最短の選択
オーク達の巣穴の最奥に存在する大広間で大量のオーク達とは異なる二つの小さな影が躍っていた。
一つはライ、オークに的を絞らせないように動き時にはオークを壁として利用し自身の身を守りながらも着実にオークの数を減らしていた。
もう一つはSランク冒険者のアリス、ライが相手をしている群れとは反対側の群れの前に立ち塞がりその場から魔力を込めた刺突だけでオーク達を蹂躙し一歩も寄せ付けずにいた。
オーク達の中を駆け抜けながらライはアリスの事を観察する。
アリスはその場から動く事無く無造作に剣を振るいオーク達の身体に無数の穴を空けながらも自分が相手をしている群れとは反対側の群れ、つまりライの方に意識を向けていた。
(自身に迫る前方のオークよりも後方のオーク達の方を警戒するか)
アリスが見ているのはオークでは無くライなのだが、ライはそれを自分の殲滅速度が遅いが為にアリスが背後からオークが押し寄せて来る事を警戒しているのだと誤解していた。
それ故ライはオークの数が増えてくればアリスが動きやすいように立ち位置を入れ替え、数の増えた側のオークはアリスに任せ、アリスが数を適度に減らすまでもう片側のオーク達を抑えるというような事を繰り返していた。
それがこの場において最も効率的で最も正しい戦略、Sランク冒険者であるアリスにこのまま任せきってしまえばBランクの将校は疎かAランクの大将さえ脅威にはなり得ない。
確実で安全で冒険者としては正しい選択、だが――
(歯痒いな)
ライは揺れていた。
Sランクの冒険者が居るのにCランクの自分が出しゃばるべきでは無いというのは理解していた。
しかしそれと同時に自分よりも遥かに年下の、それも女の子におんぶに抱っこされたままというのも情けなさ過ぎるとも思っていた。
しかしそうは言ってもライの殲滅速度が遅いのは事実、アリスに任せず意地を張った所でわらわと湧いて来るオーク達の勢いを止める事は出来ない。
(全力で避け、全力で攻撃する、それでは駄目だ)
全盛期の頃の戦い方、それが今この場において正しい選択とは言えない事をライは理解していた。
十の力で対応可能な事でも、今のライは百の力を持って対処してしまう。
そこには九十もの無駄が発生し、その無駄は体力や時間の浪費に繋がっていた。
(このまま任せてしまえば良いとは分かっている。それでも俺は)
そう考えながらライはオークの群れの中から飛び出すとアリスと背中合わせに立ち、オークの群れの真正面に移動する。
そこからゆっくりと歩を進めオーク達の元へと歩み寄る。
ゆっくりと近づいて来るライにオーク達が殺到しそれぞれの得物を振り上げ、ライめがけて振り下ろした瞬間
「ガッ――!?」
ライの姿が消え、それと同時に武器を振り下ろした何体かのオークの首が裂け、止めどなく血が溢れ出る。
その傷は背骨にまで達しており首から下を動かせなくなったオーク達は糸が切れた人形のように倒れ伏す。
そんな倒れ伏した数体のオークの傍らにまるで最初からそこに居たかのようにライは静かに佇んでいた。
「まだ駄目だ」
小さくそう呟いたライに向けてオーク達が再び攻撃を加えようとする。
だが結果は先程と全く同じ、攻撃はライには当たらず攻撃した何体かのオークがやられただけ、そう見えた”かも知れない”。
「何よ……あれ」
しかしライの動きを観察し続けていたアリスだけはその違和感にいち早く気が付いていた。
(必要最低限の力で効率良く、もっと短く!)
オークの攻撃を躱し、攻撃する。
そんな事をさらに数回繰り返した頃、その違和感にアリスだけで無くライと対峙しているオーク達も気付き始める。
オーク達には分からなかった。
オーク達がライに向かって武器を振り下ろしても当たらないのはライが避けているから?。
攻撃を仕掛けたオーク達が血を噴き出して倒れるのはライに攻撃されたから?。
一目見れば分かるはずの事がオーク達には分からなかった。
否”見えている”からこそ分からなくなっていた。
全力で躱して、全力で攻撃する。
つい先程までのライの動きはとても分かり易いものだった。
だが徹底的に無駄を省き、最適化されたライの今の動きは躱して攻撃する等という分かり易いものでは無くなっていた。
正面に立つオークに対し飛び込むように踏み込み剣を突き出したライ。
ライを狙っていたオーク達の攻撃はその踏み込みの際に”偶然”重なってしまった為、空振りに終わってしまった。
攻撃を外したオーク達はすぐさま体勢を立て直し、ライに向けてそれぞれが得物を振るう。
しかしそれもライがオーク達の首めがけて放った横薙ぎの一撃が”偶然”柄を捉え武器が切断されてしまいライに届く事は無かった。
先程からライは攻撃しかしていない、していない筈だ。
躱す事も防ぐ事も何一つ行っていない、それなのに何故か攻撃が当たらない。
攻撃が当たらない理由、それは攻撃を躱され、防がれているからに他ならない。
だがライはそれをしていない、していないように見える。
していないのに躱され、防がれている。
その事実にオーク達は酷く混乱していた。
「どうした?来ないのか?」
浮足立つオーク達を前にライはそう声を掛ける。
ただそこに佇んでいるだけのライを前にオーク達は後退る。
「来ないならこっちから行くぞ」
その言葉と同時にライは飛び込み、オーク達を蹂躙し始めた。
