祭りの前の騒がしさ
マリアンベールの東区にある宿屋の一室、そこにライとフィアの姿があった。
ライはベッドの上で横になっており、フィアはベッドの脇に置かれた椅子に座ってライの寝顔を眺めていた。
「ん…うぅ…」
小さく呻くような声を出しながら、ライがゆっくりと瞼を開ける。
そんなライの顔をのぞきこむようにしならがフィアが口を開く。
「おはよう、ライ」
「………」
「どうしたの?」
フィアの顔をじっとみつめたまま一言も発さないライに、フィアが首を傾げながら尋ねる。
そんなフィアの問いに、ライは表情を一切変える事無く真顔のまま答える。
「こうして普通に起きたのは何日ぶりだろうって考えてた」
「何言ってるの、毎朝しっかり起きてるじゃない。もしかして寝ぼけてる?」
「………そうかもしれない」
毎朝顔が焼ける感覚で目が覚めるのは決して普通の事ではない。
ライはフィアに対して何か言いたげな表情を浮かべるも、何かを言う事はせず適当に同意を示す。
寝起きに言い争いはしたくないし、まだ頭が正常に動いていない自覚もあったからだ。
ベッドの上でライが身体を伸ばした後、眠気を払うように身体を動かす。
「ん…あれ?」
眠気も無くなり、頭が正常に働き出した頃、ライが違和感に気が付く。
あれだけの激しい特訓の後にも関わらず、身体には特に異常はなく、土で汚れていたはずの服もまるで洗い立てのように綺麗になっていた。
首を傾げるライの様子に気が付いたのか、フィアがライの疑問に答える。
「流石にズタボロのまま寝かせるのもどうかと思って、身体と服は綺麗にしておいたよ。身体の方に何か異常はない?」
「いや、特にはないけど…俺の身体に何かあったの?」
「あー…ちょっと特殊な方法を使ったからちゃんと身体を治せたか不安だったんだよ。何せ人間の身体に対して直接使ったのは初めてだったからね」
一体どんな方法を使ったのかと尋ねようとしたライだったが、それが自分自身に対して使われている事を考えると途端に聞くのが怖くなり、話題を逸らす事にした。
「そういえば今ってもう夜遅くなのかな?」
すっかり暗くなっている窓の外を見ながらライが言う。
「まだ日が落ちてから一時間ってくらいだね」
「夜遅くって訳でもないか、寝直すにしてもまだ早いし…かと言ってこの時間から出来る事なんて――」
ぐぅぅぅ…。
ライの腹からそんな音が聞こえてくる。
「…そういえば晩御飯を食べてなかったな…フィアはもう食べた?」
「食べてないよ、ライと一緒に食べるつもりだったから」
「そっか…うーん宿で食べても良いんだけど」
そう言って、ライが再び窓の外に視線を向けながら何か考えるそぶりを見せる。
「外に出て何か食べるってのも良いな…」
「おぉぉ、すごいね」
マリアンベールの中央に位置する大きな広場、そこに乱立する様々な屋台を見てライが感嘆の声を漏らす。
「まるでお祭りだね」
「まるでじゃなくてお祭りだよ、本番までまだ日はあるけどね」
「ふーん…なんて名前だったけ?マリアンローズのオカマ祭り?」
「なにそのゲイの人しか喜びそうにない祭り…そうじゃなくてマリアンベールの魔窯祭り、通称”ママママ”豊作と街の繁栄を祈願するお祭りだよ」
「あぁ、そんな名前だったね」
祭り自体に興味ないが無いのかフィアは素っ気なくそれだけ言うと広場に立ち並ぶ屋台に視線を向ける。
「なんだか野菜が多いね」
「マリアンベールの特産物は野菜だからね、沢山採れるだけじゃなくて味も良いって評判なんだ」
そう説明しつつ、ライが一つの屋台で食べ物を購入しフィアに手渡す。
「これは?」
「野菜の串焼きだよ、最初はシンプルに野菜そのものをって思ってさ」
串には大き目に切り揃えられた野菜が刺さっており、焼き立てなのか湯気が立っていた。
「これって味付けは?」
「シンプルに塩だけだよ」
「…それって美味しいの?」
ここまでの旅の中、フィアは色々な物を食べてきたが、美味しいと思える物とは出会ったことはない。
そもそも何が美味しいのかも分からないフィアに、旅を始めた当初にライはこう言っていた。
「フィアがもう一度食べてみたいって思った物が、美味しいって事だと思うよ」
