危機
「師匠、今何て…?」
「街に戻ろうって言ったんだよ。どうもオーク達の様子が可笑しいんだ。カイル達に実戦を経験させる事が出来たし、実地訓練の目標は最低限達したと判断したから安全の為にね」
カイル達と合流したライはすぐさま街への帰還を提案した。
だがライとの訓練が今日で最後になるという事を理解しているカイル達はそれに食い下がっていた。
「まだ師匠に教えて貰ってない事が沢山あるんだ!」
「そうだよ!まだ僕達には師匠が必要なんだ!」
「今日が最後だって言うなら、せめて残った時間だけでも私達に稽古をつけてください!」
「実戦だって師匠に直接確認して貰った訳じゃないわ!師匠の目で見て貰ってそれで十分かどうか判断してからでも」
「いい加減にしなさい」
食い下がる四人にフィアが強い口調で告げる。
「命あっての物種、ここで危険を冒してまで訓練を続ける意味はない」
「危険って、オークがやって来たって師匠が居れば危険な事なんて何も――」
「それじゃあ貴方はこれから先、何か危険があればその危険を誰かに押し付けて生きて行くの?」
「なっ」
「冒険者を目指すなら何があっても命を第一に優先すべき、例えここで逃せば次いつ訪れるか分からない千載一遇のチャンスだったとしても、それで命を失ってはその次が訪れる事さえ無くなってしまう。他人に任せなきゃ乗り越えられないような危機に自ら飛び込もうなんて自殺も良い所だよ。ここ数日、ライと一緒に居た貴方達なら私の言いたい事は分かるでしょ?」
フィアの言葉に四人共が沈黙する。
頭では理解していても感情が追いつかないのだろう、そんな四人の様子にフィアは小さくため息を吐きながらもライへと向き直る。
「ライ、具体的にオーク達の様子がどう可笑しいのか教えてくれる?。そうしなきゃあの子達納得しそうにないから」
「みたいだね……分かった。最初に遭遇した二体のオークが居たでしょ?最初俺は群れから離反したはぐれオークだと思ってた。オーク達の巣がある位置かかなり離れてたし、二体と数も少なかったからね。普通離反したならもう群れには戻れないからその群れが支配してない所まで移動するはず、でもあのオーク達の進路は森の入口には向いていなかった。どちらかと言えば何かを中央に据えて円を描くような、まるで巡回のようだった」
「巡回って事はあの二体のオークは本隊から分かれた偵察隊だったって事?」
「恐らくね。その事に気付いたのはオークと戦ってる最中だったから、それを伝えるためにオークをさっさと倒してこっちに駆け付けたんだけど……」
ライは地面に転がるオーク達に目を向ける。
「あのオーク二体の巡回経路から予測した本隊の位置とは違う位置にこのオークの部隊が居た。どうやらこの周辺に複数のオークの部隊が展開してるみたいだ」
「複数ってそんな、アランさん達がオークを抑えていたはずじゃ」
「恐らくやられたんじゃないかな」
事も無げに言うフィアに四人は言葉を失う。
暫しの沈黙の後、カイルが震えながら声を絞り出すように言う。
「そ、そんな……嘘だ、だってアラン兄ちゃん達はBランク冒険者で、街を代表する冒険者で――」
「この群れを率いてるのは最低でもAランクの大将、ならBランクの冒険者が負けても不思議じゃない。何より昨日から帰らない彼ら、こんな所までオークの部隊が展開してるという事実、考えるまでも無いと思うのだけど」
淡々と告げられるそれらの言葉にカイル達の顔はドンドン蒼褪めていく。
このままここで話していても状況が好転する訳でもない、そう考えたライは蒼褪めた四人を見ながらフィアに声を掛ける。
「フィア、四人を連れて街に戻ってくれる?」
「良いけどライはどうするの?」
「クリオ達を置いてはいけない。俺はクリオ達と合流してから街に戻るよ」
「そっか」
フィアはそう言うと目を瞑り、数秒後に目を開きライの顔をみる。
「ライ、急いだ方が良い。何だか嫌な予感がする」
フィアの行動とその言葉でライはフィアが周囲の状況を把握して警告を促している事を理解する。
「何かあったんだね?」
「将軍が率いてると思われる部隊が六つ、隊長が率いてる部隊が十つ、一ヶ所に集結しつつある」
「……複数部隊が点在してる時点で嫌な予感はしてたけど、将軍の部隊を一つに纏められる存在がその集結してる場所に居るって事か」
ライの言葉にフィアが頷く。
「でも散らばらせていた部隊を集める目的は一体……散らばっていたのは食料確保の為で、集め終えたから本隊に合流しようとしてる?いや、食料確保が目的ならそんな大部隊で行う必要も大将が出張る意味もない」
純粋に食料確保が目的なら合流などせずそのまま巣に帰れば良い。
「……フィア、全部のオークが集結したらどれくらいの数になる?」
「アラン達が今まで大分減らしたみたいだから、将軍が率いてる部隊でも二十体前後が六つ、隊長が率いてる部隊が十体前後が十つ、おおよそ二百体強って所かな」
「それだけの数のオークが食い繋げるだけの食糧はこの森にあるかな?」
「微妙だね、今の内はまだ足りてるけど消費と供給が間に合ってない。その内枯渇するのは目に見えてる。それはオーク達も分かってるはず」
ライの脳裏にクリオのあの言葉が浮かぶ。
『極限の飢餓状態、あるいは極度の緊張状態で錯乱してたのかもしれません。何にせよ普通では無い事に違いはありません。でも”普通の事”では無くても”在り得ない事”では無いんです』
「食料を求めて食料が大量にあるであろう場所を襲う為に戦力を集めた……在り得ない事じゃ無さそうだな」
「ライ、それって」
「うん、多分オーク達は街を襲う気だ。そのためにそれだけの戦力を揃えたんだと思う」
部隊が散らばっていたのは恐らく戦争に向けて森の中の食糧を可能な限り搔き集めていたのだろう。
だとすれば一大事、すぐに街の人達に知らせに戻らねばならない。
「フィア、至急カイル達を連れてこの事をギルドに伝えて貰える?。俺はクリオを見つけ次第すぐ街に引き返すから」
「分かった、ライも気をつけてね」
ライは現在、クリオ達に合流する為にフィア達と別れ一人森の中を駆け抜けていた。
(急げ、急げ!)
