
これだけの大人数ではそう遠くには行けないだろうし、他に暮らせるだけの土地を見つけるまでに食料が持つはずも無く大勢の死者が出る事は分かり切っていた。
生きるため、殺しあってでもこの土地を手に入れるしかないと、一触即発の二つの一族の目の前に一人の人間が現れる。
純白の衣を身に纏い、それとは対象的な真っ黒な髪、顔には透明なガラスのような物で出来た円形の物を二つ付けた奇妙な出で立ちの男だった。
男は言った”お困りなら私がお手伝いしましょうか?”と。
そう言うと男は手始めに近場にあった畑の元へと徐に移動すると、男から蒼い光が溢れ出し畑を覆い尽くし、少しして光が消えるとそこには豊かに実った作物が姿を現した。
その事実に二つの一族の人間達は大層驚き、一体何者なのか、どうやったのか、自分達と共に暮らす気は無いかなど男を質問攻めにする。
興奮した様子で自分を取り囲みながら捲くし立ててくる人間に臆する事無く、男は笑みを浮かべながら答える。
「私が居ればこうして貴方達を助ける事が出来ますが、生憎私の身体は一つしかありませんし、ここにずっと留まる訳にも行きません。なので私の代わりを置いて行きましょう」
男のその申し出に二つの一族はとても喜び、代わりとは一体何なのかを確認する事もせず男の申し出を受け入れた。
すると男は手ごろな広さの土地に目を付けると先程と同じように全身から蒼い光を放ち瞬く間に土しか無かったその土地に石造りの舞台を作り出した。
舞台の中央には巨大な穴が開いており、男はその淵に立つと二つの一族に向けてこう言った。
「これは魔窯という物で、大地を肥沃し作物が良く育つようになります。ただしこれを動かすためには特別な力が必要になります。あぁご心配なく、特別とは言っても誰もが持っている物ですから」
それは一体何なのかと一族の人間が男に質問する。
「”始源”――いえ、この場合は感情としておきましょうか。喜び、怒り、悲しみ、どんな感情でも構いません。この窯の中に入った人間の感情を燃やし魔窯は動きます」
男の回答に一族の人間達は続けて質問する。
窯の中には何人が入れば良いのか、またどれだけの時間入って居れば良いのか等を聞く。
「人間は多ければ多い方が良いです。時間の話ですが窯は中に人が居る限り動きますし、居なくなれば動きません。なので貴方達が魔窯を必要とし無くなれば勝手にやめて貰って構いません」
男の言葉にここに来て二つの一族の人間達は戸惑いを覚えた。
時間に限りは無いと言ったが、必要で無くなるまでに一体どれだけの時間掛かるのか、その間食事などはどうすれば良いのか、窯が必要に無くなるまで人が生きていけるのか。
不安感が二つの一族の中で伝播していく。
すると男はそれを感じ取ったのか、柔和な笑みを浮かべながら相手を安心させるように落ち着いた声色で説明する。
「大丈夫、窯の中に入る人間には特別な術を施します。これは長期間窯の中に入り続けるための物で、この術を施された人間は飢え死ぬ事も、病死する事も、怪我をして死ぬ事もありません。所謂不老不死という奴でしょうかね」
その説明に二つの一族の人間達は不安感が全て消えた訳ではないが、一応の安堵を覚える。
そんな人間達を他所に男はさらに説明を続ける。
「窯に入るのは同じ一族の人間だけにするのが良いでしょう。暫く窯の中で共に過ごす訳ですからね。違う一族の人間が混じると不要な感情が生まれて魔窯の運用に支障をきたす恐れがありますし…っと、私も忙しい身です。術だけ施してさっさとこの場を離れたいのですが、さてどちらの一族が窯の中に入るのですか?」
笑顔でそう言った男の言葉に、二つの一族の人間達は早速どちらの一族が窯に入るのかを話し合う。
最初は難航した話し合いだが、男が急かしてきたため片方の一族の長が折れる形で話し合いは決着した。
食糧事情が切迫していたため、食い扶持を減らすためにも窯の中に入るのはその一族の者全員という事になった。
全員が男により術を施され、窯の中へと入って行く。
窯の中は底が見えぬ程の真っ暗闇であったが、男の助力により怪我をする事もなく一族の人間は全員無事に窯底へと降りる事が出来た。
全員が窯の中へと入った事を確認すると男は窯の蓋を閉じ、地上に残ったもう片方の一族へと向き直りこう言った。
「さぁ、これでこの魔窯は貴方達の物です。不必要になれば窯の中の者を外に出せば良いし、必要であるならこのまま使い続ければ良い…それこそ何十年でも何百年でも、窯の中の者が死ぬ事は決してありませんのでご安心を」
男はそう言うと一族に向かって一礼をする。
「それでは、私はこれにて失礼致します。この魔窯が貴方達の助けになる事を祈っていますよ」
気が付けば男の姿は消え失せ、石造りの魔窯だけがそこにあった。
男が消えた後、地上に残った一族は夢でも見ていたのだろうかとその場で話し合っていたが、残された魔窯と先程まで居た隣人達の姿が無いという事実が、今までの出来事が決して夢などでは無い事を伝えてくる。
それから何をすれば良いのかも分からない地上に残った者達は、男の言葉を信じ、今はただ日々を生きるために森に入り食料を得て生きながらえていた。
魔窯がその土地に出来てから一月の時が流れた頃、大地に変化が現れた。
