種
更新が遅くなって申し訳ありません。
腹を抉られ致命傷を負ったライの意識は暗い闇の底へと沈んでいた。
右も左も、上下も分からない真っ暗な闇。
唯一分かるのは、今その闇の奥底へと意識が沈んで行く事だけだった。
ドクン――ドクン――。
もはや風前の灯火となったライの命を、それでもと繫ぎ止めるようにライの中で何かが脈動する。
しかし既にライの心臓は活動を止めていた。
では一体何が脈打っているのだろうか?。
ドクン――ドクンッ――!。
その鼓動はライの意識が沈む程に力強く、より鮮明にライの意識に語り掛けるように脈動していく。
闇の中へと溶け込みかけていたライの意識が、そこで僅かな反応を見せる。
(これは……何の音?)
消え失せつつあった意識の中で、ぼんやりとライが反応する。
ライがソレを認識した事を、ソレ自体も認識したのか、突如として闇の底から始源が湧き出して来る。
闇を貪り、犯し、蒼が黒一色だった意識を染め上げる。
意識の底から湧き上がって来る始源に背を押されるように、沈みかけていたライの意識が急速に浮上いく。
”――――――――――――――”
(誰……?)
完全に意識が覚醒しようとしたその刹那、ライは誰かの声を聞いた気がした。
自身を押し上げる始源、それそのものに何者かの意思を感じながら、そして――
「ア゛――ガハッ!?」
喉の奥から込み上げてくる吐き気と血生臭さでライの意識が覚醒する。
「ゲホッ、ウァ……」
血を一頻り吐き切った後、呼吸を整え少し落ち着きを取り戻したライが改めて状況を確認する。
「傷が……治ってる?」
抉り取られた筈の腹部は元通りに治癒され、そこが抉られた事を証明するように服だけが破けた状態になっていた。
「あの時、確かに俺は……」
腹を抉られ、壁に叩きつけられ、始源を絞り出す事も出来ず、あのどす黒い始源に犯された筈だ。
なのに何故自分は生きているのだろうか。
『ライ、大丈夫?』
その答えは、驚くほどアッサリとやってきた。
「フィア?」
『どうやら意識はハッキリしてるみたいだね』
耳に届くのではない、頭に直接語り掛けてくるフィアの言葉、それは肉体を持つようになってから久しく聞いていなかった世界の意思だった。
「そうか……フィアが治してくれたのか」
『驚いたよ。急に世界の上にこんな物をぶちまけられて様子を見に来てみればライがボロボロになってるんだから』
「ちょっと、先走っちゃって……」
フィアとの会話で冷静になったライが周囲を確認すると、自身の周囲だけ不自然にあのどす黒い始源が避けている事に気が付いた。
よく観察して見れば、薄い始源がどす黒い始源を塞き止めているのが分かる。
「はは、結局フィアに頼りっぱなしだな、俺……」
ライが自嘲気味に笑う。
「目が覚めるまでの間、ずっと守って貰って、傷まで治療して貰って、自分がどうにかしなきゃって先走った結果がこれか」
『……?』
「ん、どうしたの?」
言葉ではない、フィアの困惑とした意思を感じ取ったライがそう尋ねると、フィアはある事実を告げてくる。
『確かに傷を治したのは私だけど、始源から身を守っていたのはライ自身でしょ?』
「え?」
フィアから告げられた予想外の答えにライは困惑する。
『私が見つけた時には既にこの状態だったよ。だからこそ私はこの始源に埋もれた空間の中からライを見つける事が出来た訳だしね』
「俺が……?」
フィアの行いではない。
ライがそう認識した瞬間、どす黒い始源を塞き止めていた始源が消え失せる。
『っと、危ない』
壁が消え、流れ込もうとする始源をフィアが始源を持って塞き止める。
先程と全く同じに見えるその光景、しかし良く見て見れば先程の始源と今塞き止めている始源では何かが違う。
一体その違いは何なのか、それを具体的に言葉にする事がライには出来ず、答えの代わりにモヤモヤとした感情だけが湧き上がって来る。
「ねぇフィア、俺が意識を取り戻す寸前、声を掛けてくれた?」
『声?私はライが目覚めるまで特に話しかけたりはしてないけど』
「そう……」
腑に落ちない状況にライの中に不安と疑念だけが積み重なっていく。
(フィアじゃないとしたら、俺の気のせい?。いや、でも確かに俺はあの時)
”――こんな所で終わりにするな”
(そうだ、”終わりにするな”って、そう言われたんだ)
ライは改めてその言葉を飲み込む。
(”終わりにするな”か。確かにフィアの口調じゃ無かった。でもだとすれば一体誰が?)