障害となる木々を避けながら部分強化で脚力を上げ、フィアに教えられたクリオ達の現在地へと向かう。
何故ライがこんなにも焦っているのかと言うとそれはフィアにクリオ達の現在地を聞いた時、フィアが場所とは他にこんな事も言ってたからだ。
「急いだ方が良いよ、集合地点に向かうオークの部隊の部隊の内の一つ、その経路上にクリオ達が居る」
(クソッ!)
圧縮を使い速度を上げたい衝動に駆られるも、ライは圧縮を使おうとはしなかった。
それはこの場で出せる最速が今のライの速度だからだ。
圧縮する事で一足分だがライはAランクを超える速度を手にする事が出来る。
だがその速度を実現するにはただ脚力が上がっただけでは不可能、その脚力を受け止めるだけの足場が必要だ。
柔らかな地面を強い力で蹴った所で、地面が抉れ威力は分散しむしろ速度は落ちてしまう。
ライがあの場で圧縮を使えたのはフィアが戦いやすいように作り変えた空間だったからだ。
それをライも理解していたし、圧縮を使用する前につま先で地面を叩いて強度を確認していた。
ならばクラックはどうだろう?。
クラックは魔力を爆発させ、その爆発力を前面に押し出す事で人間を撃ち出す。
地面が柔らかくとも爆発力を利用して飛ぶクラックならば足場が多少柔らかくても問題にはならない。
だがここは木々が鬱蒼と生い茂る森の中、直線にしか飛べないクラックでは木々を避けながら移動する事は不可能だ。
結局、地面が受け止め切れるギリギリの脚力を維持し、最小限の動きで木々を躱すのが最速の方法なのだ。
フィアに伝えられた場所までライが最高速度を維持したとしても後五分は掛かる。
だがフィアに場所を教えられた時点でのクリオ達とオークの部隊との距離は木々さえ無ければ肉眼で捉える事が出来ても可笑しくない距離だった。
ライがフィア達と別れてから数分、もうクリオ達はオークと会敵していても可笑しくはない。
いや、もしかしたらクリオ達もオークに気が付き何処かへ逃げている可能性もある。
(どちらにせよ、急がないとクリオ達と合流出来ない!)
全員その場に無事で居て欲しいという願いと、オークから逃げて身を隠していて欲しいという矛盾した考えを持ちながらも、ライは目標地点まで駆け抜ける。
目標地点に近づくにつれ、ライの耳に何か金属同士がぶつかるような音と誰かの叫ぶような声が聞こえてくる。
それを耳にした瞬間、ライは身体が木にぶつかる事も躊躇わず強引に森を駆ける。
そしてライの視界にオーク達に囲まれたクリオ達の姿が映る。
「クリオ!!」
「っ、ライ!?」
突然のライの登場に驚くクリオ達、だがそれ以上に混乱していたのがオーク達だった。
いきなり現れた人間が瞬く間にクリオ達を囲んでいた数体のオークを蹴散らしてしまったからだ。
明らかに自分達の手に余る人間の登場にオーク達が二の足を踏む中、ライはクリオ達に話しかける。
「大丈夫か?」
「えぇ、軽い怪我は負いましたが動けなくなるような大怪我を負った者はいません。ですが――」
何か躊躇するようなクリオの様子を疑問に思うとほぼ同時に、ライはある事に気が付く。
「クリオ、カイトとイリィはどうした?」
クリオと共に居たはずの四人の駆け出し冒険者、その内の二人の姿が見えなかったのだ。
嫌な予感がライの頭を埋め尽くす中、クリオが口を開いた。
「――オークに、連れ去られました」
普段は昔の口調が抜けないライですが、緊急時になるとちょっと勇ましくなる。