ストーカーは忘れた頃に
お待たせしてすみませんでした。
ライとフィアが話に花を咲かせている頃、ブルガスの街の入口に数人の人影があった。
街の入口に立っている兵士達がチラチラとその人影達に視線を向ける。
というのもその者達は全身が泥で汚れ、髪もボサボサ、一体どこで何をどうすればこうなるのかと問いたくなるような見た目をしていたからだ。
「あぁぁぁーー!やっとついたぁぁあ!」
そんな数人の人影の内の一人、アリスが両手を天に突き上げ、背を伸ばし鬱憤をぶちまけるように声に出す。
その背後からアドレア、イザベラの二人が姿を現しアリスの後に続く。
「とんでもねぇ回り道になっちまったなぁ…ったく」
「辿り着けただけ良かったじゃない…それよりも早く宿を取りましょう、身体を洗いたいわ」
「それに回りからの視線も痛いし…不審者として通報される前にさっさと行くわよ」
アリスがそう言って先陣を切って歩き出す。
アリスの言う通り、アリス達の姿は酷く汚れており一般人が見たらまず間違いなく変な人間が居ると通報されてしまうだろうし、アリス達がSランク冒険者で無ければまず街に入る前に詰め所に連れていかれて根掘り葉掘り聞かれている所だ。
面倒事になる前にさっさと宿を取って身体を綺麗にしようとアリス達が宿に向かう途中、ふとアドレアが何かに気が付き、辺りを見回す。
「あれ、ルークの野郎は何処行った?」
アドレアのそんな呟きにイザベラとアリスも辺りを見渡す。
「本当…居ないわね」
「街に入った時までは居たはずよ、何処行ったのよアイツは」
「おいおい…真っ先に身体洗って正常に戻さなきゃいけねぇ奴が居なくなってるじゃねぇか…どうすんだ、あんなの野放しにしたら後々面倒だぞ」
アドレアがそう言った後、三人は街に入る直前のルークの様子を思い浮かべる。
「…まぁ、腐ってもSランク冒険者なんだし放置しておいても兵士に連行されるような事もないでしょ」
「いや、あの姿を見て一体誰がSランク冒険者のルークだって思うんだよ…誰も信じねぇぞ」
「私だったら狂人の戯言くらいにしか思わないわね」
アリスがピシャリとそう言い放つと、アドレアとイザベラも無言のまま首を縦に振る。
「クソ…このままにしておいたら後が面倒だ、おいお前ら手分けしてルークの野郎を探すぞ!」
「あぁもう、さっさと身体を洗いたいってのに!」
「全くね、まぁここは我慢して探さないと後で酷いしっぺ返しを食らうわよ」
イザベラがアリスを宥めながらも、それぞれがルークを探してブルガスのあちこちを探し出す。
その頃ライとフィアはブーカを食べ終え、特に何かするでもなく目の前の噴水や歩いてゆく人の姿をただ眺めていた。
「不思議だね、ただこうして座ってるだけなのにこんなにも色々な感情が湧いて来る、さっきまで気にも留めなかった物が気になって仕方がない…何でかな?」
元気にはしゃぎ回る子供たちに視線を向けながらフィアが言った。
そんなフィアの様子を微笑ましく思いながらもライが口を開こうとした瞬間、背後の茂みがガザガザと音を立てて揺れる。
「ん?」
その音に気付いたライとフィアが視線を自分達の背後に向ける。
ガサガサと揺れ続ける茂みから、一本の手が飛び出した。
突然の出来事にライとフィアが固まっている間にも、茂みを掻き分けるようにもう一本の手が現れ、掻き分けられた茂みの奥から血走った目が見えた。
ライがその光景に呆気に取られていると、その血走った目と目が合ってしまった。
その瞬間、血走った目は見開かれ何者かが茂みから飛び出してくる。
「ミィィイツケェタァァァアアア!!」
「うわぁぁぁぁぁぁぁあああああ!?」
咄嗟にその場から逃げ出そうとライがベンチから立ち上がるも間に合わず、両肩を掴まれてしまう。
ライの顔を新距離で覗き込むように飛び出してきた何者かが顔を限界まで近づける。
全身が泥で汚れ、長い髪には泥だけでなく枝葉が絡まり非常に汚らしい姿をしているそれは地獄から這い出てきた幽鬼のようだった。
「ハァ!ハァ!ハァ!」
まるで興奮した犬のように荒く息を吐き、ギラギラと血走った目はライから決して視線を外さない。
ライが恐怖で身体をガタガタと震わせ動けないでいると、フィアがその者を見てポツリと呟く。
「ライの事で夢中になり過ぎて追手の事を完全に忘れてた…」
