危険薬物
「いやーコイツが失礼な事してすまんかったね。助かったよ」
裏路地での一件後、ライとフィアは少女が出てきたあの建物に招かれ、歓待を受けていた。
「いえ、こっちが勝手にした事ですし、然程気にしてもいないのでそんな頭を下げなくても大丈夫ですよ」
「いやいや、話を聞く限りかなり危ない状況だったようで、そこを救って頂いたというのに……この馬鹿が失礼を」
「あいたたた!?おじさんちょっと痛いって!」
「うっせぇ、ライさんが気にしてないって言ってくれてるからこの程度で済んでるんだ。甘んじて受け入れろ」
トーカと呼ばれていた少女のこめかみに拳をグリグリと擦り当て、この家の表でヤヅズクの屋台をやっていた中年の男性、ダンがライの方へと視線を向ける。
「本当にありがとうございました。家が吹き飛ばなかった事もそうですが、こんなのでも俺の大事な家族なんです。トーカが無事で本当に良かった」
「そう思うんならもうちょっと優しく――あいたぁぁぁ!?」
「お前は叱らんと同じ事何度も繰り返すだろうが!これがただのチンピラの喧嘩だったらどうするつもりだ。武器を持ってたってお前は子供なんだ。そんな子供が大人の喧嘩に刃物持って首突っ込んで無事で済むと思うか?」
「うぅ……そこは分かってるよぉ……もし向かって来たらまな板なり包丁なり投げてすぐに戸を閉めて家に引っ込むつもりだったし」
「分かってないじゃないか。俺はそもそも要らん事に首を突っ込むなって話をだな――」
白熱する二人の言い合いに口を挟む事が出来ず、ライとフィアは出されたお茶を啜りながら黙って二人の様子を見守っていた。
それから見守る事数分、言い合いも落ち着きを取り戻した頃、ダンが空になったライとフィアのカップにお茶を注ぎながら再び謝る。
「す、すみません……お客さんが居る事も忘れてつい」
「いえ、お気になさらず。こういう事はハッキリ言っておかないと大変ですからね。得に今回のような場合は命に関わりますから」
「……はい」
ライの言葉にダンは心底心配そうな表情で隣に座るトーカを見る。
今回は良かったが、もしこれが先程ダンが言っていたようにただのチンピラ同士の喧嘩だった場合、喧嘩に割って入ったトーカに危害が加えられる可能性は十分にあった。
例えトーカが裏口の戸を閉め家に引き込まったとしても以後目を付けられないとも限らない。
特にこんな街だ、心配しすぎるくらいが丁度良いのだろう。
「さて、何時までも私達の無駄話に付き合わせるのも何ですし、もう良い時間ですからせめてものお礼に晩御飯でも食べて行ってください」
「え、でも」
「遠慮は無用ですよ、そのためにお二人を招いたんですから。それにこれはお礼と言ったでしょう?」
「……分かりました、そう言う事ならご馳走になります」
ライがそう言うとダンは満足そうに頷き、席を立ち台所へと向かう。
ライ達が今居る部屋はダイニングで台所も同じ室内にある所謂ダイニングキッチンになっていた。
ダンが冷所から肉を取り出し肉を切り分けている様子をライが眺めて居るとライの左斜め前の席に座っていたトーカがライの対面に移動し話しかけてくる。
「ねぇねぇ、ライお兄さん!」
「何、トーカちゃん?」
「ライお兄さん達は他所から来たんだよね?外の事とか色々教えてくれない?。私生まれてこの方フェイリス、というかこの街から出た事が無くてさー。フェイリスとキラヒリア以外でよろしく」
「まぁそれは構わないけど……生まれ故郷のフェイリスは良いとしてキラヒリアの事はもう知ってるの?」
「うん!だってキラヒリアは――」
「キラヒリアの事に関しては俺が大体教えたからな」
肉を切り分け終えたダンが台所で作業したまま話に入って来る。
「俺はキラヒリアのビーブっていう小さな村の出身なんだ」
「あぁ、それで」
ダンの言葉にライは納得した様子でトーカの方へと向き直る。
「それならヴァーレンハイドの話はどうかな?」
「ヴァーレンハイドっていうと闘都ヴァーロンだよね!?うっわー今一番話題沸騰な所じゃん!」
”話題沸騰”――その言葉にライの眉がピクリと動く。
そんなライに気付く様子も無く、ダンも食い気味にその話題に入って来る。
「あぁ闘都の武闘大会の事か?。何でも長年参加していなかった無敗の王者が久しぶりに参加し、さらにSランク冒険者まで参加したと思ったら無名の冒険者に王者もSランク冒険者も倒されて優勝を掻っ攫われたって話だろ」
