世界との繋がり
「【陰影】について、ですか?」
夕食の後、ゆったりとした空気が流れていたダイニングでライがダンに質問を投げた。
「はい、彼女について何か知っている事があれば、教えてくれませんか?」
「とは言われても、噂で語られる事以上の事は何も知りませんが……それでも良ければ」
「お願いします」
真面目な顔で言うライの姿に、不思議な顔をしながらダンとトーカは一旦顔を見合わせると【陰影】について知っている事を話しだす。
「さて、【陰影】については色々な噂があるので何から話すべきか迷いますが、私がアンシャに来るまでは知らなかった、アンシャだけで語られる噂について話しますか」
「それが良いね。私とかずっとこの街で過ごしてきたから、外の人達が知らない噂がどれとか正直分かんないし、おじさんの説明で抜けがあったら説明するよ」
「頼んだ。それでは手始めに、そうですね……【陰影】の容姿について、何か聞いた事はありますか?」
「えっと」
ダンの質問にライは今日見た少女の姿を思い浮かべる。
「黒い服を着た幼い少女、でしょうか」
「噂の中で一番語られている容姿ですね。ですがそれは絶対に在り得ないんです」
「在り得ない?」
「【陰影】の噂ってさ、誰を殺したーとかどうやって殺したーとかの人殺しとしての噂ばかりなんだよね。Sランク冒険者としての噂なんて誰もしない。だからアンシャでも知らない人が多いんだけど【陰影】がSランク冒険者として登録されたのってもう十年以上も昔の話なんだよね」
トーカの補足説明にライは再度あの少女の容姿を思い浮かべる。
見た目からして年の頃は二桁に届いたかどうかというくらいだった。
しかしトーカの話が事実なら【陰影】がSランク冒険者になった頃にはあの少女はまだ赤子か、そもそも生まれてすらいない筈だ。
(じゃあ俺が見たあの娘は?)
「【陰影】が何時頃から活動していたのかについての噂話は殆ど聞きませんからね。【陰影】が少女だなんて荒唐無稽な噂話が受け入れられても可笑しくはありません」
「荒唐無稽……ですか」
ダンの説明に納得しながらも、ライは心のどこかで例えようのない引っ掛かりを覚える。
(俺もあの娘が噂で語られている【陰影】だとは思えない。でもじゃあ何故あの娘はあんな事を?どうして俺はあの娘の存在に気付けなかったんだ?)
状況証拠だけで見れば間違いなくあの娘は【陰影】だ。
しかし噂で語られ恐れられる【陰影】と、あの少女が浮かべた笑顔がライの中でまるで結びつかないのだ。
「他に、何かアンシャだけで根強く語られる噂とか無いですか?。こう、彼女の行動原理とか」
「それについては他所で流れている噂と大差無いですね。金の為だとか、人を殺すのが趣味だとか根も葉もない噂ばかりです。あぁ、でも一つだけ確度の高い噂話が」
「それはどんなのですか?」
「【陰影】は金に執着する人間を狙ってるって噂です」
「金に執着する人間を?何故?」
「それは分かりません。しかし【陰影】が個人的に行ったと思われる事件の被害者達に共通していたのが金に執着するってところなんですよ」
ダンから【陰影】の行動原理についてのヒントになり得そうな情報を得る事は出来た。
しかしその情報は【陰影】の行動原理を明らかにするどころか、ライを混乱させるだけだった。
金持ちを狙うのなら分かる。
持つ者は意識的、無意識的に関わらず持たざる者を傷つけるものだ。
持たざる者の妬み嫉み、持つ者を殺したいと考える道理としては無い話ではない。
しかし金に執着する人間の場合はどうだ?。
金に執着するというのは持つ者、持たざる者の何方にも有り得る話だ。
ただ金を欲しているだけの人間相手に妬みも嫉みもない。
正直言って、金に執着しているだけの人間を狙う理由がライには皆目見当もつかなった。
(金に執着している人間に恨みがあるのか?。でも執着しているだけの人間に一体どんな恨みがあれば)
そもそもあの少女は”恨み”等と言う暗い行動原理とは正反対の位置にいるような気がして、その考えがライを増々混乱させる。
(それもあの笑顔を見てしまったせいだ)
どうして人を殺した直後だというのにあんな風に笑えるのだろうか?。
あの笑顔がもっと違う笑顔であったなら、納得出来る答えも出ただろう。
長年の恨みを晴らした時の晴れ晴れとした笑顔、人殺しに快楽を覚える狂気的な笑顔、無様に死んだ人間を嘲る嘲笑的な笑顔、そのどれでも無いあの笑顔の意味。
例えるならばそう、善い事をして親に褒められた時のような、そんな笑顔だった。
(人を殺すのが、あの娘にとって”善い事”のなのか?)
