圧縮の使い方
今回はちょいと短め、その分次回は早めに投稿します。
オーク達が街への侵攻を諦め引き返し始めた頃、ライは既にオークの巣穴内部へと侵入していた。
明かりもない洞窟の中をライは慎重に進んで行く。
それは暗く視界が確保できないから慎重にならざる負えないというのも勿論あるのだが、一番の理由は足音を立てないようにする為だ。
洞窟の中ではどんな小さな物音でも響き、離れた位置にまで音が届いてしまう。
この巣穴に何体のオークが残っているかは分からないが、居たとしても一番高い階級で将軍程度、今のライならば戦って負ける事はないだろう。
しかし今回の目的はオークの殲滅ではなくあくまでも救出だ。
オーク達に侵入が気取られた状態で子供達を守りながら巣穴を抜ける自信は今のライには無い。
最善はやはりオーク達に見つかる事なく子供達を救出し速やかに脱出する事だ。
(早く奥まで向かわないと)
ここは大将が率いる群れの巣穴だ、その規模はそこら辺の魔物の巣穴とは訳が違う。
今のライのゆっくりとしたペースで進んでいては子供達が囚われていると思われる巣穴の奥に到達するまでに日が暮れてしまうだろう。
とはいえ急げば足音を立ててしまい、オーク達に存在がバレる危険性がある。
速度と隠密、その両立し難いそれらをどうにかして両立する事は出来ないか、ゆっくりと歩を進めながらもライは考える。
クラックでは魔力が破裂した際の音が出てしまうし、身体強化は身体を強化する魔法であって純粋に速度が上がる訳ではなく音を軽減する事も出来ない。
エンチャントも身体ではなく武具に対して行う身体強化のような物であり今の状況では役に立たない。
(布でもあれば足と地面の間に噛ませて音を殺せるんだけどな)
普段なら刃に付着した血を拭う為に布を何枚か常備しているライだったが、オークの巣穴に侵入するにあたって余分な荷物は邪魔になると考えクリオに預けてしまっていた。
今ライが持っているのはエクレール、聖銀製の短剣、投擲用の短剣八本、それと発煙筒と着火用の火打ち石くらいだ。
どれも音を消すのには向いておらず、むしろ音が出るような物ばかりだ。
クラックブーツを脱いで素足になるという手もあるが、それでも音を完全に殺せる訳ではないしこんなそこら中に石が転がっているような洞窟で素足になんてなったら咄嗟の事態に対応する事もままならない。
(他に何か利用できる物があるとしたら魔力と始源くらい――)
そんな事を考えたライの脳裏にある一つの案が思い浮かぶ。
(そうか、始源と魔力があれば)
思いついた事をライが即座に実行に移す。
周囲の魔力を可能な限り搔き集め足の裏に集中させる。
足の裏と言っても靴底に魔力を集めるのではなく、その表面に這わせるように魔力を操作する。
搔き集めた魔力を始源を利用し目に見えない魔力が実体を得る程に高密度の圧縮をかける。
その状態でゆっくりと足を持ち上げ、地面を軽く踏みしめる。
足の裏に這うように実体を持った魔力は軽い抵抗感を持ちながらもライの足を包み込むように受け止める。
(フィアと比べると俺のはまだまだだな)
以前マリアンベールの地下でフィアが魔力を実体を伴うまで圧縮していた事があったが、あの時のフィアの魔力はまるで石のような硬度を持っていた。
単純な魔力操作のみフィアに対し、ライは始原を利用してもなおその域にまで達しておらず、体重をかければ魔力が変形してしまう。
だがその柔軟性こそが今の状況にとっては都合が良かった。
普通に歩いても音が出ない事を確認するとライは巣穴の奥へと歩を進めていく。
先程までとは段違いの速度で巣穴の中を進んでいるとライが変な物を発見した。
それは道の途中に出来た縦横二メートル半、奥行きは三メートルの横穴だった。
横穴の中や側には剣や斧、槍などが無造作に散らかっており、そのどれもが刃が欠けていたり、折れていたりとまともに使えるような状態では無かった。
(これは冒険者達から奪い取った武器か?。こんなものを利用して穴を掘っていたのか)
石を掘り進めるならツルハシが望ましいが、オーク達に鋳造技術などは無いしツルハシを持って狩りに出る冒険者なんて早々居ない。
結果、これらの武器で掘り進めるしかオーク達には出来なかったのだろう。
本来そういった用途の物ではないため、無理な運用のせいでその場に転がっている物の全てがまともに使える状態ではなく、使える物が無いかとライは漁ってみたが特に目ぼしい物は見つからなかった。
屈んでいたライが立ち上がろうとした時、ライの耳が何かの音を捉える。
規則的に刻まれる音、それが徐々に大きくなっていく。
(これはオークの足音か)
足音が聞こえてくる通路の先に目を凝らすと、通路の奥からゆらゆらと揺れる炎の明かりが見え、奥からオークがこちらに向かって歩いて来るのが見えた。
(まずいな……)
ライが今いる通路は長く続く一本道、遭遇を避けるには引き返すしかないが、引き返したとしても別の通路の集合地点までかなりの距離がある。
ズンズン進んでくるオークに対し、走る事の出来ないライでは合流地点につく前に追いつかれてしまうだろう。
ライはチラリと横穴に目を向ける。
奥行き三メートル程の小さな横穴、ここに隠れればあのオークをやり過ごせるだろうか?。
逡巡の後、ライは意を決して横穴に身を隠す。
通路の向こうからやって来るオークに可能な限り見え辛いように横穴の奥ではなく、オークが向かってくる側の壁に身を潜める。
(このまま隠れてやり過ごせるか?それともこの横穴の前に来た時に仕掛けるか?)
オーク一体を倒すだけならライは何の苦も無くやってのけるだろう。
しかしそこに音を立てずという条件がつくとなるとライにも自信は無かった。
オークに反撃どころか声をあげる暇すら与えず、一切の音を出さず事を終える。
このまま隠れてオークに見つからない可能性と一切の音を立てず暗殺を成功させる可能性、どちらの可能性の方が高いかライは頭の中で何度もシミュレーションし、やがてその時がやってくる。
オークがライが身を潜める横穴の前を通りかかろうとした時、不意にオークが足を止める。
「……?」
何か違和感を覚えたオークが鼻をヒクヒクとさえた後、横穴に視線を向けた瞬間――
――スゥ…
一切の抵抗感を感じさせない滑らかな動作でオークの喉に剣が突き刺さる。
「ぅ゛ぉ――ッ」
剣に喉が突き刺さった状態で声をあげようとするオーク、それを許さないライはエクレールを使いテコの要領で喉を割り開く。
大きく開いた喉から空気が漏れ出し、オークはうめき声すら出せなくなる。
震える手で背中に背負った武器に手を伸ばそうとしたオークだったが、半ばで力尽きガクンと全身から力が抜け落ち、片手に持っていた火の付いた木材を取り落とす。
木材は真っ直ぐ地面に落下し、大きな音を立てる――はずだった。
「ギリギリだったな……」
安堵したように小さな声で呟いたライの視線の先にあったのは右足の裏から伸びた魔力が木材を受け止めている光景だった。
音を立てる事なくオークを暗殺する事に成功したライはここで音を出すようなヘマをしないよう慎重にオークの亡骸を地面に横たえ、火の付いた木材を消化してから先を急いだ。