攻撃に徹した今、先程までとは比ぶべくも無い圧倒的な速度でオーク達の命を刈り取って行く。
そんなライの背後でアリスが淡々とオーク達を処理ながらも驚いた様子でライの事を食い入るように見つめていた。
(一体何なのよあれは、どうすればあんな芸当が可能だっていうの)
一部始終を客観的に見ていたアリスはオーク達よりもライが一体何をしたのかを理解する事が出来た。
ライの行動はオーク達には攻撃しかしていないように見えていた。
一方、客観的に見ていたアリスにはそれとは反対にライが防いでいるように見えていた。
それは恐らく視点の、立場の違いによるものだ。
ライに仲間を斬り伏せられているオークとオークに囲まれながら剣を振るうライを見つめるアリス、その視点の違い。
アリスにはライが自らに向かってくる武器を無力化しようと放った横薙ぎが”偶然”オーク達の喉を切り裂いたように見えていただろう。
だがそんな偶然がそう何度も重なるなんて在り得ない。
その事実を加味すれば攻撃してるだけ、防いでるだけというそれぞれの視点が正しくない事が分かる。
ライは殲滅速度を上げる為に徹底的に己の無駄を省いた。
全力で躱し、全力で攻撃する。
不必要な力を無駄とし省いていく過程でライはあるものさえ無駄として省いていた。
それにアリスはいち早く違和感として気が付いていた。
(攻撃と防御の境が完全に無くなっている)
攻撃と防御、それぞれの挙動を最適化していく内にライは攻撃しようとする思考と防ごうとする思考、その二つ存在する思考を有ろう事か無駄と判断しそれすらも省いてしまったのだ。
ただしそれは攻撃と防御を放棄したという訳では無く、攻撃と防御という二つの思考に分けるという事を無駄と判断したという事だ。
ライの動きは攻撃であって攻撃ではあらず、防御であって防御ではない。
攻撃と防御、その二つが完全に統合されたライの動きは見る者によってその姿を変える。
さらにアリスは一体化されたライの動作がただ攻撃と防御が一つになっただけではない事に気付く。
最初にライが繰り出した突き、あれはただオークの心臓を貫いた訳では無い。
正確に言えばライは心臓を”貫いた”のではなく”突いた”のだ。
剣先が心臓に刺さるだけ相手は死を免れない、それならばわざわざ心臓を貫く必要は無い。
無駄に貫かぬよう飛び込む距離を調整し、剣先から伝わる僅かな手応えを頼りに心臓に剣先を突き刺す。
さらにライが飛び込むように突きを繰り出し攻撃と回避を同時に行った際、ライは突き立てた剣はそのままに空中で身体を反転させていた。
右手は剣を握ったまま、右手首を起点に身体を反転させたライの姿勢は今まさに剣を横薙ぎを振るわんとする構え、ライは攻撃し躱しながらも既に次の行動の準備に移っていたのだ。
殺傷は最小限、構えすらも最適化し、極限まで無駄を省いたライの一連の動作は魔法だけでなく剣の腕にも自信のあったアリスでさえ到底真似できないと思わざる負えない程のものだった。
「凄い……」
一切の虚飾を取り払った無駄のないライの剣にアリスが見惚れ、剣を握っていない左手で胸を抑える。
(この感じ……駄目、このままじゃまた――)
アリスの意識が一瞬だけオークから離れた、その瞬間
ゴォゥ!
突如大広間に繋がる入口の一つから炎が噴き出し、前方に居たオーク諸共アリスに炎が迫る。
「くっ!?」
反応が遅れたもののアリスは細剣に魔力を込め、突きの一撃で炎を跳ね除ける。
しかし跳ね除ける事に成功はしたものの炎の勢いに押されその場で尻餅をついてしまう。
「っ、大丈夫か!?」
その事に気が付いたライがオーク達を一薙ぎしアリスの元に駆け寄る。
ライがアリスの様子を確認するとアリスは頬が赤らみ苦し気に胸を抑え、息も乱れていた。
(これって確か)
アリスの様子にライは既視感を感じていた。
それは闘都で行われた武闘大会の準決勝、アリスとアドレアの対戦にてアリスは体調が悪い様子だった。
その時のアリスと今のアリスの姿がライには重なって見えていた。
「まさかあれからまだ体調が治ってないのか?。どうしてそんな体調でこんな所に」
「うる、さいわね……。私が何をしようとアンタには関係無いでしょ。ほっといてよ」
「強がってる場合じゃ――っ危ない!」
アリスが倒れたため、アリスが抑えていた側のオーク達が何時の間にかアリスとライのすぐ傍まで迫っていた。
ライはアリスの前に立ち塞がりオーク達を斬り伏せると全ての入口から可能な限り距離を取るべく、壁を掘って作られた石の玉座までアリスを抱えて下がる。
その間にもオーク達はどんどん大広間に入って来ており、ライがアリスを玉座に座らせ振り返った時には大広間の七割がオークで埋め尽くされていた。
「これはヤバイな……」
ライがアリスを背に守るようにしながらオークの動きを警戒する。
しかしオーク達がそれ以上近づこうとする素振りを見せず、不審に思っていたその時だ、大広間の入口付近に居たオーク達が左右に退き、それぞれの入口から何匹かのオークが大広間に入って来る。
「身体強化を使う奴が一人もいないと思ったら、形勢が自分達に有利になるまで隠れていたのか」
頭の回る魔物ほど厄介な相手はいない。
ライはその事を改めて痛感しながらこの状況を打開する為に頭を働かせるのだった。