あの少女は幼くはあるが人殺しの意味が分からない程幼い訳でも無いはずだ。
(考えれば考える程、訳が分からなくなるな)
その後、ライはそれ以上ダン達から【陰影】についての噂は聞かず、フィアと共に自分達に割り当てられた部屋に戻り、今日の事を思い返していた。
「ねぇライ、今日はどうしたの?」
「ん?あぁ……」
「今もそうだけど、お昼も何回呼んでも反応しなくて、ずっと何もない場所を見つめて呆然としてたし」
ぼんやりと考え事をしていたライだったが、フィアの放った何気ない言葉に反応を示す。
「何もない?」
ベッドに横たえていた身体を勢い良く起こし、ライがフィアの方を見る。
「何もないって、フィアにはあの娘が見えなかったの?」
「アノコ?」
フィアが首を傾げながら、目をパチクリとさせる。
(フィアにも見えてなかった?)
肉の中に納まっている時、フィアは人としての感覚に支配され、世界として存在している時とは感覚情報がまるで異なる。
しかし、それでもフィアの感覚は並みの人間よりも優れており、その感覚はライさえも凌駕する。
そんなフィアが、ライが気付いたにも関わらず気付けていないというのは普通では考えられない。
「フィアって過去に起きた出来事も遡って視る事が出来るんだよね?。あの時、俺のすぐ傍に立っている女の子が見えない?」
「ちょっと待ってね」
そういうとフィアが目を閉じて集中する。
人の感覚を遮断し、世界としての感覚に身をゆだねる。
「……やっぱり、私には誰も居ないように見え――」
目を閉じたまま、フィアの動きが一瞬止まる。
「これは、始源?何故こんな何もない空間に……まさか」
先程よりもより深く、意識を世界と同化させていく。
やがてフィアの目が驚愕で見開かれる。
「嘘……居た」
「フィアにも見えた?」
「うん、驚いた。黒い服の少女が、ライのすぐ傍に立ってた」
(見間違いじゃなかったか)
フィアが見えてないという事で、自分の見間違いを疑ったライだったが、これであの光景が真実であるという確信を持つ。
「それにしても良く見えたね」
「居るっていう確信を持った途端、急に見えるようになったんだ。でもフィアが見えてないとは思わなかったよ。フィアはもう全部見えてて黙ってるものだと思ってたから」
フィアはライが行き詰まったり困ったりした時に助言を与える事はあるが、ライが答えに僅かでも近づきつつある限り、助言をする事はない。
だからライもフィアに敢えて尋ねるような真似をしなかったのだが、そもそもフィアには少女が見えていなかったのだ。
「私だって何でも見える訳じゃない。まぁ、今回に限って言えば世界だからこそ見えなかったんだけど」
「フィアだからこそ?」
「あの娘、世界との繋がりが極端に薄かったんだよ」
「繋がり?」
「まぁ簡単に言うと存在がかなり希薄というか、吹けば飛ぶような感じ。ライが分かり易い物に例えるなら幽霊ってところかな」
「ゆ、幽霊って……じゃあ、あの娘はもう死んでるって事?」
そう言いながらライは青い顔をする。
「例えるならって言ったでしょ。あの娘は死人に限りなく近いけど、ちゃんと生きてる」
「死人に近いけど、生きてる?」
「考えたところで分かりっこないんだから、生きてる幽霊くらいの認識で良いよ」
「な、なるほど?」
フィアの言う通り、これ以上考えたところで答えが出る気もしないのでライは無理やり納得する事にした。
