マンティコアからの逃走劇
恐らくこの作品の中で主人公が最も苦戦する貴重なシーンです。
ヒロイン登場して以降は苦戦する事が殆どなくなります。
この世界はゲームのような優しい世界ではない。
レベルも無ければステータスも無く、魔物を倒した所で強くなる事もない。
人は何処まで行っても人であり、身体をいくら鍛えた所で魔物以上の筋力を得たり、魔物よりも俊敏に動く事は出来ない。
だが、それを可能とする手段がある。
それが魔法だ。
冒険者達は魔法を使う事で身体能力を向上させたり、剣でも貫けない硬い外皮を貫いたり、魔法の存在によって人間は魔物に対抗する事が出来た。
しかしそれもCランクまでの話だ。
冒険者にもランクが存在するように、魔物にもランクが存在している。
そしてBランク以上に属される魔物のその全ては魔法を使うが出来るのだ。
そのためBランクとCランクの魔物の強さは天と地ほどの差が存在している。
ライの目の前に現れたマンティコアはBランクの魔物であり、Cランク冒険者でさらに魔法もロクに使う事が出来ないライにとってBランク以上の魔物との遭遇は悪夢以外の何物でもなかった。
「はぁ…はぁ…【クラック】!!」
一直線に逃げたのではすぐに追いつかれてしまう。
ライは直線的ではなく、上下左右、地面だけでなく木々を蹴りながら緩急をつけてマンティコアをかく乱する。
そんなライの背後では木々をなぎ倒しながらマンティコアが猛然と追いかけてきていた。
「【クラック】――…【クラック】!!クソ、魔力が薄いっ!」
魔法を発動させるには大気中に漂う魔力を集める必要がある。
その特性上、魔力を集めてしまえばその周辺の魔力は薄れてしまう。
本来であれば体内に魔力を蓄え、蓄えた魔力を使って魔法を発動し、失った分をその場から補充し次の場所へと移動するのが一般的な方法だが、ライは何故か昔から身体に魔力を蓄える事が出来なかった。
そのため、その場から逐一魔力をかき集める必要がある。
ライはフェイントとしてジグザグに飛んだりを繰り返しているため、同じ場所で魔力を集める事が度々あり、その度に発動する【クラック】の威力が落ちていく。
どんどん自分の速度が落ちていくのを感じながらも、この状況を打破するべくライはがむしゃらに魔法を唱え続ける。
「【クラック】!【クラック】!【クラック】!」
しかしライの足掻きを嘲笑うかのようにマンティコアはどんどん距離を縮めてくる。
(駄目だ!このままじゃ追いつかれる!どうにかしないと…!)
そう考えながらライは後ろをチラリと見る。
ライの背後10メートルもない距離でマンティコアが不気味な笑みを浮かべている。
得物を目前に捕える事を確信した笑みだ。
その動きに迷いはなく今もなお速度を上げている。
(このまま速度を上げてくるのなら――!)
ライは一か八かの賭けに出る。
それは左右に飛ぶのではなく、真後ろ――つまりマンティコアの方向に向かって思いっきり飛び込む事だ。
(あれだけの速度なら、そう易々とは止まれないはず!)
そう考えライは地面を蹴り、目の前の木の幹に向かって思いっきり飛び込む。
木の幹を使って速度を殺し、そのままマンティコアに背を向けたまま思いっきり足を蹴り出す。
「【クラック】!!」
クラックブーツが破裂し、その反動でライが後方に飛ぶ――はずだった。
しかし、クラックブーツに魔力が集まる事はなくライはゆっくりと背を向けながら地面に落ちていく。
「え…?なん――」
なんで?。
ライはそう考えながらも、足掻くように木の枝に手を伸ばすが虚しくも空を切る。
地面ではマンティコアが目の前の木々をなぎ倒しながらも急停止し、こちらに振り返った所だった。
「あぁ――――」
もう駄目だ。
ライがそう覚悟し、目を瞑った…その時だ。
『大丈夫だよ』
誰かの視線、そして声が聞こえた。
死を覚悟していたライだったが、目を瞑ってからどれだけの時間が経っただろう?。
1秒にも1分にも感じられる程の時間が経っても、地面に叩きつけられる感覚も無ければ、マンティコアに身体を食い千切られる痛みも無い。
恐る恐るライが目を開けると目を瞑った時と何ら変わらない光景がそこにはあった。
目線の位置も、自分の居る位置も、ただ一つ違うがあるとするならばライの周りには可視化可能な程の濃密な魔力が集まり、その身を支えていた事だろう。
「これは…」
ライが困惑している間にもマンティコアは空中に居るライに向かって飛び掛かってくる。
マンティコアの鋭い爪が、牙がライを包む魔力に触れようとした瞬間
『邪魔だよ』
魔力が弾け、マンティコアを吹き飛ばす。
マンティコアの巨体がピンボールのように飛んでいき、木々をなぎ倒し、地面を抉りながらも停止する。
吹き飛ばされたマンティコアの頭部は完全にひしゃげて首も中ほどで折れ曲がり、間違いなく絶命していた。
その光景に呆然とした表情を浮かべていたライだったが、気が付けば辺りを包む魔力は霧散し、自身が地面に座っている事に気が付く。
(これは一体…それに今のは?)
ライがそう考えていると、再び先ほどの声が聞こえてくる。
『まったく、相変わらず危ない事する子だね、君は』
その声に、ライは聞き覚えがあった。
それはかつて、自分がまだ子供だった頃、一度だけ会った事がある姿の見えない声だけの友人の物だった。
その時の記憶を必死に掘り起こしながら、ライがその友人の名前を口にする。
「…フィア?」
ライがそう呟いた時、周囲の空気が暖かく、そして優しく包み込むようにライの辺りを漂うのを感じる。
『やっと聞こえるようになったね、久しぶり――ライ』
ヒロイン登場、後はもう苦戦とか殆どないです。
のんびりまったり行きます。