「フィア!?追手って一体どういう――」
追手とはどういう事だとライがフィアに尋ねようとしたその時、目の前に居た何者かが口を開いた。
「やっと貴方の元へとたどり着けた…」
「な…何?」
荒い息ではない、理性あるその言葉にライが少しだけ落ち着きを取り戻しながら聞き返す。
そして落ち着きを取り戻したライはふと自分の目の前にいる人物に心当たりがある気がした。
その心当たりが何なのか、ライが考えていると何者かが言葉を続ける。
「天竜との戦い以降、私は貴方を追う最中様々な敵と相対してきた…」
「天竜との闘い…?あっ!!」
天竜との闘いというキーワードでライは目の前に居る人物が誰かに気が付く。
綺麗で長い金髪は酷く汚れ、凛々しかったその表情は面影さえ無かったが、それは間違いなくSランク冒険者【聖壁】のルークだった。
Sランクと称される冒険者がこんな姿になる程の敵とは、はたしてこの周辺にそんな魔物が居たかだろうかとライが考えていると、ルークが熱に浮かされたように語り出す。
「グランブルズ、ヘクティマ、イソラフラス…天竜と同じくSランクと呼ばれる魔物達…しかしあの時程の興奮は得られなかった…」
「貴方は一体どこで戦ってきたんだ!?」
想像もしていなかった魔物の名前にライが思わず条件反射で叫ぶ。
確かにSランク冒険者をこんな姿に出来るのは同じくSランクの魔物だけであり、そういう意味では想像通りではあるのだがそういう問題ではない。
そもそも、ライが拠点としていたガダルの周辺地域には一番高くてCランク程度の魔物しか居ない。
稀に他所からマンティコアのようなBランクの魔物がやってくる事はあるが、それだけでもちょっとした騒ぎになる程であり、Sランクなど以ての外だ。
実際天竜が現れた時の街の混乱は凄まじい物があったし、その混乱のお蔭でギルドからの事情聴取も無くライはあっさりとガダルの街を抜け出す事が出来たのだ。
Sランクというのはそこに居るだけで人々に恐怖と動揺、混乱を与える程の存在なのだ。
決してそこら辺に居て良いようなものではないし、居るようなものでもない。
ライを追ってきたと言うのであれば、きっとガダルからブルガスまでの道中で遭遇したという事だろう。
そんな所にSランクの魔物が居たら大騒ぎ所の話ではないし、実際ライは出会っていない。
ならばライが通り過ぎた後、Sランク冒険者がやってきたタイミングで三体のSランクの魔物が現れたという事か?。
(そんなまさか…それじゃあまるで追跡の邪魔をするような――)
そこまで考え、ライはルークから視線を外し、隣に立っているフィアに視線を勢い良く向ける。
ライがフィアに視線を向けると同時に、フィアが盛大に視線を逸らす。
「フィア!?」
「し、知らない、私は何も知らない…」
「嘘だ!その顔は絶対何か知ってる顔だ!!」
ライがフィアに向かってそう叫んでいる間にも、ルークはどんどん話を進めていく。
「だから私は感じたいのですよ…あの時のあの感覚を」
「あの感覚って言われても…」
「あぁすみません、説明が足りませんでしたね…あの感覚というのは生と死を実感する感覚の事です」
「生と死って――」
「お恥ずかしながら私は今まで魔物との闘いで死の危機を感じた事が一度もありませんでした…Sランクの魔物が相手であっても命の危険はおろか、傷一つ付けられた事が無いのです」
そう語るルークの身体は酷く汚れてはいたが、確かに傷のような物は一切見えなかった。
このような姿になる程の激戦にも関わらず、傷だけは一つも負っていないというその事実に、ライはSランク冒険者の凄まじさが垣間見えた気がした。
「でも、あの白銀色の天竜との闘いは例外でした。あれはSランクと称される魔物達の中でも別格の存在だった…」
ルークがあの時の戦いを思い出しながら話を続ける。
「白銀色の天竜を前に、私は無力にも壁を引き剥がされ無防備な姿を天竜の前に晒してしまった…あの時程絶望感を味わった事はありません…」
「うっ…それはその…あの時の事は悪かったと――」
「あぁ!!謝る必要はありません!むしろ私は感謝しているのです!」
「は?感謝?」
「えぇ!感謝です!あの時私は生まれて初めて死に直面しました…!あの時の全身を貫くような感覚…手足の感覚が薄れ、絶望感に身体を縛り付けられるあの感覚…そして生き延びた時のあの解放感…!」
