アンシャのススメ-外出編-
ライとフィアがダンの厚意でダンとトーカの家で一夜を過ごした翌日、ダンの作った朝食を食べた後、四人は玄関を出てすぐの通りに居た。
「さて、自分は肉の買い出しに行ってきます。トーカ、お二人の事は頼んだぞ」
「まっかせてー!ちゃんと私が二人を目的地まで連れてくから!」
朝食の時、ライがアンシャに来た目的を話し、ヒリビリを取り扱っている店を知らないかとダンとトーカに尋ねてみた所、どうやら二人共心当りがあるらしく案内を買って出てくれた。
しかし、ダンには予定があったらしく、実際に案内するのはトーカ一人だ。
一人屋台で使う肉の調達に向かったダンを見送り、トーカがライとフィアを先導して歩き出そうとする。
「よし二人共、ちゃんと私について来てね。それじゃ、しゅっぱーつ!」
「あ、トーカちゃん待って」
「ん?何?」
歩き出そうとしたトーカが首だけでライの方を振り返る。
「鍵、閉め忘れてるよ」
ライは玄関の扉を指差す。
「鍵って、どうやって閉めるの?」
「え?どうやってって、普通に鍵穴に鍵を――」
そう言いながらドアに視線を向けた時、ライはとある事に気が付いた。
「あれ、鍵穴が無い?」
ドアの表面を隈なく見たライだったが、本来侵入者から家を守る為に付いているはずの南京錠やウォード錠の類が見当たらず困惑とした表情を浮かべる。
「トーカちゃん、外出する時って何時もどうしてるの?」
「どうしてるって、普通に内鍵を開けて外に出てるけど」
「外から鍵はかけないの?ほら、鍵穴に鍵を差し込んでさ」
「ないよそんなの。第一外側から鍵を開け閉め出来る穴なんて作ったら侵入し放題じゃん」
「でも鍵をかけないと同じ事なんじゃ……」
「大丈夫、盗られて困る物は全部おじさんが持ってるし、家の中に大した物なんてないから。それより早く行こ!」
そう言って人の往来の激しい道のど真ん中をドンドン歩いていくトーカに困惑とした表情を浮かべながらも、その不用心さが気になるのかトーカの後をついて行きながらもライは何度も玄関の方に振り返ってしまう。
そんなライの様子が気になったのか、フィアがライに話しかける。
「ライ、ちょっとは落ち着いたら?」
「でも」
「あの子は全然気にして無いし、これがこの街では当たり前の事なんだよ」
「金目の物が無いなら家に施錠する意味も薄いし、何処もかしこもそんな家だからこそわざわざ侵入して家を漁るような輩も居ない。だから自分達が居る間だけ施錠出来れば良いから内鍵で十分……そういう理屈なんだろうけど、でもダンさんとトーカちゃんはこの街の領主に狙われてるんでしょ?。そう考えると……」
不安げな様子のライにフィアはため息を吐く。
「ライ、今朝は聞きそびれたんだけど、もしかしてまた”助けたい”って思ってない?」
フィアの言葉にライは言葉を返さない。
それが分かっていたのか、フィアはライの返事を待たず言葉を続ける。
「別にそれが悪いとは思ってない。むしろライの美徳だと私は思ってる。でもね、ちょっと”軽い”なって思うんだよ」
「”軽い”?」
「何て言うのかな、ライの助けたいって思う人の境界線って言うのか。普通なら他人事で済ませて知らんぷりすれば良いのに、ライは必要以上に人を助けようとしてる所があるんだよね。ある程度は弁えてるんだけど、その人と少しでも関りを持ってしまったらどんな些細な事でも助けてしまう。そんな感じかな」
フィアの言葉を受け、ライは暫し考え込む。
確かにフィアの言う通り、自分はこれまで色々な人と関りを持ち、その誰かが困って居れば助けたいと考え、行動に移してきた。
しかしダンとトーカの事を知らず、ただの困ってる赤の他人と仮定した場合、自分は助けたいと思っただろうか?。
領主という危険な存在が影に居る事を知り、自身の身を危険に晒してまで助けたいと思えるだろうか?。
答えは否、ライはお人よしではあるが馬鹿ではない。
全ての人間を救えるなんて思ってはいないし、自身の身や大切なモノを犠牲にしてまで見知らぬ人間の為に動く事は出来ない。
だがそれにも関わらず、ただ顔見知りになったと言うだけでライはその危険を冒してでもダンとトーカを助けたいと考えてしまっていた。