「そうそれ!アンシャからも何人か見に行った人が居たんだけどそりゃもう凄かったって興奮気味に話してたんだから!」
「へぇーはぁーふぅーん、そうなんだー」
「そうなんだーって、ライお兄さん知らないの?」
知らないも何も参加者、というかその無名の冒険者本人である。
「いや、武闘大会の事は知ってたけど、俺確かその頃はキラヒリアの方に居たような居なかったような……だから大会の事とか何にも、これっぽっちも知らないというか」
「なんか曖昧物言いだね?ふーん、じゃあ武闘大会の事は知らないのかー。ちぇー、その無名の冒険者の事とか何か知らないかなーと思ってたんだけど」
「知らない知らない、何にも知らない。無名の冒険者なんてこの世にごまんと居るし、俺には皆目見当もつきません。ね、フィア?」
「え、あー……うん」
必死なライの様子に若干引きながらフィアも同意する。
「んーじゃあまぁ武闘大会の事は良いや!他の事お話してよ!」
「あぁ、良いよ。じゃあまずは俺が拠点として長年使っていたガダルって街の事から話そうか」
武闘大会から話題が逸れた事に一安心したライはトーカにおねだりされるがまま、自身の実体験と人伝に聞いた話を交えながらガダルやブルガス、その他のヴァーレンハイドの街々について語って聞かせた。
そうこうしている間に時間は進み、気が付けばダンが調理を終え大きな鍋を抱えてダイニングテーブルまでやって来た。
「はい、出来たぞ。今日の晩飯だ」
ダイニングテーブルの中央に鍋を置き、ダンが鍋の蓋を取ると鍋から白い湯気と共に食欲をそそる匂いが部屋中をいっぱいにする。
「スゥ……あぁ、肉や野菜の匂いに混じって時折顔を出すこの鼻の奥を刺激するヤヅズクの匂い。堪らないなぁ」
「ライお兄さんはヤヅズクの匂いを嗅いだことがあるの?」
「うん、あるよ。俺がまだ駆け出しの頃は屋台でヤヅズクを使った食べ物が結構売られてて、依頼が終わった後はよく買い食いしてたなぁ」
昔を思い出しながらそう語るライだったが、ライのその言葉にトーカとダンがキョトンとした表情を浮かべながら互いに顔を見合わせる。
そんな二人の様子に気が付く様子も無く、ライは遠い昔の場景を思い浮かべながら思い出語りを続ける。
「肉や野菜なんかにまぶしてそのまま焼くってのが一番多かったけど、パテに混ぜ込んだり、スープの隠し味に入れたりと、昔は色々なヤヅズクを使った料理があったんだ」
「ふーん、でも”昔は”って事は今は違うんだよね?。私は旅を始めてから今日ここで初めて嗅いだし、何か廃れるような事でもあったの?」
「うん、実は」
先程までの思い出を熱く語る様子とは打って変わり、ライは少し肩を落としながら続ける。
「ヤヅズクには中毒性があるんだ」
「中毒?」
「そう、料理の香り付けに使う程度の量なら問題は無いんだけど摂取し過ぎると痙攣、動悸、嘔気、脱水症、極めつけは幻覚症状と強力な精神錯乱状態を引き起こすんだ」
「話だけ聞いてると殆ど薬物だね」
ライの話にフィアが顔を顰めながら言うと、ダンが話に割り込んでくる。
「えぇ、そのせいでヤヅズクは危険薬物として各国で禁制品扱いになったんです」
「でも確か今はその扱いも撤廃されたとか」
「それが昨年ですね。ヤヅズクが人体に影響を及ぼす摂取量が10グラム以上と判明し、香辛料として使う分には問題ないと判断されたんです」
「そうなんだ。でも解禁されたっていうのならなんで今までヤヅズクを見かけなかったんだろ?。昨日今日解禁されたばかりって言うなら分かるけど、昨年だっていうなら最低でも十カ月は経ってるんだし、他の街で見かけても良いと思うんだけど」
フィアの呈した疑問にダンが顔を俯けながら答える。
「例え国が認めたとしても、危険薬物として長い年月忌み嫌われ続けてきた悪印象をそう簡単には拭い去る事は出来ない、という事ですよ」
「おじさん、ヤヅズクが危険薬物じゃ無くなったって分かってからすぐにヤヅズクの屋台を始めたんだって。でも……」
トーカはそれ以上言葉を続ける事は無かったが、暗い顔をする二人の姿を見てライとフィアは何があったかを察する。
恐らく、国が認めてもなおヤヅズクを危険な薬物だと思い込んでいる人々からの心無い、悪意ある言葉をぶつけられたのだろう。
「ヤヅズクが危険薬物として禁制品として扱われたのは二十年、二十年も経てばヤヅズクを食べた事が無かった子供や赤ん坊、それ以前に生まれて居なかった子達ですら立派な大人になる程の年月です。そしてヤヅズクを否定するのは……」