ドクンッ――!。
「ッ……!」
その何者かを意識しようとした瞬間、ライの中で再び何かが脈打つ。
何かが鼓動を刻む度に、ライの内側から濃密な始源が溢れ出ようとする。
――駄目だ。
直感的にそう感じたライがソレの鼓動を止めるように、溢れ出ようとする始源を無理やり抑えつける。
内側から溢れ出ようとする始源に、自身の存在を飲み込まれるような錯覚に陥りながらも、ライは必死に始源を抑え込む。
『ライ、どうしたの?』
「なんでも、ない」
胸を抑えながらライがそう答え、暫くすると身体の奥そこで脈動していた何かは活動を停止し、内からライの身体を食い破らんばかりに溢れ出そうとして始源も鳴りを潜める。
『ねぇ、本当に大丈夫?』
「大丈夫だよ、ちょっと胸が苦しくなっただけだから」
心配そうにするフィアに、ライは咄嗟にそう嘘をついた。
それはフィアに必要以上に心配をかけたくなったからというのもあったが、それ以上にソレについてこれ以上触れてはならないというライの直感が警鐘を鳴らしていたからだ。
ライが感じ取った何か、それを敢えて何かに例えるとするのならば――
(――種、そうだ、あれは種だ)
莫大な始源を内包した種、もしそれが芽吹いたら取り返しのつかない事になる。
どう取り返しがつかないのか、それすらもライには分からなかったが、ライは自身の直感に従う事にした。
(それに今は――)
自身の内に存在する種よりも、気にしなければならない存在が外に居る事をライは思い出した。
周囲を見渡し、あの化け物の姿を探ろうとするがドス黒い始源に阻まれ、姿は全く見えないが視界を覆う始源よりも濃密な暗澹たる始源が、化け物の位置を教えてくれる。
「フィア、あの化け物について何か分かる?」
『ライが気を失っている間に出所は調べておいたよ。どうやら元人間だったみたい』
「やっぱり……それって、俺やミリア、それにクリオみたいに始源を宿していた人間なの?」
始源の奥に居るあの化け物の動向に気を配りながらも、自分もあんな風になる可能性があるのではないかとライが不安げにフィアに問う。
『あれは違う。外から始源を流し込まれて変容しただけの普通の人間だよ』
「始源を流し込まれてって、まさか――」
ライの言葉を続けるように、肯定するようにフィアが続ける。
『あれは人為的に作られたものだよ』
「始源を始源として扱える人間が居るって事?フィアはその現場を確認できたの?」
『記録を遡ってあれが精製される所は見て来たよ。でも始源を使って情報を書き換えたのか、それを行った人物の正体が何者なのか、何処から現れて何処に消えていったのかは分からなかった。ただ一つ分かっているのは』
「分かっているのは?」
『マリアンベールの魔窯を作った人間と同じような恰好をしていたって事』
「それって、まさか同一人物?」
『どうだろうね。それにしてはちょっと痕跡の消し方が雑というか、始源の扱いに慣れてない感じがするけど』
「どういう事?」
『嘗てマリアンベールに現れた人間は姿形はハッキリと認識出来たし、現れた前後に一切の痕跡も残っていなかった。でも今回現れた人間は自身をハッキリと認識出来ないように始源で細工をしていたし、姿を消すのに始源で強引に塗りつぶした痕跡も残ってた』
「前者に比べて、後者は始源の扱いが下手って事か」
始源の扱いの差もあるが、前者が堂々と行動してるのに対し後者は自分の存在が気取られるのを恐れているような印象を受け、この二人が同一人物とは考え辛い。
「一体、ソイツは何が目的なこんな事を」
『分からない。でもそれを考えるよりまず先に』
「うん、アレを止めるのが先決だ」
ライとフィアの意見が一致し、二人の意識が始源の中にいる化け物に向けられる。
「さっきから全然襲って来る気配が無いけど、もしかしてフィアが何かしてる?」
『うん、認識をズラしてる。でもそれもあの化け物に対しては万能じゃないから、迂闊に動くとすぐにバレるよ』
始源には始源で対抗するしかない。
フィアが始源で認識をズラしているとすれば、その認識のズレを見破る事が出来るのも始源という事だろう。
「目には目を、歯には歯を、始源には始源を――か」
過去にフィアが言った言葉を反芻するようにライが口にする。
「ねぇフィア、俺の始源であの化け物をどうにかする事は出来る?」
『質で言えば圧倒的にライの方が上だから、始源の食い合いになればライの始源に軍配が上がるけど……』
「問題はその使い手って事か」
現状、ライは始源をただ出したり引っ込めたり、その場に留める程度の事しか出ない。
いくらライの始源が質に優れていたとしてもこれでは勝負にもならないだろう。
「……俺の始源を使って、フィアがあの化け物の始源を塗りつぶすのは出来る?」
『それは出来るけど……良いの?』
「本当なら自分が出来る事を全部やるまではって言いたいところなんだけど、そんな事してたら被害はどんどん大きくなる一方だからね」
悔しさで顔を歪めながらも、ライはフィアに頼る事を決意する。
『分かった。それなら』
フィアがライの中の始源を操作しようとしたその時、今まで動きを見せなかった化け物が突如として動き出す。
「――ミツケタ」
(バレた!?)
化け物の発した言葉にライが咄嗟に構えるが、化け物はライの予想に反しライの方に向かってくる事は無く、別の方向へと駆け出していった。
「なっ!?」
『ライ追いかけて!ここからじゃ始源が届かない!!』
「ッ、分かった!」
全身から始源を漲らせ、ライがあの化け物の後を追う。
化け物の足は速く、ライが全力で駆けてもまるで追いつける様子はなく、更に始源によって変質した地面がライの足をとり、化け物との距離は離される一方だった。
「アイツ、見つけたって言ってたけど一体何を見つけたんだ?」
『さぁね。これだけ始源を発してるんだから向こうはとっくにこっちの存在に気が付いてるはずだけど』
「始源……?」
始源、その言葉がライの中で僅かな引っ掛かりを生む。
ライが始源を感じ取る事が出来るように、あの化け物も始源を感じ取る事が出来るのだとしたら、化け物が見つけたモノとは――
(まさか……!)
脳裏を過った嫌な予感に、ライは変質した地面の事など無視して速度を上げる。
「頼む、間に合ってくれ!」
予感はライの中で確信に変わり、ライは懸命に足を前に出す。
この街に居る、もう一人の始源保持者である少女の元へと向かう為に。