恍惚とした表情を浮かべながらそう熱く語りだすルークの姿にライもフィアもドン引きしていたが、ルークは語りは増々ヒートアップしていった。
「あぁもう辛抱たまらない!ゴチャゴチャとした理屈なんてどうでも良いんです!私はただ!あの感覚をもう一度味わいたいのです!!」
「もう一度って、そんな事俺に言われたって――」
無理だと言おうとするライの言葉を遮るように、ルークがさらに顔を近づける。
「さぁ!また私の壁を無理やり引き剥がして下さい!いや、もう鎧も全部引っぺがして欲しい!」
「何言ってるんだ貴方は!?」
「あぁすみません!この鎧の外し方が分からないのですね、今すぐ脱ぎますからお待ちください!!」
「ちょっと!?ここを何処だと思ってるんだ!!」
そう言いながらライが周囲を見渡せば、何事かと広場に居た人間が興味深そうにこちらを見ている。
中には若い女性や小さな子供の姿もあった。
こんな所でSランク冒険者のヌードを晒すのはルークのSランク冒険者としての信用や子供たちの教育に非常によろしくない。
ライとしては前者に関してはどうでもいいが、後者については決して見逃せる問題ではない。
ガチャガチャと鎧の留め具を外し全裸になろうとするルークを止めるべく今度はライがルークに掴み掛かる。
「ぐっ!一体何をするのです!?あぁ分かりました!貴方が脱がせてくれるというのですね!?」
「違うわ!こんな所で脱ぐ馬鹿が何処に居るんだ!脱ぐのを止めろ!」
ルークの両手を掴み上げ、留め具から手を引き離す。
「ふふふ…甘いですよ…!そんな攻めでは私の守りは貫けない…!」
ルークがそう言うと同時にルークの両手が淡く輝きライの腕を押し返しながら鎧の留め具へと向かっていく。
「身体強化までして脱ぐ事にどれだけ全力なんだ貴方は!?」
「失敬な、私は脱ぐ事に全力なのではありません。無防備な姿を貴方に晒したいだけなのです」
「結局は同じことでしょうが!」
言い合いをしている間にも、ライの妨害などものともせずルークは着実に留め具を外していく。
身体強化を使えないライでは身体強化をしたルークの脱衣を止める事は出来ない。
「こうなったら…フィア!この人の動きを止めてくれ!!」
「分かった」
フィアが小さく頷くとフィアがルークの側に歩み寄り右手の掌をルークに向けると、ルークの顔の周辺から何かがフィアの掌に向かって吸い込まれていく。
それが数秒程続き、フィアが腕を下ろすと同時にルークに変化が現れた。
先程までカチャカチャと留め具を外していた指がピタリと止まり、自分の喉に手を当てながら荒く呼吸を繰り返した後、仰向けに倒れる。
「フィア…何をしたんだ?」
「動きを止めてって言われたから、人が肉体を動かすために必要な物を取り除いたの」
「それってまさか…」
フィアがやった事は単純で、ルークの周辺からだけ酸素を無くしただけだ。
人は筋肉を動かす時に酸素を消費する、ならばその酸素だけを取り除いてしまえば人は肉体を動かす事が出来なくなる。
至極単純な理論であり、世界そのものであるフィアならではの方法だった。
「このままじゃ窒息しちゃうよ!?」
このままでは死んでしまうと地面でビクビクしながら荒く呼吸をするルークに駆け寄り声を掛ける。
「ちょっと、大丈――」
「はへっ!はへっ!はへっ!」
地面に倒れたルークの顔を見て思わず動きが止まる。
酸欠の為か顔が青白くなっているのだが、興奮のせいか頬だけは赤く染まり、酸素を取り込むために大きく開かれた口からは舌がだらしなくはみ出しており、目も完全に逝っていた。
酸欠のせいなのか、それとも興奮しているせいのか分からないような呼吸を繰り返しながら、ルークが身体をビクビクと震わせる。
「……………」
その姿を視認してから、ライは一言も発することなくゆっくりと後ずさり、そして一気に方向転換をしてフィアを脇に抱えその場から全力で離れる。
「フィア!暫くあのままでお願い!」
「暫くって?」
「俺達が街から離れるまで!!」
そんなやり取りをしながら人混みを掻き分けブルガスの外へと繋がる門を目指すのだった。
次話でブルガス編最終話です。
元は一つにしようと思ったけどちょっと真面目な感じなので分けました。
それを投稿したらちょっとしたキャラの補足回を入れたいと思ってます。