授業風景
訓練場での一件から数日が経ったある日の午後、ライ達は訓練場ではなくギルドの一室に居た。
ギルドに居るのはライとフィア、それにカイル達だけでなく、クリオとその教え子であるカイト達の姿もあった。
「ではヒクキ草の薬効について、リザさん答えてください」
「ヒクキ草はムルム草と違い軽度の熱傷、多少の鎮痛効果もあるので筋肉痛などにも利用されます」
「正解です、では次に――」
現在ライ達が何をやっているのかと言うと、端的に言えば授業だ。
何故訓練場での特訓ではなく勉強なんてしているのかと言うと、原因はカイル達とカイト達が訓練場で模擬戦をした事だった。
ライにこってり絞られ戦い方を叩き込まれたカイル達とクリオから勉強ばかり教えられていたカイト達では勝負になるはずもなく、結果は当然カイル達の圧勝で終わった。
これにカイト達が対抗心を燃やし、自分達もカイル達と同じくライに特訓を付けて欲しいと頼んできたのだ。
当初は四人でさえ手一杯なのに、これ以上増えたら堪らないと断ろうとしたライだったが、カイト達の諦めの悪さとクリオからもお願いされてしまった事により、断り切れずに承諾してしまう。
ただし交換条件としてライがカイト達四人にも教える代わりに、クリオにもカイル達四人にも勉強を教えて欲しいというも条件を出した。
何故ライがわざわざそんな条件を出したのかと言えば、それはエアスト近郊の森の調査結果が出た事に起因する。
ライがカイルと戦ったあの日の午後、ギルドの調査結果でエアストの森は一部制限を設けつつもDランク以上の冒険者は出入りできるようになった。
Bランク以上は制限なし、Cランクは立ち入れる区画が制限されるもそれ以外の制限なし、DランクはCランクと同じ区画制限と最低四人以上のパーティという制限が付いていた。
Eランク以下は完全に立ち入り禁止であり、そのためカイル達は未だに森に入れずにいた。
しかしこのまま順調に行けば一週間後にはCランク冒険者同伴ならばカイル達でも森に入れるようになるとの事だった。
ここに来てそれなりに日数が経過しており、ライもこれ以上ここに留まる気は無かった。
そのため、ライはカイル達が森に入れるようになり次第、実地での特訓を最終段階としそれに向けてカイル達を鍛え上げている所だった。
だが最終段階に移行するにあたって一つの問題があった。
それはライがエアストの森について何も知らないという事だった。
森で特訓する以上、魔物との命を掛けた戦いが否応なしに発生する。
少しでも身の安全を確保するためには森の特性やそこに生息する魔物の情報は必要不可欠だ。
しかしライはそれらに関する情報は一切持ち合わせていないし、今からそれを調べようとなるとカイル達の特訓を中止しなければならないのだが、カイル達の安全を確保する為にも少しでもカイル達の実力を底上げしておきたいという思いもあり、ライはどうするべきか悩んで居たのだ。
そんな時に今回の申し出を受けたライはエアストの森や魔物についても詳しく、教鞭を取っているクリオに教えて貰えば森に調査に出向く必要も無いし、何より教えるのも上手いだろうし効率的なのではと考えついたのだ。
だがライがクリオに教えて貰っている間、駆け出しの八人がフリーになるのも何だかもったいない為、ライ+駆け出し八人でクリオの授業を受ける事となり現在に至る。
「さて、皆さんはそろそろエアスト周辺の植物や魔物の分布、その特性については分かってきましたか?」
「勿論、復習だーって何回も教えられてきたからな、いい加減覚えて来たっての」
「ではカイル君、エアスト近郊の森に生息するブラックビープの習性について答えてください」
「んえ!?あー、えーっと、黒い羽根の生えたアレだよな?」
「はい、そのアレです」
「頭部に耳が三つ付いてて、目が一つ、鋭い牙の生えたコウモリみたいな」
「あの、容姿についてではなく習性について答えて貰いたいのですが」
「……分かりません」
先程までとは打って変わってしょぼくれた様子で言うカイルにクリオは苦笑いを浮かべる。
「このやり取り、既に三度目なのですが……カイル君は勉強が嫌いですか?」
「嫌いっていうか、興味ないっつーか、ブラックビープなんて雑魚中の雑魚だし、そもそも遭遇率も低くて滅多に姿見ないって話しだし」
「雑魚とは言え魔物は魔物、人を殺すだけの力があるという事は決して忘れてはいけません。それに魔物の強さに関係なく遭遇率の高い魔物よりも遭遇率の低い魔物と対峙した時の方が冒険者の死亡率が高いという調査結果も出ています」
