何時かの光景
街の明かりも消え失せた真夜中、ライとフィアが眠る一室の扉、その扉の内鍵が何時の間にか外され、ゆっくりと扉が開かれる。
その扉の前には誰も居なかった――いや、見えなかったと表現するのが正しいのだろう。
それは容易く部屋の中へと侵入するとまず扉から手前のベッドを確認する。
そこにはフィアが横になっていた。
(違う……)
次に窓際の方のベッドの元へと歩み寄り、横になっている者を確認する。
(――見つけた)
布団を捲り、スヤスヤと寝息を立てるライの姿を認識したそれは暫しライの寝顔を観察した後、ふと何かを振り払う様に首を左右に振る。
(見惚れてる場合じゃない。私は仕事をしに来たんだ)
ライから目を放し、それは心を落ち着けようとする。
(やる事は何時もと同じ、ただナイフを突き立てる。それだけ――)
ナイフを取り出しそれが顔を再び目標に向けたその時、眠っていたはずのライと目が合った。
「っ!?」
「君、は」
見てる、見られている。
それがその事実を認識した瞬間、それは自然と吊り上がる己の口角を抑える事が出来なくなっていた。
だがそれもすぐに終わる。
「どうして君がここに」
「え?」
そう言ってライが身体を起こし、それと向き合おうとする。
「トーカちゃんの言う通り、しっかり内鍵はかけておいたと思ったんだけどな……もしかして鍵開いてた?」
「うえ、えっと……あの」
「どうかした?」
先程までの笑みが嘘のように掻き消え、代わりに熟れた林檎のように真っ赤に染まる。
「っ!ごめんなさい!!」
「え?ちょっと!?」
突然の謝罪と共に部屋を飛び出して行ったそれの後をライは慌てて負ったが、部屋を出て廊下を見た時には既に姿は見えなくなっていた。
「あの娘は……」
ライは僅かだが言葉を交わしたそれの姿を、幼い少女の姿を思い浮かべながら、眠れぬ夜を過ごすのであった。
「ふぁぁぁ……」
「大きな欠伸だね。昨日眠れなかったの?」
「うん……というか、フィアなら何があったか分かってるんじゃないの?」
現在、ライとフィアは今日はダンの屋台の休業日という事でやる事もないからとアンシャの街を散策していた。
ここ数日の間にすっかりアンシャの街に慣れた二人は今やトーカの案内無しでもアンシャの街を出歩けるようになっていた。
「まぁね。あの娘の存在は認識し辛くとも、内鍵を開ける物音には気付いてたよ」
「気付いてたなら起こしてくれても良かったのに」
「ライなら自力で起きると思ってたからね。実際、あの娘が殺意を抱いた途端、パッと目を覚ます事が出来たでしょ?」
フィアの問いにライは少しだけ間をあけてから答える。
「殺気、とは限らないんじゃないかな?」
「でも少なからず敵意を感じ取ったからライは目を覚ませたんじゃないの?」
「それは、そうなんだろうけど……」
納得がいかないといった様子でライは昨夜の事を思い出す。
ナイフを手に持ちライの枕元に立っていたのは間違いなく例の少女だった。
「まだ悩んでるの?。ナイフなんて持ちだしてライの事を殺そうとしてたんだから、悩む余地はないと思うんだけどな」
「そうかもしれないけど、でもやっぱり」
目が合ったあの時、やはりと言うべきか少女は笑みを浮かべていた。
無邪気な少女の微笑み、どう考えても人殺しの物ではない。
「あの娘が人殺しなんて、噂で語られているような【陰影】とは到底思えないよ。なんていうか、変な話だけどどうしても普通の女の子にしか見えなくて」
「はぁ……まぁライが誰をどう思おうとそれはライの勝手だけどね。そう思うんならそんなウジウジ悩んでなんかいないで、そう信じてれば良いんじゃない?」
「え?」
「あの娘はライにとって普通の女の子、そういう”答え”が出たって事でしょ?。それなら悩まない、”自分が出した答えを信じ続ける”、そう言ったのはどこの誰だった?」
『俺はもう答えを出すことを恐れないよ。例えそれが過ちだったとしても、自分が決めた事は絶対に曲げない。最後まで信じるって決めたんだ』
それはマリアンベールを発つ時にライがフィアに誓った言葉だ。
「……そうだったね。ごめんフィア、余計な気を使わせちゃって」
「別にライがウジウジ悩むのは何時もの事だし、慣れてるから気にする事はないよ」
「はははは……ウジウジ悩むってところは気にするかも」
そんな女々しい事を口にした時、ライがふと足を止める。
「ライ、どうしたの?」
突然足を止めたフィアがライに視線を向ける。
(違う、この視線じゃない)
フィアとは別に感じるもう一つの視線、その元から感じた”威圧感”にライはそちらの方に顔を向ける。
大通りに面した複数の路地の内の一つから、誰かが顔だけを覗かせてライの事をじっと見ていた。
それは例の少女であった。
少女はライが自身の存在に気付いた事を知ると、やはりあの笑顔を浮かべる。
「ねぇ、君――」
しかし、ライが歩み寄り声をかけようとすると少女は昨夜のようにオドオドしだし、顔を真っ赤にして路地へと顔を引っ込めてしまう。
その直後、路地をライが覗き込むがそこには誰の姿も見えなかった。
(タイミング的に逃げる背中くらいは見えても良い筈なのに……ここまで完全に姿を消せるなんて、やっぱり始源の成せる業なのか?)
