現れた影
遅れてすみません!。
今まで息抜きを執筆しつつ一週間は保ってたんですが、息抜きの方の筆が乗ってしまい、こっちの執筆が疎かになってました。
あっちの話が佳境に入ったのでつい……息抜きの方はその内投稿します。
ライとフィアがアンシャに来てから数日が経ち、相変わらず続く領主からの嫌がらせを受け流す日々にも変化が訪れていた。
屋台に真っ直ぐ近づこうとする男の前にライが強引に割り込み、肩がぶつかる。
「あ、すみません。大丈夫ですか?」
そう言って相手を気遣う素振りを見せながらライはぶつかった男の肩を左手で掴み身を寄せると、右手で剣の柄を相手の腹に押し付ける。
「っ、あ、あぁ」
「そうですか。なら良かった」
そう言ってライが手を離すと男は踵を返し、速足で近くの路地へと入って行く。
男が屋台から離れたのを確認し、小さく息を吐いたライに屋台の客の一人が声を掛ける。
「よぉライ、今日も苦労してんなぁ。少し疲れた様子を見ると、今日はアレで五人目ってところか?」
「いいえ、まだ三人目ですよ。連日こんな調子なので少々辟易してるだけです」
「あぁー三人か。クソ、外した」
ライがそう答えると話しかけた男は悔しそうに頭を掻く。
「賭けは俺の勝ちだな。約束通り串三本、お前の奢りな」
「分かってるよ。ダン、一番高い串三本くれ」
「はい、毎度あり」
これが数日前には無かった変化だ。
男達の反応から察するように、ダンの屋台に良からぬ客がやって来ている事がここ数日で普通の客の間で知られ始めていた。
先程のようなやり取りを日に数回、それも連日繰り返していれば当然の事だろう。
しかしそれが客足が遠のくというような事は無く、むしろライが何人追い返したか、或いは追い返せるか追い返せないかなど賭けを始める客がやってくるようになり、ダンの屋台に来る客は減るどころか増えていた。
これらの嫌がらせがプラスに働いたのはダンの屋台だけではない。
ライ自身にも変化があった。
数日前は自分自身に敵意を向ける人間しか察知する事が出来なかった。
最初の二、三日はダン達だけを狙う輩はフィアが対応していたのだが、そういった輩の行動を観察する内、目の動き、歩調や表情などから相手の狙いが分かるようになったのだ。
そのため、先程のように真っ直ぐダンを狙った輩にも対応出来るようになり、今では殆どライ一人で対応していた。
「もうそろそろかな」
「そろそろって、何が?」
唐突に呟いたライにフィアがそう尋ねる。
「この嫌がらせが止まるのが、だよ。この数日で向こうもこのまま手を出し続けても嫌がらせにならない事は分かっただろうし、何か違う手を考えてくるか、それとも手を引くか、そのどちらかを選ぶ頃だ」
「なるほど、まぁ嫌がらせのつもりが、客寄せの見世物になってるって知ったら続ける意味もないもんね」
「うん。それに日を追うごとに嫌がらせに来る回数も減って来てるから、相手も無駄だと分かってると思う」
「ソイツはちょっと違うなぁ」
ライとフィアの会話に突如、一人の男が割って入って来る。
年齢は四十代後半、白髪交じりの頭髪を後頭部に流した強面の男だ。
「領主の小間使い共は相変わらず金で動く連中を手あたり次第に雇いまくってる。ただ、それを受ける奴が減っただけさ」
「貴方は?」
「ただの通りすがり――ってのは冗談で、ちょっとお前の顔を見たかったんだ」
そう言うと男はジッとライの顔を見る。
「ははぁーん。若いが良い顔してる。こりゃうちの通りの連中じゃあ手に負えないわな」