「普段見慣れない魔物との突然の遭遇、見慣れないが故にそれが何であるか理解するまでに要する時間、情報の不足、精神的動揺、それらが重なれば例え遥か格下の相手であっても不覚を取り死んだとしても何ら可笑しくはないよ」
クリオの説明にライがそう補足を入れる。
「ライさんの言う通り、ですから遭遇率に関わらず魔物の情報は可能な限り把握しておくべきです。ただ一つ忠告しておきますが、魔物の情報を知っているからといってその情報を過信しすぎるのもいけません。魔物だって私達人間と同じ生き物です、様々な人間が居るように魔物も同様で個体差は必ず存在しますし、状況や環境が違えば魔物の思考や生態もまた変わってきます」
「それじゃあ今まで教えられた事は無駄だったって事ですか?」
カイトが手を挙げてクリオに質問する。
「過信してはいけないというだけで、過信さえしなければ決して無駄ではありませんよ。ただ先程も言ったように個体差はあるし、状況や環境によっては情報通りに行くとは限りません。私が教えられるのはあくまでも一般論、その情報を活かすか、殺すかは皆さん次第です」
「で、でもよぉ、それだけ言われてもどこまでその情報を信用して良いのか分からねぇんだけど」
「それは……」
説明に困り言い淀むクリオにライが助け船を出す。
「カイル、コボルトについては知っている?」
「え?確か群れで行動して集落も作って、石器を武器に戦う獣と人間を足して割ったような奴だよな?」
「そう、コボルトは石器の武器を使うけど、石器の武器と言っても剣、斧、槍と何を使うかはコボルトによって個体差がある」
「コボルトと一口に言っても使う武器によって対策は複数容易しなきゃいけないって事ですね」
「そう、それにその武器で突くか払うか、あるいは投擲するか、武器をどう扱うかも個体差があるからコボルトという種族の特徴とは言い辛い」
「そこが先生の言う過信しちゃいけない所なのか」
例えばコボルトは石器の剣を使い、振り払いを多用するという情報があったとしよう、これを信じた冒険者が不用意にコボルトに近づき、予想して居なかった突き攻撃を喰らって絶命するという可能性もある。
さらにコボルトが使うのは剣だけでは無いし、ライがさっき言った以外にも棍棒や投石、さらに倒した冒険者が落とした武器なども使用する。
コボルトがどんな武器を持ち出して来るか分からない以上、これだと決めつけて説明するのは得策ではない。
「コボルトに関して信じても問題ない部分は”群れを成す事”、”武器を使う事”の二つかな。相手は群れを成さないという先入観で相手が単独だと信じ込むのは危険だけど、仲間の存在を警戒する分には問題ない。武器を使うってのも信じて問題はない、ただしコボルトが自作出来るのが石器の武器というだけで、倒した冒険者の武器を利用する事もあるから”石器”の部分は過信しては駄目だ」
「とはいえ、信じられる所だけ教えてたら情報不足になりますからね。その場に応じて情報の取捨選択をしなければなりません」
「全てを信じるんじゃなくて、信じても問題ない所、絶対に変わらない所だけを判断し、それ以外はその場に応じて判断する柔軟性を求められる訳ね」
フランチェスカが納得したように頷く。
「さて、情報の扱い方についてある程度学びましたし、次はそれを踏まえて考えてみてください。では次はオークについて話していきましょう」
オークの名が出た途端、駆け出し冒険者達の表情が変わる。
「オークは普段、エアスト近郊には現れない魔物でしたので説明は省いてきましたが、今はこんな状況ですしね、オークと戦わないとも限りませんし」
そう言いながらクリオが黒板にオークの絵とその脇に人間の絵を描いていく。
「さてこれが一般的なオーク、隣に立つ人間と比べるとかなりの巨体である事が分かります」
「一般的なって事は一般的ではないオークが居るって事ですか?」
「えぇ、今私が描いたオークは”兵士”、皆さんがオークと聞いて真っ先に思い浮かべるのはこの姿のオークでしょう」
説明しながらクリオは既に描いてあったオークの隣に引き締まった肉体をした細身のオークを描く。
「こちらは”新兵”、まだ成長途中ではありますが戦闘に出られるだけの成長を経たオークとなります」
「凄く細いね」
「アレならマックの盾でもぶん殴ればイチコロじゃねぇか?」