そこがフィアの言う”軽い”という事なのだろう。
「……そうかもね」
暫しの間の後、ライはそう呟いた。
「でもしょうがないと思ってる。これは俺の気持ちの問題だから、助けたいって思ってしまったらそうせずにはいられないんだ」
「別にあの二人は自分達が狙われている訳じゃない、種とその栽培方法を狙われていてただ嫌がらせを受けているだけ。でもライの事がその領主にバレたら、ライは二人と違って自分自身が狙われる事になるんだよ?」
「だろうね。でも自分の身とダンさんとトーカちゃんの事を何度天秤にかけても、やっぱり助けないっていう選択肢は出て来ないんだ」
そう言い切ったライの表情は不安な様子を微塵も感じさせない、凛としたものだった。
そしてその表情にフィアは見覚えがあった。
それはマリアンベールを発つ時、”後悔をしたくない”と口にしたあの時と同じ表情だった。
その表情を見ただけで、ライの意思がどれ程固いのかを察したフィアはどこか諦めたように力なく息を吐く。
「はぁ……まぁ分かってはいたけどね。しょうがない、ライが満足するまで付き合うよ」
「ありがとう、フィア」
苦言を呈しながらも自分に付き合ってくれるフィアの存在に感謝しつつ、何か気になるものでもあるのか、ライは先程から視線をフィアの後方へとチラチラと向けていた。
その時、前方から道の端を歩いていた二人を呼ぶトーカの声が聞こえる。
「おーい、二人共ー!」
二人を先導して歩いていたはずのトーカとは何時の間にか大声を上げなければ声が届かない程の距離が空いており、道のど真ん中で立ち止まって二人に手を振っていた。
「そんな所で何やってるの!早くこっちに!!」
「あぁ、ごめん!!」
トーカの急かす言葉にライとフィアは小走りにトーカに近づく。
二人が目の前までくるとトーカは頬をプックリと膨らませていた。
「もー、ちゃんと私について来てって言ったのに。しかもあんな道の端っこなんて歩いて、危ないじゃん!」
「ごめんごめん、ちょっとフィアと話し込んじゃってて」
「それより”道の端っこなんて歩いて危ない”ってどういう事?」
「えぇ?そんなの通りに面した路地にはロクでもない奴らがいっぱい居るからに決まってるじゃん。路地のすぐ横を通ろうものなら横からぐわーっ!って手が伸びてきてそのまま路地に引き摺り込まれちゃうんだからね!。フィアお姉ちゃんとか見た目すっごい綺麗だし、ぶっちゃけ私が今まで出会った女の人で一番かもってくらいだから、良からぬ事考えてる奴いっぱい居ると思うよ」
トーカの説明を受けて改めて通りの人の流れを確認してみると、確かに大通りの中央は人の往来が激しいのに、何故か通りの端の方を行き来する人は殆ど居ない。
仮に居ても路地の前を通る時に中央に寄って路地の入口を横切る事を避けている様子だった。
何の気なしにただ空いている道の端を歩いていた二人だったが、どうやらアンシャに住む人間からしたら相当危ない事だったようだ。
「ふーん……”アレはそういう事”ね、分かった。次からは気を付けるよ」
「もー、ちゃんとついて来てよね。ここじゃ他所の街とは違って道を出歩くだけでも気を付けなきゃいけない事がいっぱいなんだから」
プンプンと怒りを全身で表しながらトーカが再び先導していく。
その背中について行きながら、ライは先程からずっと気になっていた事をフィアに尋ねる。
「ねぇフィア、さっきから気になってはいたんだけどさ」
「なに?」
「なんか俺達が通った後の路地から何か折れるような音と呻き声のような物が聞こえてきた気がするんだけど……それにさっき言ってた”アレはそういう事”ってのはもしかして」
嫌な予感をひしひしと感じながらも聞かずにはいられなかったのか、ライが尋ねる。
「あぁ、真面目な話をしてるのにちょっかいを出そうしてくる輩が居たから伸ばしてきた腕を四折りにしたんだよ。大きな声出されると話の邪魔になるし声も出せないようにしてね」
さらりと恐ろしい事を言う。
恐らくフィアの容貌に惹かれて興味を抱いた人攫いや強姦魔の類だろうが、自業自得とはいえ同情を禁じ得ないライであった。
外道に容赦のないフィアさん。
人間らしさが出てきてもやはり根本はそう簡単には変わらない。