溢れ出る厄災
時刻は昼前、窓から差し込む光で照らされたダイニングで、ライが一人目を瞑りながらじっと何事かを考えるように椅子に腰かけていた。
ダイニングにはライ以外の姿はなく、ダンもトーカも、フィアの姿さえない。
それも当然だ、何故なら三人共揃って今は街の外に出ているのだから。
どうしてライ一人だけがダンの家に残っているのかというと、遡る事数時間前、朝食の最中にダンが今日の予定を話題に出したのが発端だった。
「前々から言ってましたが、今日は店は出さずにヤヅズクの補充に行こうと思います」
「そういえば、そろそろ無くなりそうだと言ってましたね。アンシャの近隣の村で取引してるんでしたっけ?」
「えぇ、正確に言えば実家から送られてきたヤヅズクを近隣の村で保管して貰って、他の商品に紛れ込ませて受け取るのですが」
ドナードがヤヅズクの栽培方法を調べている以上、アンシャで栽培するのはリスクが大きく、また直接実家から送って貰うとドーナドの魔の手が家族にまで及ぶ可能性があり、それらを回避する手段としてアンシャ周辺の村々を一度経由し、色々な物品の中に紛れ込ませて何処から送られてきたものか分からないよう偽装していた。
「今日回るのは合計で四つの村ですが……アンシャから定期的に出てる乗合馬車を使うので結果的に殆どの村を回る事になりますね。そこで相談なのですが」
「護衛が欲しい、って事ですね」
ダンの言いたい事を先んじてライが口にする。
「はい、アンシャから出てる乗合馬車を襲うような輩はよっぽど居ないとは思いますが、念のために」
「どうして乗合馬車は襲うような輩はいないって思うの?。アンシャの外には盗賊がいっぱいいるのに」
「それは外に居る盗賊達もまたアンシャに属する人間か、周辺の村の出身者だからですよ。アンシャから出ている馬車はアンシャ、そして周辺の村々へと物資を運ぶための生命線、それを襲えば自分の家族や仲間にも被害が出るし、何より多くの人間を敵に回す。少なくともアンシャ近くには二度と近寄れなくなります」
「だからアンシャから出てる馬車は大丈夫だと」
「えぇ、ですが切羽詰まった人間や外から来た人間なんかが馬車を襲撃する事はあるので、一応の護衛を」
「そういう事ね。じゃあ今日は四人で街の外に――」
「ちょっと待って」
フィアの言葉を遮ってライが口を開く。
「それなんだけど、二人の護衛はフィアに任せられないかな?」
「私にって、私一人で二人を護衛しろって事?」
「うん、最近ダンさんやトーカちゃんが直接狙われる事も少なくなってきたでしょ?。前に家の裏で火薬に火を付けられそうになっていた事もあるし、家を完全に留守にするのはまずいと思うんだ」
「確かに、家を空けた隙に何か仕掛けられる可能性はありますね」
「でしょう?だから俺はここで皆の帰りを待ってようと思うんだけど……どうかな?」
ライの提案にダンもトーカも特に異を唱えるつもりは無く、黙って頷く。
しかしフィアは少しだけ何か考えるような素振りを見せた後、ライに耳打ちする。
「あの娘の事が気になるの?」
その言葉にピクリと反応したライを見て、やはりかとフィアがため息を吐く。
つまりライはあの少女の事が気になってしまい、街を離れる気になれないのだろう。
だから護衛をフィアに任せ、自分はここで少女が来るのを待つつもりなのだ。
「別に良いけど、ただあんまり肩入れしすぎないようにね」
「……分かってる」
本当に分かっているのかと疑りながらも、それ以上は何も言う事はなくフィアもライの意見を受け入れ、こうして三人はアンシャの外へと向かい、ライは一人家で留守をする事になったのだった。
という訳で朝からじっと家の番をしながら少女が姿を現すのを待って居るのだが、一向に誰かがやって来る気配もない。