枯草しか生えていないような痩せこけた大地が徐々に湿り気を帯び始め、畑に植えられた作物達は以前とは比べ物にならない程に大きく、瑞々しく育っていた。
その事に残った一族の者達は大変喜び、これで餓えずに済むと心底安堵した。
半年もする頃には地上に残った一族だけ無く、窯の底に居る一族達も飢える事が無くなる程の食糧を生み出すようになっていた。
これならばもう魔窯は必要ないだろうと、窯の中に居る者達を外に出してやろうと一族の人間達が話し合っていると、一人の人間がこんな事を言った。
「魔窯が動か無くなれば、また作物が育たなくなるのではないか?」
その者の言葉にその場に居た全員が黙り込んでしまう。
この半年、農作に力を入れてきた一族の人間達は大地が痩せこけていた事が作物が育たなかった原因である事を突き止めていた。
そしてそれが人間の力ではどうしようも無い事も理解していた。
魔窯が活動を止めてしまえば、またあの作物もロクに育たない不毛の大地へと逆戻りしてしまうのではないか?。
そんな考えが一族の人間の中で伝播する頃には、もう窯の中の人間を外に出そうなどと口にする者は誰も居なくなっていた。
それから更に月日は流れ、作物が豊かに実るという噂を聞いた人間達がこの地に集まるようになり、小さな集落しか無かったその土地にはいつの間にか大きな村が出来ていた。
魔窯の事を何も知らぬ人間が増える程に、一族の人間達は真実を話す事を恐れるようになっていった。
もし知られてしまえば、自分達は他人を犠牲にして私腹を肥やす悪魔だと罵られるに違いないとそう考えるようになっていた。
新たな人間がこの土地にやってくる度に、その人間が何故この土地はこんなにも作物が豊かに実るのだと尋ね、その度に一族の人間達はこう答えた。
”神が我らに与えた祝福なのだ。神の御使いが犠牲となりこの土地を豊かにしているのだ”と。
最初は苦し紛れに言った嘘であったが、それを幾度となく繰り返すうちにそれが真実であると認識され始め、一族の人間達はいよいよ真実を言い出せなくなっていった。
やがて年月が経ち、一族の人間の多くが死に真実を知る人間が居なくなる一方で、一族達がついた嘘がこの土地に住む人間達の間での真実になろうとしていた。
僅かに残った真実を知る一族の人間達もこのまま自分達が死ねば真実を知る者は誰も居なくなり、もう罪悪感に苛まれる者は居なくなる。
そう考えていた時だ。
魔窯の底から、黒い瘴気を身に纏った者が現れたのだ。
その黒い瘴気を身に纏った者は特定の形を持たず、窯の蓋の僅かな隙間から噴き出すように現れ、呪詛の言葉を吐いた。
それは怒りに身を任せた言葉にもならない叫び声のようなものであったが、真実を知る一族の人間達にはそれが自分達に向けられた言葉である事を理解した。
黒い瘴気は村中に広がり、瘴気に飲まれた者はその負の感情に魂を押しつぶされ正気を失っていった。
正気を保っていた僅かな村人達はその瘴気を追い払おうと魔法で応戦していた。
しかし殆どの魔法は瘴気を通り抜けてしまい、瘴気に対してなんの効果も無かったが、一人の人間が苦し紛れに放った光属性の魔法だけは通り抜ける事はなく、瘴気を纏った者は叫び声を上げる。
それを見た村人達は一斉に光属性の魔法で反撃を開始し、瘴気を纏った者は呪詛の言葉と共に瘴気を辺りに振りまきながら何処かへと消え去って行った。
後に残ったのは大勢の正気を失った人間と正気を保った僅かな村人、瘴気によって汚染された作物に闘いの最中流れ弾によって壊れてしまった住居だけだった。
正気の村人達は気が狂ったように叫び声を上げ続ける村人に光属性の魔力を浴びせ瘴気を取り払っていくも、大多数の村人は既に完全に正気を失っており、完全には狂っていなかった村人も日常生活に支障をきたす程度には正気を失っていた。
一瞬にして地獄絵図と化した村の中で、奇跡的に瘴気の魔の手から逃れた一族の人間は正気を失った村人を、真実を知って居た一族の者達の気が狂った姿を見て思った。
我々はもう素知らぬ振りは出来ないのだと、このまま魔窯を放置すればまたこのような悲劇が繰り返されるかもしれないと。
しかしこんな悲劇が起こった後に真実を口にする勇気など持てるはずも無く、一族の人間は再び嘘をついた。
”あの魔窯の中にはその昔封じ込められていた悪魔が存在するのだ”と。
”かつて御使いが己を犠牲に悪魔を封じ、悪魔の持つ人知を超えた力をこの土地を肥やす事に転用する事でその力を奪い続けているのだ”と、そう嘘を重ねてしまった。
それ以降魔窯には悪魔を封じるために魔術的な蓋が施され、それを維持するための儀式が執り行われるようになった。
生き残った僅かな一族の人間達は自分達の子供にだけは真実を伝え、決して儀式を途絶えさせてはならぬとだけ言うと、この世を去って行った。
そうして流れる時代の中で儀式は様々な物へと形を変えながらも、その本来の目的だけは一族の子孫達の手により守られ続けていたのだった。
少し前に後6話くらいを予定してると言いましたが、書いてるうちに長くなって分割してたら6話じゃ済まなくなりましたね…。
後の話はもう長くなる事もないので多分4話くらいで終わります。