まだ独特の威圧感を感じてはいるが、姿が見えない存在を追ったところで捕まえる事は不可能だろうと判断し、ライは後を追う事を諦め大通りへと戻る。
「急にどうしたの?もしかして」
「うん、あの娘が居たんだ」
ライがそう告げるとフィアが目を瞑り意識を世界と同化させる。
「本当だ。確かにあの路地に居るね」
「あの娘、一体何が目的なんだろう?」
「さぁ?あの娘の生涯を追って見て行けばハッキリするとは思うけど……ライはあんまり好きじゃ無いでしょ?そういうの」
「まぁね。他人の人生を盗み見るって事にも抵抗感はあるけど、何よりもフィアに頼りっぱなしになるのがね」
しかし、今のライがフィアに頼らずこの状況を進展させる術があるはずも無く、とりあえず追うと逃げられると分かったのだから再び向こうから現れるまで街の散策でもしていようという事になった。
「改めて散策してみると、やたら多い路地と路地に居る変な輩を除けば普通の街と変わらないね」
「そうだね。ただスリの数がやたらと多いのが目立つけど」
そんな話をしながら街の散策を再開して程なく、ライはあの威圧感が徐々に自身に近づいて来る事を認識した。
そしてそれが数メートル離れた斜め後ろの辺りまで来た時、威圧感を感じる方角から視線を感じ取り、勢い良く振り返る。
居たのはやはりあの少女、先程と同じように路地から顔を出してまたあの笑みを浮かべる。
(何か俺に用があるんだろうけど、ここで声を掛けたところでまた逃げられるだろうしな)
そう判断したライはとりあえず少女に後を付けさせたまま街の散策を続ける事にした。
「どうするライ、何なら私が逃げられないよう手足をガチガチに拘束しても良いけど」
「それは本当に一切の手立てが無くなった時の最終手段にしよう。フィアに頼る前に俺の手で何とかしたいし、それに強引な手段は出来れば取りたくはないかな」
「穏便に事を運べるとは思えないんだけどねぇ」
強硬手段には出たくないというライに対し、フィアはそれは無理ではないかと言葉を漏らしながら二人は今まで言った事の無かった方面まで足をのばした。
そうして散策を再開して数十分が経過した頃、ライの後を追う少女に変化が現れる。
今まで一定間隔でピッタリとついて来ていた視線と威圧感が、徐々にその距離を詰めていたのだ。
「……ライ」
「分かってる」
背後に迫る者を意識したのか、二人が小さな声で確認し合う。
やがて3メートル、2メートル、1メートル――今まで感じていた威圧感が手が届きそうな程近くまで来たその時、ライとフィアが同時に背後を振り向く。
フィアは始源を感じる位置に視線を固定していたもののやはり姿は見えないのか、その視線は少女ではなく始源を感じる空間を見つめていた。
一方ライの目にはしっかりと少女の姿が映っており、少女はライと目が合うとやはりあの笑みを浮かべるが、一つだけ先程と違う事があった。
それは少女が右手にナイフを持ち、それを今まさにライに突き立てんと構えていた事だ。
自身の身を守る為、ライは咄嗟にナイフを構えた少女右手を掴む。
「っ!?」
「君は一体何なんだ?」
手を掴まれた事に驚いている少女にライは話しかける。
「あっ、うぅぅ」
「答えてくれ。君の目的は何なんだ?」
少女は自分の右手を掴むライの手と顔を交互に見ては言葉にならない声を口から漏らすばかりで、ライの問いに答える様子はまるでない。
顔を赤くした少女は羞恥心からか、その場から逃げ出そうとするが少女の手を掴んでいるライがそれを許さない。
ここで逃がしてしまえば、また同じ事の繰り返しだ。
ならば多少強引でもここで少女の本心を聞き出そうと、ライは少女の手を強く握り真摯な瞳を少女に向ける。
そんな視線を向けられた少女はライから視線を外せなくなっていた。
「う、あ――」
目と目が合う。
ライの瞳がまるで鏡のように少女の姿を映し、少女はライの瞳に写る自身の姿を認識する。
完熟した林檎のように顔を真っ赤にしてうろたえる自分の姿を認識した瞬間、少女の羞恥心がついに限界を迎える。
「嫌ぁ!!」
少女が叫び声を上げた瞬間、しっかりと少女の手を掴んでいたはずのライの手から少女の手の感覚が消え失せる。
「なっ!?」
感覚だけではない、今目の前に居たはずの少女の姿さえ完全に見えなくなっていた。
呆然とするライを他所に、始源から発せられる威圧感はどんどん離れて行き、やがて感じ取れなくなる。
「驚いた。まさか物理的接触まで絶ってくるなんてね。あれをされたら捕まえるのは難しいね」