「そういったヤヅズクは薬物だと教えられて育った子供達、ですか」
「えぇ、おかげで屋台を開く度に辛辣な言葉と共に石を投げられたり、衛兵を呼ばれたりしましたよ。その衛兵が年配のベテランの人なら良いのですが、若い新人の人だったりするとまた大変で……」
「だからおじさん、この街に来たんだよ!ここならそんな事気にする人間なんて何処にも居ないし」
「なるほど」
トーカの補足に納得しつつもライはダンに質問を投げかける。
「それにしても何故そうまでしてヤヅズクを?他の物を商売にしようとは考えなかったんですか?」
「これっぽっちも考えた事はありません。そもそも私は金儲けしたくてヤヅズクを売ってる訳じゃありませんし、まぁ勿論お金が入って来るなら嬉しいですが」
「理由をお聞きしても?」
「大した理由じゃありませんよ。ただ私がヤヅズクが好きで沢山の人とそれを分かち合いたいと思った事、それと私の出身地がヤヅズクの名産地だったんですよ。まぁそう言った関係で、ですかね。理由なんて」
「そういう事でしたか……」
四人の間に一時の沈黙が降りる。
微妙な空気が流れる中、その沈黙を破ったのは――
――グゥゥ……
小さな少女の小さな腹の音だった。
「ぷっ……さ、話は食事をしながらでも出来ますから、どうぞ召し上がってください」
「おじさん、今笑った!?」
「怒るな怒るな、ほらお前も食え。腹っ減ってるんだろ?」
「むぐぐぐぐ……!」
ダンは四人分の小皿に鍋の中身をよそい、全員に行き渡った事を確認すると食事を勧める。
「さぁ、どうぞ」
「それじゃあ、頂きます」
「頂きます」
「いただきまーす!」
小皿の中には白乳色のとろみがかったスープに浮かぶ火の通った鶏肉と野菜達、そこから立ち上るヤヅズクの香りを堪能しつつ、ライがスプーンで一口運ぶ。
口に含んだ瞬間、真っ先に感じたのは白乳色のスープの塩気、牛乳を使用しているようだがシチューと比べるととろみが少なく舌全体に満遍なく塩味が行き渡る。
そこに噛み締める毎に具材から溢れ出す天然のスープの自然な甘味を塩味が引き立て、ヤヅズクの香りがアクセントとなり様々な具材の味を一本にまとめ上げていた。
「ライ、どう?二十年ぶりのヤヅズクの味は」
「美味しい、久しぶりに食べたからとか思い出補正とか関係無しに、俺が今まで食べて来たヤヅズクを使った料理の中で一番美味しい」
「気に入って頂けたようでなにより、所でライさんに一つお聞きしたいのですが」
「はい、何でしょう?」
食事の手を止め、ライがダンの方を見る。
「ライさんは今おいくつなのでしょうか?」
その質問にライがフリーズする。
何気ない、何の変哲もない世間話の延長線上のような質問。
しかし、その質問が飛んできた瞬間、ライは自分がとんでもないミスを犯してしまった事に気が付いた。
「ヤヅズクは二十年ぶりとの事でしたが、依頼終わりに良く食べていたという話ですし、少なくとも三十代後半の御年齢になるのでしょうけど、全然そうは見えなかったので少し気になりまして」
フィアの目覚まし(顔焼きの刑)によって顔面組織を破壊され、再生を行う内に若返って行ったライの外見年齢は現在二十代半ばだ。
その二十年前と言えばおよそ五歳児、その年齢ならまだヤヅズクの事を覚えていても不思議ではないが、ライは”依頼終わりに良く食べていた”と話していた。
依頼終わり、つまり冒険者としての仕事が終わった後にだ。
冒険者と言えば最年少でも十二、三歳が良い所、五歳児の冒険者なんて聞いた事も無い。
つまり二十年前、依頼終わりに食べていたという人間は最低でも今は三十代の人間しかあり得ないのだ。
自身の犯したミスにライが顔から冷汗を垂れ流す。
そのライの様子を見てダンが慌てた様子で訂正する。
「あ、別に話したくないなら話さなくて良いんですよ!ただ気になっただけですし、それに」
「……それに?」
「忠告を、しておこうかと」
「忠告?」
「えぇ、ライさんが実年齢を隠そうとする理由は何となく想像が付きます。何処に行っても長寿、若返り、不老不死を望む輩は居ます。この街にはそう言った長生きしたいとか若返りたいって言うような輩は少ないですが、その方法を売っぱらって金儲けしようって奴は大勢居る。”ある男”がそれに多額の報奨金を掛けているせいでね」
「ある男?」
ダンは一呼吸置き、その名を告げた。
「この街の領主『ドナード・プレハロフ』です」