「見た目で判断してはいけませんよ。確かに新兵は成体のオークと比べれば未成熟の為体力や筋力は遥かに劣りますが、体重が軽いので木々の上を移動する事が可能な為、良く冒険者を木の上から奇襲するのです。人によっては将校よりも厄介だと言う場合もありますね」
クリオは黒板にそれぞれのオークの階級、特徴を書き込んで行く。
「オークの階級は下から順にCランクの”新兵”、”兵士”、”隊長”、Bランクの”将校”、Aランクの”大将”、そしてSランクの”王”となります」
「兵士以降のオークの見分け方ってあるんですか?」
「オークは階級によって外見に差が出る物ではありません。魔法を使えば将校以上だと判断は出来ますが、正直難しい所ですね」
「仮に判断しようとするなら、そのオークの立ち振る舞いと纏う雰囲気を肌で感じ取るしかないかな」
「随分と曖昧なんですね」
ライの言葉にリザが反応する。
「他に判断基準があるとすれば、そのオークが身に付けて居る装備が他のオークと比べてどうかって所かな。他と比べて良質な装備を身に付けて居るならそのオークは他のオークよりも階級が高いって事くらいは判断出来るよ」
「何にせよ、ソイツが明確にどの階級かってのは判断出来ないって事か」
「そう、だからまぁオークと対峙した時は相手が魔法を使ってくる前提で動いた方が良い。下手に相手の階級を断定して動くと痛い目を見るからね」
さっきも話していた情報を過信するなという奴である。
人間でも天才と呼ばれ幼き頃から大人以上に魔法を扱う者だって居るのだ、例え対峙したオークが新兵であろうと警戒しておくに越した事は無い。
「オークはコボルトと同じく群れを成す魔物ですが、コボルトとは違ってオークの群れは完全な縦社会です。自身よりも階級が上の者には服従しますが、自身より階級が下の者だけでなく同等の階級の者に対しても自分が上位者だというような振舞いをします」
「それって争いにならないんですか?。同じ階級同士で」
「勿論争いになりますが、上の階級の者が存在する場合はその者が争いを収めます。ただ目の届かない所、巡回などで外に出る場合は高い階級の者一人、それ以下の階級を複数という編成で争いを回避していますね」
群れについての説明を終え、クリオは次の説明へと入る。
「さて次はオークの習性について話していきましょうか。オークは交雑によって数を増やしていきますが、オークが交雑するには一定の条件があります。分かる人は居ますか?」
「はい!」
そう元気良く返事したのは意外な事にカイルであった。
周囲から驚きの視線を向けられながら、カイルは高々と手を挙げる。
「ではカイル君どうぞ」
「交雑ってなんだ?」
「あぁ、回答ではなく質問でしたか……。交雑というは所謂異種交配、異なる種同士で行われる繁殖行為の事を言います」
「それなら分かるぞ!オークは人間の女を捕まえて子供を産ませんだろ!」
「ちょっと、カイル!あんたにはデリカシーって物が無いの!?」
顔を赤くしながらフランチェスカがカイルを怒鳴る。
他の女性陣も口には出さなかったが顔を赤くし、非難の目でカイルを見ていた。
「フランさん、今日の所は授業ですので堪えてください。カイル君も授業とはいえ多少言葉は選びましょうね」
苦笑いを浮かべながらクリオがそうフォローを入れる。
「オークは雄の個体しか存在しない為、異種族の雌を利用します。それは人間に限った話ではなく遺伝子的に近しい方が子供が出来やすいので人型の魔物もオークの繁殖に利用される事が多いです。では他には何があるでしょうか?」
「え、まだ繁殖するのに条件があるんですか?」
「勿論、皆さんオークについて誤解している部分があるようですが、オークだって何も考え無しに異種族の雌を捕まえて行為に及ぶ訳では有りません。ちゃんと意味があってやっている事なのですよ」
暫し間を置いた後、クリオが全員に尋ねる。
「どうでしょう、分かった人は居ますか?」
「んー、わっかんねー」
「僕も分からないや」
「分かりませんでした」
「私も」
「カイト君達の方はどうですか?」
「降参、わかんねぇや」
「分かんないねー」
「分かりませんね」
「わかんなぁい」
「そうですか…ではライさん、ご存知ですか?」
駆け出し冒険者達が全滅だったため、クリオがライへと尋ねる。
「自分もオークの繁殖について詳しく知っている訳では無いですけど、確か群れを成したオークで無ければ繁殖行為をしないと聞いた事があります」
