帰還
GWだからって執筆時間が取れるとは限らない(悟り)
「やっと抜けた……!」
エアスト近郊に広がる森の入口、そこに日も完全に落ちた頃にアリスを背負ったライが姿を現した。
真っ暗闇の森の中をアリスを背負った状態で移動していた事もあり、時間も体力もかなり消耗した様子のライ。
だが実際は肉体よりも精神の方が限界であり、その一番の原因は
「引き千切れる事無く張りを残したままの胸鎖乳突筋、斜角筋達、そしてその影から顔を覗かせる腕神経叢……嗚呼、思い出す度に身体が熱くなって可笑しくなりそう」
言わずもがな、アリスのこの常軌を逸した熱弁である。
職業柄グロテスクなものにも慣れているライでも、こんな内容を絶えず耳元で語り続けられれば流石に堪えてくる。
もう既に可笑しいというツッコミを入れる気力すら無いライは遠くに見えるエアストの街の明かりを頼りに足を進める。
(街に着いたら速攻でこの娘を振り解いて宿に直行だ)
こんな状態の少女を夜の街に置き去りに出来ないだとか、せめて宿まで送ってやろうだとかそんな大人の常識や余裕は今のライには存在していなかった。
むしろ自分を突け狙う不審者を街まで連れて帰るというだけで十分過ぎるくらいである。
鬼気迫る表情でライがエアストの街を目指している時、ふとエアストの外壁の上で灯っている炎の明かりの内の一つが大きく揺れ始める。
やがてそれは次第に他の明かりに伝播していき、最終的には外壁の上にあった明かり全てが同じように揺れ始めた。
「一体、何だ?」
その光景に一瞬目を奪われたライだったが、こんな所で足を止める訳にも行かず不思議に思いながらも歩を進め続ける。
そして歩き始めて数秒後、ライはその明かりの正体に気が付いた。
「おーい!おーい!」
外壁の上、そこには松明を持った多くの人間達の姿があった。
殆どの人間が松明を振って大声を張り上げていた。
「おい!アイツがアラン達が言ってたライか!?」
「俺に聞かれても顔知らねぇよ!つーか暗くて顔も良く見えねぇし、誰かアラン達呼んで来い!」
「アラン達なら人影が見えたって聞いた時点で飛び降りてったよ。多分今頃――」
――ドタァン!!
馬車でも通れるように設計された大きな門とは別に、その脇に作られた小さな扉が乱暴に開かれ、そこから二人の人間が飛び出して来る。
「お前ら!無許可での街の出入りは厳罰だぞ!!」
「書類なら後で幾らでも書いてやるから今は見逃せ!」
「すみません!私も後で書きますから!」
衛兵の制止を振り切り、二人の人間がライの元へと駆け寄ってくる。
「「ライ!」」
「アラン!クリオ!」
その正体はアランとクリオであり、疲れているのかライの元に辿り着くなり両手を膝につき息を整える。
「二人共、大分疲れてるみたいだけど……血の匂いもするし、まさかまだ休んでないの?。クリオは朝から、アランに至っては昨日からロクに休んでないってのに、何でそんな無茶を――」
――コンッ
「うっせぇ、無茶がどうこうとかオークの巣に一人残ったお前にだけは言われたかねぇ」
拳でライの額を小突くように叩きながらアランが言う。
「……まさか、俺を心配して?」
「ち、ちげーよ。俺はアレだ、ほら後で思いっきりぶん殴ってやるって言っただろ?。俺は一度口にした事は曲げない男だかんな。その約束を果たしに来ただけだ」
「今ので思いっきり何ですか?それに素直じゃありませんね」
「茶化すなクリオ!身体が震えて上手く力が入らなかっただけだっての!。大体、素直じゃねぇって何がだよ?。俺はべーつにライの事なんて心配してなかったぜ。心配してたのはクリオ、お前の方じゃねぇのか?。オークは人間を捕えたらすぐには殺さないだとか講釈垂れておきながら、ライが一人巣に残ったって聞いた途端すぐに助けに行こうとか言い出してよ」
「それを実際に体験して身に染みてるはずなのに、クリオと一緒になって今すぐ助けに行こうって騒いでたのはどこのどいつだよ」
