幼い独占欲
夜、健全な商店は全て閉まり深夜営業の怪しげな雰囲気を漂わせる酒場や年齢、性別、種さえ気にしない娼館等が営業を続けている時刻、そんな店ばかりが軒を連ねる通りを歩いている者はやはりというべきか一般市民とは程遠い人物ばかりだった。
女を両脇に侍らせながらも時折娼館の前で立ち止まっては新たな女を物色する好色貴族、道行く人間に声をかけ金や食べ物をくれと懇願する物乞い、フードを目深に被り挙動不審に当りを見渡す不審者、身体中を震わせ薬を売ってくれと叫ぶ薬物中毒者、そんな人間を前に金が無いなら失せろと一喝する売人etc.
嬌声、怒声、泣声、呼声――朝は静まり返るこの通りも夜になればご覧の有様、快楽を貪る人間と苦難に溺れる人間の対比がこうも如実に表れる場所も他に無いだろう。
そんな通りを幼い一人の少女が歩いていた。
それだけなら何も珍しくない光景、大人達に声をかけ食べ物をせびる子供達ならそこらを適当に見渡せば嫌でも目につく。
しかし少女が他の子供達とは違ったのはその立ち位置だ。
道行く大人に食べ物をせびる子供達とは反対、軒を連ねる店を物色する大人達と同じように少女は何やら物色するようにあちこちに視線を向けていた。
さらにその他の子供達と異なるのはその外見だ。
食べ物をせびる子供達は身寄りも無く路地で生活しているため衣類も襤褸切れのようなみすぼらしいもので酷く汚れているのだが、少女の衣服は汚れておらず、身に纏った衣服も襤褸切れなどではない。
その姿から衣食住に不自由していない事が感じられ、だからこそこんな所にそんな子供が居るという事態はハッキリ言って違和感しか無かった。
しかしだというのにそんな少女に誰も気が付いた様子が無いのはやはり少女が【陰影】と呼ばれ恐れられる存在だからだろうか。
少女の視線はあちらこちらに向けられていたが、それは軒を連ねる店へではなく通りを歩く全ての人間に向けられていた。
仕事の標的を探しているという訳ではなく、個人的な事で少女はこの通りを訪れ、個人的な欲求を満たす為にここに来たのだ。
誰か納得のいく相手はいないのかと、無くしてしまったナイフの代わりを握りしめながら少女が歩いていると
「なぁ、イルザさんの話聞いたか?」
「あれだろ。この間の【陰影】絡みの話の事だろ?」
通り過ぎ様に聞こえてきた二人組の男の会話、その中に【陰影】という言葉を耳にした少女は二人組の男に興味を持ったのか踵を返し二人組の後をつける。
背後にそんな少女がいるとは知りもせず、二人組は話を続ける。
「【陰影】に依頼をしたにも関わらず、標的がまだ生きてるもんだから、イルザさんが依頼もせず金を持ち逃げしたんだと領主様がカンカンに怒ってるんだってな」
「そうそう、イルザさんに対する領主様の信用はガタ落ち、何やら挽回してみせると【陰影】への依頼金の立替とヤヅズクの栽培法の入手を条件に何とか許して貰ったらしいけど……例え上手く行ったとしてももう以前のようにはいかねぇだろうなぁ」
「って事は俺達の立場もやべぇって事か?」
「このままならな。だから今の内にイルザさん以外の相手に取り入らねぇとこの街じゃ生きていけなくなる」
「はぁ……【陰影】がしっかり仕事をこなしてくれりゃこんな事にはなってなかったろうに。【陰影】に暗殺を依頼した標的は確かライって名前だったか?」
二人組の男の片割れから飛び出したその名前に少女はまた反応を見せる。
「ライ……」
ここに来て、少女はこの二人組が以前ライの暗殺を依頼しに来た五人組の内の二人だと理解する。
あの時、少女は五人組の事は認識してはいたが、それ以前から既に殺したい相手を既に決めていた為、五人組には一切興味を抱かず顔も覚えてはいなかった。
「この人達が、ライを殺そうと――」
そう呟くと少女の顔に険が混ざり始める。
右手に握ったナイフをさらに強く握りしめ、歩く速度を速め前方を歩く二人組に徐々に接近して行き――
――ザシュ
「あっ?」
「フェ?」
突如背後から襲った軽い衝撃に二人が驚いたように背後を振り返る。
しかし背後には誰の姿も見えず、気のせいかと足を踏み出そうとするも突如全身の力が抜けてその場にへたり込んでしまう。
「あ――れ?」
全身から血の気が引いて行く感覚と同時に自身の背中が濡れ広がって行く感覚に男達は首を傾げる。
その感覚が背中を伝い、そして地面にまで達した時、男達はようやく理解する。
そして理解すると同時にまるで力の入らなかったはずの全身を激しく動かしながら男二人は地面の上で狂ったようにのたうち回る。
「あ゛なんで!?なんでぇ!?」
「アガッ、ひぃぃぃぃ!!」
一人は届かない背中の傷を必死に手で塞ごうともがき、もう一人は地面に背中を押し当てて声にならない叫び声を上げる。
突然の出来事に通りの全ての人間の視線が二人組に注がれるが、その中に件の少女の姿はなかった。
少女は二人組が中心となった人集りから離れた位置におり、二人組に一瞥もくれてやる事無くその場を即座に後にしていた。
「ダメ……あの人は誰にも殺させない……」
誰に聞かせるでも無く、呟くように少女は口にする。
「■■■て欲しい、■■■■て欲しい、■■■て欲しい――」
少女の抱いたとてもささやかで無垢な願望、しかし悲しきかな、そんな想いも少女の中では全て等しく殺意へと変換されていく。
だからこそ、少女の真意には誰も気付けない。
少女自身でさえも。
何故自身がライに執着しているのか、何故人を殺したがるのか、そんな疑問も全て■■■て欲しいからという結論に行きついてしまう。
だってそれしか知らないから、それしか分からないから――。
自身が抱いた殺意の意味さえ理解しないまま、少女は歩き出す。
「あの人を殺すのは私、それを邪魔する人には遠くに逝って貰わないと」
幼い独占欲に支配されながら少女は領主の館へと向かうのだった。
やべぇ……二人組に領主の事について深堀させるつもりがすっかり忘れてた。
まぁ次は領主出てくるからそこで説明しても遅くはないからこのままで。




