逃げる者と追いかける者
ブルガスの街の大通り、人混みに溢れたその道を掻き分けるように速足で歩く人間が一人。
その人間の正体はライであり、時折後ろを振り返っては辺りを見渡していた。
「居ない…振り切れたのかな?」
安堵のため息を吐きながら、ライが視線を目の前に戻したその時、ライの進行方向にある路地から顔をだす一人の少女の姿が見えた。
その少女を視界に収めた瞬間、ライはビクンと身体を震わせた後、その場で反転し駆け足でその場を離れる。
「くそぉ!何なんださっきから!?」
最初に少女を見てからというもの、ライは行く先々で少女の姿を見ていた。
最初は偶然だと思っていたライだったが、自分を見つめるあの視線と、幾度となく現れるその少女の姿に、決して偶然などではない事に気付いた。
それからは少女から逃れるように、ある時は人混みに紛れ、またある時は入り組んだ路地を通ったりもした。
しかし、そんなライの努力も虚しく少女は常に一定の距離を保ったままライの目の前に現れ続け、ライの心は恐怖と焦燥感に駆られていた。
そして、その少女――フィアの方はと言えば、こちらもライと同じように焦燥感を覚えていた。
「うぅぅ…なんでライは話しかけてこないの!?ライの好みのはずなのに…!」
ライから自分に対して話しかけさせ、そこから自然な流れで一緒に街を回ろうと考えていたフィアだったが、いくら容姿が好みだからと言って無言で自分を見つめ続ける少女に追い掛け回されれば逃げ回るのも無理もない話だろう。
むしろ、あまりにも整い過ぎたその容姿は逆にライの恐怖感を煽るのに一役買っていた。
そんなこんなで、ライとフィアの終わりのない鬼ごっこが始まってから既に数時間、互いに進展もないまま時間だけが過ぎていた。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
町中を駆けずり回り疲労困憊の様子のライが、息も絶え絶えに道脇に置かれたベンチに腰を掛ける。
「一体何だっていうんだ…あの子は…」
荒く息を吐き、空を見上げながらライが漏らす。
「これだけ走り回って振り切れないなんて…まさか幽霊?」
ライは自分がしてしまった嫌な想像に顔を青くする。
「いやいやいや…そんな俺呪われるような事した記憶ないし、第一こんな真っ昼間から幽霊だなんて」
嫌な想像を振り切るようにライが首を振って否定する。
そんな時だ、ふと以前に旅人から聞いたとある話を思い出す。
「知ってるか?幽霊ってのは色んな奴が居るんだが、直接的に手を出して来る奴や、こちらから接触させてから事を起こす奴も居る、自分好みの女だと思って声をかけたら実は幽霊でそのまま取り殺されたなんて事もあったらしい、お前も綺麗な女見つけたからって無闇に声かけたりすんじゃねぇぞ?」
旅人は最後に大笑いをしてそう話を締めくくった。
その時はライもそんな体験を自分がすることになるとは夢にも思っていなかったが、今の状況はまさにそれだった。
しかし、実際に追いかけているのが幽霊などではなくフィアであるという事実にライが気付かぬまま震えている一方、そのフィアの方はというと相変わらずライから少し離れた路地に身を潜めていた。
「うぅぅ…なんで逃げるのぉ…」
若干涙目になりながら、膝を抱えてどんよりとした雰囲気を漂わせていた。
そんな時だ、路地の奥からフィアへと近づく三人の人影があった。
「よぉ嬢ちゃん、こんな所で何してんだ?」
「………」
「だんまりかよ…まぁ良い、大人しい方がヤる時楽で良いしな」
自身の欲望を隠す素振りも見せず、嫌らしい笑みを浮かべながら近づいて来る三人に、フィアが冷ややかな視線を向ける。
「私は忙しいの、あっち行って」
「そう連れない事言うんじゃねぇよ…俺達と良い事しようぜ?」
「聞こえなかったの?私は貴方達みたいなのに構ってる暇は無いの」
まるで眼中にないというフィアのその態度に、男たちは苛立ちを露わにする。
「おいアマ、人が下手に出てればいい気になりやがって、てめぇみたいなガキ一人俺達にかかればどうとでも――」
「それはこっちのセリフだよ…”どこかに行って”」
フィアがそう言い放ったと同時に、路地から三人の姿が消え失せる。
「…はぁ、ライ以外の人間は沢山話しかけてくるのに…どうして上手く行かないのかなぁ…」
今日話しかけてきた何人もの男たちの事を思い出しながら、フィアが呟く。
フィアはライを追いかける途中、幾度となく色んな人間に話しかけられていた。
フィアが拒絶すればそれで身を引く者も居たが、中には先程のような強引な者も居た。
様々な人間がそれぞれの考えを持って声を掛けてきたが、それでも多くの人間がフィアに声を掛けてきた事に違いはない。
少なくとも人の目を引く容姿なのには間違いない…なのにライは何故声を掛けてこないのだろうとフィアは考える。
「もしかしたら、ライの好みじゃなかった…?」
自分の身体をペタペタと触りながらフィアが唸りながら考えるも、その答えが出る事は無かった。
一方、ライはと言えば先ほどと変わらず青い顔をして身体を小刻みに震わせていた。
「幽霊なんて居ない幽霊なんて居ない幽霊なんて居ない…」
うわ言のようにそう繰り返すライの耳に誰かの叫び声が聞こえてくる。
「うわ!?なんだこりゃあ!?」
「ひぇぇぇぇぇぇぇええ助けてくれぇぇぇ!!!」
「ばっ!?暴れるんじゃねぇ!落ちる!落ちる!!」
ライが座るベンチの斜め向かいの教会、その教会の塔となっている部分の屋根の上に三人の男達の姿があった。
教会の屋根は半球状の形で、その屋根の中央には細い鉄の棒が突き立っており、男達はその棒にしがみつきながら喚き散らしていた。
「おいおい、なんだありゃ?」
「あらやだ…どうやってあんな所に登ったのかしら?」
「ぶはははは!降りられなくなるなんてどんくせぇ連中だなぁ!」
道行く人々が口々にそんな事を言う中、ライもそんな人々の中に混じって男達の事を見上げていた。
「なんであの人達はあんな所に…」
ライがそう疑問を口にした瞬間、ライは背後から自身に向けらえた強烈な視線に気がつく。
その視線に恐る恐るライが振り返ると、先程まで自分が座っていたベンチの後ろ、背もたれの部分から顔を半分だけ出した少女の姿があった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁあああああああ!!?」
ライが叫び声を上げながら全力で駆けだし、
「うぅぅぅぅ…何で逃げるのぉぉぉ!」
逃げ出したライの背中を見つめながらフィアが叫び、
「てめぇら!押すんじゃねぇ!?」
「うわぁぁ滑る滑る!!」
「誰でも良いから助けてくれぇぇぇえ!」
三人の男達の絶叫が辺りに響き渡り、一切状況を理解出来ていないブルガスの街の人々が唖然とした表情を浮かべる。
こんな状況をライとフィアが行く先々で巻き起こし、こうしてブルガスの街の昼は慌ただしく過ぎ去って行った。