「その通りです。オークは我が強い為、群れを纏めるリーダーが存在しない限りは単独で行動していますが、その場合もし子が出来てしまったら一人でその子を育てねばなりません。子を連れて狩りになんて出られませんし、かと言って狩りに出るために住処に子を一人きりにすれば守る者など誰も居ません。我が強い故に単独で行動するオークにとって、子は邪魔にしかならないのですよ」
「ふーん、オークも意外と考えてるんだな」
「そうですよ。さて、それでは最後の条件のです」
「まだあんのか!?」
クリオの言葉にカイルが驚いたように言う。
「群れを成したからと言ってむやみやたらに子を増やす訳では有りません。数を増やすにはそれなりの理由が、数を増やすのを止めるにもそれなりの理由が必要です」
「えーなんだよそれ、全然分かんねぇよ」
「他の皆さんも分かりませんか?」
クリオがそう尋ねながら全員の様子を見て行く。
今回はライも分からないらしく、首を捻って居た。
「正解は群れを維持出来るだけの食糧です。これが無ければオークも数を増やす事はしません。逆に食料が豊富であれば戦力を確保する為に群れを大きくします」
「オークってそんな所まで考えてるんですか」
「意外だね」
「確かにオークやゴブリンは人間と比べて知能は劣りますが、皆さん良く考えてみてください。それ以上に知能が劣る動物だってこの世に数多く存在します。しかしそれらの動物は誰に教えられるでも無く、得物を狩る術、外敵から身を守る術、食料を保存する術、住処を作る術など生きるために必要な知識を持っているのです。それと同じことですよ」
枯枝や泥を材料とし大規模なダムを作り出すビーバー、秋頃に木の枝などに得物を突き刺し保存する百舌鳥など、誰かに教えられることなく自らの本能に基づき行動する動物たち、オークの繁殖もそれらに近しい物があった。
「さて、オークが子を成す際の条件については理解しましたね?。ではそれを踏まえた上で次の問題に行きましょう」
クリオは黒板に再び絵を描いていく。
それはオークに抱えられた一組の男女の人間の姿であった。
「オークは人間を生きたまま捕え巣に連れて帰りますが、これは一体何が目的でしょうか?。ちなみにこの場合、食料にあまり余裕が無いものとします」
「繁殖する為じゃ無いの?」
「でもそれなら女性だけ連れて行くんじゃないかな?。それに食料に余裕が無いなら子供を増やすような事もしないと思うし」
「んー、無難に食べるじゃないかしら?」
「フランさん、惜しいですね。半分当たってはいますがただ食べるだけなら生かして捕える必要はありません。実際オークは食料になる魔物や動物などはその場で殺してから巣に持ち帰りますからね」
暫しの沈黙の後、ゆっくりと手を挙げたのはまたしてもカイルであった。
「もしかしてなんだけどよ……」
「何ですか?間違ってても良いので思いついた事を教えてください」
何やら言い辛そうな雰囲気を醸し出すカイルにクリオがそう告げ、カイルは何かを決心したように口を開く。
「お、男も犯されんのか!?」
カイルの発言にその場に居た人間の殆どが椅子からずり落ちる。
「い、いえ、オークがそういう事をするのはあくまでも子を成す為ですので男性相手にそういった行為に及ぶことは……あ、でもオークにだって個体差はありますし、子を成すとか関係無しに性欲の強い男色家のオークが居る可能性だって」
「先生!真面目に答えようとしなくて大丈夫です!!」
思考が危ない方向へと向かっていたクリオをリザが必死の形相で止める。
「ハッ!す、すみません、少々脱線してしまいましたね。それで答えが分かった人は居ますか?」
クリオがそう言いながら部屋の中を見回していると、フランチェスカが手を挙げる。
「はい、ではフランさん」
「保存する為かしら?」
「正解です。オークは保存食を作るという事をしません。そのため食料を保存する為に生きたまま捕えるのです」
「でもそれなら何で人間は生かして魔物や動物は殺しちゃうんですか?」
「オークは知っているからですよ、人間は武器を奪われ閉じ込められれば大人しくなる生き物だとね。魔物や動物は角を折ろうが閉じ込められようが、生きている限り暴れまわりますからね。オークにとって人間は魔物や動物と違って保存しやすい生き物という事です」
「へー、オークって馬鹿で性欲が強いだけの魔物だと思ってたけどそうじゃ無いんだな」
「そうですよ。それに階級で縛られた群れは統率のとれた軍隊と言っても過言ではありません。例え隊長が率いるCランク以下の部隊相手でも決して油断してはなりませんよ」
『はーい!』
こうしてクリオの授業は来るべき実戦に向けて、着実に進んで行くのであった。