「装備の手入れでもやるか」
そう言いながら机の上にエクレールや聖銀の短剣、投擲用の短剣に皮鎧などを並べて行くが、どれも最近使用していないせいで綺麗なままであり、今更整備する必要もない。
「ずっと売り子してたからなぁ……この際、普段やらないような物の整備も――ん?」
そう言いながら腰に備え付けていたポーチから道具を適当に取り出した時、見慣れない物が混ざっている事に気付く。
「これはあの娘の」
それは以前拾った際、ポーチに入れたままにしていたあの特徴的な絵が刻まれたナイフだった。
抜身で持ち歩くにはとナイフだけポーチに仕舞ったまま、その存在をすっかり忘れてしまっていた。
今度会った時に返さなければと考えながら、ライはそのナイフをじっと見つめる。
良く見ると随分と汚れており、整備もロクにされていないのが分かる。
「折角だし、返す前に整備しようかな」
そう考え、ライはナイフの整備を始める。
ボルトを外して分解し柄、ヒルト、刃身に別け、それぞれを整備していく。
それぞれの接合部に出来る隙間に溜まった汚れを掻き出し、刃を綺麗に研ぎ直す。
柄にこびりついた頑固な汚れは表面を軽く削り落とし、鑢で滑らかに均す。
江尻の家紋に傷がつかないよう、慎重に汚れを掻き出しては清潔な布で表面を綺麗にする。
最初は汚れていて分からなかったが、江尻に刻まれた家紋には色がついており、緑色の葉とその中央から飛び出た棒状の何かも先端部分は同じく緑色であり、根本に向かうにつれ緑から白へとその色が変化していく。
やはり何かの植物らしいが、ライにはそれが何であるか分からなかった。
バラバラに分解した部品を組み直し、また元のナイフへと形を戻していく。
綺麗になったナイフを見て、不意にライの脳裏にこれを握って誰かを殺す少女の幻が映り込む。
「大丈夫だ、もうあの娘にはそんな事はさせない」
自分が止めて見せる。
その決意と共にライがナイフを布に包んでポーチに仕舞い込んだその時――
――ゾクリ
突如、言い様の無い悪寒がライの全身を駆け巡る。
何か、得体の知れない物が身体の末端に触れているような、そんな違和感を感じ、すぐに自分の身体を見下ろすもそれらしき物の姿は見えない。
しかし相変わらずライの全身には鳥肌が立ち、何かをライに知らせようとしていた。
何だ?一体何だというのだ?。
ライが混乱してると、家の外が騒がしい事に気が付く。
机の上に並べていた装備一式を身に付け、ライが外に飛び出した時、飛んでもない物が視界に飛び込んできた。
アンシャの街の北側、領主の館がある方角からどす黒く、濁った蒼い何かが街中へと広がっていた。
「あれ、は」
あれを自分は知っている。
あの蒼い色を自分は知っている。
自分が見慣れた物と比べてると濁り淀み切ってはいたが、でもそれは間違いなく――
「――始源」
まるで闇とでも形容するしかない膨大な量の始源がアンシャの街の北半分を覆い尽くしていた。
「きゃあああああ!!」
「何だよアレ!!北の連中はどうなった!?」
「知らねぇよ!それより早く逃げるぞ!あの気色悪い靄の中から化け物が出てきたらしい!!」
「はぁ!?化け物って誰かが街の中で魔物でも放ったのか!?」
「だから俺が知るかよ!!俺はもう逃げるからな!!」
大勢の人間が蒼い靄から逃げるように南へと走って行く中、ライは北に広がる始源を睨みつけていた。
「もし、あの始源が始源としての力を有したままなら……」
止めなければ大変な事になる。
そう考えた時にはライの身体は既に駆け出していた。
街を覆い尽くす巨大な始源、ライはその根源に向かって行く。
それが、例えどれだけ無謀な事であったとしても――。