「つまり存在感が無さ過ぎて、フィアにもあの娘は知覚出来なかったと」
「そうだね。ライに言われるまで全く意識してなかったよ。あの娘が始源を宿してなければもっと気が付くのに時間が掛かってた」
「え、始源?」
始源という言葉にライが反応する。
「うん、あの娘も始源を身体に宿してる。だからライも気が付けたんじゃないの?」
「いや、俺はあの娘が始源を宿してるなんて分からなかったし、俺があの娘に気付けたのもただ圧迫感というか、威圧感みたいな物を感じたからで」
「圧迫感に威圧感ね」
フィアはそう呟くと、再び目を閉じた。
目を閉じたまま、フィアがゆっくりとライの方に手の平を向ける。
「ライって今まで自分が始源を使ってたから、他人から始源を使う自分がどう見えるのかなんて意識した事無かったもんね」
「まぁ、俺以外に始源を宿してる人達は俺と違って何か特殊な力に始源を変えてたんでしょ?。その人達と俺とじゃまるで状況も違うしね」
改めて言われた事柄に、ライは始源を使った自分が周囲にはどう見えているのかを考える。
その時、ライは妙に息苦しいような感覚に襲われる。
「フィア?」
その息苦しさの正体がフィアから発せられている事に気付いたライがフィアに視線を向ける。
フィアから発せられる息苦しさはどんどん増し、やがてフィアが突き出した手の平が陽炎のように揺らめき、やがて蒼白い光が灯る。
「これって、始源?」
「そう、ライも持ってる別の物に変質する前の純粋な始源」
フィアの手の平に灯った微かな始源。
その僅かな始源から感じる”圧”にライは覚えがあった。
「これ、あの娘から感じてた物と同じ感覚」
「やっぱり見えなくても感覚で感じ取ってたんだね」
「ここまで強い圧はなかったけどね」
「流石に目に見える始源と体内に内包された見えない始源では、前者の方が感じる圧は強いよ」
あんな幼い少女から感じた不釣り合いな圧迫感と威圧感、その正体が始源であったという事実を知りライは妙に納得した気持ちになる。
「あれ、でもそう言えば前にフィアも俺の前で一度だけ始源を使った事無かったっけ?」
「あぁ、マリアンベールの地下での事?」
フィアから初めて始源について説明を受けたあの日、フィアはライの要望で始源を使ってブーカを生み出した。
あの時にライは確かにフィアが始源を使うのを目の前で見ていたはずなのに、あの時には今のような圧はまるで感じなかった。
「それはライが感じ取る前から始源が既に形を変え始めていたからだよ」
そう言いながらフィアが再び手の平をライに向ける。
すると同じように手の平に蒼白い光が灯るが、今度は全く圧を感じる事は無かった。
いや良く観察して見れば、僅かにだがその光が濁っているように見えた。
「この始源はミリアやクリオの始源と同じ、始源としての力はもう残っていない。後は定められた形へと変化していくだけ」
フィアが説明を続ける間にも始源はどんどん形を変えていき、やがて白い包み紙に入ったブーカへと姿を変える。
「ライが感じ取っているのは恐らく、純粋な始源が持つ本来の力なんだと思う」
「じゃああの娘は俺と同じように始源を始源として利用出来る状態で内包してるって事?」
「そうなるね」
ライの質問にフィアは事も無げに返し、自分で創り出したブーカを口に運ぶ。
(あの娘の異常なまでの隠密能力、あれは始源によるものって事なのか?)
無言でブーカを口に運ぶフィアを見つめながら、ライはあの少女の事を考え続けるのであった。