「物理的接触……つまり触れられなくなったって事?」
「うん、今のあの娘は精神体みたいな状態だから触れられないし、光も透過してしまうから人間の瞳では姿を捉える事は出来ないだろうね」
「そっか……ところで」
ライはそこで一旦言葉を切りながら、視線を自身の脚元に向ける。
「コレ、どうしようか」
ライの足元にはあの少女が持っていたナイフ、そして身に付けて衣類が落ちていた。
「物理的に接触を絶ったのはどうやら自身だけみたいだね。おかげでナイフや衣服は全部置いて行っちゃったみたい」
「そんな冷静に分析してないで、これどうすれば良いと思う?」
「あの娘、戻って来る気配も無いし、このまま置いておいても誰かに持って行かれちゃうだろうから、持って帰って次会った時にでも渡せば良いんじゃない?」
「そうするしかないか」
ライは地面に落ちた少女の温もりのまだ残る衣類を洋服、下着、靴と拾い上げ、ライは何とも言えない表情をする。
「なんか凄い悪い事してる気分になるな」
そして最後に地面に落ちたナイフを拾い上げた時、ライはそのナイフをマジマジと見る。
「このナイフ、家紋みたいなのが付いてるね」
「家紋?」
「ほら、柄尻のところに」
そこには蓮の葉に何か棒状の物が付いたような絵が柄尻に刻まれていた。
「何かヒントになるかもね」
「そうだと良いんだけど」
流石にナイフを剥き身のまま持ち歩く訳にも行かず、ライはナイフをポーチにしまう。
「どうする?散策を続ける?」
「いや、一旦ダンさんの家に戻ろう。少女の脱ぎたての衣類なんて抱えてるところを衛兵に目撃でもされたら一発で連行されそうだし」
「というかそれなら私が持とうか?」
「あぁ、そうだね。お願いするよ」
ライは手に持っていた衣服をフィアに渡し、二人はダンの家を目指して歩き始める。
「しかし、あの娘はどうして逃げるんだろうね?」
「ナイフでライを刺そうとしたり、見つかったらすぐに逃げ出すっていう状況だけで判断すれば、殺しの標的に目撃されたから逃げたって事になるんだろうけど」
「そうだとしたら目が合う度に笑う理由も、羞恥心を感じる理由も分からなくなるんだよね」
謎が解決するどころか深まるばかりの現状にライは少し疲れたように息を吐く。
「にしても、路地から後を付けてくる少女を追いかけるなんて、あの時とはまるで反対――」
そこまで口にした途端、ライがピタリを動きを止める。
突然動きを止めたライにフィアがくるりと振り返りライの方を見る。
「どうかした?」
「……いや、なんか前にもこんな事があったような気がするんだ」
「こんな事?」
ライの言葉にフィアが何の事だと首を傾げる。
「そう、今日みたいに誰かが路地から俺の事を見てて、どれだけ逃げてもずっとついて来てて、確かその時も今みたいに街を散策してて……フィアは覚えてない?」
嘗てあった印象深い記憶、忘れようとも忘れられない、大切な二人の記憶――しかし
「さぁね、記憶にないよ。私と旅をする前の話じゃないかな、それって」
フィアにそう言われ、ライは自身の記憶を探ってみる。
確かにその当時の記憶を思い返してみると、隣にフィアは居なかった。
あの時居たのは自分、そして自分を追っていた少女の二人だけだ。
初めて目が合った時、先程の少女と同じように羞恥心で顔を赤らめたり、ライが逃げずにじっと見つめ返した時、キラキラとした瞳を向け期待に胸を膨らませる姿。
とても感情豊かでフィアとは正反対の少女だった。
そこまで詳細に覚えているはずのに何故だろう。
何かを忘れている気がしてライは仕方が無かった。
「ねぇ、フィアは本当に――」
そこまで言いかけて、口を閉ざす。
(フィアと旅をする前の話なのに、フィアに聞いてどうするんだ俺は)
――本当に?。
一瞬脳裏を過った疑問を振り切り、ライは再び歩を進める。
「ごめん、変な事言っちゃって、早く帰ろう」
「うん」
「今日の晩御飯は何だろうね?。もうここに来てからすっかりダンさんの料理に舌を慣らされちゃったよ」
そんな他愛のない話に花を咲かせるライの横顔を、フィアはじっと見つめていた。
再び来ました不穏な雰囲気、ここら辺の話はもうちょっと先くらいで、もうちょっとマイルドにそれとなーく伝えようと思ってたんですが、ここで思い出さないのも不自然かなと思い出させた結果、いきなり核心ぶち抜くような事になってしまった。
でもこれはこれでアリだなと思ったのでこのまま行きます。
伏線回収大分先だから、その頃には皆さん忘れてそう……。