「貴方、まさか」
「おっと、勘違いするなよ兄ちゃん。俺はあの領主の手先でもねぇし、兄ちゃんに喧嘩を売りに来た訳でもねぇ。ただ顔を見たかったって言ったろ?」
男はパンパンとライの肩を数回叩く。
「良い身体してんな兄ちゃん。正直ダンの野郎のとこなんかじゃなく、うちに来て欲しいくらいだぜ」
「悪いですけど、そのつもりは無いですよ。それより受ける奴が減ったってどういう意味なんですか?」
「簡単さ。この街じゃ面子が何よりも重要視されるからだ。舐められた最後、この街じゃ生きていけねぇ。仮に今、あの領主の手先の口車に乗せられて仕事を受けたらどうなると思う?」
「どうなるって、ライが止めるだけだよ」
フィアそう答えると男はチッチッチと音を鳴らしながら指を振る。
「そいつはちょっと違うな。もっと細かに言えば”仕事を邪魔された挙句、おめおめと逃げ帰る姿を大勢に見られる”だ。そんな姿見られた日にはもう堂々と大通りを歩く事も出来ねぇ。路地に戻っても笑い者になるだけさ」
「だから仕事を受ける人間が減ったと」
「そういう事、それにたった一度の失敗で今後の仕事を一生失う事にだってなりかねない。この街じゃ使い捨ての駒なんざ腐るほど手に入る。一度失敗した駒を二度使う奴は居ない。それならまだ一度も使ってない駒の方が可能性がある」
男はライから身を放す。
「マイナスとゼロの間には大きな隔たりがある。兄ちゃんも、精々マイナスにならないよう気を付けるんだぜ」
そう言って、男は背を向けて歩き去っていく。
「……何だったんだ。あの人」
ライの漏らした言葉にトーカが反応する。
「あのおっさんはルオ、この大通りを真っ直ぐ進んで右側の五番目の路地を仕切ってる人だよ」
「路地を仕切る?」
「うん、この街の路地にはそれぞれ顔役が居て、その路地で商売したり裏取引する時はその顔役の許可が必要なんだ。多分ルオのところの奴が領主の手先から金を受け取って仕事を引き受けたんじゃない?」
「自分の部下の面子を潰した人間の顔を見に来たってところか……」
面倒な人間に目を付けられてしまった。
そう考えながらライが歩き去っていくルオの背を見つめていたその時
「あ――?」
突如ルオが大通りの真ん中で膝を折ったかと思うと、ルオの胸部から鮮血が噴き出る。
「ギャァァァア!?」
ルオは悲鳴を上げると、前のめりに倒れ込んでしまった。
突然の事態に唖然とその光景を見ていたライだったが、ハッと我に返るとルオの元へと駆け寄る。
「大丈夫か!?」
ライは駆け寄るとうつ伏せになったルオの身体を仰向けにして傷を確認する。
(これは刃物か?)
傷口を確認するライの表情がどんどん曇って行く。
(駄目だ。傷が心臓まで達してる。これじゃあ回復魔法を掛けたとしても)
冷静に状況を分析する中、ライは自分の手が震えている事に気が付いた。
(震えてる……?一体何に?)
人の生き死になんて、冒険者を何十年とやって来て何度も見ているはずだ。
魔物に殺される冒険者を見た事も、何なら襲い掛かって来た盗賊を殺した事だってある。
そんな自分が、何故今更震えている?。
得体の知れない震えにライは息苦しさを感じる。
(いや、違う)
息苦しいのは震えのせいではない。
圧迫感、威圧感、言葉にするならそんな所だろうか。
まるで自身の目の前に巨大な壁が迫っているような、そんな感覚をライは感じていた。
しかしライの周りにあるのは死にかけのルオとそれを遠巻きから見る人集りだけだった。
(俺は一体、何に震えているんだ?)
