選んだ訳
市場から帰り、肉を仕入れてきたダンと合流したライ達はそのままの流れで屋台を手伝い、晩御飯をご馳走になり今日もまたダンとトーカの家で一晩世話になる事となった。
「はぁ……疲れた」
「屋台で接客するのがそんなに大変だった?」
「あーいや、まぁそうなんだけど、接客は接客でも”別”のお客さんの対応が疲れたよ」
ライの言う別の客というのは屋台に串を買いに来た客とは違う、ダンやトーカを狙った客の事だ。
「人目もあるからバレないよう追い払うのに神経使ったよ……」
「騒ぎを起こせば向こうの思う壺だしね」
「一日、いや午後から屋台を出したから半日で五回、随分と執拗に狙ってくる」
ドナードが送り込んできたと思われる悪質な客を水面下で追い払った時の事を思い出しライが嘆息する。
「ライが追い払ったのは確かにそうだね。でも私が追い払ったのも含めたらその倍は居たけど」
「え、まだ居たの?」
「ライが追い払ったのって、ライに敵意を向けてきた相手だけでしょ?。中にはライに目もくれずダンだけを狙ってた人も居たから、そういうのには気付かなかったでしょ」
ライの直感は自身に意識を向けられて初めて反応する事が出来るものであり、自分を除く周囲の人間の危機を嗅ぎ分けられる類のものではない。
敵意を持って近づいて来る者に対しては、平静を装いながらそれとなく近づき、目で威嚇したり、腰に吊るした剣を見せて威嚇し追い払ったりしたが、そうでない者は皆フィアが追い払っていた。
「多分、私とライが追い払ったからどんどん送り込んできただけで、普段はもっと少ないと思うよ」
「だろうね。とはいえ、追い払わない訳にもいかないしなぁ」
根本にいる領主をどうにかしなければ問題は解決しないのだが、流石に直接どうこうする気も、する訳にもいかないため、ライは頭を抱える。
しかしいくら考えたところで妙案が浮かぶ訳も無く、ライは気分転換に別の話題に切り替える。
「そういえば市場で買ったこのポーチ」
ライは蔓の柄付きのポーチをフィアに見せるように手に取る。
「始源を介してこのポーチを見た時、他のポーチと比べてこのポーチから流れてきた情報量は圧倒的に多かった」
全ての根幹であり、それ故にこの世の全てに介入する事が出来る始源、その始源を介してライが世界を覗いた時、ライの瞳に流れ込んできたのは光などではない。
この世に存在する全てに含まれる情報、それを構成する物質、成分、さらに始源の密度を高めていたのならそれらが辿って来た今までの歴史を見る事も出来ただろう。
だが、それ故に一つの物体から得られる情報量だけでも人の脳では受け止め切る事が出来ず、あの時不完全な状態で始源を介したにも関わらずライの脳はその流れ込んでくる情報に拒絶反応を示した。
「いきなり濁流のように色んなものが流れ込んできて、正直何が何だか分からなかった。でも、一つだけ分かった事があった」
「それは?」
「このポーチは見せかけだ。蔦の意匠を除けば他と変わりないように作られてはいるけど、二倍……いや三倍の何かがこれには隠されてる。だからフィアはあの時このポーチを戻そうとした俺の手を止めたんでしょ?」
ライの推測にフィアは満足そうに頷くと口を開いた。
「正解、そのポーチ、一見して他のポーチと比べても何の変哲もないように見えるけど、実は内側にもう一枚、皮が仕込まれてるんだよ」
「もう一枚?」
フィアの言葉にライは前から持っていたポーチと今日買ったポーチを見比べて見る。
側面を見た限り大きさに差は無かったが、ポーチの上蓋を開けて上から覗き込んでみると、その違いにすぐ気が付く。
「一枚分、今日買ったポーチの方が分厚い」
外見上全く同じ大きさに見えたポーチだったが、上から内側を覗いてみるとその幅が微妙に意匠付きのポーチの方が太い事が分かる。
「その一枚の差が、ライの見た三倍の正体だよ」
「これが?」
「そう、そのポーチの内側には魔術式が描かれているってライは言ってたよね。そのポーチはその内側とは別、さらに内側にもう一枚皮を張り付け、その両面に魔術式を描いてあるの。一面+二面、つまり三倍って事」
「じゃあ俺が見たものはこのポーチに描かれた魔術式だったのか」
あの時見た物を脳内で反芻しながらライがポーチをじっくりと見る。
始源を使わず己の目でのみだが。
「じゃあこのポーチは普通のポーチの三倍は入るって事?」
「そこは違うかな。追加された一枚の両面に描かれた魔術式と元からある皮の裏面の魔術式は全く同じじゃないから」
「どういう事?」
「ライってこのポーチに書かれてる魔術式がどんなものか詳細に説明出来る?」
フィアの質問にライは顔を横に振る。
「いや、俺が持ってる知識はあくまでポーチの内容量を増やす魔術式が内側に描かれてるって事だけで、その魔術式がどういったもので、どうやって内容量を増やしているかまでは知らない」
「そっか。じゃあ説明するけどあのポーチに描かれた魔術式を見たところ、二段階の工程を経ているんだよ」
「二段階の工程?」
「うん、ライは魔術式については”内容量を増やす為のもの”ってくらいの認識なんだろうけど、厳密に言えば違う。あれはポーチの中を広げている訳じゃ無い。ただ異次元を作り、その異次元とポーチを繋げているだけに過ぎない」
「……それって、ポーチの中を広げるのとそんなに違うの?」
「大いに違う。魔術式で異空間を作ったとしても、それはただ異空間が出来ただけでポーチの中が広がった訳じゃ無い。ただポーチと異空間が別々にあるだけ、目的の効果を得るためにはその生み出した異空間とポーチを繋げなければいけないんだよ。つまり異空間を作るという工程にもう一つ、その異空間とポーチを繋げるという工程が必要になってくるの」
つまり異空間を生み出しただけでは、ポーチという入れ物の横にただもう一つ口の無い入れ物を並べただけに過ぎないのだ。
その異空間にポーチを繋げなければ何の意味も成さない。
「なるほど、それじゃあ魔術式にはその繋げる為の式も描かれている訳なんだね」
「そう、そしてその”繋げる”魔術式は一枚目の皮の裏面の約半分を占めている。一方追加された皮は両面共に全てを異空間を作る為だけに使用している。つまりは他のポーチの五倍は入るって事だね」
新品で3万ギルダはするポーチの五倍の内容量、その価値は単純に五倍になる訳ではなく、その希少性と利便性から十倍以上は確実にするだろう。
「それを一万ギルダで買えた訳か。確かに得はしたけど……」
それ程の品ならば尚更、見覚えのある者も多いはずだ。
腰に吊るして堂々と歩くには覚悟がいる。
「大丈夫でしょ。今のライなら敵意を向けられた瞬間、すぐに反応出来るだろうし」
「……そうかな。そうだと良いけど」
曖昧な物言いでライは手の中にあるポーチを見つめ続けていた。