もう一度食べてみたいと思えるような食べ物には未だに出会った事はなかったが、二度と食べたくないと思った食べ物はいくつか出会った事がある。
その中の一つに野菜があったのだ。
以前に泊った宿で出された食事の中にサラダがあったのだが、そのサラダの味に思わず顔をしかめてしまった事をフィアは覚えていた。
スープの具として煮込まれていたり、ブーカのように味の濃い物の中に入っているのなら平気だったが、野菜単品となるとあのサラダの事を思い出してしまい、口に運ぶのを躊躇ってしまう。
「大丈夫だって、あの時のサラダは確かに萎びてて美味しくなかったけど、マリアンベールの野菜は美味しいから」
「…ライがそう言うなら」
ライの言葉に後押しされるように、フィアが渋々と言った様子で野菜の串焼きに視線を落とす。
串焼きの一番上にある乳白色の野菜、その野菜が以前食べたあのサラダにも入っていた事を思い出す。
変な匂いがして、辛くて、鼻の奥がツーンとする何とも奇妙な野菜だった。
その時の事を思い出し、顔を顰めながらも串焼きを口に運ぶ。
野菜を口に運んだフィアが面食らったように瞬きを繰りかえす。
「…あれ、辛くない?むしろ、なんだか甘い?」
「この野菜は火を通すと辛みが抜けて、甘くなるんだよ」
それだけではない、適度に振られた塩が野菜の自然な甘味を引き立てている。
既にフィアの頭の中にはあの時のサラダの印象は消え失せ、躊躇なく串焼きを口に運んでいく。
二番目に串に刺さっているのはオレンジ色をした野菜、生のままだと硬く独特の匂いがあるため苦手な人間が多い野菜だ。
しかし、火を通したそれは生の時の硬さが嘘のように無くなり舌先で押しつぶせる程に柔らかく、また独特な匂いも消えていた。
「これも甘い…」
「火を通すだけで結構変わるでしょ?まぁ、新鮮な野菜じゃないとこうはいかないだろうけどね」
そう言いながら、ライも串焼きに口を付けていく。
そんなライを横目にフィアは三番目に串に刺さっている野菜へと視線を向ける。
それは他の野菜と比べても一回り小さく、またカットされた様子はなくそのままの形を保っていた。
この野菜はどんな味なのだろうかと考えながらフィアが三番目の野菜を口に運ぶ。
野菜を口にしてから数秒後、突如フィアの顔が真っ赤に染まる。
「―――っ!辛っ!?」
口いっぱいに広がるその辛さにフィアが涙目になっていると、横からライの心配するような声が聞こえてくる。
「大丈夫フィア?」
「はふっはふっ…か、からひ…」
「食べる前に辛いよって言っておけば良かったね…次の野菜食べてみて、それで良くなるはずだよ」
良くなるとは一体何の事だとフィアは考えながらも、ライの言う通りに次の野菜にかぶりついた。
その瞬間、鼻を突き抜けるような刺激と共に野菜の中から大量の果汁が溢れだしフィアの口の中を果汁が辛みを取り除くように洗い流してく。
「…あれ?辛くなくなった?」
先程まで口の中をヒリヒリと刺激して感覚が綺麗さっぱり無くなって行く感覚にフィアが目を丸くする。
「フィアがさっき食べた野菜、ソイツの酸味が辛味を中和したんだよ」
「へぇ…これが」
そう言いながらフィアはまだ半分程串に残っていた四番目の野菜を興味深そうに見つめた後、残った部分を一気に頬張る。
「んーーーっ!」
先程までは辛さで良く分からなかったが、口に頬張った瞬間に感じた酸味にフィアが思わず口を窄める。
しかし、先程の辛さとは違い後を引くような事もなく、少しするとその酸味も消えて無くなる。
「ふぅ…驚いた、人ってこんなのも好んで食べるの?」
「そこは人によるかな、俺は辛いのは好きだけど酸っぱいのは好きじゃないし…フィアはどうだった?」
「私?うーん…さっきの見たいな辛さは駄目だけど酸っぱいのは嫌じゃなかったかな」
フィアはそう答えると串に残った最後の野菜に視線を落とす。
「これは…芋?」
黄味がかった色合いでホクホクと湯気を立てるそれは、フィアも良く知る野菜の一つのようだった。
ここまで変わった野菜が続いた後に出てきた見慣れた野菜に思わず首を傾げる。