混乱するライの目の前で、ルオが空を仰ぐようにしながら自身の頭上に手を伸ばす。
「…ぁ…っ……ぅ…!」
ルオが何か喋るように口を動かすが、その口から声と思しき物が紡がれる事はなかった。
賢明に虚空に向かって手を伸ばすルオの姿を見て、ライはふと気が付いた。
当初、ライはルオが空を仰ぎ見ているのだと思った。
だがそれにしてはルオの視線は遠くではない、もっと近くに向いているように思えた。
例えるならばそう、まるでそこに自分を見下ろす誰かに向かって話掛けているような感じだ。
伸ばした手も、空に向けてというよりは、自分の頭の側に立つ人間を掴もうとしているように見えた。
しかしルオの側にはライしかおらず、ルオの視線の先には勿論そんな人間は居ない。
でもライにはルオの行動が無意味な物には決して思えなかった。
ルオの頭の側に意識を集中させる。
先程からずっと感じていた圧迫感と威圧感は増々気配を強め、もはや息苦しさとは呼べず、まるで首を絞められているかのような錯覚を覚える。
「っ――!」
その時、賢明に手を伸ばしていたルオがついに力尽きた。
伸ばしていた手は重力に引かれ、地面へと投げ出される――はずだった。
「浮い……てる?」
ライの口から反射的に言葉が漏れる。
力を失い、地面に落下するはずの手が、まるで透明な何かの上に乗せられているように空中で制止していた。
咄嗟にライはルオを見るが、既に息絶えておりルオが空中で手を止めた可能性は無い。
(やっぱり、この人の傍には――)
”あーあ、終わっちゃった”。
(――居る)
耳には届かない、誰かの声。
それをライは確かに聞いた。
確信を持って今一度視線をルオの頭の方に向けた時、ライは見た。
真っ黒なパンプスと同じ色の黒いスカート、日焼けを知らない純白の肌。
視線を少し上げれば、腰が見え胸元まで見えてくる。
そして首元まで見え始め、ついに顔を見た時、ライは息を呑んだ。
「女、の子」
それは幼い、本当に幼い少女だった。
トーカと同い年、或いはそれよりも幼いくらいの少女。
まるで人形のように整った容姿、黒で統一された衣服、街で見かければ誰もが目を引かれるような少女がそこに居た。
少女の手には鈍色に光る血で濡れたナイフが握られており、この少女がルオを手に掛けたのは明らかだった。
人通りの多いこの場所で行われた惨劇。
誰も居なかったはずの場所に突如として現れた少女。
そして幼い少女が人を手に掛けたという事実。
まるで状況を飲み込めず、混乱するライはただ茫然と少女の顔を見続けていた。
少女はルオの顔をじっと見下ろしていたが、不意にライの方に顔を向けた。
「っ!」
目が合った――それを少女も理解したのだろう。
寂しげな表情が驚きに変わり、そして――
「ライ!」
「ハッ!?」
フィアの呼びかけにライは我に返る。
「大丈夫、ライ?」
「あ、あぁ……うん」
フィアに呼ばれ、背後に振り返ったライが今一度視線をルオの頭の側に向けるも、もうそこには先程の少女の姿は無かった。
(あの娘は一体……)
立ち尽くすライの耳に周囲の人間の話し声が入って来る。
「あの男ってトの八番路地の顔役のルオじゃないか?」
「アイツ、随分と幅を利かせてたからな。邪魔に思った連中が”アイツ”に殺しを依頼したってところだろ」
「ねぇ、これってもしかして」
「きっとそうよ。【陰影】の仕業に違いないわ」
「俺見てたけどよ。いきなり男が膝ついたと思ったら、突然胸が赤くなってドバーって血が噴き出したんだよ」
「殺した奴の姿は見なかったのか?」
「それが全然、俺男の姿を真正面から見てたけどさ。注目して見てた訳じゃないからアレだけど、少なくとも膝をついた時からじっと男の事見てたが誰も側に居なかったぜ」
「噂には聞いていたが、これが【陰影】の殺しか。おっかねー」
(【陰影】……)
人々が口にするその二つ名にライは聞き覚えがった。
いや、ライだけではない。
この世界に居る人間なら大半は知っている筈だ。
世界に五人しか居ないSランク冒険者にして、唯一の”人殺しの専門家”。
陰影の名は良くも悪くも、他の四人よりも広く知れ渡っていた。
誰もが恐れる最強の暗殺者、姿の無い人殺し、意思を持った死、【陰影】の噂は人から人へと伝わり、もはや知らない者は赤子だけと言われる程だ。
(あの娘が【陰影】?)
あれほど傍に居たのに気が付けなかった事を考えれば、噂で語られる【陰影】に間違いはない。
しかし、その事実がありながらライは彼女が噂で語られる【陰影】とは思えなかった。
(フィアに呼ばれて目を放す前、俺は確かに見た。あの娘は)
ライがあの少女を【陰影】だと断言しない理由、それは――
(あの娘は、笑っていた)
――無邪気に笑う、ごく普通の少女の笑顔だった。
やっと出てきた五人目。
彼女の詳細については次の次くらい……かな?