「んなっ!ディズ!?」
アランとクリオの背後から、アランのパーティーメンバーである三人が姿を現す。
「ライ、無事だったか」
「あの状況からの生還とか奇跡でしょ。一体何やったの?」
「あー、えっと……我武者羅に?」
何をやったのかという問いに対し、返答に困ったライがそう答えを返す。
「なんだそりゃ……そんな事よりもライ、その背負ってるのは」
ディズの言葉にライはアリスの存在を思い出す。
普通に背負ってきてしまったが、アリスはキラヒリアを代表するSランク冒険者だ。
同じキラヒリアの冒険者であるアラン達なら、ライが背負っているのが何者なのか気付いたかも知れない。
Sランク冒険者と一緒だなんて、どう説明したものかとライが頭を悩ませているとキシュナが口を開く。
「背負っている者は、もしかして女の子か?。まさか私達とは別の場所に囚われていたのか?」
「え?」
もしかしても何もアリスは少女だ、性別なんて一目見れば分かる。
キシュナが一瞬何を言っているのか理解出来なかったライだったが、アリスの方を見てその訳を理解する。
先程までライに背負われ熱弁を振るっていたはずのアリスは、いつの間にか固く口を閉ざし、ローブを目深に被って顔を隠していた。
(流石に知らない人間の前では正気を取り戻すか)
他の三人とは大違いである。
「俺らとは別の所に捕らえられてた女だとすると……あー、つまりそういう?」
「ちょっとディズ、流石にデリカシー無さ過ぎだよ」
「うっ、悪い。思った事をつい口に」
「いや、謝る必要はねぇんじゃねぇか」
アランはそう言いながらライに背負われたアリスに視線を向ける。
「コイツからはオークのくっせぇ子種の臭いなんてしない、あんのは血と臓物の臭いだ。お前、背後からオークの部隊を一瞬で壊滅させた奴だろ?」
巣穴から脱出しようとしていた時、身体中が穴だらけになったオーク達の死体を見ていた。
あの時は一体誰がやったのかというのを棚に上げ、脱出する事を最優先にしていたが――
「あれだけの数のオークを反撃はおろか振り向かせる間も無く壊滅させるとは、てめぇ何者だ?」
「……別に何者でも良いでしょ。それがそんなに重要な事なの?」
「あぁ、そんな実力者がエアストに来てるなんて話聞いてねぇし、頑なに討伐隊を寄越さなかった各国があんなタイミングで増援を寄越すとも思えない。ギルドで依頼を受けてた訳でもないようだし、報酬も得られないのにわざわざオークの巣穴に突っ込む人間なんて、怪し過ぎて仕方がない」
エアストを代表する冒険者として、不穏な動きをする者は見逃せないとアリスを睨むアランだったが、不意に顔を俯けふっと小さく笑う。
「でもまぁ、どうやらお前のおかげでライも助かったみたいだし、これ以上は何も聞かねぇ。さっさと立ち去るなら今回の所は見逃しといてやる」
「……別に人に言えないような事をしていた訳じゃない。それにもう一つ訂正するなら、私はこの男を助けてなんていない……むしろ逆だった」
「あ、そうなのか?」
ライが強い事は知っていたアランだったが、流石に大将が率いる部隊を一人でどうこう出来る程の力があるとは思っていない。
第三者の助力があったから、こうして無事オークの巣穴を脱出する事が出来たのだと考えていた。
「私は途中でその……少し体調を崩して戦力外どころか足手まといでしかなかった。コイツがオーク達を追い払った時も、大将を倒した時も、私はただ見てただけ」
「「「「「…………」」」」」
アリスの言葉にクリオとアラン達は言葉を無くした。
ただしそれはライが第三者の助力も無しに巣穴を脱出してきたという事実にではない。
自分達の耳に飛び込んできた言葉が信じられないのか、五人が恐る恐ると言った様子でアリスに尋ねる。
「あの、ちょっと良いですか?」