もしかしたら似てるだけでこれも何かあるのかもしれない、そう考えたフィアは少し警戒しつつも最後の一つを口に頬張る。
(…うん、普通に芋だ)
数回咀嚼した後、フィアが拍子抜けしたような顔をする。
ここまで刺激的な野菜が続いた中で最後に出てきたのが芋というのは、何というか呆気なく感じる。
淡泊な味わいのそれは、辛味や酸味で散々刺激されたフィアの口内の均すように、フィアの口内に残った酸味を取り除いてゆく。
最後の野菜を食べ終えたフィアが、串だけになったそれに視線を落としながら首を傾げて唸る。
「どうしたのフィア?」
「いやね、最後の野菜は芋なんかよりも他の野菜の方が良かったんじゃないかなって思って…なんだか呆気ないというか、物足りないというか…」
少し不思議そうな、それでいて不満そうな表情を浮かべるフィアに、ライが言う。
「それで良いんだよ」
「どういう事?」
「この串焼き、ただ野菜を突き刺してあるだけに思っただろうけど、実はそうじゃないんだ」
首を傾げるフィアにライは説明を続ける。
「最初はシンプルに美味いと思える野菜を食わせる、二つ目くらいまではそれでも良いんだけど三番目も同じだと飽きが来る、だから三番目からは趣向を変えて辛味や酸味のあるものを混ぜる、四番目からはその店の店主の狙いにもよるけど、一番目と二番目の野菜を繰り返すのが一番多いかな?」
「そうなの?でもさっきの串は違ったよ?」
ライのその説明に、フィアが先ほど食べた串焼きの事を思い出しながら疑問を口にする。
先程の串で言えば、一番目と二番目はシンプルに美味いと思える物、三番目は辛く、四番目は酸っぱい、そして五番目は味気ない芋だった。
「そこがさっき言った店主の狙いにもよるって所だよ、串焼きって見ての通り一本じゃ量も少ないでしょ?。店主としては何本か買って欲しい、そうなると一本食って満足されちゃ困る訳だ」
ライはフィアの口元を軽く指さしながらフィアに質問する。
「フィア、今口寂しくない?」
ライのその質問にフィアが口元を押さえながら考える。
確かにライの言う通り先程食べた芋のおかげか、口の中がいやにさっぱりしていた。
串焼きを食べる前と同じ状態に戻ったように感じるが、中途半端に物を腹に収めた分、食べる前よりもなんだか口寂しく感じる。
「それが狙い、わざと最後だけ物足りない感じにしてもう一本買って貰おうって事」
「なるほど…それにしてもこんな串一つに良くそこまで考えるものだね」
関心した様子で自分の手の中にある串を見つめるフィアにライが少しうれしそうな表情を浮かべながら尋ねる。
「どう?もう一本食べたくならない?」
「うーん」
ライのその質問に自分の手の中にある串を睨みながらフィアが唸る。
数秒の沈黙の後、フィアが串から視線を外し、
「別にいいや」
素っ気なくそう言うと、スタスタとその串焼きの屋台から離れて行ってしまう。
そんなフィアの後ろ姿を見つめながら、ライがため息を漏らす。
「これも駄目だったか…」
フィアとの旅を始めてからライは旅の目的であるフィアが美味しいと思える物を見つけるため、色々とやってきたのだが、その成果は芳しくない。
フィアでも分かりやすいように、もう一度食べたくなった食べ物という基準を設けたが、フィアの口からもう一度食べたいという言葉を聞いた事はなかった。
(今回は結構自信があったんだけどなぁ…)
小さくなるフィアの背中を見つめながら、ライが力なく項垂れる。
ライが後ろを付いて来ていない事に気が付いたフィアが、ライの方に振り返って声を掛ける。
「何やってるのライ、ほらあっちの方行こう、私もっと違う物も食べてみたい!」
そのフィアの言葉に、ライが驚いたように目を見開く。
今までライと一緒でなければ決して食事をせず、食事を生きるために必要な行為でしかないと考えていたはずのフィアの口から出た”食べたい”という言葉。
ここに来て初めて得たその成果にライが思わず頬を緩ませながら、子供のように急かしてくるフィアの元へと急ぐのだった。
途中何度かブラウザがクラッシュして文章が吹き飛びましたけどなんとか投稿…ブラウザIEから変えた方が良いんですかね…?