「なーんか今、とんでもねぇ言葉が聞こえてきたしたんだが、なぁディズ?」
「あぁ、俺達ちょっと疲れてんのかもな」
「君の言葉、私達の解釈が間違っていないのなら」
「ライ一人でオークの群れ追っ払って、大将も倒しちゃったって事?」
信じられないのも無理はない。
Cランクがたった一人でオークの群れを、それを率いるAランクの魔物をも倒したのだと言うのだ。
「マジなのか、ライ?」
「それは」
事実ではある。
だが、まだあの勝利に納得していないライは素直に頷く事が出来なかった。
とはいえ大将を倒し、群れが離散してしまった事は伝えなければエアストの街の警戒態勢が維持されたままになってしまう。
それでは駄目だと、ライは静かに頷いた。
「……うん」
「マジかよ……おいライ!マジかよ!」
ライが頷くまで半信半疑の様子だったアランだったが、ライが頷くと興奮した様子でライの肩を叩く。
「くぅぅ!おい!街の奴らにこの事伝えに行くぞ!今日は宴会だ!」
「おいおい、大将を倒したって事は頭を失った大量のオーク達が森を徘徊してるって事だろ?。そいつらが徒党を組む前にさっさと追い出した方が」
「んな事言ったって夜に森に入る訳にも行かないだろうが!それなら今日のうちに英気を養って明日の朝、一気にやりゃいいんだよ!ほら行くぞ!」
「あ、おい!――ったく、あの野郎」
「あはは……アランは思い立ったが吉日、ですからね」
「急いで追うぞ、あのまま放っておくと酒をたらふく飲んでまた暴れかねない」
「だねー、って事で私達は一足先に戻るから、また後でね!」
アランを追って、クリオとアランの仲間達三人は駆け出していく。
その背中をライが見つめていると、背負われていたアリスがライの背中から降りる。
「もう良いわ」
「え?あぁ、うん」
ライの背中から降りたアリスは特に無いか言うでもなく、スタスタとエアストの街へと戻ろうとする。
街に戻ったら強引にでも振り解いて逃げようと考えていたライはアリスのそのアッサリとした様子に拍子抜けしてしまっていた。
「ちょ、ちょっと待って!」
「ん、何?」
ライの呼びかけにアリスが振り返る。
「いや、えっとその、なんだろう」
思わず呼び止めてしまったが、ライ自身何故そうしたのか分かっていなかった。
アリスも他のSランク冒険者同様、ライを追う理由があった。
ガダルからここまでわざわざ追いかけてきたのだ、少なくともそれだけの執着心はあるはず。
なのにこのアッサリとした引き下がり様はなんだ。
一体アリスは何がしたいのだろうか。
アリスにかける言葉に迷ったライ、その時巣穴での出来事が脳裏を掠める。
「あの、お願いがあるんだけど」
「私にお願い?」
「あの巣穴で見た物、あの蒼い光については誰にも話さないで欲しいんだ」
今まで何度か始源をSランク冒険者達の前で使っているライだったが、今回のような間近で使った事はこれが初めてだった。
恐らくアリスは始源の本質には気付いてはいないが、それでもそれが異質な力で魔力とは異なる力である事は肌で感じ取ったはずだ。
例え僅かな情報だったとしても、それでも正解に辿り着いてしまう人間は少なからず存在する。
ライはそれを警戒していた。
「別に良いわよ。そもそも話した所で私に何か得がある訳でも無いし、それにアンタに――」
そこまで言いかけて、アリスがハッと口を押える。
「俺に……何?」
「な、何でも無いわよ!じゃあね!」
そう言ってアリスは走り去っていった。
ライはそんなアリスの背中を見つめた後、エアストの街の外壁に視線を移し、そして空を見上げる。
オークの巣穴からは決して見る事が敵わない満点の星空。
「無事に帰ってきたんだな」
夜空に広がる星々を眺めながら、ライはそう呟くのであった。
平成最後の投稿!。
本章も残すところ僅かですのでGW中には終わらせたい……とか言うといつも何か邪魔が入るフラグが立つんですよね。